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陛下と迷子と村娘

 



 フレデリックにつれられて広場へとやってきたアズリアだったが、いつしかその光景に目を奪われていた。


 広場にはそれぞれの領域があるのか、旅芸人たちが繰り広げる大道芸、甘い香りを漂わせながら立ち並ぶ屋台、そして、子どもたちが遊ぶ場所や人々が休憩をするための場所などに分かれており、一通り回りきった頃には、最初はあまり乗り気ではなかったアズリアも満足げな笑みを浮かべていた。


 しかし、歩き回ったせいですっかり疲れてしまった彼女は、今は広場から近い適当な喫茶店でフレデリックと一緒に休憩をしていた。


「なんだかんだ言ってたけど、結局俺よりも楽しんでたんじゃない?」


 皮肉のような口調で笑う彼に対し、アズリアは反論することもできずに苦笑した。


「そう、ですね。最初はどうなることかとハラハラしたりもしたんですが、本当に、とても楽しい時間を過ごせたと思います。……その点においては、その、フレッドさんに感謝してます。ありがとうございました」


 そんな彼女の反応に、フレデリックはきょとんとした表情を浮かべた。

 皮肉のつもりで言ったというのに、感謝を返されてしまったのだ。

 まさかこんなにも素直な反応を返されるとは予想もしていなかった彼はとても驚いた。


「アズリアって、なんというか、よく誤解されてそう」

「どういう意味でそう言ってるのか気になりますけど聞きませんからね」

「まあそれもいいんじゃないかな」


 フレデリックはその顔に含みのある笑みを浮かべた。


「そっちの方が色々と面白そうだし」


 もしこれで彼女が普段から素直な反応をするようになってしまっては、周りはどうなってしまうことだろうか。

 普段の彼女を知っている者からすれば、そのいつもとは違った素直さに惹かれてしまうかもしれない。

 その惹かれた者が、彼女に近づこうと思うようになってしまえば。


 つまらないな。フレデリックは思った。


 彼女の魅力を引き出させることで誰かが惹かれてしまうのも、誰かが彼女に近づくことも。

 大勢は知らなくていい。知っている者だけが知っていればいいのだ。


 誤解されたままなら、彼女に近づく人物は少ないだろうから。


「面白そうって……」


 アズリアは呆れたような表情を浮かべた。


「まあいいじゃないか、俺が面白いと思ってるんだから」

「いやいやいや、何自分さえよければそれでいいみたいなこと言ってるんですか!」

「え、知りたいの?」

「言わなくていいです! 聞きません!」


 慌てて耳を塞いだ。

 その仕草は、先ほどの彼女と比べるとやや幼い印象を受け、フレデリックは思わず声を上げて笑った。


 どうして自分がこんなにも笑われているのか。

 思い当たる節がない彼女は、怪訝な表情をして今も笑っている彼を見る。

 こうして見れば、彼も普通の人のように見えてくるのだから、不思議なものだ。


 笑われていることに対して怒ろうと思っていたアズリアだったが、その不思議さに沸いていた怒りさえどこかへ消えてしまう。


「………」


 彼に気付かれないように、小さく溜息をついた。


「……なんか不思議だね」


 やっとのことで笑いが治まったフレデリックが目の端に浮かんだ涙を拭い、呟いた。


「何がですか?」

「さっきの君を見て、やっと君が年相応に見えたよ」


 アズリアの顔が無表情になった。


「……老けてるって言いたいんですか」


 しかしそれも一瞬のことで、彼女は頬を膨らませてじとりとフレデリックを睨む。

 睨まれた彼は、その顔に笑みを浮かべて「まさか」と答えた。


「可愛いと思っただけだよ」

「ぶはっ」


 口の中に飲み物を含んでいなくてよかったと彼女は心底思った。

 もし何か含んでいたら、ぶちまけていたことだろう。

 あるいはフレデリックに向かって噴き出していたかもしれない。

 それはそれで面白そうだとは思ったものの、さすがの彼女もフレデリックを無暗に怒らせたくはなかったため、そうならなくてよかったと思い直した。


「あのですね……そういう冗談を気軽に言わないでください」

「冗談だと思った?」

「なんというか、フレッドさんの言うこと全てが胡散臭く思えてくるので」

「……まあ、そういうところは可愛くないよね」


 アズリアの皮肉に対し、笑みを引きつらせたフレデリックだったが、ふいにその表情を消した。


「――さっきのことだけど」


 それは、先ほど城で行われたやりとりのことを指していた。


「いくらわざととはいえ、君に嫌な思いをさせてしまった」

「……どういうことですか」


 低く唸るような声を絞り出し、彼女はその目を鋭く冷たいものへと変えた。


 彼が春太をまるで物のように扱った言動。

 それに怒りを覚えたアズリアは国の王に対しあるまじき態度をとってしまった。

 しかし、それは全てこの男の手の平で踊らされていただけに過ぎない。


 自分が謀られたとも知らず、フレデリックに対し怒りを露わにしていたアズリア。

 その姿は随分と滑稽に映ったことだろう。


「言っただろう? 俺は、君に興味があるって」


 彼女の鋭い視線をその身に受けながら、彼は優雅に微笑む。


「どんな反応をするのか気になったんだ。君を知りたかったから」


 アズリアの視線はその鋭さを増した。

 けれどあのときのように彼女はフレデリックへ掴みかかるようなことはしなかった。

 彼女の心は酷く落ち着いていた。


 怒りで頭がいっぱいになったわけではない。

 彼に対する怒りを持っていないというわけでもない。


