Epilogue. Day 50-
今日はどんよりとした曇天だった。
草はところどころ茶色くなりはじめ、世界から少しずつ色が抜けていく季節が近いことを告げていた。
地下製の機能的な防寒コートに身を包んでいても、バイクで受ける風は容赦なく体温を奪っていく。
バイクは高架のスロープを下り、広い道へ出る。
その正面に、あのフェンスが広がっていた。
「着いたな」
ルカが、軽く息を吐きながら呟く。
「こんな感じだったっけか」
「ルカは半分意識飛んでたからな」
ノアが肩をすくめると、ルカは首を傾げながらハンドルを左に切った。フェンスと並行するように、ゆっくりとバイクを走らせる。
ピーッ、と口笛の甲高い音が響いた。
顔を上げると、バンダナを巻いた女がフェンスの上に立ち、こちらに大きく手を振っている。
「お」
ノアもルカも、自然と笑みを浮かべた。
近づくと、フェンスがガチャンと音を立てて持ち上がり、バイク一台分の通り道ができる。
「また会ったな!」
女――テッサが、満面の笑みで出迎えてくれた。
「テッサ、元気にしてたか?」
ルカが手を上げると、テッサは駆け寄ってくる。ノアの顔を見て、ふんわりと目尻を下げた。
「ノアも。無事、海に行けたって、ニコから聞いたよ。二人とも、また顔が見られて嬉しい」
「俺も嬉しいよ、テッサ。元気そうだな」
ノアが答えると、テッサはこくりと頷いた。
「まさか、もう銃は突きつけねぇよな?」
ルカがニヤリと笑ってからかうと、テッサはルカの肩を軽くはたく。
「それはもう忘れろって! ていうか、あんたはあん時忘れてたでしょ!」
三人で笑い合う。
「ゾランは?」
ノアが尋ねると、テッサは街の奥を指差した。
「ボスたちなら、いつもの場所だよ。……あ、そうだ」
ぽん、と手を打つ。少し悪戯っぽい笑顔になる。
「私の”新しい友達”がさ、あんたたちに会いたがってるんだ。きっと中央で、またニコが何かやってるだろうから、ついでに顔、出してやってよ」
「テッサの友達?」
ノアが首を傾げる。
「まぁ、行ってみな。私も持ち場が終わったら合流するから」
テッサはぽん、とノアの背中を叩き、二人を街の中へ送り出した。
「またあとでな」
手を振って別れ、ノアたちはフェンス沿いの道から街の中心部へ向かう。
「ニコがなんかやってるって言ってたな」
ノアは小さく息を吐いた。若干、嫌な予感しかしない。
「はは、なんか面白そうだな」
ルカは相変わらずお気楽に笑う。
クラブホールの前に差し掛かると、入口のあたりに人だかりができていた。ざわざわと賑やかな声が響く。
「なんだ?」
二人はバイクを路肩に寄せ、人垣の方へと歩いていった。
「ニコ特製ロボットアームに勝てたら……なんと! 地下製のこの防寒着をプレゼントだぁ!」
聞き覚えのありすぎる声が、ホール前に響き渡る。
人混みをかき分けて中心に出ると、腕を組んで仁王立ちしているニコの横に、腕だけがついたロボットと丸い台座が置かれていた。
「……なにやってんだ、あいつ」
ノアが呆れたように漏らした、そのとき。
「あれ!? ノア!? ……ノアだ!!」
高い声が人混みの中から飛んでくる。
次の瞬間、小柄な少年がノアめがけて突進してきた。
「フィン!?」
フィンは勢いよく飛び込んで、ノアに抱きつく。
「ノア! 会いたかった!!」
「フィン……俺も会いたかった」
ノアも腕を回して抱きしめる。
「俺も、俺も〜」
隣でルカが両手を広げる。
「ルカは大丈夫」
フィンはさらっと言い捨てた。ルカはショックを受けたように肩を落とす。
「この街に来てたのか」
ノアが尋ねると、フィンは元気よく頷いた。
「うん! 二人が出てった日の夜に、俺とナディアもキャンプを出たんだ。すぐここに来た」
「そうだったのか」
ノアはそっとフィンの頭を撫でる。
「あの時追いかけて来てくれたって聞いた。ありがとう、フィン。……それと、あんな出て行き方して、ごめん」
ノアが眉を下げて告げると、フィンは勢いよく首を振った。
