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Day 8. 夜明け



 ルカはゆっくりと目を覚ました。

 

 視界に入ったのは、綺麗な木材で組まれた見知らぬ天井。

 

 ふと横を見る。


 見知らぬ女が、窓の外の真っ暗な景色を眺めていた。気配に気づいたのか、女がこちらを振り向く。


 少し驚いた顔をして、目を瞬かせた。


「お、起きたのかよ」

 

 テッサの声が、わずかに裏返る。


「あんたは……」

 

 ルカが目を細めてテッサを見る。テッサは気まずそうに視線をそらした。


「やっぱり。ウルフから助けてくれた子か。手当まで、ありがとな」


 ルカは、ふわりと柔らかく笑った。


 テッサの顔に、かすかに赤みがさす。

 

(こいつ……覚えてないのか)


「もう大丈夫なら、あたし行くから」


 そう言ってポケットに手を突っ込み、立ち上がると、チャリ、と音を立てて何かが床にこぼれ落ちた。


「あ」

 

 テッサが慌てて拾い上げる。この部屋に来たとき、床で見つけた小さな石のチャームトップだ。


「あ、それ」

 

 ルカがテッサの手元を見る。


「ああ、お前のか」

 

 テッサがルカに差し出そうとする。


「あげるよ。お礼」

 

 ルカが小さく笑って言った。


「え……いいの?」

 

 テッサの目がぱっと輝く。


「拾ったやつだから。似合いそうだし」

 

 さらりと言う。また、テッサの顔が一段と赤くなる。


 そんな様子には気づかないまま、ルカはきょろきょろと部屋を見回した。


「ノアは?」


 上体を起こそうとして、ふらりと揺れる。

 

「お、おい、無理すんなよ」

 

 テッサが慌てて支えた。

 

「ノア……は、今はいない」

 

 視線をそらしながら告げる。


「そうか」

 

 ルカは少し心配そうに眉を寄せ、ドアのほうをじっと見つめた。


「……ねぇ、なんであんたまで海に行こうとしてんの? やっぱりあんたたち、恋人なの?」

 

 テッサが少し不機嫌そうに、眉をひそめて訊く。ルカは、きょとんと目を丸くした。

 

「え、いや、そういうんじゃねえ……ってか」


 左手で後頭部をがしがし掻く。


「俺の片思いってやつだな」


 照れくさそうに笑ったあと、ルカは少し視線を落とす。


「まぁ、一緒にいたいから行くってのは、あるかもしんねぇけどさ。あいつ、弟亡くしてんだよ」


「聞いた」


 テッサがぶっきらぼうに告げる。


 ルカは小さく頷いた。

 アッシュ・ベアに襲われたとき、一瞬、全部を諦めたみたいに立ち止まったノアの姿が頭に浮かぶ。


「あいつの原動力は今、海に行くこと。それで前に進めるならさ、その手助けをしてやりてぇ」


 静かに言い切るルカを、テッサは眉を寄せてじっと見つめた。


 ルカは肩をすくめ、少し照れたように笑う。


「……って、かっこいいこと言いつつさ。あの顔だろ? 心の固まりが取れて、本気で笑ったら、絶対やべぇと思って。それが見たいってのは、正直ある」

 

 ニヤリと口角を上げる。


 テッサは思わず下唇を突き出した。

 

「……羨ましいよ。ノアが」

 

 小さく呟く。

 支えようとしてくれる誰かがいること。

 一緒に前を見てくれる誰かがいること。


 ――テッサには、もういない。


 自分は大事な人を亡くしてしまって、今はひとりぼっちで、ただもがいているだけだ。


 テッサは手の中のペンダントトップをちらりと見て、ぎゅっと握りしめた。


 窓の外では、暗い空の端が、かすかに白み始めていた。


 


 

 その頃、街の外れで。


「ほら。戻るぞ」

 

 ゾランが立ち上がりかけて、ふと振り返る。


 ノアは俯いたまま、動かなかった。


 また腰を下ろす。

 二人並んで、しばらく無言の時間が流れた。


「……ニコを失ったら、ゾランはどうする」


 不意に、ノアがぽつりと口を開く。


 ゾランは片眉を上げ、「あー、それな」と空を仰いだ。


「お前から弟の話を聞いて、ちょっと考えたんだ。もしニコが死んだら、俺はどうなるのかって」


 ノアへ視線を向ける。


「……全く何も考えられなかった。こればっかりは、なんの覚悟もできねぇ。だから」


 困ったように笑ってみせる。


「お前に”立ち直れ”なんて事は言えねぇ」


 ノアの瞳に夜明けの光が映り込み、少し揺れる。今にも泣き出しそうだ、とゾランは思った。


「ノエルを失ったのに、俺は地上に出て、笑ってたんだ」


 空を見たまま、ノアが呟く。


「ルカと会って、地上の景色は綺麗で。……ノエルのことを、少し忘れてた」


 絞り出すように続け、視線を落とした。


「俺が海に連れてってやる、とか言ったから、あいつは大会に出て……死んでしまったのに」

 