 ただ純粋に、フレデリックに対する嫌悪の情を抱いていた。


「それで、私の何がわかりましたか?」


 冷たい無表情から一変して、彼女はその顔に笑みを浮かべる。


「強いて言うなら、君みたいな人でもあそこまで感情的に怒るんだなって、少し驚いた。君なら静かに怒るだろうと思っていたから」

「あなたの予想に反する反応が返せて、私も嬉しい限りです」


 貼り付けたような白々しい笑みを湛えた。


「まるで子どもみたいですね。好きな子に振り向いてもらいたくて気を引こうとする、幼稚な子どもが思いつきそうなことです」

「すると、俺は君のことが好きなのかな」

「さあどうでしょう。私は大嫌いですけどね」

「そこまで俺のことを意識してくれてるんだ? 嬉しい限りだよ」


 二人の間に、まるで氷河期が訪れたかのように凍てつく吹雪が吹き荒れた。

 傍から見れば美男美女が互いに微笑み合ってとても仲睦まじい様子に見えるのかもしれない。

 しかしその二人から漂う冷たい空気は見る者全てを凍りつかせてしまいそうだ。


「……とまあ、嫌味の言い合いはここまでにしようか。話が進まない」


 その絶対零度の微笑み合いを先にやめたのは、苦笑を浮かべたフレデリックだった。


「そうですね、早く済ませてください。疲れているので」

「……人がせっかく謝ろうと思ってたのに、悉くその気力を奪っていくね」


「………。はい?」


 誰が、誰に謝るというのだろう。

 アズリアはきょとんとした表情になった。


「自分でも意地の悪いことをしたと思ってる。いくら君の反応が見たかったからといって、彼を巻き込んでしまった」


 眉を少し下げて、彼は薄く笑った。


「だから……ごめん、ね」


 そんな彼にアズリアは目を見開いた。

 まさか本当に謝るとは思いもしなかったのだ。


「……えっ、と……」


 どんな反応を返せばいいのだろう。

 彼女は顔を俯かせ、悩んだ。


 踏ん反り返って、もっとちゃんと謝るべきだと怒った方がいいのだろうか。

 それとも温かに笑って彼を許せばいいのだろうか。

 どんな反応が一番良いとされるのか。


 答えが見つからず、彼女の頭の中で思考がぐるぐると回る。


「いや、あの……というか、ですね」


 責めても許しても駄目なように思えてきて仕方がない。


「ええっと……」


 もしや自分をここにつれて来たのはこのためだったんだろうか。

 なんて面倒くさい男なんだろう。

 どうせならその場で春太の後にでも謝ってくれればそれでよかったというのに。


 せっかく嫌いになりかけていたというのに、こんな不意打ちをするとは。


 中途半端なことをしないで欲しい。

 謝られたら、先ほどまでこの男に冷たくしていた自分への罪悪感が募るばかりだ。


「………」


 アズリアはつい先ほどの自分の言動を思い出し、恥じた。


 この男の意地の悪さも考えものだが、自分もそれに負けず劣らず意地が悪かったことだろう。

 よくよく考えれば、侮辱罪や不敬罪で問われたとしてもおかしくはない。

 しかし彼は甘んじて今までの自分の言動を受け止めてきたのだ。自分が持っているであろう権力を振りかざすことも、それを思わせるような素振りもせずに。


 意地が悪いのはどちらだろうか。

 押し寄せてくる罪悪感が、彼女をきりきりと締め付ける。


「……そ、そもそも!」


 本来なら自分も非を認めて彼に謝らなければならないことだろう。


「どうして私なんかに謝るんですか?!」

「え、なんか怒ってる?」

「怒ってません、ちっとも!」


 アズリアは謝りたくなかった。

 謝ってしまえば、自分の非を認めてしまったことになる。

 彼女は、負けるが勝ちとはこういうことなのだと思い知らされた。


 大人げないと自分でもわかっている。

 だが彼女は負けたくはなかった。


「というかあれですよ、私が怒ったのは春太を物のように扱ったから、腹が立っただけです」


 ならば相手が謝ったことを、なかったことにすればいいのだ。


「だからへい……フレッドさんが謝るべき相手は春太なんです!」


 拳を握り締め、アズリアは力説した。

 その姿に気圧されたフレデリックはその瞳を丸くさせている。


 このまま流す方向へ持って行ってしまえばいい。アズリアはさらに追撃を試みた。


「でもフレッドさんは春太に謝ったので、もう謝る必要はなくなったんです!」


 だから先ほどの謝罪の取り消しを求めます。

 一気に捲し立てた彼女は、言いたいことは全て言い切ったとばかりに満足げに笑った。


 しかしその笑みもすぐに消え、しかめっ面へと変わった。


「……でも、私としては、嘘だとしても春太にあんなことを言ったのは、許せないですけど、でもそれは春太の問題であって、私が許す許さないとか、全くもって関係ないというか……その……」


 アズリアの言葉は尻すぼみになっていった。


 罪悪感が彼女を責める。

 きりきりと痛むのは胸だろうか、心だろうか。


 本当にこのまま流してしまっていいのだろうか。

 彼女は自分自身へと問いかけていた。

 これはしてはいけないことだと、彼女の中の何かが訴えていたのだ。


 それは何故だろう。


 嘘をつくことになるから?

 違う。そうじゃない。嘘なら今までに何度も吐いてきた。


 もっと違う、何かがある。


 それは何だろうか。

 気持ち。

 心。


 そして――誠意。


「………」


 アズリアはやっと、自分が何をしようとしていたのか、気付いた。

 なんて自分勝手だったのだろう。

 自分は、自分が。


 踏み躙ろうとしたものは、何?


