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Day 6. フェンスに囲まれた街



 ノアは、久しぶりに夢を見た。


 兄弟二人でウェーブボードをしに、人工プールへ行った日のこと。


 ボード界ではすっかり有名人になっていたノエルは、波に乗るだけで周りから歓声を浴びていた。大型の波が立つゾーンで、難易度の高い技を次々と決めてみせる。


 ノアは波打ち際で、それを見守っていた。


『兄貴もやればいいのに』


 水を飲みに戻ってきたノエルが、ノアにボードを押しつける。


『あんな波、乗れねぇよ』

 

『乗れるくせに』

 

『お前を見てるだけで楽しいよ』


 ノアが肩をすくめると、ノエルは不満そうに下唇を突き出した。


『しかし、せめぇな』


 ぶつぶつと文句をこぼす。


『ここら辺だと一番でかいプールだぞ。文句言うなよ』

 

 ノアは呆れて笑う。


『もっと自由にさ。ずっと波に乗ってみてぇなぁ。波のトンネルを抜けるみたいにさ。境界線なんかない場所で』


 ノエルは遠くを見るみたいに視線を上げて、呟いた。


『……また海のこと言ってんだろ』

 

『バレた?』


 ノエルは天井を見上げる。人工プールをドーム状に囲う、ホロの天井。それのすぐ上にある、人工ライトだらけの白い天井。


 少しだけ眉を寄せる。


『どこからみても天井のある世界でさ。せめぇよな。プールもすぐに端っこが来て終わり、ってのが、なんか嫌なんだよ』


 ノエルから毎日のように聴く言葉。


『波を乗りこなせる男は、小さい世界じゃ満足がいかないってか』


 ノアは小さく息を吐き、声を潜める。

 

『……ユーリに聞いてるところだ。地上への行き方』


 その言葉に、ノエルの目が見開かれる。


『マジ? 優勝、まだしてねぇけど』

 

『するさ。俺の弟だ』

 

『……兄貴と一緒じゃなきゃ、意味ねぇからな』


 ぼそっと呟いて、照れたように目を逸らす。


 子供みたいな顔に少し笑い、手を差し出す。

 

『わかってる。一緒にいこうな』


 ノエルは照れたようにはにかんで、パン、とノアの手を叩いた。


『よっしゃ、練習してきますか!』


 そう言って、またプールへ駆け出していく。ノアはその背中を、微笑みながら見守った。


 ――夢が途切れる。



 ノアは、ゆっくりと目を開ける。


 ノエルが叩いたはずの手は、ルカの手の上に重なっていた。


 はっとして上体を起こし、ルカを見る。


 呼吸は落ち着いているが、少し苦しそうな寝顔。

 額にそっと手を当てる。熱い。


 いつの間にか、部屋の隅には水の入った桶とタオルが置かれていた。ゾランが置いてくれたのかもしれない。


 ノアはタオルを濡らして固く絞り、ルカの額にそっと乗せる。


 じっと、ルカの顔を見つめた。


 夢の中のノエルと、目の前のルカが、どうしても重なって見える。


 苦しそうだ。ルカが。ノエルが。


(全然、違うのに)


 ルカの規則的な呼吸をもう一度確かめてから、ノアは耐えきれなくなって立ち上がった。


 ドアノブに触れる手に、一瞬だけ迷いが走る。


 それでもノアは、そのまま部屋を出た。


 昨晩、人の気配でざわついていた場所は、嘘みたいに静かだった。


 ホールには誰もいない。


 カウンターには、飲みかけのグラスがいくつも置きっぱなしになっている。


 ノアは足を止め、周囲を見回した。


 天井は高く、古いシャンデリアの名残りがぶら下がっている。ところどころにソファやテーブルが置かれ、二階部分は吹き抜けになっていた。二階の通路には、カーテンで仕切られた小さな個室が並んでいる。


 そのままホールを抜けて外へ出る。


 今日も、空はよく晴れていた。


 昼の街は、夜とはまるで別物に見えた。メイン通りらしき通りには、廃屋はほとんどなく、店の看板が並んでいる。


 ノアは通りを歩きながら、店先を一つずつ覗き込んだ。


 食品、衣服、生活雑貨。


(見覚えがある)


