カリオストロの城をつまらないと思った男の話 或いは効率という神の話
カリオストロの城といえば、ルパン映画の金字塔。
今のアラフォー以上なら、ほぼ知名度100%を誇る、名作中の名作として知られる。
しかしそんな名作に、つまらないという感想を下した男がいた。
他ならぬ筆者である。
別に、世間的に評価されるものに唾吐くつもりの、天の邪鬼や逆張りで言った訳でもなく。
はたまたルパンが好き過ぎて、
「アレは本質的にルパン映画ではないからして」
等と、一家言あった訳でもない。
しかもこの感想は、友達も抱いていた。
少なくとも2人は抱いた感想だ。
では同作は世間の評価と違うのか。
本当は賛否両論ある、或いは駄作なのか。
結論から言えば違う。
では何故そんな評価のズレが起きたのか。
実は筆者と友達には、ある共通点があった。
それは同作を見たのが、リアルタイムでない事。
テレビでアニメ特集が組まれて、名台詞ランキング等で、紹介される様になってからだ。
名作という評価を先に知って。
作品を代表する名台詞を知って。
それからやっと本編を視聴した。
そんな順番で作品に接した結果、何が起こったか。
名作名作と聞いてたから見たけど。
特に劇的なシーンとも遭遇せず。
どこが名作わからないまま最後まで来て。
物語を締め括る台詞が、まるでピンと来ずに。
むしろ上手い事言おうとして上滑りしたかのような、温度差すら感じて終わる。
そんな視聴体験になってしまった。
コレは名作と期待して観たから、ハードルが上がった、なんて話とはまた違う。
劇的なシーンがないと言った。
お涙頂戴の泣かせにくる感動のシーン。
そういうわかりやすいシーンは同作にない。
しかしその事は決して。
いいシーンがないと言う意味にはならない。
例えば、同作で好きなシーンを集計すれば。
おそらく上位に来るだろうシーンに。
ルパンと次元が昼食を摂るシーンがある。
昨今のアニメなら食事をどう表現するか。
各種エフェクトのかかった止め絵の皿と鳴り響くSE。
一口食べた途端、表情を一変させ、その料理がいかなるものだったか饒舌に、長ったらしく説明する。
そんなところではないだろうか。
しかし同作は全く違う。
何故か1つのパスタを奪い合う。
まるで子供のじゃれ合いのように。
また別のシーンではこうだ。
愛車のフィアットを運転するルパン。
そこに敵達の車が襲いかかってくる。
ルパンは腕まくりするとひと言。
「まくるぜぇー」
不敵にニヤリと笑ってアクセルを踏み込むと。
突如始まった街中でのカーチェイスに興じる。
いずれのシーンも。
言ってしまえば、ただそれだけのシーンだ。
別に泣ける訳でも、大爆笑を誘う訳でもない。
だがしかしどのシーンも。
キャラクターが活き活きとしてる。
躍動的に動き回り、心底楽しそう。
これこそが同作の肝だ。
名作を見に来た無粋なお客様ではなく。
ルパンを見に来た純粋なお客様には。
スクリーンの中に生きたルパンが見える。
そして終わりのシーン。
ルパンを庇うヒロインに、銭形がこの台詞を残して、物語は締め括られる。
「奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」
俯瞰的に作品を見てる人間には、この言葉の真の意味はわからない。
この言葉は、作品を楽しんだ人間だけが受け取れる、夢中になった事への報酬なのだから。
とどのつまり。
作品をつまらないと感じていたのは。
筆者がただつまらなく消費していただけの事だったのだ。
昨今、可処分時間の使い方が問われて久しい。
今の世の中、娯楽は溢れかえっている。
小説、マンガ、アニメ、ゲーム、どんなコンテンツでも。
例え1日1作品消化しても、一生の内には追いきれない程だ。
限られた時間の中、無駄を省きたいのは当然の要求。
レビューやネタバレサイトを駆使し。
評価の低い作品を脚切りし。
評価の高い作品だけを厳選する。
それらは効率的で、賢いのだろう。
しかし効率的である事は。
必ずしも正しさを意味しない。
効率がいいからと、それに従事するだけでは。
最早ただの作業に等しい。
いつかつまらなさに押し潰されて、本来の目的を見失ってしまう。
手段と目的が入れ替わる、なんてよくある事だから。
例えば楽器を習うとき。
効率よく上手くなるには。
練習曲を演奏すればいいのかもしれない。
でも別に。
練習曲を引きたくて演奏する訳ではないのだ。
モチベーションと言う意味では最悪ですらある。
例えば子供は何故、アンパンマンを見るのだろうか。
親に子供向けアニメの定番だと、教えられたから見るのだろうか。
そんな訳はない。
子供達はアンパンマン達の造形を見て興味を持ち。
その物語に一喜一憂して楽しむ。
良質な視聴体験を得たから、自発的に好きになったのだ。
好きと言う感情は、本来そうではないか。
誰かに言われた評価をなぞるのでは、ただの受け売りだ。
もっとプリミティブで、衝動的ではないか。
感情は自らが醸成し、育むべきものだ。
失敗したくない?
ハズレの作品を掴みたくない?
だからといって?
ヘリで山頂へ先回りし着陸して?
そこにあるのが肥溜めでないか確かめて?
それから着陸して淡々と下山する?
或いは最早、着陸もしない?
ただ眺めて、それで満足して去る?
それでは本末転倒で?
逆にただ時間を浪費してしまっただけではないだろうか?
時間をかけて、苦労をして、自分の足で登って。
それから山頂で出会ったからこそ、報われる。
そんなカタルシスを失っている。
賢く効率よく、という正しさに踊らされて。
コンテンツの魅力を体験せずに。
ただ情報として消費してしまう。
それはむしろ、無駄遣いそのものではないか。
生き馬の目を抜くこの時代。
情報は容易く体験を追い越していく。
最早スマホは必需品であり、我々の生活とは切っても切れない。
身の回りは氾濫した情報に溢れ。
情報を利用しているつもりが。
情報にその身を浚われ。
流されてしまっていないか。
あなたの周りにもいないだろうか。
レビューやまとめサイトの受け売りを、ただ話すだけの人間が。
体験から勝ち得た情報が、その人を作り上げる筈が。
外から押し付けられた、情報で作り上げられた、ハリボテの人間。
それは最早ホラーだ。
吸血鬼に血を吸い上げられて干からびたように。
人間性という中身を失った抜け殻。
まるで情報のアンデッドモンスターだ。
かつてニーチェは、科学万能世紀の到来に。
「神は死んだ」
との言葉を残した。
それまで信じられていた。
絶対だった神の存在が否定され。
人は自ら価値を内発しなければならない。
そんな旨の言葉らしい。
しかし残念ながら。
死んだ筈の神は。
情報という存在に置き換わり。
我々の前に再び君臨している。
高度情報化社会の到来は。
人類に高度な知性ではなく。
再びの盲信を与えてしまった。
140年前の偉人の期待は。
打ち砕かれたという他ないだろう。
少々脱線したが。
我々は今一度、神の手から離れるべきではないか。
本当に豊かな時間の使い方を、再び手にする為に。
情報が親切に指図する
「それは評価が高くない」
なんて誰かの言葉に従えば。
逃げ出せない囲いに覆われた。
まるで飼われた羊の人生だ。
見た映画がつまらなくてもいいじゃないか。
何も体験しないで朽ちていくなんて。
賢いかもしれないが、あまりに寂しすぎる。
だから君も、勇気を出して。
実写のデビルマンを見てみよう。
……いや、やっぱアレは見なくていいや。