「――すみません」


 声は酷く震えていた。


「さっきの、嘘じゃないこともないけど、嘘です」


 自分はどうしてこんなにも意地を張ってしまったのだろうか。

 顔を俯かせ、先ほどの自分自身をアズリアは悔いた。


 何が『負けるが勝ち』だ。

 勝ち負けに拘っている時点で、自分は既に負けたも同然じゃないか。

 変に意地を張って、謝りたくないからと、彼の謝罪をなかったことにしようとして。

 自分は、なんて大人げないのだろう。


「すみません、でした」


 肩を落として、彼女は謝罪の言葉を述べた。


「なんだかんだ言って、フレッドさんが謝ったことを、なかったことにしようとしました。自分が謝りたくないから、意地を張って、話をすり替えて……逃げようとしました」


 俯かせていた顔を上げた。


「あのときの私は……私も、言葉が過ぎたと思います。本来ならあの場に居合わせることができたのも、へい……フレッドさんの計らいがあったからこそなのに、調子づいて、感情的になって……酷いことをたくさん言ってしまいました」


 それでもフレデリックは彼女を罪に問おうとはしなかった。

 権力を振りかざすことなく、きちんと受け止めて、彼なりの答えを返していた。

 それが彼の懐の大きさだということをアズリアは今更ながらに気づいたのだ。


「そのことについては、謝ります。あと、今までの無礼の数々、先ほどの謝罪をなかったことにしようとしたことも」


 彼の誠意から逃げようとしたことも、全部。


「――すみません、でした」


 頭を垂れて、深く腰を折る。

 それは、アズリアなりの誠意の籠った謝罪だった。


 その姿は凛として美しく、潔い。


「……でも」


 背筋をピンと伸ばしたまま、彼女は顔を上げる。


「でも、やっぱり」


 その瞳は真っ直ぐにフレデリックを射抜いた。


「大人げないのかもしれません。例え嘘だとしても、春太を傷つけるようなことを言ったあなたを、簡単に許すことはできそうにないです」


 謝られたとしても、許せないことがある。


 あのとき春太はとても落ち着いていたようにアズリアにも見えた。

 しかしそれはあくまでそう見えただけであって、傷ついていないというわけではない。

 あの場では怒ってはいなかったが、春太は間違いなく傷ついたはずだ。

 アズリアは確信していた。


 だが、彼女は春太のために許せないと思っているのではない。


 誰かのために、誰かを許さない。

 それはただの自己満足でしか過ぎないのだ。


 アズリアは自分のために怒っていた。


 春太を傷つけようとした。

 彼女にとってその行為とは、自分の持ち物を傷つけようとしたことと同義なのだ。

 正確に言えば、彼女にとっての親友を傷つけようとしたことと、だが。

 しかし、それは彼女自身がそこまで強く意識しているわけではなく、あくまで曖昧な意識のため、彼女は春太を持ち物として例えた。


 つまるところ、アズリアにとって春太とは、大切な存在であるということだ。

 彼女は無意識のうちに彼をそのような存在として認識していたのだ。


 それに気付くこともなく、アズリアはただ自分が怒っている理由を考えていた。


 彼女自身も、どうしてこんなにも腹が立つのか不思議に思うところではある。

 不思議には思うが、現に許せないと思う自分がいるのだ。

 理屈では考えられない。これは、彼女自身の気持ちの問題であると言えよう。


「……変な顔になってるけど、大丈夫?」


 意志の強そうな表情をしていた彼女だったが、次第にその表情が崩れていき、やがて不思議そうな表情で首を傾げるようになっていた。

 その様子を眺めていたフレデリックが、悪戯っぽく話しかける。


 にやにやとした笑みを浮かべながらのそれは、アズリアを思考の海から引き戻した。


「う、あ、えっと、大丈夫……です」


 思考の海にすっかりのめり込んでしまった。

 そのときの自分はきっと間抜けな表情を浮かべていたに違いないだろう。

 それを目の前の、しかも男性に見られたとあっては、彼女にとって恥ずかしいことこの上なかった。


 次第にアズリアの頬に薄らと赤みが差し、やがて熟れた真っ赤な果実のような顔へと変化する。

 それでもにやにやとした笑みをやめない目の前の男を、恨みがましくじとりと睨んだ。


「けど、何ですかその顔」


 そんな彼女の睨みなど、フレデリックにとっては可愛いらしいと思うだけで怖くもなんともなかった。


「面白いから、つい」

「私は面白くないんですが」

「大丈夫、俺が面白いと思ってるから」

「………」


 これ以上言っても、この男を面白がらせるだけなのかもしれない。

 アズリアは口衝いて出そうになる皮肉をぐっと呑み込んだ。


 彼女が沈黙するようになり、二人の間に沈黙が訪れた。


 その沈黙は先ほどまでの凍てつくような重苦しいものではなく、とても穏やかな沈黙だった。

 からかいの笑みを浮かべていたフレデリックは苦笑にも似たそれへと表情を変えた。

 そんな彼の表情の変化に、アズリアもまた眉を下げて小さく笑んだ。


「……凄いよね」


 フレデリックが、徐に口を開く。


「俺に、あんな物言いができる村娘って、中々いないと思うよ」


 それは彼女に対する皮肉を述べているようでいて、本人としてはそうではないらしい。

 苦笑を浮かべていた彼は、その瞳を細めて微笑む。

 どことなく嬉しそうにも見えるその顔は、そのときのアズリアの反応を面白がっているようにも見えた。


「……すみませんね」


 アズリアはばつが悪そうに、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「どうして? 凄い度胸だと思うよ」


 まるでそのときの様子を思い出したかのように、フレデリックはくつくつと笑った。

 そんな彼を見て、アズリアはますます表情を渋くする。

 むしろ彼女としてはあの不躾な態度を『度胸』という言葉で片付けてしまう彼の心の広さに感服してしまいそうだった。


「あれは……あのときは、その、夢中だったというか、えっと」


 しどろもどろになりながらも必死で言い訳を考えようとするアズリア。

 ああでもない、こうでもない。

 ぶつぶつと呟きながらも考え込むあまりその眉間には皺が寄り始めていた。


 その姿はとても微笑ましく、フレデリックは静かにその様子を眺め、目を伏せた。


「夢中になるぐらい、彼のことが好きなんだね」


 これまでのアズリアを見ていれば、彼女がいかに聡明であるか、フレデリックは気付いていた。

 現実というものを真っ向から直視し、受け入れ、その先の未来まで見据えている。

 ときおり感情的になってしまうところは、感受性が豊かな女性ならではと言ってしまえば仕方がないのかもしれない。しかし、それを除いても彼女はよく考えて物を発しているように思える。


