旅立ちは幸先悪く
※セクハラというのか、多分それっぽいことを連想させるような描写があると思いますのでご注意ください。
フレデリックの計らいにより、旅支度をするために城へ滞在をしていたアズリアと春太。
しかし、それはフレデリックが旅へ出る準備をするための口実であり、本来ならすぐにでも旅立てたアズリアたちは約三日ほど待たされてからの出発となった。
勇者が世界を救うために旅に出る。
きっと盛大な見送りとともにこの都市を出ることになるのだろう。
そう予想していたアズリアだったが、その予想に反して、出発の見送りは実に地味なものだった。
何せ見送りに来た者は、あのときフレデリックの部屋にいた老人ただ一人だったのだ。
国王陛下も一緒に旅立つというのに何故こんなにも疎かな見送りなのだろうか。
このあっけない見送りに肩を落として落ち込んでいた春太に対し、その理由をフレデリックはにこやかに話した。
「ああ、俺が一緒に行くって言ったからなんだ」
さすがに一国の王が堂々と勇者の旅へついて行くことを周りに知られるわけにはいかない。
そのため、勇者たちの出発は秘密裏に行われることとなったのだ。
それを聞いた春太はさらに肩を落とした。
「じゃあその、サリウスさんは旅に同行してくれないんだ……?」
「彼自身もできることならそうしたいと言ってたけどね、何せ騎士団の団長だから勇者の旅に行けるほど暇じゃないんだよ。俺が城から抜け出して旅をするということもあってそれを誤魔化すのにも忙しいし」
「え、じゃあ城の人にも旅に出ることは内緒ってこと?!」
「まあそうだね。城の内部でも下手すれば外部に漏れてしまうかもしれないし」
さらりと言ってのけた彼に、春太は驚き、アズリアは呆れていた。
城の内部にも知らせないでどうやって国王陛下が不在という事実を隠しきれるのだろう。
いくらサリウスだとしても長い間隠し通すことなんてできやしないだろうに。
むしろフレデリックがこの旅について行くと言わなければ、サリウスが旅に同行できたのではないだろうか。
そんな意味合いを含めた視線をアズリアが投げかけていると、フレデリックはその視線に対しさらに笑みを深めた。
「アズリアの言いたいことはわかるよ。いくら騎士団の団長とはいえ俺がいないことを隠し通すのは難しいだろうね。だから、サリウスにはどちらかというと補助を頼んだんだ。俺の代わりになってくれている人のね。大丈夫、絶対にばれることはないよ。サリウスと……彼は、優秀だからね」
どうしてそこまで自信が持てるのか。
そこまでしてあのフレデリックが信頼を寄せている『彼』とは一体誰なのか。
アズリアの頭の中にふと見送りに来ていた老人を思い出す。
しかし、すぐにその考えを打ち消した。
このまだ若い国王陛下の『代わり』を務められる人物が、あんな老人のはずがないのだ。
ならば誰が彼の代わりを務めているのだろうか。
「でも……せめて見送りぐらいは来て欲しかったな……サリウスさん」
「仕方がないよ。彼が見送りに来てしまったら、わざわざこんな形で出発しようとした意味がなくなるからね」
どうやらフレデリックはその『代わり』を務める人物については教えてくれないらしい。
それはアズリアたちに話す必要性が感じられなかったからなのか、それともその人物について話すことすら頭になかったからなのか。
おそらくその両方だったことだろう。
長い間国王陛下がいないことを誤魔化せるぐらい彼の『代わり』に相応しい人物。
妙に引っかかりを覚え、気になったもののこれ以上聞いても教えてはくれないだろうと判断したアズリアはその人物について尋ねるのを諦めた。
「――それで、何でシエルがここに?」
今更ながらに春太は何故かこの場にいる猫人の存在に突っ込みを入れた。
「お前……散々人のこと無視しておいて今更だな、おい」
呆れのような怒りのような、どちらにも取れる視線を投げかけられ、春太はびくりと肩を跳ねさせた。
「いや、だって、シエルってその……盗賊団の頭というか……だったじゃん?」
「なんだよその言い方は。俺がここにいちゃ悪いかよ」
「いやいや! 悪くはないって! むしろ心強いし……でも何でだろう、と思って」
