表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/10

盗賊団の悪夢

※ラッキースケベとセクハラ発言まがいがありますご注意ください

 



 それは、春太とアズリアが村を出る三日ほど前のこと――。


「はあ? なんだよそれ」


 今世間でその名が広まりつつある盗賊団――『ナイトメア』のリーダーである彼は、その盗賊団の部下よりとある報告を受けた。


 ここは王都マンサールに近い場所の、幾つかある彼らの拠点のうちのひとつ。


 どうやら部下はそのマンサールにてとある噂を聞いたらしい。

 国に仕えるあの騎士団の団長であるサリウスが、王の命により少しの兵士と馬車をともに引きつれてアシャール村を目指して出発したという。

 その噂を聞いたのはその部下だけではなく、他の部下も同様のものを聞いたらしい。

 それどころか部下の中からその場面を実際に目撃したという者まで出てきたのだ。


「どうなってんだよ……」


 ぽつりと呟いたその声には驚きの色が隠せない。


 あんな村に何があるというのだろう。

 確かあの村は王都から一番近いところにはあるが、それだけのはずだ。

 温泉があることで少しだけ有名なぐらいで、それ以外に目立った話は聞いたことがない。


 ナイトメアのリーダーである彼はますます頭を悩ませた。


 最近急激に魔物が増えてきたため、村から退治して欲しいとでも言われたのだろうか。

 しかし、たかが魔物を倒すぐらいで騎士団の団長であるサリウスが出てくるとは思えない。


 しかもそのサリウスは騎士団の団員を引きつれずに、ただの兵士をつれていると聞いた。


 ますますおかしな話だ。

 あのサリウスが自ら赴かなければならない理由がわからない。

 騎士団の団長が動いているというのに、何故騎士団は動かないのか。

 ただわかることと言えば、そのアシャール村には温泉以外での何かがあるということ。


「あのサリウスが動いているのに、騎士団を動かさないのは……重要だが、あまり表立ったものにしたくはないから……か?」


 それならまだわからなくもないだろう。

 さらに馬車まで引きつれているということなら、何かを運び出すつもりなのかもしれない。


「ま、何にせよ……いい機会だな」


 あのサリウスが、騎士団を引きつれていないということ。

 数人の兵士をつれていると聞くが、どうせ大したことではないだろう。

 馬車まで引きつれているのだからきっと金目の物はあるに違いない。まずハズレることはないはずだ。


 これはあのサリウスに一泡吹かせてやる絶好のチャンスに違いない。


 盗賊団『ナイトメア』のリーダーである彼――シエルは、その瞳を爛々と輝かせた。

 金と青の、二つの異なる色の瞳を細めて、彼は口の端をつり上げる。


「おいテメェら!! すぐに出るから準備しろ!」

「へい! 了解っす、アニキー!」


 シエルに忠実な部下たちは口々に返事をし、出発の準備に取り掛かった。


「なんか今日のアニキは随分と機嫌よさげだなぁ」

「まああのサリウスの旦那に一泡吹かせられる絶好の機会だし、嬉しいんっすね、きっと」

「今のアニキって、なんというか悪戯を考える子どもって感じがして、凄く楽しそうな感じだな」

「まあ、たまにはこんなこともあっていいんじゃないっすかねぇ……」


 いそいそと準備をし始める部下たちがそんな会話をしていたことなど、上機嫌になった今の彼が知る由もなかった。
















 春太とアズリアがアシャール村を出て数時間が経った。


 先ほどまで馬車からの外の景色に感動していた春太だったが、さすがに何時間も見続けてあまり変わらない景色に飽きてきたらしい。

 いくら王都に一番近い村であるアシャール村であっても、片道で三日程は掛かる距離だ。

 まだ出発してから半日程度しか経っていない。王都に辿り着くまでにはあと二日と半日ほどの時間が必要だった。


 馬車の中で景色を十分に楽しんでしまった春太は、何もすることがないためにその暇を持て余していた。


「なあ、アズリア」

「何?」

「今から行くその……なんだっけ、マン……セールス?」


「マンサール」

「そう! そのマンサールなんだけど……どんなところなんだ?」


 春太の興味は外の景色から、その王都へと移り変わった。


「……行ったことがない人に聞いてどうするの」


 それこそ自分が知りたいというぐらいなのに。

 アズリアは呆れたような視線を向けながら、小さく溜息をついた。


「いやだって、サリウスさんに聞こうと思ってもさ……」


 春太はちらりと馬車の外へと視線を向ける。

 その視線の先にはサリウスがいるが、彼はその立派な馬に跨って、兵士たちに何らかの指示を与えているところだった。


 サリウスが陛下から受けたというそれは、勇者を迎えに行くだけではないのだ。

 勇者を城までつれて行くことはもちろんのこと、その道中の護衛もそれに含まれている。

 つまり、マンサールについて一番よく知っているであろう彼は忙しそうにしていた。


 それなのに自分の我儘でこれ以上迷惑をかけてしまうというのは、さすがの春太でも気が引けてしまったらしい。


「まあ、確かに……聞けそうにないね」


 アズリアも春太の視線の先にいる彼を見て、苦笑を洩らした。


「でも、そっか……そうだよな。アズリアは村から出たことないんだっけ……」

「まあでも、人伝に聞いた程度なら話せるけど」

「マジか! じゃあそのマンセールこと聞きたい!」


 まるで新しい玩具を見つけた小さな子どものように、純粋な興味と好奇心で瞳を輝かせる春太。

 そんな彼を見て、アズリアは彼に王都の名前を言い間違えていることを指摘しようと思っていたのに、何故か言ってしまうのを躊躇ってしまった。

 それどころか一生懸命その聞いた話を思い出そうとしている自分に、自分がどれほど春太に対して甘いのか思い知らされてしまう。


 最初はあんなに面倒な存在だと思っていたのに、今となっては彼に対して甘くなっている自分がいる。

 自分はこの春太にどれだけ絆されていることだろう。


 そんな自分を、アズリアは心の中で嘲笑った。


「そうだなぁ……どこから話せばいいかな」


 彼女は自分が聞いた話を思い出しながら、ぽつりぽつりと王都マンサールについて語った。


 王都マンサール。

 アズリアの出身でもあるアシャール村などがあるこの国、トラヴァーズ王国の中枢を担うとまで言われているこの国で一番大きな都市に当たる。

 人が多く、特に旅芸人や商人など、他所から来た人が多くとても賑わいのある都市だ。


 アシャール村の人たちでも何人かはその都市へ訪れたことがあるらしく、彼らが言うには「明るくて陽気な活気のある都市」とのことだった。


 都市にあるのは国王陛下のいる城だけでなく、保管してある本の数は世界一だと謳われている国立図書館、旅芸人などがそこで芸を披露したり、すぐに食べられるデザートや花を売ったりする屋台が多く並んだりもする広場、世界のあちこちから商人の手を伝って揃えられた品が豊富な市場などもあるらしい。

 年に何度か行われる祭りも、王都マンサールならではの醍醐味とまで言われていた。


 何よりも、マンサールでは食に関する文化が進んでいるらしく、春太の世界にもあったアイスやプリン、果てはケーキまでもが存在しているとのこと。


 それを聞いた瞬間、春太の目がさらに輝きを増した。

 もしかしたら彼は甘い物が好きなのかもしれない。


 アズリアは彼の様子を見ながら、心の中でひっそりと思った。


「あとは……気温が年中温かくて過ごしやすいから『常春の大都市』とも言われているぐらい、とか」

「へえ……なんか凄いんだな、その……マンサールって」

「そりゃあこのトラヴァーズ王国の中心部に当たる都市だし、ね」


 たまに村へ温泉を目当てに訪れた人や、王都へ行ったことのある村人の話だけでは事足らず、果ては本で得た知識なども織り交ぜながらアズリアは春太になんとか説明することができた。