 そんな彼女が考えもなしに、国の主である国王陛下に向かって、あろうことか怒鳴りつけるわけがないのだ。

 それをすれば自分がどうなることかも、彼女は理解していたことだろう。


 しかし彼女は、それを理解していながらも感情を優先した。


 冷静に理性で物事を考えられるであろう彼女が、だ。

 つまり、それほどまでに春太という男の存在が彼女の中で大切に扱われているのだろう。

 自分を律することができないほどに、彼女は彼のことが好きなのだと。


「………」


 アズリアは沈黙した。


「えっ」


 目を丸くした。

 意図せずに口から飛び出た声には驚きの色が含まれている。


 フレデリックは予想もしなかったその反応に、逆に驚かされてしまった。


「え、違うんだ?」


 彼女ならきっと顔を真っ赤にして否定をするに違いない。

 そう思っていたあまりに、純粋に驚いている彼女の反応は、彼の予想を大きく裏切った。


「えっと……」


 アズリアは言葉を濁らせた。

 自分が春太に対しそのような感情を抱いたのかどうか。

 そもそもフレデリックの言っている『好き』とは、友愛としてなのか、恋愛としてなのか。


 確かに出会い方は衝撃的だったのかもしれない。

 その上、村にいるときなどはひとつ屋根の下で生活を共にしていたこともある。

 若い男女が二人揃ってこんな展開にもなれば、確かに、恋の一つや二つに落ちていたのかもしれない。

 しかし相手はあの『春太』である。

 異世界に来たときからアズリアに助けを求め、困ったことがあればすぐに彼女を頼り、彼女がそれに呆れながらも手助けをすると「ありがとう」と情けなくもほっとした笑みを見せるあの春太だ。