シエルの態度はどことなく刺々しく、春太はそんな彼の様子にしどろもどろに返していた。
傍から見ればどこぞの不良が気弱な男を相手に金を巻き上げているような、まるでカツアゲを目の当たりにした気分だ、とアズリアは思った。
それにしても、前に会ったときと比べてシエルはどこか不機嫌のように見える。
友人だと認めた春太に対して、どうしてこんなにも素っ気ない態度をとっているのだろうか。
「知るか。そこのやつに聞け」
ぎろりと彼が睨んだ視線の先にはフレデリックがいた。
「彼もいた方が心強いだろうと思ってね」
射抜くようなシエルの睨みをもろともせず、フレデリックは世の女性が見ればうっとりとした表情で頬を染めるであろうその美貌に爽やかな笑みを浮かべていた。
しかし騙されてはいけない。この男は天使のような笑みを浮かべながら悪魔のようなことを仕出かす男だ。
アズリアはその事実を十分に思い知っているため、彼の笑みに見惚れることもなく、次にこの男から発せられるであろう言葉を想像して呆れていた。
「捕らえている彼の仲間を解放する、という条件と引換えに同行してもらうようにお願いしたんだ」
それはお願いではなく脅迫と言ってもいいだろう。
ある程度の予想をつけていたアズリアでも、その言葉を聞いた瞬間その表情を引きつらせた。
相変わらずこの男は天使のような顔で悪魔のように非道なことをする男だ。
従わなければシエルの部下とも言える仲間たちがどうなることかわからない。
しかし従えば仲間たちは解放され晴れて自由の身となれる。
自尊心の高い彼と言えども、そんな条件を出されれば屈せざる負えなかったということだ。
「一国の王が、まさかこんな狡猾な手を使ってくるとはな」
その表情に憎悪の念を浮かべて彼は鋭くフレデリックを睨んだ。
シエルが何故こんなにも刺々しい態度をとって不機嫌な様子なのか。
それは卑怯な条件を出して無理につれて来たこの狡猾な国王陛下のせいに違いないことは明らかだった。
「え、でもそれって、つまり、シエルの仲間を人質にしてるってことじゃ……」
彼自身の意志とは関係なくほぼ強制的に旅へ同行させたこと。
そしてシエルがそのことに対してかなり不機嫌な様子を見せていること。
春太はその表情を曇らせて、なんともいえない罪悪感に胸を痛めた。
「でも彼にとって悪くはないはずだ」
「……えっと、どういうこと?」
可哀想だと思っていたあまり、フレデリックの言葉は春太にとってとても意外なものだった。
「彼は盗賊団の頭として捕まっていたけど、釈放される大義名分が立つんだから」
ますますどういうことかわからなくなり、春太は首を傾げた。
そんな彼に対しフレデリックは言葉を砕いてわかりやすく丁寧に説明した。
元々フレデリックはナイトメアを捕まえて裁こうというつもりはなかったらしい。
それは前にサリウスが話していた通り、貴族や金持ちの悪行を暴いていたこともあり一部の民衆の支持があったからだ。
しかしどういうわけか春太の活躍により捕まえざる負えなくなり、その処分に困っていたということ。
貴族や金持ちたちの不正を暴いていたシエルたちの活躍のおかげでフレデリックたちの山積みのような仕事も多少減っていたということもあり、なるべく処刑などの処分を下したくはなかったのだ。
犯罪者として捕まえてしまったためにそのまま何も罰を下さずに釈放というわけにもいかない。
ならば釈放されるだけの大義名分を立ててしまえばいい。
そう考えた後に導き出された答えが、シエルが勇者の旅に同行して手助けをするというものだった。
勇者の旅に同行し、世界を救う手助けをした。
それは彼らを釈放するには十分なほどの大義名分だった。
そのため、フレデリックはこの勇者の旅にシエルをつれて行くことを決意したのだ。
「はっ、よく言うぜ。結局はそっちの勝手な都合につき合わされてるだけじゃねえか」
どうせならそのまま自分たちを裁いて、民衆から非難の目で見られればよかったものを。
そう言わんばかりのシエルの挑発的な態度に春太はぎょっとして慌てて宥めようと歩み寄った。