「それにしてもアズリアって凄い物知りだなぁ……!」

「いや、まあ、本とかに書いてあったことも織り交ぜたから……」

「いやいやいや! もう本読んでる時点で凄いって! 俺なんて漫画とか文庫本とかしか読んだことないし……挿絵とかなかったら寝そうというか……」

「……えっと、まあ、うん」


 実はアズリアも春太と同じ世界にいたときは、漫画や文庫本などを読み漁っていたため、こういった本を読むことはあまりなかった。

 しかし前世の世界での文字を覚えたままの彼女にとっては、この世界での文字を覚えるのにかなりの時間を要した。

 つまり、彼女がそういう知識を得た理由というのは、全ては文字を学ぶためだっただけに過ぎない。

 あくまでも副産物だったということなのだ。


 そんな事実を知るはずもない春太は、アズリアをまるで天才だと言うかのようにこれでもかというぐらい誉めちぎっていた。

 アズリアはまるで騙しているかのような小さな罪悪感を覚え、そっと顔を横に背けた。


「――助けてくれッ!!」


 誰かの悲痛な叫び声が二人の耳に届く。

 その瞬間、二人の乗っていた馬車は大きく揺れて急停止した。


「うぉあっ?!」


 春太の世界には慣性の法則というものがある。

 全ての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける。

 それはどうやら、この世界でも通用する法則だったらしい。


 つまり、馬車の進行方向を向いてアズリアの向かい側に座っていた春太はその法則に従い、椅子から離れ前へと倒れかかったのだ。


 しかしこのまま倒れかかっては、彼女にぶつかり、怪我をさせてしまうかもしれない。

 それだけはなんとしてでも避けなければ。


 ほぼ無意識のうちに倒れながらも春太は腕を伸ばしていた。


 とりあえず、彼女にぶつかって怪我をさせるという最悪の事態は免れたのだ。

 しかしある意味で春太は最悪の事態を招いてしまった。

 いや、この事態は彼にとって最悪というべきなのか、最良というべきなのか悩むところかもしれない。


「……あーびっくりした。なんだって急に止まるんだよ、危ないなぁ、ったく」


 ぎゅっと目を閉じていた彼はゆっくりと目を開いた。


「ごめん、アズリア」


 不可抗力とはいえ、もう少しで彼女に怪我を負わせてしまうところだった。

 春太はそれを詫びてアズリアに謝罪を述べる。


 ふにゅり。彼は『何か』を掴みながら身を起こした。


「危なかったよ……な……?」


 なんだ今の感触。

 程よい柔らかさを持ったそれを確かめるように、春太はもう一度握った。


 ふにゅり。

 なんて柔らかいのだろう。

 柔らかさの中に弾力もあるそれは、揉めば揉むほどに味わいのある感触だ。


 春太は何度も確かめるようにふにゅふにゅとそれを揉みしだき、はっとする。


 あれ、というか、これ、何。

 彼はそっと自分の手に掴んでいるものを見た。


「………」


 沈黙が流れる。


「………」


 さらに沈黙が流れた。


「……えっと、あの」


 控え目に沈黙を破った彼の声には戸惑いの色があった。

 しかし春太の顔は見る見るうちに赤くなっていき、今にも火が噴き出そうなぐらい真っ赤になった。


 春太はアズリアに倒れそうになったときに、ほぼ反射的に腕を伸ばしていた。


 そのおかげで彼女にぶつかることはなかった。

 しかし、春太の伸ばした手は鷲掴んでいた。


 ――アズリアの胸を。


「あ、アズリアさん……?」


 先ほどから一言も声も発さない彼女を疑問に思い、躊躇いがちに彼女の顔を見た。


「………」


 アズリアの表情は、『無』だった。

 最初は怒られるのではないかとヒヤヒヤしていた春太はほっと息をつく。

 不可抗力だというのをわかってくれていたのかもしれない。


 ここは誤解を招かないためにも一刻も早く離れなければ。


 そう思った春太だった。

 彼女の目を見る、その前までは。


「あ、あああああ、アズリア、さささっさ、ん?」


 先ほどまで真っ赤だったはずの彼の顔からは血の気が引き、真っ青になっていた。


「………」


 ――目が、据わっている。


 アズリアは無表情のまま静かに春太を見つめていた。

 それは、いつもの彼女の絶対零度の微笑みよりも恐ろしい。

 ぴくりとも動かない表情筋がこれほどまでに恐ろしいと感じたことは、春太の今までの人生において一度もなかったことだろう。


 いつものように微笑んだり、頬を抓ったりして怒る方が、どれほど優しかったことか。

 春太は身をもってその事実を知った。


「ちちちちがっ、ここここれはそそその事故というかなんというか不可抗力でしてその決してそんな邪な気持ちがあったとかそういうわけじゃなくって、いやその、すみません実はかなり嬉しかったですごめんなさい嘘でしたすみませんすみませんすみませんごめんなさいもうしません」