 毎日のように春太の世話を焼いていたアズリアはいつしか彼に情が湧いていたのも確かだ。

 好きか嫌いかで問われれば、答えは当然好きである。


「まあその、嫌いじゃないですけど」


 ただし、その『好き』とは、フレデリックが考えているような男女の恋愛とは遠くかけ離れたものだった。


「……彼も苦労しているんだなぁ」


 彼女の言葉に嘘はないのだろう。

 首を傾げながらもはっきりと伝えたその言葉は、紛れもない真実。


 何故春太が足手まといになるとわかっていてそれでもアズリアをつれて行きたいと考えたのか。

 フレデリックにはその答えがわかっていた。

 あの様子だと、まだその気持ちをあまり意識してはいないのかもしれない。

 しかし、フレデリックがアズリアに接近を試みたときの、あのときの春太の反応は紛れもない『嫉妬』だ。


 だのにその思われているであろう当の本人ことアズリアの反応は、随分と冷静である。


 まるで春太を一人の男性として意識していないかのごとく。

 そんな相手と恋愛など考えたことがなかったと言わんばかりの落ち着いた反応。


「は?」


 今もなお春太の気持ちに気付いていない様子のアズリアはきょとんとした表情をする。


「いや、何でも」


 フレデリックは何事もなかったかのように、にこりと微笑んだ。


 これもまたこれで面白いのかもしれない。

 見事なまでのすれ違いっぷりが、この先どうなっていくことやら。

 彼は自分の楽しみがひとつ増えたことにひっそりと喜びを覚え、その笑みを深めた。


「けど……そこまで大切に思われてるんだね、彼」


 ちょっと、羨ましいかもしれない。

 そう言いながらも彼はにこにことした笑みを浮かべている。


 本当に羨ましがっているのかすら疑わしいくらい、彼の表情に変化はなかった。


「……フレッドさんも、大切に思われているんじゃないんですか」


 この男は何を思ってこんなことを言うのだろう。

 やはり彼の考えていることは理解できない。

 アズリアは彼の浮かべた笑顔に胡散臭さを感じ得なかった。


「俺というよりかは、その役職を大切に思ってるんじゃないかな」


 つまり国王陛下としての自分だけしか大切に思われていない。

 淡々と事実を受け止めている様子の彼に対し、アズリアもまた頷いた。


「まあ……わからなくもないですけど」


 この一癖も二癖もありそうな男を、役職抜きにして大切に思っているという、そんな物好きがいるのかと彼女自身も疑問に思ったからだ。


「遠慮ないなぁ」

「なんというか、ここまで来て今更遠慮するのもどうかと思いまして」

「それもそうか」


 すっかり開き直っている様子のアズリアに、彼は満足そうに微笑んだ。


 どうにもこの男は、自分が何か無礼にあたるようなことをする度に喜んでいるような気がしてならない。

 まるでそう接してくれることを望んでいるような。

 そこで彼女ははたと気付いた。まさかとも思ったが、もしかすると、とも思えたその考え。


「フレッドさんは、その……」


 彼の言動から察すると、次のようになる。


「必要とされたいんですか?」


 フレデリックは表情を消した。

 彼はアズリアのその言葉がとても意外だったらしく、目を見開いている。


 一瞬、頭が真っ白になるぐらい、彼はびっくりしたのだ。


「なんで? 必要とされてるよ?」

「それはその役職としてなんですよね?」

「……もしかしたら、役職としてではなく、俺を必要と思ってくれてるかもしれないし」


 それとなく彼が視線を逸らしたのを、アズリアは見逃さなかった。


「自信ないんですね」


 ここぞとばかりに晴れ晴れしい笑顔を浮かべている。

 弱点を得たと言わんばかりの嬉々とした様子で笑みを浮かべた彼女に、フレデリックは余裕そうにしていたその顔を引きつらせた。


「……意地悪だね」

「フレッドさんほどでは」


 どうやら図星だったらしい。

 苦々しい表情でこちらを見る彼にアズリアは優越感を覚えた。

 今までの突拍子もない言動でフレデリックに苦い思いをしていたアズリアだったが、そんな彼に仕返しができるまたとない機会に嗜虐心がくすぐられ、瞳はきらきらと輝いた。


 しかしこのまま彼女の反撃を甘んじて受けるフレデリックではない。

 彼は好奇の目でこちらを見つめる彼女を後目に、顎に指をかけて物思いに耽っていた。


 自分は本当に、誰かに必要とされたいのだろうか。


 フレデリックは自分自身へと問いかける。

 本当にそう思っているのか。

 単なる気の迷いではないのか。


 そもそも、誰かに必要とされたいと考えたことすらなかったような気がする。


 自分は生まれたときから国王陛下となってこの国を治めていくという運命があった。

 確かに必要とされていたのは、個人としてではなく『国王陛下』という役職としてだっただろう。

 だからといって、それがどうしたというのだろうか。


 わからない。

 自分が本当に何を思っているのか、何を考えているのか。


「……でも」


 それはフレデリックにとって初めてのことだった。


 自分のことだというのに、わからない。

 彼はそんな矛盾に知らず知らずのうちに心を躍らせていた。


「そんなこと言われたのは初めてだ」


 しかし新鮮さも感じられた。


「本当に、君には驚かされるばかりだよ」


 清々しいばかりに浮かべられたその笑顔。


「……えっと……?」


 アズリアは混乱した。

 どうしてその笑顔が自分へ向けられているのか。

 先ほどまでこの男を貶めようとしていた自分に対し、どうして、ここまで嫌味のない笑みを浮かべられるのか。


 もしかするとこの男には被虐趣味でもあるのだろうか。

 ちらりと頭を過ったその考えに、アズリアは身震いをした。


 まさかこの男に限って、そんな趣味があるとは到底思えない。


「さあ、まだ時間はあるし、そろそろここを出ようか」


 上機嫌な様子でフレデリックは呆然とする彼女の手を取った。


 やはりこの男はわからない。

 いや、一生理解できないような気がする。


「はあ……」


 アズリアは、そんな彼に生返事を返すだけで精一杯だった。
















 王都マンサールの広場は、広場という名だけあってとても広い。

 さらにその広場には旅芸人や屋台が立ち並ぶとあれば、それを観光しにたくさんの人が集まってくる。

 人が多く集まれば、もちろん人の行き来も激しくなってくるだろう。


「お母さん……お母さん……っ」


 小さな子どもが泣きじゃくっている。