 ゾランは心の中で、ああ、これがノアの本音か、と呟く。


 弟を失った痛みそのものよりも、「そのあと自分が生きて、笑ってしまったこと」を責めている顔。罪悪感と喪失感が、ノアの足を止めている。


「……俺は、ニコを失うことは考えられねぇけど、逆は考えられる」

 

 ニコ。何よりも大切な愛しい弟。

 失うなんてことは考えられない。

 きっとノアにとって、ノエルもそうだったのだろう。

 

 そう考えるだけで、胸が締め付けられるようだった。

 

 でも。

 

「俺は、俺が死んでも、あいつが幸せならそれでいい。……お前も、そうじゃねえのか?」


 ノアがはっと目を見開く。

 

 ゾランはさらに言葉を重ねた。

 

「それとも、“ずっと自分のこと想って、立ち止まって塞ぎ込んでてほしい”か?」


 


 

 ノアは拳をぐっと握った。

 

 ノエルが、そんなことを望むはずがない。悲しみの中で止まっているのは、自分自身だ。自分で自分を許せないだけだ。

 

 前を向かない理由を、ノエルのせいにして。

 

(ダメな兄だ、俺は)

 

 ため息が溢れた。


 ポケットに手を入れ、革袋を握る。ここに、一緒にいる。それを確かめた。


 その様子を見て、ゾランが立ち上がる。

 ノアの肩に、ぽん、と手を置いた。


「ほら。もう戻るぞ」

 

 ノアは小さく頷き、立ち上がった。


 夜明けを迎えた街は、ひどく静かで、美しかった。

 

 地平線の向こうからせり上がってくる光が、白く薄く街を塗り替えていく。

 崩れかけた建物の輪郭がひとつずつ浮かび上がり、そこから長い影が伸びて、ひび割れた路面にくっきりとしたコントラストを描いていた。


 ノアは、やっとその光景を真正面から見渡し、わずかに息を呑む。


 地下のように、スイッチひとつでぱっと灯る人工の光ではない。時間とともにゆっくり顔を出し、世界を少しずつ照らしていく陽の光。

 

 その光に合わせるように、遠くの通りで人が動きはじめる。


 店のシャッターがきしみを上げ、荷台を押す音が聞こえ、街そのものがゆっくりと目を覚ましていく。

 

 太陽の営みが、当たり前のように人を前に進ませていた。


 ノアは歩きながら大きく息を吸い、ゆっくり吐き出す。


 その呼吸に合わせるみたいに、自分の中でも、何かが動き出す感じがした。

 

 夜明けの光が、自分の心にも届いたかのように。

 

 まだ胸の奥は重いままだ。

 それでもさっきよりは、わずかに前を向けるような気がした。


 

――

 


「ひとつ、言い忘れてた」

 

 ホールへ戻ると、ゾランはそう言ってノアの方を振り向く。

 

「テッサな。あいつは半年前に、幼馴染を亡くしてる」


 ノアは僅かに顔を顰める。

 

「お前に突っかかるのは、自分を重ねてるからだろう」

 

 苦く笑い、踵を返す。


「じゃあな。俺は寝る」

 

「ゾラン」


 その背中に声をかける。


「ありがとう」


 ゾランは振り返らずに片手を上げて答えると、そのまま自分の家へ戻っていった。


 ノアは息を吐き、奥の扉を見る。

 

 テッサ、ルカ。

 この世界では、喪失を抱えた人が多い。

 でもみんな、立ち止まってはいない。

 

(俺も、前を向いて、歩いてもいいのだろうか)

 

 そう思いかけては、まだ少し胸の奥に残るもやの存在を感じた。


 

 ゆっくりと扉を開けると、テッサとルカが談笑していた。ノアの姿に気づいたルカが、ぱっと顔を上げる。

 

「ノア。おかえり」

 

「起きてたのか」

 

「ああ。だいぶ良くなって逆に寝れねぇからさ。テッサとちょっと話してた」


 テッサはノアを見ると、気まずそうに視線をそらす。

 

「……じゃ、あたしはもう行くから」

 