 違和感に首をかしげながらも、歩みを止めずに進む。


 すると、ぶぃーん、と聞き慣れた音が上から降ってきた。


 はっとして顔を上げる。

 ドローンが、空をゆっくり横切っていく。


 ノアは足を止める。偵察用の小型ドローン。翼の付け根に見慣れた製造番号。


(間違いない。地下の……軍のドローンだ)

 

 自分が何度も整備した機体と、同じ型。


 ノアは振り返って、さっき通り過ぎた店を見た。棚に並んだ食品パック。パッケージのデザイン。衣類に縫いつけられた、小さなタグ。


(どれも、地下のものだ)


 ――『本気で行くのか』


 ユーリの声が頭の中で蘇る。


『地上は毒が蔓延している。これを持っていくといい』

 

 そう言って、彼はガスマスクを渡してきた。


 真面目すぎる軍人の友人。普段なら絶対見せないであろう、一部の部隊しか持っていない地図を広げてみせる。


『地上に続くシャフトは、ここにある』

 

 通常の地図には載っていない一点を、無骨な指が示した。


『気をつけて行けよ、ノア』

 

 いつになく硬い表情で、そう送り出してくれた。


(あいつは、地上は「毒に支配された死んだ世界」みたいに言ってたけど)


 実際に出てきた地上は、確かに過酷で危険だけれど、こうして地下の物資が流れ込み、人が行き来している街もある。

 

(なんで地下のものが地上の街に……)

 

 ノアは考え込む。


 ピーッ、と甲高い音が空気を切り裂いた。


 口笛だ。

 昨日の女かと、反射的に音のした方へ顔を向ける。


 数人の男が、通りの影からこっちを見てニヤニヤしていた。


「見ねぇ顔だな」

 

「ずいぶんと綺麗なツラと身なりじゃねぇか」

 

「そのジャケット、寄越せよ」


 ノアは小さくため息をつき、踵を返す。


「おい、無視かよ」

 

「お相手してくれよ〜、別嬪さん」


 笑いながら距離を詰めてくる。


 外見のせいなのか、地下にいたときも、こうやって絡まれることは何度もあった。もう慣れている。


 昔から、ノアが無視を決め込み、代わりにノエルが腹を立てて殴りかかる。結局最後はいつも乱闘になる――そんなパターンだった。


(……余計なこと思い出させやがって)


 今日は、やけに昔のことばかり浮かんでくる。胸の奥で、じわじわと苛立ちが沸いた。


 ノアは立ち止まった。


 拳を、ぐっと握り込む。

 地下で一般人に手を出せばクビになる。

 

(だがここは、地上だ)


「お、相手してくれんのか?」

 

 男の一人が、勝ち誇ったように笑い、肩に手を置いてきた。


 殴ろうと腕に力を込めた瞬間――


「おい」


 低い声が、背中越しに響いた。その声に、ノアの手が止まる。男たちのほうが先に、焦ったような声を上げた。


「あ、ゾランさん」

 

「ボス!お疲れ様です!」


 ゾランは男たちをちらりと一瞥し、それから顎でノアをさす。


「そいつ、俺の客だぜ」


 一言で、空気が変わった。男たちの顔から血の気が引いていく。


「さ、さーせん!!」

 

「知らなくて……!」


 慌てた様子で下がっていく。


 ノアはゾランを振り返った。


 ゾランは短く息を吐くと、あごで「こっちだ」と合図した。着いてこい、と言われているのだと理解し、ノアは黙ってその背中を追った。


 歩きながらゾランがノアを振り返る。


「随分と血の気が多いじゃねぇか」

 

「絡んできたのはあっちだ」

 

 不貞腐れたように呟く。


「悪いな。ここはまだそういう街なんだ」

 ゾランは肩をすくめる。


 メインストリートから少し外れた脇道へ入ると、小さな家が並ぶ住居エリアだった。


 メイン通りほど補修はされておらず、壁に穴の開いた家屋がいくつも並んでいる。それを隠すように、色あせた布が外側からかけられていた。


「どこへ行くんだ」

 