「お母さぁん……っ!!」


 ぼろぼろと瞳から大粒の涙を流しているのは、年端も行かない子供だ。

 小さいながらも声を張り上げ、自分はここだと母を求めるその姿。


 そんな光景は、この人通りの多い広場では日常茶飯事だ。


「……迷子?」


 遠目からその様子を眺めていたアズリアは首を傾げた。


「あぁ、多分そうだろうね」


 フレデリックは興味のない様子でその疑問に答えた。

 それはとても機械的な答え方で、感情すら感じられないもの。


「みんな、無視して行くんですね」


 子どもは未だに泣き叫んでいる。

 その姿は見ていてとても痛々しく、心苦しい。

 かといって、誰かが子どもに話しかける様子など微塵も感じられなかった。


 その子どもの横を通り過ぎる人々は皆一瞥しただけでその場から遠ざかっていく。

 本当に子どもに興味がないのだろう。その顔は誰もが無表情だった。


 中には子どもの泣き声を鬱陶しく思うのか、顔をしかめて嫌悪の表情を浮かべる者までいる。


 アズリアはふと村の人々を思い浮かべていた。

 もし、自分の村で迷子がいて、ああして泣き喚いていたら。

 道行く村人たちは皆足を止めてその子どもへと尋ねるに違いない。


 彼らは本当に、お人好しなくらい温かい人たちだった。


 ――「どうしたんだい、どこか、痛いところでもあるのかい?」


 遠い昔を思い出した。

 それはアズリアがアシャール村に村娘として新たな生を受けたばかりの頃。


 アズリアは前世の記憶を持ったまま、前世の意識を持ったまま転生してしまった。


 そのおかげで、普通の子どもよりもこの世界の言語を覚えるのにとても苦労していたときのことだ。

 前世の記憶が邪魔をして、中々この世界の言語を覚えられずにいたアズリア。

 そんな彼女を唐突に襲ったのは、この世界での両親の死。


 言葉すら碌に話せない。

 自分を擁護してくれる存在であった両親はこの世にもういない。


 これからどうやって生きていけばいいのだろう。


 アズリアは絶望していた。

 不安で、胸がいっぱいになり、その目には涙が滲んだ。


 彼女には理性があった。

 それは前世を生きてきた自分が作り上げた理性。

 子どものように泣き叫んでしまいたかった。しかしその理性が邪魔をして泣けなかった。


 途方に暮れた彼女はただそこに立ち竦んでいた。


 泣き叫ぶことはできなかった。

 しかし彼女の目には溢れ出さんばかりの涙が滲んでいた。


 そんな彼女に向かって、その言葉を投げかけたのは村長だった。


 初めてまともに聞き取れたこの世界の言葉だった。

 彼女はそのとき初めて年相応の子どもになれたのだ。

 泣き叫んで、誰かに助けを求める子どもになることを許されたような気がしたのだ。


「この広場で迷子はそれほど珍しくない。そのうち母親が見つけに来るだろう」


 フレデリックの言葉により、アズリアは意識を呼び戻された。


「ということは、誰もあの子を助けようと思うことはないんですね」

「助けたって自分が得することは何一つない。面倒を被るだけ損だと思ってるんじゃないかな」


「フレッドさんもそう思いますか?」


 彼は表情を変えなかった。

 変わらぬ微笑みがそこにあった。


 それは彼女の問いに対する肯定を示していた。


 アズリアはちらりと子どもの方へと視線を向けた。


 泣きじゃくる。

 泣き叫ぶ。

 泣き喚いて助けを求める。


 その姿は、何故か昔の自分ではなく、春太と被った。


 誰も自分を知らない。

 誰も助けようとはしてくれない。


 何故なら彼には何もなかったから。


 フレデリックの言う通り、面倒を被るだけで得することなんて何一つない。

 それでも彼は助けを求めずにはいられなかった。

 助けを求めるしかできないのだから。


 そしてアズリアは、そんな迷子を拾ってしまった。


 彼女は、言わば彼の保護者のようなものだ。

 この世界での唯一と言っていいのかもしれない。


 アズリアは彼にとって、未知の世界で生きていくための心の拠り所だと言っても過言ではなかった。


「………」


 一歩、また一歩。

 フレデリックから離れ、その足を進める。


「アズリア?」


 怪訝そうに見つめてくる彼の視線を気にすることもなく、彼女はその子どもへと歩み寄る。


「――迷子?」


 その子どもと視線を合わせるようにしてしゃがみ込んだ。


「……うっ、っく」


 小さな子どもは何度も頷いた。

 泣き過ぎたせいで目は赤く腫れ、頬には涙が通った跡がはっきりと残っている。


「誰と逸れたの?」

「……お母さん」

「どうしてお母さんと逸れたの?」


 子どもは嗚咽を漏らしながらも、ぽつりぽつりと彼女の問いに答える。


「えっと……手を、つないでたら」

「うん」

「ぶつか、って」

「うん」


「そしたら……お母さん、いな、かっ……たぁっ……!」


 再び大声で泣き叫びそうになる子どもを宥めるため、アズリアはその小さな頭に手を乗せて、優しく何度も撫でた。


「君の名前は?」

「……ルカ」


「じゃあ、ルカ君」


 その子ども、ルカを安心させようと、彼女は微笑んだ。


「私と、このお兄ちゃんが、ルカ君のお母さんを一緒に探してあげよう!」


 いつのまにかすぐ傍まで来ていたフレデリックを逃がさないようアズリアはひしっとその服の裾を掴んだ。


「……言ってくれるね」


 彼は顔を引きつらせた。

 何を仕出かすのだろうと様子を見に来なければよかった。

 自分が面倒事に巻き込まれたということに気付き、フレデリックは後悔した。


「一緒に探してくれるよね、フレッドお兄ちゃん?」


 先ほどまでの優しい笑みはどこへ消えたのだろう。

 アズリアはしてやったりとでも言うかのように、にやりと意地悪そうに笑った。


「………」


 フレデリックは引きつらせた顔を元に戻した。

 そして、アズリアと同じようにしゃがみ込み、ルカと視線を合わせ微笑みかける。


 まるで天使のようなそれはそれは麗しく美しい綺麗な笑みで。


「泣き喚いて助けを求めれば、見返りもなしに誰かが助けてくれると思ったの?」


 悪魔のように囁いた。


「………」


 アズリアは、目眩がした。

 思わずしゃがんだままよろめいてしまうほどの強烈さ。

 動揺する気持ちを抑え、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。


 ――なんて大人げないことをしてるんだこの男ッ?!