「いいんだ! こうやってまた会えたから。この街、みんな怖いけど優しくて、いい街だよ! ニコがめっちゃ面白いの」
フィンがニコを指さす。
ロボットアームの前には、屈強そうな男たちが列を作っていた。なぜか、その列の中にナディアの姿もある。
「ナディアもやるのかよ!」
ルカが笑いながら声を掛けると、ナディアがこちらを振り向き、ぱっと目を見開いた。
「ルカさん!? ……ちょっと、代わって! 防寒着、欲しいの!」
「えー……勝てるかなぁ……」
ぶつぶつ言いながらも、ルカは列の途中でナディアと入れ替わる。ナディアは足早にノアたちの方へ駆け寄ってきた。
「ノアさん、元気だった?」
「おかげさまで」
ノアがうなずくと、ナディアは少し眉を下げる。
「あの……キャンプのこと……」
「だ、大丈夫だ。……恥ずかしいから、それ以上はやめてくれ」
ノアは慌てて片手で顔を覆って制した。あの日の自分の取り乱しようを思い出すたびに、穴があったら入りたくなる。
ナディアはくすりと笑う。
「ニコさんから聞いたのよ。“ノアの彼氏が〜“って、ずっと言ってたから。うまくいったんだなって、嬉しくて」
さらっと追い打ちをかけてくる。ノアはますます消えたくなった。
わざとらしく咳払いをして、話題を変える。
「こ、この街での暮らしはどうだ? 二人とも」
「テッサがすごく良くしてくれるの。“ルカさんの天然タラシに引っかかりかけた同盟”なんだって」
ナディアが楽しそうに笑う。
「テッサの”新しい友達”って、ナディアとフィンのことか」
ノアが納得すると、フィンがむっとした顔で口を挟んだ。
「俺はルカに引っかかってない!」
ぷんすか怒るフィンに、ノアは思わず口元を緩めた。
そのとき、中央からどよめきが上がった。ロボットアームが、屈強な男の腕をあっさりと押さえ込んでいる。
ニコがニヤッと笑った。
「はっはー! 勝てまい、勝てまい!」
ふんぞり返るニコの前で、何人もの挑戦者が次々に沈んでいく。やがて、ルカの番が回ってきた。
「あれ? ルカ! 来てたのか!」
ニコが嬉しそうに笑う。
「このアームは俺くらいの強さだ!」
「……勝てるかなぁ」
ルカはぐるぐる腕を回した。
「ルカ! 頑張れ!!」
「ルカさん、負けないで!!」
フィンとナディアが口々に声援を送る。
ノアは相変わらず、この状況の熱狂についていけていなかった。
「お、ルカもやるのか」
テッサも合流し、四人で見守ることになった。
ルカがロボットアームの手を握る。
ごくり、と四人は喉を鳴らした。
「レディー……ファイ!」
ニコの合図と同時に、ルカがぐっと踏ん張る。
ギシギシ、と金属の軋む音。
真ん中で押し合い、膠着状態になる。今まででいちばん拮抗した勝負に、人々のどよめきが大きくなる。
少しずつ、少しずつ、ルカのほうが押しはじめた。
「いけぇ! ルカ!!」
テッサが叫ぶ。
「いけるかも!!」
フィンが目を輝かせた、その瞬間——
バタン、と無情に金属の腕がルカの手を押さえ込んだ。
「かぁ〜〜……ダメだぁ……」
ルカががくりと膝をつく。
「いやー、ひやっとした〜」
ニコが笑うと、ルカの健闘を称える謎の拍手があちこちから湧き上がった。
「わりぃ、賞品取れなかった」
ルカが申し訳なさそうに手を合わせながらナディアを見る。
「……ノアさん」
ナディアが視線を向けてきたので、「どう考えても無理だ」と、ノアは首を横に振った。
そのとき。
「おい、うるせぇな……なんの騒ぎだ」
ホール隣の家の扉が開き、ゾランが顔を出した。寝起きなのか、髪の毛が降りたラフな姿だった。
騒ぎが、すん、と一拍で静まる。
「誰?」
ルカがノアに耳打ちする。
「ゾランだ」
「えっ……髪の毛降りてると、印象違うのな」
頭を掻きながら呟く。ただ忘れてるだけなのでは、とノアは呆れた。
ゾランは人だかりを一瞥し、ニコを見つけると、盛大に天を仰いだ。
「ニコ……またテメェか。このクソガキ、いい加減にしろ」