 ああ、さらば人生。

 きっと自分が明日の朝日を拝むことはないのだろう。


 彼は土下座をしながら死を覚悟していた。


「――頼む! 助けてくれよッ!!」


 そんな春太に救いの手を差し伸べるかのように、二度目の悲痛な叫び声が彼の耳に届いた。


「ななななっ、な、何があったんだろーなぁああああああっ!?」


 死亡フラグはなんとしてでも回避したい。

 その一心で彼は勢いよく扉を開け、馬車から身を乗り出して外を見た。


「……あれ?」


 春太の視線が、兵士たちの先にいる見慣れぬ男を捉えた。


 その男はボロボロのローブを身に纏い、フードを頭から深く被っていた。

 どうやら怪我をしているらしい。男は左手で右腕を庇うように掴み、息も絶え絶えと言わんばかりに呼吸を荒くしていた。


「魔物が、魔物に襲われたんだッ!!」


 魔物。

 その単語を聞いて、春太は先日の村で起きた事件を思い出した。


 それは、春太に特別な力があると判明したときのこと。

 あと少しでも自分が飛び出すのが遅ければ、アズリアは魔物に殺されていただろうあの出来事。

 目の前で訴えかける男の必死な様子に、春太は、改めて『人の死』というものを思い知らされた。


 自分なら、あの光のときのようにどうにかできるかもしれない。


「なあ、助けてくれよ……っ!」


 男の悲痛な声が、春太を突き動かそうとしていた。


「………」


 馬車の中で起きた出来事に先ほどまで静かに怒っていたアズリアだったが、今はその激情もどこへ行ったのやら、扉を開けて身を乗り出す春太の後ろからその様子をひっそりと覗き見ていた。