 かっと目を見開き、天使のような笑みを浮かべる彼を見る。

 別の意味で固まってしまったルカを見て、フレデリックは満足そうに頷いていた。


「じゃあ、そういうことだから」


「ちょっと待ていッ!!」

「何怒ってるの、俺はただ現実っていうやつをその子に教えただけじゃんか」

「アンタは鬼かッ?!」


 遠慮のないフレデリックににこやかな表情で現実を突き付けられたルカは泣き喚くことすら忘れ、ただ茫然とした表情で固まっている。


「ごめんね! このお兄ちゃんちょっとだけ意地悪なんだけど、良い人だからね! 多分」


「俺は、この国のためならどんなときでも冷酷になれる男だよ」

「何至極真面目に言ってるのか知らないけど結局は面倒くさいだけでしょうが?!」


 アズリアは思わず彼の脛に向かって突っ込みを入れた。

 それは、手首のスナップがよく利いた一撃。

 遠慮のない一撃が立ち上がって逃げようとした彼をその場に蹲らせた。


「地味に痛いんだけど……」


 じとりと睨んでくる彼の視線をもろともせず、アズリアは固まったまま微動だにしないルカへと微笑みかける。


「ほら、お兄ちゃんも探してくれるって!」

「ほ、本当に……?」

「本当だよ!」


 まだフレデリックの『天使の微笑みという名の悪魔の囁き』の恐ろしさが忘れられないらしく、恐々とした様子でこちらを見上げてくるルカ。

 彼女は、そんな彼の小さな体を抱き上げた。


「フレッドさん、じっとしててくださいね」

「あまりの痛さで逃げられないんだけど」


 嫌な予感がする。

 フレデリックはアズリアの微笑みを見上げながら、ひくりと頬を引きつらせた。


 そして、彼の嫌な予感というものは当たった。


 彼女は抱き上げたルカをそのまま彼の肩の上に乗っかるように置いた。

 ――所謂、肩車というやつだ。


「さ、フレッドさん。ゆっくり立ち上がってくださいね」

「アズリア、君はもう少し人を労わる思いやりを持った方がいいと俺は思うよ」

「フレッドさん頑張って!」

「……そうじゃなくて」


 呆れたような視線を投げかけながらも、彼女はにやにやと笑うだけで肩に乗ったルカを降ろしてくれそうな気配はない。

 フレデリックは観念したように大きな溜息をついた。

 ゆっくりと、ルカが頭から落っこちることのないように、慎重に彼は立ち上がる。


「重い」


 率直な感想を述べた彼に、アズリアはにこりと微笑んだ。


「じゃあ、お母さんを探しに行こうかルカ君」


 その笑みは彼の肩に乗ったルカへと向けられたものだった。
















 どこの世界に、一国の主であるフレデリックに肩車をさせるという村娘がいるだろう。

 彼は未だに引きつった笑みを浮かべながらも、それでもアズリアと一緒にルカの母親を探す手伝いをしていた。


「俺にこんなことまでさせる村娘って、世界中のどこを探しても君ぐらいだよ」


 そんな皮肉をもろともせず、彼女はにっこりと微笑む。


「仕返しですから」

「俺たち、和解したんじゃなかったっけ」

「まだ許したとも言ってませんけど」


「……本当にただの村娘?」

「はい。ただの村娘です」


 これのどこがただの村娘というのだろう。

 自分を国の王だと知りながらも、ここまで開き直って接してくる村娘はどう考えても只者ではない。

 確かに、能力的なことを言えば彼女は何の力もないただの村娘と言えるだろう。

 しかし性格的なものを問えば、彼女の神経の図太さは折紙付だ。


「お母さーん! ルカ君のお母さんはいませんかー!」


 人々から好奇の目で見られながらも、その視線に屈する様子もない。


「……うーん、いないなあ」


 困ったように呟き、きょろきょろと辺りを見渡した。

 それでも彼女の視界にはそれらしい人物は見当たらなかった。


「ううっ……お母さん……っ」


 再びルカの目に涙が滲み始める。


「あ、いや! 大丈夫だよ、絶対見つかるから! ね?」

「それ、さっきも聞いたぁ……っ」

「うぐっ。えっと、お母さんどこ行ったんだろうなー」

「お母さん……僕のこと、忘れちゃったのかなぁ……っ?」


 これ以上は誤魔化せない。

 どうしたものかとアズリアは頭を悩ませた。


 まさか子ども相手に泣かないでと言えるはずもない。


 かといって、何か妙案が思い付いたわけでもない。

 徐々に嗚咽を漏らし始めるルカを目の前にして、彼女は焦り出していた。

 何か彼の気を紛らわせるようなものはないだろうか。


「――昔々、あるところに、それはそれは心優しい魔女がいました」


 フレデリックは唐突に語り始めた。


「魔女は人間がとても大好きで、彼らのためなら、と魔女はその魔法の力を使ってたくさん良い行いをして来ました」

「……何をしたの?」


 ルカは瞳に涙を溜めたまま、興味深そうに尋ねる。


「枯れた大地には雨を、実らずに朽ち果てようとしていた作物を豊かに実らせ、人々にたくさんの幸せを与えたんだよ」

「へぇぇ……優しいんだね!」

「そうだね、魔女はとても心優しい性格の持ち主だから、人々に喜ばれることを自分もまた嬉しいと思っていたんだ」


 けれど、魔女の恩恵を受けられた人々は極一部の人々だった。

 魔女と言えど、彼女の力には限界があった。

 全ての人々を救えるほど、魔女の力は強大なものではなかった。


 魔女の恩恵を受けられなかった人々は「どうして自分たちは受けられないのだ」と憤慨した。

 そしてその恵まれなかった人々は、魔女の恩恵を受けて生きる人々を恨んだ。


 いつしか人々はその魔女を巡って争うようになった。


 それを一番悲しんだのは、外でもない魔女だった。

 自分が人々に力を貸してしまったばかりに、人々は争うようになってしまった。

 自分のせいで人々は争っている。


 魔女は決断した。


 もう二度と、人々には手を貸さないことを。

 もう二度と、彼らの前に姿を現さないことを。


 魔女は姿を消し、争っていた人々は混乱した。


 そして気付く。

 自分たちの犯してしまった過ちに。

 人々は悔いた。魔女に戻ってきて欲しいと何度も懇願した。


 しかし魔女は戻らなかった。


 人々は争うことをやめ、やがて共に協力し合って生きていこうと決意する。

 人々は共生の道を選んだ。

 魔女の力に頼らず、自分たちの力で生きていこうと決意した。


 こうして、人々は互いに協力し合い、豊かで、平和な生活を送るようになった。


 人々は幸せに暮らした。

 たった一人、心優しい魔女を残して。


「魔女が可哀想だよ……」


 フレデリックの話を聞いていたルカが今度は別の意味でその瞳を潤ませる。


「これが『孤影の魔女』のお話。このお話の続きで『ドラゴンと魔女』っていうのもあるよ」

「本当?! 聞かせてお兄ちゃん!」


 先ほどまでの泣きそうな表情から一変して、輝いた笑みを浮かべた。

 そんな彼の変わり身の早さにフレデリックは目を見開く。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐさまフレデリックは彼に向かって微笑みかけた。