 そう言って立ち上がり、足早に部屋を出ようとして、ふと、足を止めた。


 ノアのほうを振り返る。


「……ごめん。あんたに当たった」

 

 俯きがちに告げる。


 ノアは、ほんの少しだけ間を置いてから、首を横に振った。

 

「いい。気にしてない」

 

 嘘だ、と自分で分かっていても、そう答える。


 テッサは一瞬だけ迷うように目を伏せ、やがて小さく頷いて部屋を出ていった。


「どうした? テッサとなんか、あったのか?」

 

 ベッドの上から、ルカが声をかける。


「なんでもない」


 ノアは口元だけで笑ってみせた。その笑顔に、ルカがわずかに眉を寄せる。

 

「ちょっと疲れてるか?」

 

 自分の横をぽん、と叩いた。

 

「一緒に寝る?」


 ノアは無視して部屋の椅子に腰を下ろす。

 

「出た、完全無視」

 

 ルカが吹き出す。ノアもつられて、小さく笑った。


「肩は、どうだ」


 問われて、ルカは軽く肩を回してみせる。少しだけ、痛そうに顔をしかめた。


「動かすとまだちょっといてぇけど……体調はもうすっかりいい」

 

「……そうか。良かった」

 

 ノアはほっと息を吐く。


 ルカが体をノアのほうへ向ける。


「テッサから聞いた。お前が、ずっとつきっきりで看病してくれてたって」


 左手が伸びてきて、ノアの頬にそっと触れた。


「ありがとうな」

 

 そう言って、柔らかく笑う。

 

「もう少ししたら動けるから。一緒に行くぞ、海」


 ノアは眉をぎゅっと寄せる。胸の奥から、何かがせり上がってくるような感覚。頬に触れるルカの手を、上から包むように握りしめ、視線を落とした。


 ルカといると、前を向いている気持ちになる。

 ずっと、バイクで進んでいるからだと思っていた。

 

(……でも、違うのかもしれない)

 

 ルカの手の温もりが、ひどく心地よかった。


(ノエル。お前もちゃんと連れていくから)

 

(俺が少し前を向くことを、許してくれるか)

 

 答えは返ってこない。

 

 けれど、不思議と胸の奥のもやが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。


 ルカはその様子を、ただ静かに見守っていた。


 

 やがて、ルカは親指でそっとノアの輪郭をなぞり、手を離した。


「ノエルは、なんで海に行きたがってたんだ?」

 

「……ウェーブボードって、知ってるか?」

 

「うぇーぶぼーど?」


 ルカが首を傾げる。


「地下には人工プールがあって、擬似的に波が出るんだ。人と同じくらいの長さの板を使って、その波に乗るっていうスポーツ」


「あぁ、サーフィンのことか」

 

 ルカがぽん、と顔を上げる。


「それに似てるって、ノエルも言ってた」

 

「昔から有名なスポーツだったってのは、本かなんかで見たな」

 

「ノエルは、そのウェーブボードの選手だったんだ。……でも、地下の小さいプールじゃ満足できなくて、毎日のように海に行きてぇって騒いでた」


 ノアが、少しだけ笑う。


「それでか。……海は果てなく続いてるらしいから、満足いくまでボードに乗れるだろうな」

 

「ああ。そうだな」

 

「ノエルは、どんな弟だったんだよ」


 ルカが枕に背を預けながら訊く。ノアは少し考えてから、小さく笑った。


「ちょっとだけ、ルカに似てる」

 

「まじか」

 

「うるさいところとか」

 

「え」

 

 ルカが片眉を上げる。ノアは思わず吹き出した。二人で顔を見合わせて笑う。


 ノエルに想いを馳せる。思い出が滲むように、言葉が零れ出した。


「親を早くに亡くしたっていったろ? 物心つく前にはもういなくて」

 

「そうだったのか」

 

「施設でしばらく育ったんだ。あんまり環境が良くない施設だった。ノエルは毎日のように泣いてて、それが嫌で……猛勉強したんだ」

 

「え、勉強?」

 

 なぜ、とルカは首を傾げる。

 

「地下では、一定水準以上のジュニアスクールに受かると、中枢から”将来的に働く気がある”って認定されて、親がいなくても家がもらえる。それで施設を出れた」

 

「……なんか、随分とシステマチックだな」

 

 怪訝な色を見せるルカの声色に、ふ、と笑う。

 

「地下は地下で大変なんだ」

 

「それで、二人暮らししてたのか」

 