「なんというか……随分とまた古典的な手を……」


 彼女は思う。どう考えても怪しすぎる、と。


 まず、ローブを纏う彼は一体何者なのだろうか。

 彼の必死な様子を見ていると、まさに命からがら逃げてきたと言わんばかりだ。

 しかしその割には、服装に乱れがないのは何故だろうか。

 確かに全身を包むローブを纏っているせいであまり服装は見えないのだが、何故フードを被ったままなのか、そこが一番の疑問だろう。

 もしや、フードが取れないように押さえながら走ったとでもいうのだろうか。命からがら息も絶え絶えに必死で逃げてきた割には、随分と余裕そうだ。


 普通必死で走ってきたのならそんな余裕などないはずだ。

 それなのに、あんな目深にフードを被れるわけがない。


 アズリアの疑いはますます濃くなっていく一方だった。


 どうやらサリウスのつれてきた兵士たちも彼女と同じくらいの常識があるらしい。

 彼らの浮かべている表情に見える色は、疑い。

 そのぐらい、誰が見てもそのローブの男は怪しかったのだ。


 その場にいた誰もが怪しいと疑っていた――ただ一人を除いて。


「助けないと」

「え?」


 ぽつりと呟いた彼にアズリアは驚きの声を上げた。

 しかし次の瞬間、春太は馬車から飛び出した。


「待って春太!!」


 とっさに彼の腕を掴もうとアズリアは手を伸ばした。


「ごめんアズリア!」


 伸ばした手は、空を切った。


「なっ?! おい春太ッ!!」


 さすがのサリウスでも春太の行動は予測できなかったらしい。

 兵士の間を縫って駆けていく春太の名を、敬称さえ付けるのを忘れて叫んだ。


 春太はそんな二人の制止を振り切った。


「大丈夫ですか?!」


 そのローブの男の元へ駆けつけて、尋ねる。


「――チッ、男かよ」


 え。と声を漏らしてきょとんとした春太。

 春太は、フードから覗いた金と青の二色の瞳と目が合った。


 瞬間、春太は腕を取られ後ろ手に捻り上げられた。


「いででででっ?!」


 それは一瞬の出来事だった。

 自分の身に一体何が起こったのかすぐには理解できなかった春太だったが、腕を捻り上げられている痛みによって否が応でも知らされる。

 自分が、騙されていたということを。


「よお、サリウス。奇遇だなぁ?」


 痛めていたと思われた右手で春太を捉えながら、もう片方の手でそのフードを下ろす。


「ここで会ったが百年目ってところか?」


 金の瞳と青の瞳。

 二つの色を持つ男の目は爛々と輝いている。


 フードを被っていたことにより乱れていた紺色の髪を左手で撫でつけた。


 しかしその彼の頭には人ならざるものがピンと立っている。

 それは彼の髪の色と同じ猫の耳。

 乱れた頭を直した彼の左手が、労わるようにその耳を緩く撫でた。


「貴様、『ナイトメア』のシエルか?!」


 兵士の中の誰かが声を上げると、それに合わせて他の兵士たちはどよめいた。


「ご名答。はー、俺も随分有名になったもんだなぁ」


 その反応に満更でもない様子でシエルは笑う。

 どうやらとても機嫌がいいらしい。

 彼が浮かべる笑みは、その場にそぐわない、人好きのする笑みだった。


「春太……!」


 アズリアは悲鳴にも似た声を上げる。

 放っておけば今すぐにでも飛び出していきそうな様子だ。


 そんな彼女の肩に、サリウスは手を乗せる。


「大丈夫だ」


 いつのまにか馬から降りていたらしいサリウスが、そんな彼女に制止をかけた。


「……サリウス、さん」


 アズリアの瞳は今も不安で揺れている。

 しかし、先ほどよりも幾分か冷静さを取り戻していたようだった。


 そんな自分を、彼女は不思議に思っていた。


 春太が危ないと思った。

 何とかしなければと思っていた。

 焦りが判断力を奪い、気がつけば自分も春太と同じように飛び出しそうになっていた。


 サリウスが「大丈夫だ」と言ってくれたおかげで、冷静さを取り戻すことができたのだろう。