「ま、まあまあ、落ち着けって。なんだかんだ言ってこれってチャンスみたいなもんじゃん?」
「何がチャンスだ。いいかよく聞け、俺は、こんな風に人の手のひらで踊らされるのが気に食わねえんだよ……!」
「気に食わなかったら、どうする? 俺を八つ裂きにでもする?」
「……ああ、それもいいな」
名案だ。とばかりにシエルはにやりと笑った。
その目にはフレデリックに対する怒りがありありと表れている。
ただならぬ雰囲気に、春太はその顔を青くさせた。
「大事なのは勇者だけだしな。勇者さえ生きていれば、他はどうでもいいってことだ。つまり、何らかの不幸でお前が死んでも、仕方がないってことだよなぁ……?」
ギラギラと目を光らせながらシエルは腰に下げた爪の形に似た武器へと手を伸ばした。
それは脅そうとするための振りなのか、それとも本気で殺そうと思っているのか。
「俺を殺せば、城にいる君の仲間がどうなるんだろうね」
「俺が殺したってばれなけりゃいいんだよ。単なる事故だってことにすればな」
「そう旨くいくものかな。まあでも、俺は君みたいな盗賊風情に殺されるつもりなんてないけど」
「言ってろ。あとで泣いて謝ったとしても絶対に許さねえ」
「ちょっ、二人とも落ち着けって! あ、いやその、すみません落ち着いてくださいお願いします。ほらその、喧嘩は良くないって、せっかく旅立とうとしてるのに幸先悪いっていうかさ、だから、その……お願いだからそんな物騒なもん仕舞ってくれよぉおおおっ!!」
シエルの手には以前春太の首を傷つけた三本の爪のような形をした刃が生えた武器が、フレデリックの手には宝石のような装飾品がたくさんついた神聖さが漂う三日月のような形の先がついた杖があった。
今にも殺し合いを始めてしまいそうな二人の険悪な雰囲気に、慌てて仲裁に入ってしまった春太は自分がこのまま二人の喧嘩に巻き込まれて死んでしまうのではないだろうかと思わず泣きそうになってしまった。
そんな男三人を目の前にしたアズリアは思わず溜息をついた。
どうして旅立とうとするときに限ってこうも問題が発生してしまうのだろう。
アズリアはつかつかとシエルに歩み寄り、その脳天へ躊躇いなく手刀を落とした。
「いっ……?!」
そこそこに鈍い音を立てて彼の脳天へ直撃したそれ。
「――ってえなッ!! いきなり何すんだテメェッ!!」
先ほどまでフレデリックへと向けていた殺気をアズリアへと移した。
そんな彼の殺気に怯えることもなく、逆に彼女は睨み返した。
「春太の言葉に耳を貸さなかったんだから、こうでもしないと人の話を聞いてくれないでしょ?」
「だからって殴ることはねえだろうがッ?! お前も殺されてえのか?!」
「だからまず落ち着けって言ってるでしょうがッ!!」
アズリアはシエルの向う脛を蹴り上げた。
「いってえええ――ッ!!」
蹴られた足を抱えながら片足でぴょんぴょんと飛び跳ねて彼はその痛みに悶えた。
どうやらかなり痛かったらしい。
さすがにやりすぎただろうかとアズリアは後悔したが、やってしまったものは仕方がないと開き直ることにした。
「頭に血が上り過ぎ。頭を冷やして」
「そんなことよりもこの足の痛みをなんとかしてえよ!!」
「悪いなとは思ったけど……元はと言えばそっちが脅してきたからでしょ。自業自得じゃない」
「ああそうかよ! くそ、あとで覚えてろよ……ッ!」
ぎろりと睨んではいるものの、どうやら痛みで冷静さを取り戻してきたらしいシエルのその睨みは先ほどと比べると随分と柔らかいものだった。
「この陛下に対して腹が立つのも確かにわかるけど、ちゃんと人の話を聞いて」
「酷い言われようだなぁ」
「フレッドさんは少し黙っててください」
今ここでこの男に喋らせればせっかく仲裁に入ったというのにまた喧嘩になってしまうことだろう。
そんなことがあって堪るか。
アズリアは視線を鋭くしてフレデリックを睨んだ。
そんな彼女の思いが伝わったのか、これ以上喧嘩をするのは面倒だと思ったのか。
フレデリックは困ったような笑みを浮かべて肩を竦めて見せた。
その様子にほっとしたアズリアはシエルへと向き直る。
