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Day 9. 前に進んだとき



 目を開けると、すぐ目の前にルカの顔があった。

 まだ眠っている。


 ノアは、その穏やかな寝顔をしばらく眺めた。


 随分と寝てしまったらしい。

 

 薄く朝日が淡く差し込み、ルカの頬と横顔のラインをなぞっていく。

 長いまつ毛が光を受けて、うっすら赤く縁取られた。


 ふと、ルカのまぶたがぴくりと動く。


 深緑の瞳がゆっくり開く。

 一瞬だけ焦点をさまよわせて、ノアを捉えた瞬間、柔らかく弧を描いた。


 ノアの心臓が、どくん、と大きく跳ねる。


「……おはよ」

 

 掠れた低い声が、すぐ間近で響いた。


 ノアは慌てて視線をそらす。


「……おはよう」


 寝返りを打つみたいに起き上がりながら、短く返した。


「なんだ、もう起きちゃうのかよ」


 ルカはその場でぐっと伸びをする。


「せっかく、目覚めたら絶景だったのに」

 

 からかうように笑いながら言う。


 ノアは近くにあった枕を掴み、その顔めがけて投げつけた。


「ぶっ」


「……洗濯物、とってくる」


 まだうるさい心臓の音をごまかすように、ぶっきらぼうに言い捨てて、足早に部屋を出ていった。


 

――


 

 ノアはゾランの家の前に着くと、扉を軽く叩いた。


 少しして、ガチャ、とドアが外側に開く。

 

 ラフな格好のゾランが、寝起きそのままみたいな顔で立っていた。髪の毛がおり、あちこちに跳ねている。

 

「随分と早ぇな」

 

「寝てたか。朝早くから、悪い」

 

 ノアは、いつもと少し違う力の抜けた雰囲気に、思わず口元を緩める。


「洗濯物を取りに来たんだ」

 

「……あぁ。勝手に持ってけ」


 ゾランはぼうっとした顔のままそう言うと、くるりと背を向けて家の中に戻っていく。


 ノアは部屋の隅に積まれていた洗濯物を取り出した。


 ふかふかに乾いている。

 

「え、これ乾燥機付きか……」

 

 柔らかく乾いた生地を指先で確かめながら、ぽつりと呟く。

 

「これ、いいな」


 キッチンの方では、ゾランが壁に浮かぶホロ画面を操作していた。

 

「コーヒー、飲むか」

 

 そう言うが早いか、返事を待たずにスイッチを押す。


 カウンターからカップが二つ出てきて、香りの立つコーヒーが自動で注がれていった。


「あ、欲しい」

 

 ノアは洗濯物を畳む手を止め、キッチンへ歩み寄る。


 ゾランからカップを受け取り、一口啜る。懐かしい味に頬が緩んだ。

 

 ふと、湯気越しに棚の上のホロ写真が目に入る。


「これが、ニコ?」

 

「あぁ」


 ノアは写真に近づいて、じっと見つめる。


「……似てるようで、似てないんだな」

 

 ホロに映る男は、ゾランより少し年下に見え、目つきはやや鋭かった。


 ゾランは、ふっと口の端を上げる。


「その写真な。頼んでもねぇのに送ってきやがった。“寂しいだろ?“っつってよ」

 

 写真を見上げる目が、わずかに細くなる。


「……寂しいのか?」

 

 ノアがちらりと横目でゾランをうかがう。


 ゾランは肩をすくめるだけで、何も答えなかった。


 代わりに、ノアのほうへ視線を戻す。

 

「ちょっとは、吹っ切れたみてぇだな。相方は?」

 

「すっかり元気だ。問題なさそうなら、今日出発する」

 

「そうか」


 ゾランは短く頷く。


 ノアはカップを置き、洗濯物のところへ戻る。


「コーヒー、ごちそうさま」


 そう言って洗濯物を抱え、玄関へ向かった。


 扉が閉まる音を背に受けながら、ゾランはしばらくその場に立ち尽くし、棚の写真をじっと見つめていた。


 洗濯物を抱えてホールに戻ると、上から声が降ってきた。


「ノア」

 