 不思議だ。

 この状況はどう考えても大丈夫じゃないというのに。

 サリウスの青い瞳を見ていると、彼が「大丈夫だ」と言うと、本当に大丈夫な気がしてきてしまう。

 これが、サリウスが騎士団の団長たる所以なんだろうか。


 どうして彼が「大丈夫だ」と言えるのか。

 その理由はわからないが、とにかく、大丈夫なのだろう。


 それでも不安な気持ちを抑えきれないアズリアは無意識のうちに胸元で強く拳を握った。


「大丈夫、な……俺も随分ナメられたもんじゃねえか……」


 その様子を見ていたシエルは、その不機嫌さを露わにした。


「何を根拠にそんなことを言ってんのか知らねえけど」


 しかしそれも一瞬のこと。

 次に彼は、まさに悪役と言えるようなほど、あくどい笑みを浮かべた。


「――大丈夫だって言うのは、この状況をどうにかしてから言ったらどうだ?」


 がさがさと辺りで人の動く音がする。

 そこから現れたのは、シエルと同じようにあくどい笑みを浮かべた者たちだった。

 馬車とその周りを囲んでいるのは、外でもない彼の部下だ。


「最初からこうすることが目的か」

「ま、そういうことだ」


 シエルはただの囮、時間稼ぎにしか過ぎなかった。


「ちょっ、だから痛い!」

「人質は黙ってろ」

「いだだだだだだっ?!」


 未だに捕らえたままの春太を黙らせるかのようにぎゅっとさらに腕を締める。

 痛みを訴えていた彼はさらなる痛みに悲鳴を上げた。


「まあ待てよ。俺もそんなすぐに取って食うようなことはしない。するなら女としたいしな」


 ちらりとアズリアに視線を向けるシエルに、彼女はびくりと震えた。


「それで、なんでアンタがこんなところにいる? 騎士団の団長でもあるアンタが、騎士団を引きつれずに役立たずな兵士を引きつれて、馬車まで用意して……どういうことだ?」

「お前には関係ないことだ」

「……あっそ。盗賊の俺なんかに話すこともないってか」


 シエルは見るからに不機嫌そうな顔になった。

 そんな彼の表情を見て、どこにそんな余裕があるのだろう、サリウスはにやりとした笑みを浮かべた。


「なんだ、構って欲しいのか?」


 予想外の言葉に、きょとんとした表情になる彼。


「――はあ?! なんでそういうことになるんだよ馬鹿じゃねえの?! てか気色悪いこと言うなよ誰がテメェなんかに構ってくれなんて言ったんだよ誰が!! 第一、構ってやってるのは俺の方だろうが! いいかよく聞け? 俺が、お前に、構ってやってんだよバァアアカッ!!」


 これでもかというぐらい毛を逆立てて捲し立てるシエルに、彼の部下である盗賊たちもまたきょとんとした表情を浮かべた。


「痛い痛い痛い痛いっ!!」


 あまりの怒りにどうやら自然と力が入っていたらしい。

 シエルに腕をさらに締め上げられ、春太がまたもや悲鳴を上げた。


 そんな様子をにやにやとした表情で見守っていたサリウスだったが、彼にも春太を守るという仕事がある。

 浮かべていた表情を消し、真っ直ぐにシエルを見つめた。

 急に様子の変わった彼に戸惑い、シエルが一瞬だけきょとんとした表情になる。


「悪いが、そいつは放してやってくれないか」


 そんな彼の言葉に耳を傾ける悪者などそういないだろう。


「断る」


 ふん、と鼻を鳴らして口の端をつり上げた。

 シエルにはわかっていたのだ。

 今自分が捕らえている人物が彼らにとって重要な人物だということを。


「テメェらにとって一番の人質をそう見す見す逃がすと思ってんのか?」


 一つ。と左手に人差し指を立てて彼は口を開いた。


「こいつはその馬車から飛び出してきた」


 二つ。と今度は中指も立てた。


「わざわざ騎士団の団長であるアンタがこいつの護衛に当たっている」


 三つ。と薬指も立て、シエルはにやりと笑った。


「こいつが飛び出してくるときの、アンタの顔だ」


 いやぁ、あれは見物だったぜ?