「あなたがここにいるってことは……その条件を呑んだからなんでしょ。つまりシエルは、仲間を助けたいからここにいるんでしょ?」
「………」
「ここで言い合って、喧嘩して、無駄な時間を過ごしててもいいって言うの?」
シエルは苦虫を噛み潰したような苦い表情で押し黙った。
彼自身もわかっていたのだ。
ここで自分が言い争っていても何も始まらないということに。
しかし自分の部下が人質に取られているのだと思えば気が気でなかった。
さらにフレデリックの言いなりになるということが、彼の自尊心を大きく傷つけていた。
それはシエルにとってかなりの苦痛だった。皮肉のひとつでも言いたくなるぐらいに。
そして売り言葉に買い言葉と来て、あのような喧嘩に発展してしまったのだ。
「あなたがしなければならないのは、早くこの旅を終わらせて仲間を迎えに行くことじゃないの?」
アズリアの言葉が鋭くシエルへと突き刺さった。
自尊心を高く持つあまりに、我を失って感情を優先してしまったこと。
感情を優先するあまり、一瞬でも部下のことを忘れてしまった自分を責めるかのように、深く。
「いくら城にサリウスさんがいて、今までのあなたたちの行いのおかげであまり不遇な扱いを受けなかったとしても、リーダーであるあなたがいなければあの人たちも心細いし、不安にもなると思う」
シエルは眉間に皺を寄せていた。
その様子から、既に自分の行いを反省しているようだった。
ならばこれ以上言う必要はないだろう。アズリアは「だから」と締め括るための言葉を告げた。
「さっさと目的を果たして顔を見せて安心させてあげなよ」
シエルの耳と尻尾が力なく垂れており、それはまるで彼の感情をそのまま表しているかのようだった。
彼のその容姿から猫を連想してしまったアズリアはその彼の姿が可愛らしく見えてしまった。
思わず手を伸ばして彼の頭を撫でて励ましてやりたいという衝動に駆られたが、さすがにそれをしてしまうと自尊心の高い彼をさらに傷つけることになってしまうだろうとぐっと拳を握り締めて思い止まる。
しょんぼりとした彼を見続けるのも精神的に辛かったため、アズリアはさっと視線を逸らし、ずっと黙って様子を見守っていたフレデリックへと視線を向けた。
「あと、フレッドさんも。大人げなく無暗に人を挑発して和を乱すようなことはしないでください」
じとりとした目つきで睨めば、フレデリックは拗ねたように顔をしかめた。
「だって、ねえ? やられたらやり返したくなるというか」
「アンタは負けず嫌いな子どもかッ?!」
まるで子どものような仕草をして見せる彼に、アズリアは頬を引きつらせた。
この男はこんなにも子ども染みたことをするような男だっただろうか。
くらりと眩暈が彼女を襲い、アズリアは額に手を当てた。
「あの、フレッドさんってそういうキャラでしたっけ……?」
いくら皮肉を言われようとも、この男なら笑いながらさらりと交わしてそうだというのに。
だがさらりと交わした後にさらに酷い言葉を浴びせそうな気もすることは確かだ。
しかしこの男の反応は、この子どものような態度は、一体何なんだ。
アズリアは溜息をつこうとして、ふいに自分の手が握られていることに気付いた。
一体誰に。
疑問に思った彼女が視線を上げるとそこには。
「君になら、もっと色んな俺を見て欲しいな……」
キラキラと輝かしいばかりの笑顔を浮かべたフレデリックがいた。
その笑みで心を奪われるであろう女性は数知れない。
輝かしくもあるが、どこか悪戯っぽく子どものような無邪気さで笑っているようにも思えるその笑顔は普段の彼と比べるとかなりの差があった。
宝石のように美しい綺麗な紫の瞳と目が合い、アズリアは以前のことを思い出した。
それはルカという迷子の親を見つけた後のこと。
どういうわけかフレデリックにさらに興味が沸いたと言われてしまったときのこと。
そして、耳元で囁かれたときの、吐息の熱さ。
「く、くど、口説くなっ!」
アズリアの顔は見る見るうちに赤く染まっていった。
まるで赤く熟れた果実のように。
それは彼女自身の容姿も相まってとても可憐な様だった。
アズリアは恥ずかしさのあまりフレデリックを直視できなくなり、とっさにシエルの背後へと隠れた。