「兄貴!! 兄貴もやってみろよ!」
ニコがぱっと笑う。
「あ? 冗談じゃ——」
「ボス! やってくださいよ!」
「ボスならいけるかも!」
周りも一斉に盛り上がる。
「ゾラン、がんばれ」
ノアが声をかけると、ゾランがこちらを見て眉を上げた。
「ノアにルカ。来てたのか」
ゾランがノアたちのほうへ来ようとすると、ニコがさっと腕をつかみ、そのまま中央へ引きずっていく。
「まったく……なんなんだ……」
ため息をつきながらも、ゾランは観念したようにロボットアームと向かい合った。不満そうにしつつ、手を握る。
群衆も、ノアも、ルカも、固唾をのんで見守る。
「レディ……ファイッ!」
ニコの掛け声と同時に——
バキン!! と、金属がはじけ飛ぶ音が響き、ロボットアームの”腕”が、盛大にもげた。
「ひぇっ」
誰かが妙な悲鳴を上げる。
見守っていた五人とも固まる。
「あーー!!」
ニコが叫び、頭を抱えた。
「兄貴ぃぃ! 壊すなよぉ〜〜!!」
「知らん」
ゾランはもげた腕をぽい、と放り投げる。
ロボットが壊れたからか、ゾランへの恐怖からか、群衆はさーっと散っていった。
「よぉ。よく来たな」
ゾランが片手を上げてノア達に近づいてくる。
「ゾラン、力強ぇんだな。細身なのに」
ルカが、ロボットアームの残骸とゾランを交互に見ながら感心したように言う。
「力だけなら、お前のほうが上だろ」
ゾランはルカをちらりと見る。
「俺、あのアームに負けたしなぁ」
「いいか、ルカ」
ゾランが腕を組む。
「ああいうのはな、まともに組み合ったらダメだ。どこをどう曲げりゃ壊れるか考えろ」
「なるほどな?」
「壊したらダメだろ……」
ノアは思わずため息をついた。やっぱり、この人はニコの兄貴なんだな。そんな感想が、しっくり胸に落ちる。
「それより、ノア」
ゾランがノアのほうを向く。
「手紙、届けてくれたんだな。礼を言う」
ノアは、かすかに首を振った。
あのときゾランが手紙を託した理由は、もう分かっている。“お前もちゃんと海から帰れ”、そう言いたかったのだろう。
「……まぁ、手紙渡した次の日には、シャフト登る羽目になったけどな」
苦笑い混じりにこぼすと、ゾランは渋い顔をした。
「それは……悪かったな」
「やっぱ、寂しかったんじゃないか」
ノアがにやりと笑うと、ゾランの眉がぴくりと動く。
「俺は黙って見てないぞ。ニコが見せてきた」
ゾランがバッとニコのほうを振り向く。
「おい、ニコ。このアホガキ」
遠くで、ニコが「えっ!? なに!?」と慌てている声が上がる。
ノアは堪えきれず吹き出した。
その顔を見て、ゾランの表情がふっとゆるむ。
「いい顔になったじゃねぇか」
どこか満足そうに言う。
「彼氏もできたみてぇだしな」
ぽん、と肩を叩かれ、ノアはじとりと目を細めた。
*
「ノアー! 渡すもんあるから、うち来いよ!」
しばらくすると、ゾランの家の前でニコが叫んだ。
テッサたちは「こっちで待ってるから」とホールに戻っていき、ノアとルカは、ゾランに案内されて家の中へ入る。
促されるまま、二人はソファに腰を下ろした。
ゾランの部屋は、前に来たときとほとんど変わっていない。
ニコがいるくせに、ちゃんと整っている。奥のほうに、申し訳程度に荷物が積まれているだけだ。
ゾランがキッチンでコーヒーを淹れているあいだ、ニコはその荷物をガサゴソ漁り、一メートルほどの板とドローンを抱えて戻ってきた。
「ほら、これ」
まずノアに差し出したのは、小型ドローンだった。
「……新しい型のやつじゃないか。いいのか?」
「いいってことよ。バッテリーはソーラー充電式な。これもセットで」
折りたたんだドローンも入る専用バッグごと、ノアの膝の上にどさっと置く。
「あとは、頼まれてたやつ」
ニコは板を持ち上げ、慎重にノアへ手渡した。
「これ……ノエルが使ってたやつだろ」
ノアは静かにうなずく。
青いボードに、星屑みたいな白い粒子が散りばめられている。ノエル愛用のウェーブボード。