「そう。その時まだノエルは幼かったから、三つしか違わないけど俺が親代わりみたいなもんだった。甘やかしたから、兄貴兄貴ってずっとついて回って、うるさかった」

 

「……それが俺に似てると?」

 

 ルカが神妙な顔をする。ノアはその様子に、またくつりと笑う。

 

「ルカと同じで、明るくて優しい、誰からも愛されるやつだ」


ノエルの人懐っこい笑顔が脳裏を掠め、ノアは目を細めた。

 

「いい弟だったんだな。俺に似てるなんて」

 

「ああ。いい弟だった」

 

 ふっと、ルカの顔が柔らかくなる。

 

「連れてってやろうな。ノエル」


 ノアは静かに目を伏せ、頷いた。

 

「……ありがとう、ルカ」

 

 呟いて、微笑む。


 ルカが瞬きをする。じわりと耳が赤くなり、誤魔化すように咳払いをした。

 

「もっとなんか聞かせろよ、二人の話」


 その後もしばらく、ルカに昔の思い出話をした。日常のこと、ウェーブボードのこと、大会のこと。記憶を辿りながら、ぽつりぽつりと。

 

 まるでノエルの存在を、ルカと共有するみたいに。

 

 ルカは時折り相槌を打ちながら、受け止めるように静かに聞いていた。

 

 随分と話し込んだ頃、ルカは枕に身を預け、少しうとうとし始めた。

 

「話しすぎたな。もう少し休んどけよ、ルカ」

 

「あぁ。話してくれて、ありがとな。明日には動けるようになってるから……」


 ルカはそう言って、少しだけ安心したように目を閉じた。


(こっちこそ、ありがとう。聞いてくれて)

 

 ルカに話したことで、ノエルを失った悲しみが消えるわけじゃない。

 でも、その存在をルカが知ってくれている、そう考えるだけで、少し胸が軽くなるような気がした。

 

 ノアはその寝顔を確認してから、静かに立ち上がる。

 窓辺まで歩いていき、カーテンの隙間から外を覗いた。


 さっきまで高く登ってた日が、また傾きかけている。


 通りを行き交う人々の声。

 荷車を押す音。

 どこかで、子どもの笑い声が聞こえる。


 地下にはない光景。

 地下にはない音。


(ノエル。地上の景色、お前にも見えてるのか)

 

 ポケットの中の革袋に、そっと指先を触れた。


 

 ――『地上ってさ、ガスマスクしてりゃ住めんのかな』


 ノエルの声が、ふいに蘇る。


 家で、二人で飯を食っていたときのことだ。


『ずっとガスマスクはきついだろ』

 

 ノアは呆れたように笑う。

 

『たしかに。家の中ではセーフとかねぇのかな。てか、上はどんな景色なんだろうな』

 

『どうだろうな。ま、ホロ・ムービーで見るような綺麗な景色なんかは期待しないほうがいい気がするけどな』


 ノアが肩をすくめてそう言うと、ノエルは不貞腐れた。


『夢がねぇな、兄貴は!』


 そう言って、ノアの皿から肉を掠め取る。


『あ、おい』


 ノアはお返しに、ノエルの好きな煮物をひょいと奪った。


『あ!!』


 ノエルがガーン、という顔をする。ノアは吹き出して、煮物を返した。


 ノエルはそんなノアを見て、少し眉を下げる。


『……絶対、一緒に行くんだからな。海。……俺一人じゃ、つまんねぇし』

 

 ぶっきらぼうに言う声が、やけに耳に残っている。


『お前一人で行かせたら、迷子になって一日持たなそうだからな』

 

 ノアがそう返すと、ノエルは不満そうに下唇を突き出した。


 回想が、ふっと途切れる。


 いつもの、くだらないやり取りのひとつ。それが、とてつもなく懐かしく感じられた。


『一緒に行こうな、海』

 

 さっきのルカの言葉が頭を掠める。


 後ろを振り返った。


 ルカは、ぐっすりと眠っている。その寝顔を見て、ノアは小さく笑った。

 

 静かに椅子に腰を下ろすと、ルカの手が伸びてくる。


「……こっち来いよ」

 

 寝ぼけた声。

 

「椅子じゃ、身体壊す」

 

 薄く目を開けてながら、ノアの腕を引っ張る。


「……おい」

 

 抵抗する間もなく、ベッドの端に引きずり込まれた。


「ルカ」


 返事はない。ルカはもう、すうすうと寝息を立てている。


 ノアは小さくため息をついた。


 仕方なく、そのまま目を閉じる。


 隣から伝わる温もりが、やけに心地よかった。

 

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