 見上げると、ルカが二階の吹き抜けから身を乗り出していた。


「何やってんだ」

 

「こんなちゃんとした建物、あんま見ねぇからさ。ちょっと散策してた」

 

 言いながら、ルカは階段を軽快に降りてくる。


「てかさ、ノア」

 

 急に真面目な顔でまっすぐ見つめられて、ノアは思わず眉をひそめた。


「……なんだ」

 

「腹、減ったんだけど」

 

「……」


 肩の力が抜ける。


「これ置いてきたら、ヌードル作ってやる」

 

 半ば呆れたように言いながら、荷物を部屋に置きに行く。


 バックパックからヌードルの袋を取り出し、ホールへ戻ると、ルカはカウンターの椅子にきちんと座って待っていた。


 カウンターの中には簡単なキッチンがある。

 ここは地下製ではなさそうだった。


「水は……」


 地下の水道には必ずついているボタンが見当たらない。ノアが蛇口の前で立ち尽くしていると、ルカが椅子から身を乗り出し、蛇口をひねった。


 勢いよく水が噴き出す。


「そうか。直接出るのか」


 ノアは少し眉を上げ、鍋に水を張る。


 コンロの付け方が分からず、スイッチの前で固まっていると、ルカがカウンターの中へひょいと入ってくる。


「ほれ、貸してみ」


 逆にノアが椅子に座る羽目になった。


 機嫌良さそうに鼻歌まじりでヌードルを作っていくルカを、ノアは肘をついて眺める。湯気の立つスープの匂いが、ホールにふわりと広がった。


「それ、全部食っていい」


「やった」


 ルカは出来上がったヌードルを鍋ごと持ち上げ、そのまま啜り始める。


「座って食えよ……」

 

「うめぇ」

 

「わかったから」


 鍋を抱えたままのルカが、ノアの隣にどさりと腰を下ろす。


「食ったら、出発しようぜ」

 

「……ほんとに、大丈夫なのか」

 

「もう全然平気」


 そう言いながら肩を回してみせる。まだ少し痛そうな顔をした。


「あ」

 

 ノアはふと顔を上げる。舌打ちが思わず漏れた。


「バイクが、ないんだった」

 

「え、マジか! 壊れた?」


 さすがに鍋から顔を上げて、ルカがノアを見る。

 

 ノアは小さく首を振る。

 

「いや、盗られた。すまない」

 

「まー、街の反対側から出りゃウルフもあんまいねぇだろうし、歩いて行けんだろ」


 ルカは肩をすくめ、何も気にしていないように笑った。残りの麺とスープを勢いよくかき込む。


「うまかったぁ。ごっそさん!」


 鍋をカウンターに戻し、満足そうに背もたれにもたれた。頭の後ろで両手を組み、少し考えるように天井を見上げる。


「問題は、荷物だな。ちょっとこの街に置いてくか」


 ノアが頷いた、その時。


 ガチャ、とホールの扉が開いた。


 二人同時に入口を振り返る。テッサが立っていた。ホールにいる二人を見て、僅かに目を見開く。


「よぉ、テッサ。おはよ」


 ルカが手を上げる。


 テッサは軽く手を上げて返事すると、顎で外を指しながら二人を手招きした。


「ちょっと、外来て」


 二人は一瞬顔を見合わせ、そのまま立ち上がって後を追う。


 外へ出ると、フェンス脇の路地にルカのバイクが停まっていた。


 ノアは少し目を見開く。

 

「……これ」

 

「俺のじゃん!」

 

 ルカが嬉しそうに駆け寄り、バイクのハンドルや車体をぽんぽんと叩く。


「テッサが取り戻してくれたのか?」

 

「あ、いや……」


 テッサは視線を彷徨わせ、少しだけ俯いた。

 

「ルカにもらった、あの石と交換しちゃったけど」


「交換って……あの石、気に入ってたみたいなのに。悪ぃな」

 

 ルカが申し訳なさそうに眉を下げる。

 

 テッサは視線をそらし、ぶっきらぼうに首を振った。


「賑やかだな」

 

 後ろから、低い声がした。振り返ると、いつもの革のロングコートを着たゾランが、腕を組んで立っていた。


「ボス……」

 