ノアはその側面を優しく撫でる。ザラリと滑り止めの感触がした。
“これを使って、海でウェーブボードをやること”
それが、ノアの新しい目標の一つだった。
「これで波に乗るのか」
ルカが感心したように眺める。
「ルカにも似たようなの作ってやるからさ。夏になったら、また海に来いよ」
ニコが向かいのソファにどかっと座り、ふんぞり返りながら言う。そこへコーヒーを持ってきたゾランが、足でニコを端へどかして座る。
「で、そのドローンで何を撮るつもりだ」
カップをテーブルに並べながら、ゾランが訊く。
「最初は、山から海を撮ろうと思ってる」
ノアが答えると、ルカがぽんと手を打った。
「あぁ、あの、すげぇ綺麗だったとこか」
ノアは頷く。
「けど、その前に……」
ノアはマグカップを見つめながら、少しだけ息を吸い込んだ。
――
ノアはホール二階の窓から身を乗り出し、隣のビルの屋上へよじ登る。先に出ていたニコが、縁に腰を下ろして高い位置から街を見下ろしていた。
「ニコがまた何かやるらしい」と、下では住人たちがぽつぽつと集まりはじめている。
「ドローンが飛んだら、みんな手ぇ振れよー! これ、地下に流す映像になるからなー!」
ニコがフェンス越しに、通りに向かって叫ぶ。
ノアは屋上の平らな場所にドローンを置き、慣れた手つきでアームを広げた。リモコンとドローンの接続を確認する。
「地下みたいにGPSが使えねぇからな。帰ってこれるかどうかは、操縦してるやつの腕次第だ」
ニコがニヤリとノアを見る。
「見失わなければ、なんとかなる」
ピロリン、と起動音が鳴り、プロペラが回り出す。
ふわりと機体が浮き上がった。
ノアはリモコンのホロ画面をのぞき込む。映像は問題なく来ている。画面いっぱいに、ニコのドアップが映った。
「よし」
ノアが小さく呟く。
「飛ばすぞー!」
ニコが下へ向かって声をかけるのと同時に、ノアはスティックを倒した。
ドローンは一度、街の奥、フェンスの方まで一気に飛んでいく。フェンスのあたりでピタリ止まり、そこからゆっくりと高度を上げる。街全体をなめるように旋回したあと、今度は徐々に高度を落としながら中央へ戻ってくる。
ホロ画面に映し出されたのは、まずフェンスの街の全景を、ぐるりと半周するような映像。そこから少しずつ中心部へ飛んでいく。
中心に近づくにつれ、ぽつぽつと店や人の姿が画面の中に増えていった。ドローンに気づいた住人たちが、笑いながら手を振っている。
ぶぃーんという羽音を響かせながら、ドローンはまた中心部の上空へ戻ってくる。
ホールの前には、たくさんの人が集まっていた。
ルカ、テッサ、フィン、ナディアが、顔を上げて楽しそうに手を振っているのが見える。
ノアはスティックを倒し、ドローンをさらに上昇させた。
カメラをゆっくりと上へ向けていく。
今日は、少し曇り空なのが惜しい。それでも、雲の切れ間から青い空がのぞき、薄くヴェールをかけられたような太陽が、控えめに地上を照らしていた。フレアがちらりと映り込む。
「……めっちゃ良いじゃん」
横で一緒にホロを覗き込んでいたニコが、感心したように声を漏らす。
ノアはほっと息を吐き、慎重にドローンを屋上へ戻した。
「次のガジェット・チャンネル、キメの映像はこれで決まりだな!」
「これが、地下に流れるのか……」
ノアはホロ画面から目を離し、空を眺める。
昔、誰かが撮った海の映像。
それを何度も何度も見て、海に憧れたノエル。
今度はこの映像を見て、地上に憧れて、動き出す誰かがいるかもしれない。
これは、ノエルが導いてくれた旅だった。
固くなった心のまま、「海に行く」その一点だけを見ていた自分。
そこで出会った人たちのおかげで、前を向けるようになって、未来のことまで考えられるようになった。
『兄貴、やっぱさぁ、地上にはすげぇ景色があると思う。……って、俺は信じたいんだよ!』
『まだ言ってる。じゃあ、賭けるか? 負けたほうは非常ブロックな』