「……何やってんだ、お前」
これが先ほどまで自分の脳天に手刀を落とし、向う脛を蹴り上げた女だとでも言うのだろうか。
シエルは呆れたような表情を浮かべながら背後に隠れているアズリアへと視線を向けた。
「に、苦手なのよあいつは!」
「さっきまで堂々と話してたくせに、何を今更」
「あのときとは場合が違うんだってば……っ!」
顔を真っ赤にしながらも明らかに警戒心を剥き出しにしてフレデリックを睨んでいる彼女。
しかしそれはシエルの背中越しから、ということもありその睨みは十分な力を発揮していなかった。
睨まれているフレデリックはそんな彼女に恐れるどころかさらに嗜虐心をくすぐられ、ますます凶悪的な天使の笑みを浮かべた。
「この前二人で出掛けたときのこともう忘れたの? あんなに甘いひとときを過ごしたって言うのに」
「ただ迷子の親を探してただけでしょうがッ!!」
「そうだっけ。確か一緒にクレープを食べたり、大道芸を見たり、喫茶店でお茶を飲んだりもしたと思うけど……」
「し……しましたけど! 確かにしたけどそれは半強制的なもので……!」
「一緒に楽しんでたくせに、つれないこと言うなぁ。あんなに無邪気な笑顔を浮かべて喜んでたのに」
最初は半ば無理やりフレデリックにつれられたことは確かだった。
だが途中からアズリアも楽しんでいたことに変わりはなかったのだ。
その事実を否定できず、彼女は言葉に詰まらせた。
「うううっ……た、確かに楽しかったけど! でもそれはっ!!」
「まるで恋人同士みたいだったよね、俺たち」
「こ、恋人……っ?!」
若い男女が二人っきりで、クレープを食べて大道芸を見て、喫茶店でお茶を飲む。
そう至るまでの状況や会話の内容などはともかく、これは確かに恋人同士がするようなことに近しかった。
言われるまではそんなことを考えもしなかったアズリアだったが、彼の言葉でそれを自覚せざる負えなくなってしまった。否、自覚してしまったのだ。
「ちが、あれはその、そんなつもりじゃなかったというか、えっと……」
アズリアはしどろもどろになりながら、さらに顔を真っ赤にさせていった。
「――はいはいはぁあああい! そんなフレッドに質問があるんだけどッ!!」
しばらくアズリアの可愛らしい様子に見惚れていた春太が、はっとして二人の間に壁を作るようにして入り込んだ。
いくら彼女の照れた珍しいところを見れたとしても、それが見れたのはこの男のおかげだということもあれば、嬉しさも半減してしまうのだ。
「えっと、いきなりどうしたの」
「北を目指すって言ってたけどまず最初に目指すところってどこなんだっけ?!」
「……それ、城を出る前にちゃんと話したと思うんだけど」
「一回じゃ覚えられないって! ヘイプリーズカモンだって!」
「へい……何……?」
春太の世界の、しかも異国の言葉を出鱈目に使う彼に、フレデリックはわけがわからずに首を傾げた。
一方春太はというと、フレデリックの興味をどうにかアズリアから逸らそうと必死だった。
そのため、春太は自分でもわけがわからない異国語をこれでもかというほどに取り入れながら、次第に困り顔になっていく彼に次々と疑問をぶつけていた。
理由はどうであれ、結果として春太がアズリアを助けたことに変わりはない。
アズリアは目の前で繰り広げられている問答を見ながらも、春太の突発的な行動にひっそりと感謝をしていた。
「……なんというか、お前も苦労してるんだな」
「まあ、シエルほどじゃないけどね……」
シエルから同情の言葉をかけられ、アズリアは苦々しく笑った。
確かに先ほどのようなフレデリックのからかいは精神的にかなり辛いのもある。
しかしそれはあくまでからかいであるため、別段命の危機にさらされているわけでもないのだ。
むしろシエルの方こそ仲間を人質にされて無理やり旅に同行させられて、苦労が絶えないのではないだろうか。
そんな彼にまで同乗させてしまい、アズリアはほんの少し罪悪感を覚えた。
「……さっきの、ことだけど」
顔を俯かせたアズリアの頭が彼の背中にぽすんと当たる。
「あんな態度をとってるけど、あの人は多分、シエルの実力をかなり認めてると思う」