 テッサは気まずそうに俯く。

 

「よくみつけたな、それ」

 

 言いながらゾランはその頭を、ぽん、と軽く叩いた。テッサは嬉しそうな、恥ずかしそうな顔をして俯く。

 

 ゾランはノアのほうへそのまま歩いてくると、懐から小さな封筒を取り出す。


「ノア。地下に戻ったら、これをニコに届けてくれないか」

 

「……地下に」

 

 封筒を受け取りながら、ノアは呆然とゾランを見上げた。

 

(戻ることなんて、考えたこともなかった)


「海で拾った貝殻とか、砂でもいい。なんか一緒に入れてやってくれ。ニコも、海が好きなんだ」

 

 ゾランは少し困ったように笑う。


 ノアは封筒を見て、しっかりと頷いた。

 

「ちゃんと、渡す」

 

「頼んだ」

 

 ゾランが柔らかく微笑む。


 それからルカに目を向けた。


「よぉ。体調は、もういいのか」

 

「あ、ああ。……なあノア、誰だっけ、あの人」

 

 ルカは小声でノアのほうに顔を寄せる。

 

「ゾランだ。お前を助けてくれた」

 

「マジか。ありがとな!」

 

 ルカはニカッと笑い、ゾランに手を差し出す。


「ルカ、だっけか。この先の道はわかってんのか」

 

 手を握り返しながら、ゾランが訊く。


「あー、なんとなく。地図はある」

 

「見せてみろ」

 

「部屋に置いてある」

 

 言いながらルカとゾランは並んでホールに入っていく。


 残されたノアとテッサは、一瞬、お互いどこを見ていいか分からない空気になった。


「テッサ」

 

「な、なんだよ」

 

「……バイク、ありがとう」


 ノアがきちんと頭を下げる。


「いや、こっちこそ。……悪かったな」


 テッサはそっけなく言うが、その声にはほんの少しだけ柔らかさが混じっていた。


 少し沈黙が落ちる。


「……あたしさ」

 

 テッサが、ぽつりと口を開いた。


「大事な幼馴染がいたんだ。二人でなら、どこでも行けると思ってた」


 ノアは黙って耳を傾ける。


「好きだったんだよ、多分。向こうも。いつか結婚して、ずっと一緒にいられるんだろうなーって、勝手に思ってた」


 テッサの目の縁に、じわりと涙が浮かぶ。それを乱暴に指の甲で拭い取り、視線を落とした。


「半年前、崖から落ちてさ。……あっけなく死んじまったよ」


 顔を歪めて笑おうとして、うまく笑えずにいる。

 ノアの眉も、ぎゅっと寄った。


「ずっと、ちゃんとレイに”好きだ”って言えばよかったって、後悔してる」


 テッサはそう言って、少し間を置いた。


「正直、最初はムカついたんだ。あんたは一人じゃない、ルカがいるじゃん、って」

 

 肩をすくめる。

 

「でも、もういいや」


 それから、ノアの肩をとん、と軽く押した。


「地上じゃさ、……いや、地下でもか。この世界は、大事な人がいついなくなるか分かんないんだ。……あんたも、ちゃんと気持ち伝えな」


「え?」


 ノアは意味がうまく飲み込めず、きょとんと首を傾げる。


 テッサはその顔に、思わず吹き出した。

 

「その調子じゃ、もう少し先か」


 小さく呟き、ノアのほうへ一歩近づく。

 

「ルカ、あれは天然タラシだからさ。……盗られないように、気をつけなよ」


 小声で耳打ちする。


 ノアは瞬きをしてから、ふっと笑った。

 

「ちょっと分かる気がする」


 テッサもつられて笑い、すっと一歩下がる。

 

「あたしも頑張るからさ。あんたも頑張って、海行っておいで」


 くるりと踵を返し、背中を向けたまま手を上げる。

 

「“またね”、ノア」


 そう言って、駆け出していった。


 ノアは、その背中をしばらく見送る。


 喪失を抱えながら、それでも前へ進もうとするテッサの足取りは、昨日よりほんの少しだけ軽くなっている気がした。


「……またな」


 小さく呟いて、ノアもホールの中へ戻っていった。


 