いつかの夕食後のやりとりの続きが、ふっとよみがえる。
(ノエルの勝ちだな)
地上は過酷で、まだ偏見も残っていて、それでもとんでもなく美しい景色があった。
ノアはポケットに手を入れ、柔らかくくたびれた革袋を取り出した。
かつてノエルを抱いていた袋の中には、今は、あの海でルカにもらった小さな貝殻がひとつ、静かに収まっている。
――
翌朝。
朝靄が、まだ街をうっすら覆っている。
ルカのバイクの後ろに、ノアが腰を下ろした。
ゾラン、テッサ、フィン、ナディアが見送りに来てくれている。
「この街も、拠点のひとつにすればいい。お前たちが泊まった部屋は空けておくから」
ゾランがホールを顎でしゃくりながら言う。
「あと、バカガキは二日酔いでまだ寝てる」
ため息まじりに付け足した。
「よろしく言っといてくれ。またすぐ来るから」
ノアが笑って言うと、ルカがエンジンをかける。
「また来いよ!」
「ノア! また遊ぼうね!」
「気をつけて、いってらっしゃい」
テッサとフィンとナディアが、口々に束の間の別れの言葉を投げてくる。
「おう、またな!」
ルカが手を上げる。
バイクはゆっくりと滑り出し、靄のなかへと溶けてく。姿が見えなくなるまで、みんなはずっと手を振っていてくれた。
バイクは街を抜け、さらに都市を抜けて、海の手前の山をめざす。
なんとなく、ノアはルカの腰に腕を回した。
「ん? 寒いか」
ルカが片手で、ぽんぽんとノアの腕を叩く。
そんなふうに、当たり前みたいに甘やかしてくるルカの仕草が、ノアは好きだった。兄であろうとし続けてきた自分が、心から甘えられる相手。
「天気が微妙だからな。あの日みたいに光るかな」
ノアがそのまま抱きついた格好でぽつりと呟くと、ルカが笑う。
「そんときは、出るまで何日でも待とうぜ。時間はいくらでもある」
「……そうだな」
「あ、俺、今度こそ海で釣りしてぇ」
「前、結局できなかったもんな」
「でけぇ魚釣って食おうぜ」
「図鑑、地下から持ってきてる」
「ナイスすぎ」
ルカの声が楽しげに弾む。
ルカは、やっぱり当たり前みたいに「先の話」をする。前は聞いていてもよく見えなかった”明日”やその先の景色が、今のノアには、ちゃんと具体的に思い浮かぶ。
「しかしさ」
ルカがふいに、少し静かな声になる。
「ノア、よく笑うようになったよな」
「……そんなに笑ってなかったか?」
「笑ってたけどさ。最初の頃は、なんか心からって感じじゃなかった」
言われてみても、自分ではいまいちピンとこなくて、ノアは首をひねった。
「俺が海についてこうって決めたきっかけ、知ってる?」
「え……いや」
「ノアの、心からの笑顔を見てみたかった」
ルカが、ちらりと振り向いてニヤリと笑う。
「……そうか。それは、どうも」
どう返せばいいのか分からず、ノアは妙にかしこまってしまう。
「でな、やっと、よく見られるようになったわけなんだけどさ」
ノアは、嫌な予感がした。
「……めっっちゃ、かわいい!!」
ルカが叫ぶ。
ノアは深いため息をついた。顔が熱くなるのは、気づかなかったことにしておく。
「ルカ。そんなことばっか言ってるから、テッサやナディアが同盟を組むんだ」
「え? 同盟?」
「“天然タラシに引っかかりそうになった同盟”だと」
「は!? 天然タラシって……なんだよそれ!」
ノアはこらえきれず、くく、と笑う。
「ちなみにノアは、“引っかかりそう”じゃなくて、“引っかかった”だからな」
ルカが不貞腐れたように言う。
ノアは抱きしめる腕に、少しだけ力を込めた。
「はいはい。俺が同盟を作る羽目にならないように、善処してくれ」
「善処もなにも、俺は一途だっつーの!!」
叫ぶ声が、静かな国道にのびていく。
くすんだ青いボディのバイクは、ノアとルカを乗せて、今日も、明日も、その先の季節へ。
まだ地図に描かれていない寄り道をいくつも抱えながら、変わり続けていく地上を、ゆっくりと走り抜けていくのだった。