 ゾランの一歩が大きく、ノアは少し早歩きになる。


 ルカといいゾランといい、地上にいるやつは背が高い。自分だって低い方ではないのに。そんなことをチラリと思った。


「すぐそこだ」


 ゾランが向かった先は、一際小さな家だった。

 入口には赤い布が垂れ下がり、屋根はあり合わせの板材で雑に補修されている。


 「テッサ。俺だ」


 ゾランが布越しに声をかける。


「え!? ボス?」


 中から女が顔を出した。長めの茶髪を後ろでまとめ、バンダナのような布を巻いている。


 昨日、ノアたちに銃を向けた女――テッサだ。


「……! こいつは」


 テッサはノアの顔を見るなり、びくりと肩を揺らした。


「昨日持ってったもん、返してやれ」


 ゾランが言うと、テッサは露骨に眉をひそめる。ため息をつき、赤い布の奥へ引っ込んだ。


 次の瞬間、家の中から、どさどさと荷物が外へ放り出される。


「こんなに持ってったのかよ」

 

 ゾランが呆れたように天を仰ぐ。


 最後に、ルカがバイクの後ろにくくりつけていた大きな荷物が投げ出されたところで、再びテッサが顔を出した。


「バイクはもう交換しちまったよ」


 それだけ言い捨て、赤い布をバサリと閉める。

 ゾランは深くため息をついた。

 

「まったく……困ったやつだ」

 

 そう言いながら、投げ出された荷物をひょいと持ち上げる。


 ノアは放り出された自分のバックパックを漁った。ポーチを取り出し、中身を確かめる。


 革袋の感触を指先で確かめて、ようやく大きく息を吐いた。


「……それが、弟か」


 ゾランが静かに尋ねる。


 ノアは小さく頷いた。


 バックパックを背負い直し、ゾランが持ちきれないぶんのルカの荷物も肩にかける。


「荷物置きに戻るぞ」


 ゾランはまた大股で歩き出した。


「この街は、なんでこんなに人がいるんだ?」


 ノアが問うと、ゾランは前を向いたまま答える。


「さぁな。元から人は多かった。昔は治安も最悪でな。なんとか仕事を回したりして、最近は落ち着いてきたんだが」


 そう言って、歩きながら街を見回す。


「この街は若者が多い。しかも、テッサや、さっきの連中みたいに気の荒いタイプばかりだ。だがみんな、話せば分かるやつらだ。あまり気を悪くしないでくれ」


 ノアはゾランを見上げる。街を見渡すその瞳は穏やかだった。


 ノアは上空のドローンを見上げる。


「……なぜ、地下のものがこんなにある」


 ゾランがノアを見る。片眉を上げ、口元だけで笑った。

 

「気づいたか。本当に地下からきたんだな」

 

 肩をわずかに上げる。

 

「まあ、色々あってな」

 

 それ以上は語らない。


「それより。お前は地下からどうやってここまで来た?」

 

「……シャフトを登った」

 

「シャフト? そんなもんがあんのか」

 

「あぁ。……結構きつかった」

 

 登ったときの辛さを思い出し、ノアはげんなりした顔になる。


「地下は深いからな」

 

 ゾランはふっと小さく笑った。



 ホールに戻る。

 ルカのいる部屋の前で、二人は荷物を下ろした。


「お前の連れ、治るまでにはまだ時間がかかるだろう。その部屋は好きに使っていい。ま、ゆっくりしてけ」


 ゾランはそう言い残し、ふらりとホールを去っていく。

 その背中を見送る。

 

(不思議なやつだ)

 

(まるで地下を知ってるかのような口ぶりだったな)

 


 ゾランの姿が見えなくなると、ドアに向き合う。

 少し躊躇い、結局誰もいないホールに戻った。カウンターの椅子に腰掛ける。



 ――『お悔やみ申し上げます』

 そう無機質な声で告げるドローンを思い出す。


 土地が限られている狭い地下では、人が亡くなると病院から火葬場へとロボットによって運ばれる。

 

 人は付き添えない。


 骨も残らない温度で焼かれたあと、ドローンが遺灰を遺族のもとへ運ぶ。

 

 それが本当にノエルのものかどうかも分からない、そんな遺灰を。


 受け取るときでさえ、何の実感もわかなかった。軍事演習で知り合った友人のユーリがその時そばにいて、二人して呆然とドローンを見送った。


 沈黙が続くなか、ふいにユーリが口を開く。

 

『お前たちが前から言っていた、地上に出る方法が分かったんだ』


 ノアは、その静かな声を聞きながら、遺灰の入った革袋を握りしめる。


 結局、連れていってやれなかった場所。

 革袋を見つめる。


 『……どうやったら、いける?』

 