 そう言いながら鋭く尖った犬歯を見せつけるように口の端をつり上げる。


「これだけあれば、こいつが、いかに重要人物なのかわかる」

「………」

「そうだろ、サリウス?」


 どうだ。と言わんばかりにシエルはサリウスを見ていた。


「……やっぱえらいなお前。まさに名推理。よしよし、えらいえらい」

「えらい言うな! ってか何だよその言い方ムカつく!! いいか、俺はお前と違って頭がいいんだよ頭がッ!!」


 まるで小さな子を宥めようとするかのようなサリウスの態度に、シエルの表情は引きつった。


 アズリアはそんな彼らのやりとりを見ながら、先ほどまで緊迫とした雰囲気はどこに行ったんだろうとお思った。

 確かに絶体絶命だったはずなのに、どうしてだろうか、そこまで危険な状況でもないような気がしてきた。


「というか、自分で言うんだ……」

「うるせえ!」

「いやだから痛いって!」

「お前もうるせえ!」


 シエルは思い通りにならないことに腹を立てていた。

 本来ならここで、サリウスの泣き言のひとつでも聞いてやろうと思っていたのだ。

 それなのに彼は焦った様子も取り乱しているわけでもない。いつもと変わらぬ余裕な表情で堂々としていたのだ。


 それに加えてアズリアの冷静な突っ込みと、春太の痛みを訴える情けない声。

 シエルの調子は徐々に狂い始めていた。


「悪いが、そいつは本当に大事な人物なんだ、シエル」


 諭すように話しかけるサリウスに、シエルはまたもや不機嫌な表情になった。


「へえー、ほおー。大事、ね……こんなのが」

「なんだ拗ねてんのか」

「拗ねてねえよ誰がッ!!」


「いだだ! 痛いって!」


 感情が昂る度に力が入るため、春太はもう何度目なのかわからない悲鳴を上げた。


 こんなことになるなら、アズリアやサリウスの言うことを聞いていればよかったかもしれない。

 春太は心のうちで遅すぎる後悔をしていた。


「まあ、何にせよアンタの命運もこれまでだ」


 気を取り直したシエルがにやりと笑った。

 それもそのはず、状況は明らかにシエルたちの方が有利なのだ。

 まるでコントのようなやりとりを二人が繰り広げていたとしても、その現状は変わることはない。


 しかしそれを言われても、サリウスの表情には焦りがなかった。

 それどころか不敵な笑みを浮かべているではないか。


「それはどうだかな?」

「は?」


 何を言っているんだこいつ。

 シエルは眉間に皺を寄せてサリウスを訝しんだ。

 そんな彼に構いもせず、サリウスは一歩足を踏み出した。


「おっと、人質いるの忘れてねえか?」


 その瞬間素早い動きで左手を後ろ手に回し、彼はその爪のような武器を取り出した。

 三本の爪のような刃を春太の喉元に押し当てる。


「下手な動きをしたら……」


 ぷつり、と刃先が彼の喉元に一筋の赤を作った。


「――ッ!!」


 アズリアは戦慄した。


 赤い。

 あれは血だ。

 それを喉元から流しているのは、春太で。


 どこか冷静な自分と、死への恐怖に怯える自分がいる。


 春太が、死ぬ?

 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。

 それはあってはならない。彼が物語の主人公だから? 物語の主人公は死んではいけない?

 でも血が流れている。赤い。


「こいつの、頭と体が」


 このままだと春太は。

 ――死んで、しまうのだろうか?