「は? あれのどこにそんな要素があるんだよ」
「シエルをこの旅につれて来てることが何よりもの証拠だよ」
「それは……」
先ほどフレデリックが話していた通り、自分が扱いに困っていたナイトメアのリーダーだからだ。
そう言いかけたところで、アズリアが彼の言葉を遮るように言葉を続けた。
「あなたは盗賊で、しかも盗賊団のリーダー。護衛もなしにあなたを旅に同行させることは、あの人にとって危険であることに変わりはないはず。それなのに、わざわざあなたをつれて来た」
本来なら、このようにわざわざ大義名分を立てさせるような、面倒くさいことをしないだろう。
大義名分を立てるぐらいなら、脱獄させてわざと逃がす方がよっぽど簡単だ。
しかしフレデリックはあえてその方法を取らなかったのだ。
彼の仲間を人質にするという面倒くさい手段まで講じて、彼に旅へ同行させることを強制したのだ。
そうでもしない限り、このシエルという男は旅へ同行しないだろう、ということを見抜いての行動だったに違いない。
「あの人は、強制でもされない限り、自分の利にならないことをするはずがない」
人質という手段を使えば、このように彼に睨まれることもわかっていたはずだ。
「多少の危険を冒してでもシエルをつれて来たということは、それだけ、シエルの能力を高く評価しているのと……多分、信用しているんだと思う」
前者に関しては間違いないだろう。
後者に関して言えば、アズリア自身にも確証はなかった。
だがいくら戦力になるとはいえ危険を冒していることに変わりはないのだ。だとすれば、シエルを多少なりとも信用しているに違いない。
アズリアの言葉を聞いたシエルが顔をしかめた。
「庇ってるのか」
「違う。もっと仲良くしようってこと」
シエルはさらに眉間に皺を寄せた。
「断る。誰があんなやつと」
「それだと私も困るし、春太も困る」
「勝手に困ってろ」
吐き捨てるように言葉を紡ぐ彼にアズリアはどうしたものかとひっそりと心の中で溜息をついた。
もっと円滑に旅をしていくにあたって、もう少しこの反抗的な態度をどうにかできないものだろうか。
こういうとき、女性なら表面上だけでも取り繕ってくれていただろう。
だが相手は男だ。持ち前の自尊心とやらが邪魔して仲良くしようにもできないのかもしれない。
全く、男というのは面倒くさい生き物だ。
どうしたものかとアズリアは心の中で呆れながらも考えた。
「……あのね、どうしてフレッドさんがあなたの皮肉に大人げなく言い返してるのかわかる?」
これはもはや彼の自尊心を傷つけない方向性へ持っていくしかないだろう。
和解させて少しでも仲良くさせようと考えていたアズリアだったが、ぱっと思考を切り替えてシエルへ話しかけた。
しかし案の定彼はアズリアの突拍子もない話に目を丸くした。
「は?」
素っ頓狂な声を上げてこちらへと疑わしい視線を向ける彼に対し、アズリアは眉を下げて小さく笑んだ。
「多分だけど……悔しいんじゃないかな」
「はあ? なんで悔しがるんだよ?」
むしろあれのどこが悔しがっているんだ。
そう問いかけんばかりの彼の視線に、ごもっともだとアズリアも頷いた。
あの余裕そうな笑みを浮かべていたフレデリックには悔しがっている様子など微塵も感じられないのだから。
しかしあの男はわざわざ自分が悔しがっていることを表に出す男ではないことをアズリアは十分に理解していた。
「あの人、今までずっとシエルを……ナイトメアのことを、見逃してたんだと思う」
「それは……俺たちのことを支持するやつらとかがいるからって話だったじゃねえか」
「でもあの人はその気になればシエルたちを捕まえて裁くこともできたはずだよ」
それを聞いたシエルが不機嫌さを露わにして声を低くする。
「じゃあなんだよ、俺はあいつに文字通り見逃されてたってことか」
「そうじゃなくって……その逆。見逃さなければならなかったんだよ」
あの頭の切れるフレデリックのことだ、シエルたちを捕まえることなんて造作もないことだったに違いない。
そんな彼が何もできずにシエルたちのことを見逃していたのだ。