 思わず呟くと、隣から小さく息を吐く音が聞こえた。


 ――回想が途切れる。



(地下のものが多いからか、さっきから昔のこと思い出してばかりだ)

 

 ノアはため息をつく。


 立ち上がり、ドアの前に無造作に置かれた荷物を抱えた。

 ノアはドアノブに手をかける。

 少しだけ手を止め深呼吸してから、そっと扉を開けた。


 ルカは、まだ眠っていた。

 さっきより少し、穏やかな寝顔。


 荷物を中に運び入れると、ノアはルカの額のタオルを取り替えた。


 熱が下がったか確かめようと首元に触れると、ルカの手がふいに追いかけてきて、そのままノアの手を掴んだ。


「ノア……」

 

 掠れた声で、名前を呼ばれる。


 はっとして顔を上げるが、ルカの目はまだ閉じたままだった。


 やがて、ルカの手からゆっくりと力が抜け、シーツの上にストンと落ちる。


 ノアは、顔に熱が集まるのを感じた。

 

「……寝言かよ」

 

 眉をひそめながら、ルカの寝顔を見つめる。


 その顔に、今はもう、ノエルは見えなかった。


 ノアは椅子に腰を下ろし、そのまま背もたれに身体を預けた。ここ数日の疲れがどっと押し寄せてきて、そのまま目を閉じた。




 ――いつの間にか、意識が落ちていたらしい。


 苦しそうな息づかいが聞こえて、はっと目が覚めた。


 部屋はすっかり暗くなっている。

 窓の隙間から、街のネオンがぼんやりと差し込んでいた。


「……ルカ?」


 ノアはベッドのほうへ身を乗り出す。

 ルカが眉を寄せ、うなされていた。


 慌てて首元に手を当てる。

 さっきより、明らかに熱い。


 傷口を見ると、包帯の下からうっすら赤黒い染みが滲んでいた。

 ウルフの噛み跡。

 

『放っておくと危ねぇ』

 

 ゾランの言葉が、頭の中で鮮明に蘇る。


「……くそ」


 迷っている暇はなかった。ノアは部屋を飛び出し、暗い廊下を駆け抜ける。

 

 ホールは人で賑わっていた。


「ゾラン!」


 ソファで横になっていたゾランが片目を開けた。


「どうした」

 

「ルカの熱が、かなり上がってる。傷も、なんかおかしい」


 息を切らしながら言うと、ゾランはすぐに身を起こす。


「医者を呼ぶ。お前は氷を持ってこい。階段下の冷蔵庫に入ってる」

 

 そう言って、手早く無線機を手に取る。


 ノアは階段へと走り出した。


 しばらくして、白衣の男が再び部屋に現れた。


「毒素で炎症が広がっているな……炎症を抑える薬を打とう」


 落ち着いた声でそう告げると、迷いのない手つきで薬の準備を始める。


 注射器の中に薬液が吸い上がっていくのを、ノアは固唾を飲んで見つめた。


「……助かるのか」

 

 自分でも驚くほど、声が震えた。白衣の男はちらりとノアを一瞥し、言葉を選ぶように口を開く。

 

「このまま高熱が続けば、臓器にも負担がかかるが……薬がうまく効いて、熱さえ下がれば大丈夫だろう」


 処置を終えると男は立ち上がる。

 

「あとは体力勝負だ。なるべく冷やしてやれ」


 ノアは唇を噛み、頷く。


 薬を打ち終えたあとも、ルカの熱はしばらく下がらなかった。


 ノアは濡れタオルを替え続ける。ぬるくなるたびに水に浸し、固く絞って額に乗せる。それを、ひたすら繰り返した。


 どれくらい時間が経っただろう。


 ルカの呼吸が少しだけ楽そうなリズムに変わっている。


 額にそっと触れる。

 さっきより、ほんのわずかだが、熱が下がっていた。


「……よかった」

 

 誰にともなく呟いて、ノアは椅子に座り込んだ。


 一人でも、きっと海にはいける。


『俺もさ、海、みたくなっちゃって』

 

 そう言って笑うルカを思い返す。


 一人では行きたくない、ルカと共に行きたい。そう思った。


 気づけば、窓から差し込む淡い朝の光が、静かに部屋を照らし始めていた。

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