「いいよ」


 すんなりとルカの願いを聞き入れた彼に、その様子を見守っていたアズリアが目を見開いた。


 あんなにも乗り気でなかった彼がまさかここまでするなんて。

 これを驚かずして、一体何に驚くというのだろう。


 アズリアはちらりとフレデリックへ視線を投げかける。


「独りぼっちになった魔女は、放浪の旅に出るんだ」

「それでそれで?!」

「そこで魔女は一匹のドラゴンと出会った」


 彼はそんな彼女の視線に気付いているのかいないのか。

 前者であることは間違いはないだろう。

 しかし彼は特に気にした様子もなく話を続けていた。


 その様子を見てはっとしたアズリアは、思い出したように声を張り上げる。


「ルカ君のお母さーん! ルカ君はここにいますよー!」


 彼がこうしてルカの気を紛らわせている間にも、自分は早く母親を見つけなければ。

 アズリアの迷子の母親探しにも気合が入った。


「――ルカ!」


 母親と思しき人物が現れたのは、フレデリックが『ドラゴンと魔女』という物語を丁度語り終えたときのことだ。


「お母さんっ!!」


 フレデリックが慎重に肩に乗ったルカを降ろすと、彼はその母親に向かって一直線に走り出す。

 母親は泣きながらルカを強く抱き締めた。

 そんな彼女に対し、ルカは満面の笑みで話しかける。


「あのね、お兄ちゃんがいっぱいお話してくれたの!」


 ルカは無邪気な笑みでフレデリックを振り返った。


「またお話聞かせてね! お兄ちゃん!」


 まさかそんなことを言われるなんて思いもしなかった。

 フレデリックは目を見開いて驚く。


 この無邪気に微笑みかけるこの子どもは、彼の正体を知らない。


 ルカが「また」と求めたのは、国王陛下ではない自分。

 泣きそうだった彼を宥めるために物語を話した『フレデリック』だった。


「……会えれば、ね」


 胸の奥でほんのりと温かい気持ちを噛み締めるように胸を押さえ、彼は綺麗に笑って見せた。
















 ルカという子どもの母親を見つけた頃には、日も暮れかけていた。


「肩車、どうでした?」

「最悪だった」


 にやにやとした笑みで問いかけてくるアズリアに、フレデリックはにこやかな笑みで言葉を返す。

 裏表のないその素直な言葉に、大分化けの皮が剥がれてきたんじゃないだろうかと彼女はひっそりと思った。


「重いし、肩凝るし、あと重い」

「同じこと二回も言ってますよ」

「とにかく、ああいうのは二度と御免だ」


 どうやら本当に肩が凝っているらしい。

 肩の凝りをなんとか解そうと彼は腕を回していた。


「……でも」


 ぽつりと、彼は呟く。


「やっとわかったような気がする」


 フレデリックは意味深な笑みをアズリアへと向けた。


「どうして俺がこんなにも君に興味を持ったのか」


 勇者は足手まといになるとわかっていて、アズリアをつれて来た。

 そこまでして彼女を必要とする理由とは何か。

 フレデリックにはわからなかった。


 だから自分はこんなにも興味を持ったのだと、思っていた。


 しかし、それは当たらずも遠からず。

 フレデリックが本当に興味を持ったのは、理由であって理由ではない。


「アズリア、君の言ったことは、あながち間違いではないかもね」


 必要とされるほどの『何』を彼女は持っていたのか。


「……どういうことですか?」


 自分は何か手掛かりとなるようなことを言ったのだろうか。

 思い当たる節といえば『フレデリックは誰かに必要とされたいのではないか?』という問いかけぐらいだ。

 それが自分へ興味を持つことと、何の関係があるのか。


 アズリアは神妙な面持ちで彼の答えを待った。

 そんな彼女に対し、彼は悪戯っぽく微笑む。


「教えない」


 きょとんとした表情になる。

 まさかこの流れでそう言われるとは思わなかった。

 てっきり教えてくれるものだとばかりに思っていた彼女は目を丸くした。


 予想通りの反応を返した彼女に満足げに頷いて、フレデリックはにやりと口の端をつり上げる。


「さっきの仕返し」

「……また大人げないことを」


 呆れたような視線を投げかけた。


「これぐらいで済むんだからいいじゃんか、ね?」


 まあ確かに、この男にしてみればこれほど平和な仕返しなど他にないだろう。

 それを考えると逆にこの程度の仕返しで済んでよかったのかもしれない。


「でも不思議だなぁ」


 まだ何かあるのか。

 アズリアは怪訝そうな顔を彼へと向けた。

 彼女からしてみれば、この男の考えること全てが不思議で堪らないというのに。


「理由もわかったことだし、てっきり君への興味がなくなると思ったんだけど」

「……え?」


 気付けば視界いっぱいに広がるフレデリックの顔。

 彼の紫の瞳と至近距離で目が合い、アズリアは思わず硬直した。


「どうやら、ますます君に興味が沸いたらしい」


 例えるなら、子羊に狙いを澄ました狼のごとく。


「――色んな意味で、ね」


 耳元で悪戯に囁かれた。


 はっとしたアズリアが離れるより先にフレデリックはその身を離した。

 いつもと変わらない笑みを浮かべたまま再び前を歩き出す。


 その後ろ姿を眺めて、アズリアは無意識のうちに耳に触れた。


 彼は今なんと言っただろうか。

 なんというか、とてつもないことを言ったような気がするような、そうでないような。

 彼女は目を伏せて先ほどのやりとりを思い出した。


 思い出したのは、触れた吐息の熱さ。


 じゃ、なくて。

 熱で浮かされそうになる自分を叱咤し、アズリアはやっとのことで思い出した。


 ますます興味が沸いた?

 誰に?

 色んな意味でとは、一体何だ?


「………」


 わなわなと震えた。

 もしやフレデリックのあの言葉は、自分に向けられたものなのだろうか。


 そんな、馬鹿な話が。


 ぐらりとよろめいた。

 どうしてこうなったのだろう。

 アズリアはこれから先のことを思い、言いようもない不安に頭を悩ませる羽目になった。




自分はこんなに長たらしいものを前の話と合わせて一話分にするつもりだったのか……と小一時間問い詰めたい衝動に駆られつつ、毎度ありがとうございますです、はい。

そしてまさか……まさか……レビューを、です、と……?!

ありがとうございますありがとうございます!


なんといいますか、はい、陛下回でした。

まさかこんなにも陛下が出張るとはびっくりです。

それにしても長すぎる……さくさく展開にできるような文章が書けるようになりたいです。


さてさて、次回はなんとあの人が再登場?!

とかそんな展開になればいいんですけどね……。

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