「いってぇえええええええ――ッ!!」


 光が溢れた。

 それはまるでアズリアたちを守るように。

 まるで、勇者である春太を助けるかのように。


「ギャアアア――ッ!!」


 春太の悲鳴に続くように、ナイトメアの悲鳴が木霊した。
















 途中までは成功していたかのように思えたシエルの計画だったが、彼の唯一の敗因は、春太の正体を知らなかったことだろう。

 脅しのつもりで軽く切りつけたはずが、それが引き金となり引き出されてしまった春太の勇者の力によってシエルたちは一網打尽となった。


 勇者の活躍により思わぬ収穫を得てしまったサリウスたちは、捕まえたナイトメアの盗賊たちを引きつれて王都マンサールを目指すこととなってしまった。


 シエルの部下である彼らは兵士たちが見張ることとなり、首謀者であるシエルはというと。


「はー、とうとうお前もお縄にかかっちまうとはな」

「うるせえ! 馴れ馴れしく話しかけてくんじゃねえよ!!」


 部下たちの近くにいれば何らかの悪知恵を働かせて逃げてしまうかもしれない。

 という危険性があったため、兵士たちの手には負えないだろうとサリウスが見張ることとなった。

 その上、隔離する必要もあるため、今馬車の中には春太とアズリアに加えてサリウスとシエルも乗ることになったのだ。


「……あの、さっきから気になってたんですけど」


 もちろんシエルたちが捕まった後、アズリアにこっぴどく叱り飛ばされ、十二分に反省をさせられた春太が遠慮がちに口を開く。

 その首には彼女から施された治療の跡でもある包帯が巻かれていた。


「なんでこの人、猫耳に尻尾生えてるんですか?」


 もしかしてこの世界の人たちの本来の姿なんだろうか。


 そう思った春太は、真っ先に頭の中でアズリアの頭に猫耳を、腰辺りから尻尾を生えさせる。

 彼女のたまに見せるツンとした態度と、その愛らしい容姿を思い浮かべて彼はにやける顔を隠そうと口元にそれとなく手を当てた。


 しかしシエルはそんな彼のだらしない顔を目撃していたらしい。

 なんだこいつ気持ち悪いな。

 思わず顔をしかめるが、春太はそのことに気付かずにそのまま妄想世界を楽しんでいた。


「あぁ、それは……こいつが猫人(ワーキャット)っていう種族だからだ」

「え、あ……種族?」

「そうだ。ちなみに、俺や嬢ちゃんはヒューマンっつー、まあ春太と同じ種族だな」


「……そう、なんですか」


 アズリアは自分と同じ人間。

 つまり、猫耳も尻尾も生えない普通の人間なのだ。


 先ほどまで思い浮かべていた妄想がガラガラと崩れ落ち、落胆する春太。


「どうした、春太?」

「あああいやなんでもないっす! 自分元気っす!」


 うっかりと呼び捨てにしてしまってから、サリウスは開き直ったかのように春太を呼び捨てで呼ぶようになった。

 それにより自分と彼との間にある壁がなくなったようで、春太はそれに喜びを覚えていた。

 しかし彼の真っ直ぐな青い瞳で見られると、自分の邪な妄想が見透かされているのではないだろうかと別の意味で不安になってしまう。


 つい動揺して変な返し方をしてしまったものの、サリウスは気にせず話を続けた。


 猫人。

 彼らは猫のような耳と尻尾を持つ人間のような姿を持った種族だ。

 ヒューマンと比べてその身体能力は高く、特に俊敏な動きに関しては人型をした種族の中で一番だと言われているほどのもの。

 しかしそれ以外ではアズリアやサリウスのヒューマンとあまり変わらない。


 要するに、猫耳と尻尾が生えたちょっとすばしっこい人間。ということらしい。


「で、合ってるよな?」

「俺に聞くなッ!!」


 シエルはその猫耳と尻尾をこれでもかというほど立たせて全身の毛を逆立たせるようにして、まるで本物の猫のように牙を剥いてサリウスを威嚇しているようだった。


 これが、猫人。

 アズリアも知識としては知っていたが、実際に猫人を見るのは初めてで、そんな彼の様子を食い入るようにして見つめていた。


「あと、なんか結構仲良かったっぽいけど……二人は知り合いか何かなんですか?」

「仲がいい?! ふざけんなお前の目は節穴かッ?! あれのどこを見てそんな気色悪い発想ができるんだよ?! やめろ気色悪い! 鳥肌が立つ!!」

「猫なのに鳥肌立つんだ……」

「お前見た目によらず失礼な女だな?! つーか俺は猫じゃねえ、猫人だッ!! んでもって名前はシエル!! あと泣く子も黙る盗賊団『ナイトメア』のリーダーなんだよッ!!」


「そう、それ! サリウスさん、その『ナイトメア』って何ですか?」

「無視かよっ!?」


 シエルの暴言をもろともせずに春太は思い出したかのようにサリウスへ問いかけた。


 そんな彼らのやりとりを微笑ましい気持ちで見守っていたサリウスは、にやりとしながら「そうだなぁ……」と顎へ手をかけて、どこから話そうかと考えていた。

 サリウスのにやにやとした顔を忌々しそうな表情でシエルが睨んでいても、彼はどこ吹く風のように平然としている。


「こいつはな、この国のあちこちで貴族やら金持ちやらの悪行を暴いて盗むっていう、そこそこ有名な盗賊団のリーダーなんだ」

「……義賊ですか?」


 なんだその正義の味方みたいな盗賊団は。

 アズリアは突っ込みたい衝動を抑えながら冷静に問いかける。

 そんな彼女の質問は、サリウスが答えるまでもなく、シエルが鼻で笑い飛ばした。


「誰がそんな間抜けなことするかよ。盗んだ金はもちろん俺らが有意義に使わせてもらってるにきまってるだろ?」

「いや、それ堂々と言ってもかっこよくないんだけど……」

「うるせえ! 盗賊なんだから盗んだ金は使うのが当たり前なんだよ!」

「威張って言うことじゃないでしょうが……」


 まあ盗賊である彼が盗んだお金をどうこうしようと自分には関係のないことだろうし。

 いちいち噛みついてくるシエルの反応を適当に流しながら、アズリアはサリウスの話の続きを待った。


 盗賊団『ナイトメア』。

 主に悪名高い貴族や金持ちを標的とする盗賊の集団で、その犯行は統率のとれた計画的な動きで行われるため、国中の、特に後ろめたいことがある貴族や金持ちたちが躍起となって捕まえようとするものの、尻尾さえも掴められないことで有名な彼ら。