――


 

 ホールに戻ると、ルカとゾランが荷物を運び出していた。


「ノア。ゾランから道もバッチリ聞いたし、さっそく出発しようぜ」


 ノアは頷き、荷物を受け取って外のバイクに括り付けていく。


「テッサ、給電までしてくれてる」

 

 ルカがバイクに跨り、嬉しそうな声を上げた。

 

「この街のやつは、いいやつばっかだな」


 腕を組んで様子を見ていたゾランに、にかっと笑いかける。ゾランは困ったように肩をすくめた。


 荷物をまとめ終わると、ノアはゾランのところへ歩み寄り、手を差し出す。


「ありがとう。……全部、助かった」

 

 差し出された手を取って、ゾランもまた微笑む。


「気をつけて行ってこい」


 ノアは力強く頷いた。


「ニコに、ちゃんと届けるから」


 胸元の封筒に一瞬視線を落とし、そう告げてからバイクの後部に乗り込む。


 四日ぶりに跨るバイクは、やけに久しぶりに感じた。


 見送るゾランに手を振り、バイクがエンジン音を立てて滑り出す。ノアはゾランの姿が見えなくなるまで、ずっと片手を振り続けていた。


 街を、来たときとは反対方向へと進んでいく。遠ざかる建物の上空を、ドローンが静かに横切っていくのが見えた。

 

 ノアは目を細め、その小さな機体をしばらく追った。


 地下のものがたくさんあったこの街で、ノアの中には、地下での記憶が次々と蘇ってきた。


 自分の心は真夜中みたいに暗く、光が見えなくて立ち止まった。そのとき、夜明けの方角を指し示してくれたのが、ゾランだったのだと、今なら分かる。


 導かれるように夜明けへ向かって歩いた先には、やっぱりルカがいて。

 ウルフに襲われたり、テッサとやり合ったり、ノエルのことで何度も沈んだけれど。


(それでも、この街に来れてよかった)


 そう思えた。


 やがて街の境目――高いフェンスへとたどり着く。

 

 フェンス脇に立っていた男が、ノアたちを一瞥し、小さく頷いてから操作盤に手を伸ばした。


「この先も街なみが続くぞ。藻と瓦礫だらけで滑るから、気をつけて行けよ」


 ルカが片手を上げて応える。

 

 フェンスが音を立てて持ち上がり、バイクは再び走り出した。


「噂で聞くのとは大違いの、いい街だったなぁ」

 

 のんびりした明るい声が、前から風に乗って届く。

 

「そうだな」

 

 ノアは小さく笑った。


 男の言った通り、フェンスを抜けても、しばらくは街中のような景色が続いた。住宅街のような建物が続いたかと思えば、急に大きなビル群が現れる。


 道路も、倒壊した建物も、そのほとんどが深い緑に飲み込まれている。ところどころに立つ標識は蔦に絡まれ、根元から折れ曲がっていた。


「すごいな。地下の街が、そのまま緑に飲まれたみたいだ」

 

 ノアは目の前の光景を呆然と見渡す。


「あの街も含めて、この辺り一帯が、大きい都市だったんだよ。都市部の連中のほとんどは地下に行ったから、この辺はずっと、人が来ない手付かずの場所だ」


「ゾランの街は?」


「あの辺は昔、スラム街だったらしいからな。地下に入りたくても入れなかった奴らが、多く残ったんだろ」


「そうなのか……」


『元から人は多かった』

 

 ゾランの言葉が頭をよぎる。


 地下の施設で勉強していたとき、「地下に入れたのは、全人口のごく一部だ」と教わった。

 

 優先的に入れる者。入りたくても入れられなかった者。残された者。色んな人間がいたはずだ。


 なのに地下では、地上を”悪”として語る。


 それに比べて、ノアがこの旅で出会った地上の人たちは――

 優しくて、温かい人間ばかりだった。

 

(地上は、みんな助け合ってて良いところだな)


 そんなことを考えているうちに、ノアはふと気づく。


 海に着いたあとのこと。

 地下に戻って、ニコに手紙を届けて、その先は――?