それはシエルたちナイトメアがただの盗賊団ではなかったばかりに。悪行を暴いて一部の民衆から支持を得ていたばかりに。彼らの仕事を少しでも減らしていたばかりに、だ。
「捕まえられるのに、捕まえられない。あの狡猾で非道な国王陛下が、盗賊団を相手に手をこまねくなんて、面白くない?」
さらに言えば、今はそんな彼らを助けるためにわざわざ危険を冒してまでシエルを旅につれて来ているのだ。
これがあの涼しい顔をしているフレデリックにとってどれほど屈辱的なことなのか。
「ああ、なるほどな」
やっとアズリアの言葉を理解したシエルが、その顔に笑みを作った。
その笑みはさすが盗賊団の頭と言えるほどにとてもあくどい。
徐々に機嫌が良くなっていく彼の顔つきを見たアズリアがさらに言葉を続けた。
「だから何かとシエルの言葉に反応するんだと思うよ」
「はっはーん……あいつでも悔しがることがあるんだな……」
良いことを聞いた。
シエルの表情はまさにそれを体現していた。
そんな彼の顔を見てアズリアは密かに拳を握った。
もちろん、自分の思惑通りに相手が上機嫌になっているからである。
フレデリックを散々狡猾だなんだと言ってはいるものの、あの手この手でシエルを説得しようとしている彼女もそれに負けず劣らずの策士だと言えよう。
「ほら、シエルは盗賊団のリーダーってこともあるし、人生経験とかそれはもうたくさん積んでるんでしょ?」
「まあな。女の経験も豊富だぞ」
「誰もそんなことまで聞いてない」
アズリアが呆れにも近い表情で突っ込みを入れたものの、上機嫌になったシエルはあまり気にした様子はないらしい。
少し調子に乗らせ過ぎただろうか。
彼女はそんな彼を見てこの作戦をこのまま決行することに少し躊躇いを覚えた。
しかしここまで来てしまったのだから最後まで進めてしまおうと思い直し、彼女は再び口を開いた。
「とにかく。そういうことだからシエルもその豊富な経験でフレッドさんの皮肉の一つや二つぐらい簡単に流せばいいと思うよ」
「ふむ……それもそうだな。わざわざ俺があいつの挑発に乗ってやることもないか」
納得したような顔でシエルが頷いたのを見て、アズリアはまたもや拳を握った。
これで少しは円滑に旅が進められるであろう。
彼女は確信した。
そしてそれを成し遂げて見せた自分を盛大に褒めてやりたいと強く思った。
やっとのことで説得できた達成感が彼女の胸の内を占める。
その喜びが無意識のうちに彼女の頬を緩ませていた。
「……で、お前はいつまでそこにいるつもりだ?」
やけに嬉しそうに笑うアズリアに疑問を持ちながらシエルが尋ねると、彼女は慌ててその緩んだ頬を引き締めた。
「え、あ、ごめん」
もしや自分の企みがばれてしまったのでは。
ひやりとしながらもとっさに身を離そうとアズリアは一歩後ろへ下がった。
――否、下がろうとした。
「え?」
アズリアは腕を引かれ、下がろうとした方向とは逆の方へ進んでしまったのだ。
そして彼女は今目の前にいた男――シエルの胸へ飛び込むような形となった。
何が起こった。
自分は確か下がろうとしていたはずなのに、何故前進してしまったのだろうか。
彼女は自分自身に起きたことに理解が追い付かず、パニックを起こした。
そんな彼女を逃がさないよう、シエルは彼女の腰へと手を回し、視線を合わせるためもう片方の手で彼女の顎を持ち上げる。
「お前、俺のことよくわかってるじゃねえか」
「は?」
「見る目あるって褒めてんだよ」
何の話をしているのだろう。
アズリアが眉間に皺を寄せると、それを見たシエルがくつくつと喉を鳴らして笑った。
「前から思ってたけど、本当に面白い女だよな、お前」
金色と青色のコントラストがとても綺麗だ。
滅多に見ないオッドアイという瞳の美しさにアズリアは目を奪われた。
そんな彼女の様子に、満更でもないシエルがその異なった色を持つ瞳を弓形に細めた。
「顔も悪くないし……」
「……っ」
彼の指先がアズリアの背筋をつっとなぞれば、それに呼応するかのように彼女の体はびくりと跳ねる。
「うまそうだ」
赤い舌をちらりと覗かせながらシエルはにやりと笑った。
その笑みのなんと艶めかしいことか。