 彼らが普通の盗賊団であれば、貴族たちもそこまで躍起にはならなかっただろう。

 しかし、彼らに標的として狙われてしまった者は、金目の物を盗まれるだけでなく自分が今までやってきた悪行という悪行までもが暴かれてしまうのだ。

 そうして元々は名前のなかった盗賊団のはずが、いつのまにか悪夢を見せる盗賊団として恐れられ『ナイトメア』と呼ばれるようになったのが、その由来である。


 騎士団の団長であるサリウスは、とある貴族の警備に当たっている際にそのシエルと出会った。

 入念に組み立てられた緻密な計画の裏をかき、その貴族の悪行は暴かれたものの、金目の物が彼らに盗まれることだけは阻止したのだ。

 それはシエルにとって初めてのことで、シエルの自尊心は酷く傷ついたらしい。

 こうして、シエルはことあるごとにサリウスを目の敵として、このように反抗的な態度を取るようになった。


「いやー、あのときは凄いスカーッとしたなあ……」


 当時のことをしみじみと思い出し、サリウスはにやにやと笑みを浮かべた。

 その貴族には何かしらの裏があるはずだと彼自身も思っていたようで、シエルたちがそのことを暴いたのが、騎士ながらも非常に感動してしまったらしい。


「……それより、こいつは一体何なんだよ?」


 逆に嫌な思い出を思い出してしまったと言わんばかりに、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながらシエルは話題を変えようと疑問をぶつけた。


「猫人のことは知らないわ、ましてやナイトメアのリーダーたるこの俺を知らないわ、警戒心もないわで、何だよこの世間知らずの坊ちゃんは。しかもあの妙な力とか、わけがわからねえ」


 いや、猫人のことは知っていたけれど、『ナイトメア』なんて盗賊団、今まで生きてて一度も聞いたことがなかったんだけど。

 アズリアはそう思ったものの、今それを口にしてしまえば彼の自尊心を傷つけた上で自分もサリウスのように目の敵になるかもしれない、と思い直し、なんとか口を噤んだ。


「あー……それは、だな」


 サリウスは言葉を濁した。

 いくら相手はシエルといえど、彼も立派な盗賊なのだ。

 うっかりと口を滑らせてしまえばこの先どうなるかもわからない。


 話してやりたいのは、山々なんだがなぁ。

 はあ、と溜息をついた彼を見て、シエルはじとりと睨んだ。


「あっそ。どうせ俺が盗賊だから話すつもりなんか毛頭にねえんだろ」

「悪いなシエル。まあそういうことだから、拗ねんなよ」

「拗ねてねえよッ!!」


 いつのまにか話は移り変わり、とうとうコントを始めてしまった二人に、アズリアは溜息をついた。

 下手に口出しをして火の粉を被るよりは、このまま何も言わずに見守っておくのがいいだろう。

 そう思い直し、アズリアは今度は別の問題で頭を抱えた。


 それは、先ほどの春太の行動についてのもので。


 春太はどうにも、考えなし過ぎる。

 他人のことを考えて行動する優しさは評価できるかもしれない。

 しかしそれで命を落としてしまっては話にならないのだ。


 今後旅をするにおいて、彼のこの甘さが窮地を呼び込むことになるのではないだろうか。


 そのことを想像し、アズリアはもう一度溜息をついた。

 まだ旅は始まったばかりだというのに、それどころか村を出たばかりだというのに。


 先が思いやられる。と、彼女はこれからのことを想像し、本日何度目かの溜息をついた。




おおおお! またもやお気に入りが……!

なんて言って喜べばいいのやら、とにかくとても励みになりますありがとうございます!


更新に少し間が空いてしまいましたね……。

しかし、とうとう5話目に突入致しました次第であります。

そして新キャラ登場の巻ですね。サリウスさんと彼のやりとりを書くのが楽しくて楽しくて……際限なく書いてしまいそうで恐ろしいです。

シエル、なんて恐ろしい子なの……?!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