(シャフトに戻ったら、ルカとは……)


 前方の背中を見つめる。いつもと同じ距離のはずなのに、さっきより少し遠く感じた。


 後ろの荷台を握っていた手を離し、思わずルカのブルゾンの裾を掴む。


「ん? 揺れるか?」


 ルカが少しだけ振り返る。片手をハンドルから離し、ノアの手を一瞬ぎゅっと握った。


 その温度に、ノアははっと息を呑む。


(……あ、これは)

 

 胸の奥で、何かが嫌な音を立てて軋む。


 ダメだ、とノアは思った。


 立ち止まっていた心が、この街で少しだけ前に出た。

 

 その拍子に、ずっと奥に押し込んでいたものまで、胸の奥からずるりと動き出した気がした。


「街抜けたら国道に出て、それ抜けたら山だな。街を迂回しなくて済むぶん早く行けるけど、まだ少しかかる」


 前から聞こえるルカの声で、ノアは我に返った。そっとルカのブルゾンから手を離し、「そうか」とだけ返す。


 緑の彫刻みたいに、ビルが続いていく。

 

 しばらく会話はなかった。ルカはいつも通り、景色を楽しんでいるのだと思う。


 だがノアは、ほとんど景色を見ていなかった。

 さっき、自分の中で輪郭を持ってしまったかもしれない感情に戸惑いながら、ただルカの背中ばかりを見つめていた。


「お、やっと街抜けるな」


 その言葉と同時に、ぷつりと建物が切れる。

 視界がひらけ、広い道に出た。気づけば辺りはもうオレンジ色に染まっている。


 道沿いに、ぽつりぽつりと低い建物が現れはじめた、そのときだった。


「あ……? 子ども?」

 

 ルカが前方を見たまま呟いた。バイクのスピードが落ちていく。


「え」


 ノアが肩越しに覗き込むと、前方の建物の影に、小さな影が座り込んでいた。


 ゆっくりとバイクを近づける。


「おーい、どうしたんだよ、こんなとこで」


 ルカがバイクに跨ったまま声をかける。だが、返事はない。


 ノアは心配になり、後部座席から降りた。

 

 そっと近づいてしゃがみ込むと、子どもがゆるく顔を上げる。十歳にも満たないくらいの少年だ。


「どうした」


 ノアが声をかけると、少年はノアを見てから、少し俯いた。


「……はぐれた」

 

「親と?」

 

「みんなと」


 ノアはちらりとルカを見る。ルカもバイクを止めて駆け寄ってきた。


「お前、どこから来た? どこに住んでる」


 問いかけても、少年は俯いたままだ。

 

 ルカは困ったように頭を掻く。


「お前の顔が怖いんじゃないか」


 ノアは少し笑って、バックパックを漁った。

 小さな袋を取り出し、その中から飴玉をひとつ取り出す。


「これ、食うか」


 少年が顔を上げ、ノアをじっと見る。

 

 ノアは先に自分の口にひとつ放り込んだ。


「甘くてうまいんだよ」

 

「俺も欲しい」


 横から、当然のようにルカが手を出してくる。仕方なく一粒渡した。


「あま! うま!」


 口の中で飴を転がしながら、ルカは目を輝かせる。ノアは完全に無視して、少年へ飴を差し出した。


 少年は二人を交互に見てから、そっと飴玉を取って口に入れる。


「うまいだろ?」

 

 ノアが聞くと、少年はこくりと頷いた。


「みんな、どこ行ったんだ?」

 

「……わかんない。移民だから、あちこち行ってキャンプするんだ」


「どうして逸れた」


「この廃墟に”なんかいいものないかな”って漁ってて……足滑らせて、上から落ちて、気失ってた。気づいたら、もうみんないなかった」


 ノアは上を見上げた。二メートルほど上に、崩れた足場がある。


「頭、見せてみろ」


 暗くてよく見えない。ルカがランタンを用意して照らすと、少年の頭には小さな切り傷があった。


「痛かったな」


 そう言いながら、ノアはバックパックから簡易医療キットを取り出し、傷を消毒する。


「ありがとう、お兄ちゃん」

 

