終電の一本前
エレベーターの扉が閉まる直前、
七海は一瞬ためらった。
だがボタンは押していないのに、
一階へ向かって下降を始めている。
階数表示が減っていく。
8
7
6
その下に、見慣れない表示がある。
0
七海は目を瞬く。
次の瞬間には消えている。
気のせいだ。
疲れている。
そう自分に言い聞かせる。
駅前
夜風が冷たい。
駅前は静かだ。
平日の終電一本前。
人はまばら。
七海は改札を通る。
ICカードをタッチする。
残高は十分。
改札は通常通り開く。
だが、通過した瞬間、
電子音がわずかに遅れた。
半拍。
振り返る。
改札は普通だ。
誰も気づいていない。
ホーム
階段を上る。
いつも見慣れたホーム。
広告看板。
ベンチ。
自販機。
すべて同じ。
だが空気が違う。
密度が薄い。
七海は深呼吸する。
発車ベルが鳴る。
半音、低い。
耳ではなく、胸で分かる。
周囲の人々は無反応だ。
誰も違和感を抱いていない。
七海だけが、
わずかな“ずれ”を感じている。
表示板
七海は顔を上げる。
1
2
3
そして。
空白。
確かにある。
余白が、そこだけ濃い。
数字が書かれていないのに、
存在している。
ゼロ。
七海は一歩近づく。
スマートフォンが震える。
掲示板通知。
N
来たね
七海は書き込んでいない。
なのに投稿者名がNになっている。
手が震える。
ホームの端を見る。
点字ブロック。
本来は途切れている位置。
だが今は、続いている。
暗闇の向こうへ。
侵食開始
風が止まる。
完全な静寂。
電車の音も、人の気配も消える。
時間が凍る。
七海だけが動ける。
いや。
動けるのではない。
“動いている視点”が七海だけになる。
世界がスクリーンのように薄くなる。
表示板に、文字が浮かぶ。
N
その下に、
0
七海は理解する。
ゼロ番線は、
イニシャルの下に生成される。
観測者の足元に。
スマートフォンの画面が勝手に切り替わる。
録音アプリ。
波形が動いている。
だが周囲は無音だ。
波形を拡大。
そこに微かな声。
「戻ろうとしたんですね」
七海は振り返らない。
振り返れば、固定される。
そう直感する。
前に進めば、
物語の中へ入る。
戻れば、
物語が現実を飲み込む。
どちらも、外側ではない。
重なり
七海の視界に、
別の映像が重なる。
研究室。
模型。
真壁の背中。
同じホーム。
別の時間。
三つの視点が、同時に存在する。
M
N
R
表示板に三つの文字が並ぶ。
その下に、共通の数字。
0
七海の足が、点字ブロックの先へ触れる。
冷たい。
床ではない。
“空間の縁”だ。
落ちる感覚はない。
ただ、境界を越える手応え。
その瞬間。
スマートフォンに通知。
位置情報が更新されました
あなたの現在地は存在しません
七海は笑いそうになる。
恐怖の頂点で、
なぜか冷静になる。
これは構造だ。
恐怖ではない。
観測の連鎖。
ゼロ番線は、
観測者同士を接続する。
真壁。
掲示板のM。
そして自分。
七海は呟く。
「観測者です」
その瞬間、世界が再起動する。
風が戻る。
電車が入線する。
人々が動き出す。
表示板。
1
2
3
空白はない。
点字ブロックは途切れている。
七海はホームに立っている。
戻ったのか。
それとも、
固定されたのか。
スマートフォンを見る。
掲示板。
新しい投稿。
R
三人目
投稿時刻は今。