フレデリックが天使のように清廉で美しい美貌と表現するならば、シエルは悪魔のような妖しさを感じさせる美貌の持ち主だと言えよう。
彼の細められた二色の瞳には情欲の熱が秘められていた。
「………」
彼女はこの予期せぬ状況に酷く混乱していた。
どうしてこうなった。
頭の中で何度も繰り返される自問自答。しかしその答えが導き出されることはない。
どうして自分は今この男に抱き締められているのだろう。
このまま自分はその赤い舌でぺろりと食べられてしまうのだろうか。
食べられる。
それが果たしてどういう意味として使ったのか。
その言葉の意味としてなのか、それとも、性的な意味でなのか。
――それはもちろん、後者であろう。
ぼんやりとした思考の中でアズリアの頬が少しずつ朱色に染められていく。
「は、はな……して……」
やっとのことで口から出た彼女の拒絶の言葉はとても弱々しいものだった。
僅かながらに力を込めて彼の胸を押そうとするが、そんな些細な抵抗などシエルの前では無に等しい。
それどころか、そのいつになく弱々しい抵抗をする彼女のいじらしい姿に、彼はさらに欲情するばかりだった。
「――って今度はお前かよチクショォオオオオオッ!!」
困り果てていたアズリアに救いの手を差し伸べたのは、奇声を発しながら二人の間に割って入り密着した体をべりっと引き剥がした春太だった。
「チッ……邪魔すんなよ、春太」
アズリアの体の柔らかさを思う存分愉しんでいたシエルが不機嫌な表情で春太を睨んだ。
しかしそんなシエルの睨みをもろともせず春太は鼻息荒く拳を握り締めて逆に彼を睨み返したのだ。
「人がせっかくフレッドの魔の手からアズリアを助けたと思ってたのに……くそ、あのとき気絶させるだけでなく下半身も再起不能にしてやればよかった……!!」
「は? ちょ、おま、何物騒なことを」
「全く……下半身がだらしない発情期の猫が、いい気にならないでくれるかな?」
「お前も似たようなことしてただろうがッ?!」
春太はその手に剣を構え、フレデリックは杖を握り締める。
並々ならぬ険悪な雰囲気が漂い始める中、シエルもまた彼らに対抗するかのように爪のような武器を構えた。
先ほどまでは、フレデリックとシエルが険悪な雰囲気だったはずだ。
だのに今はフレデリックにシエル、それに春太までもが加わって、その険悪さに磨きがかかってしまっている。
一体何をどう間違えてこうなってしまったのだろう。
アズリアは目の前で繰り広げられる武器を構えたままの睨み合いに卒倒しそうになった。
どうしてこうなった。
彼女の頭の中で再び自問自答が始まった。
それは一種の現実逃避にも近いものだった。
せっかく円滑に進みそうだった旅が、どうしてここまで一変してしまうのだろう。
原因は何だ。
自分か。自分が原因だと言うのだろうか。
ならば自分が一体何をしたのだ。
どうしてこうもあと少しというところで予期せぬ方向へ転がってしまうのだろう。
アズリアは明後日の方向を見つめながらただ立ち竦んでいた。
未だに言い争いを続ける彼らが我に返るまで、そして旅が再開されるまで、まだまだ時間がかかりそうだ。
おおお……な、なんと、お気に入りの数が自分でも信じられないほどに増えて……!
ああもう感謝の気持ちを語りきれない自分の語彙力のなさに絶望です……。
ですが本当にありがとうございまっす!!
久々の更新でお待たせしてしまい申し訳ない限りです。
しかし、明日こそ……明日さえ乗り切れれば……なんとかなればいいなと思います、はい。
またもや話が長すぎるためにぶつ切りというこの所業。
やっと王都を出たかな、と思っていたら何をしているんだこの人たち。
さっさと次の場所を目指せよ……! いちゃこらだと爆発しろ……!
なんて、書いた本人が真っ先に爆発されることでしょう。
いちゃこらというかそういうのを書くのは好きなのですが、どうもうまく描けません。
自分の表現力のなさには悲しさを覚えます。
さて、ある程度は予想できたかもしれませんシエルの再登場です。
サリウスはついて来ないんかい!
なんて突っ込みがあればどうしようと内心ちょっぴりおどおどしております。