 やっと、少年の顔に少し笑みが浮かんだ。


「名前は」

 

「フィン」

 

「フィンか。いい名前だな。俺はノア。こっちのうるさいのが、ルカ」

 

「うるさくねぇわ」

 

 ルカが不貞腐れる。

 

 フィンはくすっと笑った。


「お前のキャンプを探してやりてぇけどな……もう真っ暗だ」

 

 ルカが腕を組み、唸るように言う。

 

 フィンは不安そうに俯いた。


「フィン。今日は俺たちもここで過ごす。明るくなったら、一緒にみんなを探しに行こう」


 ノアがそっとフィンの頭を撫でる。


「……いいの?」

 

 ノアは頷いた。


「フィン、テント張るの手伝えるか?」


 ルカがそう言って、バイクから荷物を降ろす。フィンがノアをちらりと見上げる。


「ルカは優しいから、大丈夫だ」

 

 そう言うと、フィンは小さく頷いて立ち上がり、ルカのもとへ駆けていった。


 ノアは火を起こし、持ってきていた乾燥食材で簡単なスープを作る。


 やがて、背後で言い争う声が聞こえてきた。


「ペグの打ち方がちがうってば」

 

「寝れりゃいいだろ」

 

「移民にはなれないな、ルカは」

 

「うるせぇ!」


 ノアはそのやり取りに、ふっと笑みをこぼす。

 フィンを見ていると、懐かしい気持ちになった。

 

(ノエルが施設にいた頃くらいか)

 

 あんなに大人しくはなかったが。


 テントをたてた後、三人で、火を囲んで夕食をとる。


「みんな、心配してるんじゃないか」

 

 器を渡しながらノアが尋ねる。

 

「どうだろ。ウルフとかに襲われたかもって……諦めてるかも」

 

 フィンは、当たり前みたいな顔で言う。

 

「移民だから、仕方ないんだ」

 

 そう言って、少しだけうつむいた。

 

「でも、ナディアは心配してるかも」

 

「ナディア?」

 

「血は繋がってないけど、お姉ちゃんみたいな人。怒るとちょっと怖いんだ」

 

 そういうと照れくさそうに微笑んだ。

 

 ノアはぽん、と小さな肩を叩く。

 

「じゃあきっと、すごく心配してるな。大丈夫、明日にはきっと会える」

 

「ノアは優しいな。ルカはうるさいのに」

 

「うるさいのに、ってなんだよ、“のに”って!」

 

 ルカが口を尖らせて抗議する。

 

 その後も、ぽつぽつと移民の暮らしのことを聞いたり、ルカが自分の街の話をしたりした。


 やがて、フィンがこくんこくんと船を漕ぎ始める。


 ノアはフィンをテントの寝袋へそっと寝かせ、丁寧に布団を掛け直した。昔から染み付いた癖みたいな動作だった。


 物音を立てないようにテントから出ると、こちらの様子を窺っていたルカと目が合った。


「ノア、やっぱりお兄ちゃんだなぁ」

 

 少し不貞腐れたような、感心したような声で言う。


 ノアは肩をすくめ、その隣に並んだ。


「いいなぁ、フィン。俺のことももっと甘やかしていいよ?」

 

「なんでだよ」


 ノアは思わず笑う。

 ――と、フィンに会う前までのことを、不意に思い出した。


(忘れてたのに)


 途端に意識が、またルカへ向かう。

 それを誤魔化すみたいに、焚き火の炎をじっと見つめていると、ルカがふと手を差し出してきた。


「?」


 ノアは少し考え、ポケットからさっきの飴を取り出して、一粒そっとその上に乗せる。


「じゃなくて!」


 文句を言いつつも、ルカは飴をひょいっと口に放り込み、そのままノアの手をするりと握った。


 ニヤリと笑う。


「後半ずっとフィンに取られたからさ。充電」

 

「……え」


 ノアは固まる。


 ルカは「はは」と軽く笑い、手を離すと、そのままノアの頭をくしゃりと撫でた。


「そろそろ寝るか」


 そう言ってテントへ戻っていく。


 ノアはしばらく、その場から動けなかった。

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