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『AIが管理する理想のVR世界でミュートされたらどうなるか』~ブルーバード編~  作者: バニラ味一択


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5/10

第5話:思い出



「ねえ、ルリ。……昔ね、お母さんがよく絵本を読んでくれたの」


 ルナの声は、夕暮れの屋上から、埃っぽくも温かかった過去の記憶へと沈んでいく。


 かつて、そこには確かな生活の温度があった。

 エデン国が設立される以前。父は正義感の強い警察官だったが、ルナが小学生に上がる頃、家族との時間を守るために職を辞し、地元の小さな会社に転職した。


「パパ、今日はお仕事早いの?」


「ああ、ルナ。今日はハンバーグだとお母さんから連絡があったからな。定時で帰るさ」


 父は大きな手でルナの頭を撫でた。

 休日は決まって、父の運転で少し古びた青いワゴン車に乗り、隣町の海へ行った。母が早起きして握った不揃いなおにぎりと、父が包丁を怖々使いながら剥いた、少し皮の残ったリンゴ。


「ルナ、見て! 貝殻、こんなに拾ったよ!」


 砂浜を走り回り、夕暮れまで波と追いかけっこをした記憶。太陽の熱を吸った砂の温かさと、潮風の少しベタつく感触が、今でも肌に残っている気がする。

 日が沈み、帰りの車内はいつも静かだった。

遊び疲れたルナの頭を、助手席から振り返った母が優しく撫でる。


「楽しかったね、ルナ」


 窓の外、ゆっくりと流れていく街灯のオレンジ色の光を眺めながら、ルナは猛烈な眠気と、それ以上の幸福感に包まれていた。

 家に帰り、お風呂上がりの温かな体で布団に潜り込む。母は古い絵本を開き、穏やかな声で読み聞かせを始める。読み終えて絵本を閉じた母は、枕元で小さく笑う。


「幸せはね、案外すぐそばにあるものなのよ」


 両親の間に挟まって、二人の呼吸を感じながら目を閉じる時間。

 そこは間違いなく、世界中のどこよりも安心でき、世界で一番温かな場所だった。




 しかし、AIが発展していきエデン国が設立されると、外地の空気は少しずつ、けれど確実に変わり始めた。

 最先端の市場を独占するエデンに対し、取り残された外地は緩やかに衰退していった。

 資源の乱獲による環境汚染。外地は常に埃っぽい風が吹き抜け、錆びた鉄と排気ガスの匂いが染み付く世界となった。

 街灯は切れかかったまま放置され、時折、生活に困窮した者たちの諍いが路地裏で響くようになる。


 父は、元警察官としての経験を買われ、夜間の巡回警備や地域のトラブル処理を引き受けるようになった。


「お父さん、また夜中に出かけるの? せっかくの週末なのに」


「……ああ。最近、この辺りも物騒だからな。ルナたちが安心して眠れるようにしておくのが、今の私の仕事だ」


 泥に汚れた作業服で、ため息をつきながら靴を履く父。母もまた、家計を助けるために働き始め、夕食の品数は以前より少しだけ減った。

 生活が壊れたわけではない。けれど、以前のようなゆとりが、砂時計の砂のように少しずつ零れ落ちていく。思春期を迎えたルナにとって、その変化は耐え難いものだった。


 対照的に、国境の向こうにそびえ立つエデン国のビル群は、宝石のように輝いていた。

 クラスメイトたちの間では、エデン産の最新デバイスやVR旅行の話題で持ち切りだった。


「あそこに行けば、お父さんも危ない夜勤なんてしなくていい。お母さんも、あんなに働かなくていい」


 ルナは夕食の席で、何度も訴えた。


「家族みんなでエデン国に移住しようよ。あっちなら、もっとマシな生活ができるよ!」


 しかし、父は静かに首を振る。


「ルナ。エデン国はやめるんだ!いくら便利でも、あそこに幸福は無い!みんなで協力して、自分たちの力で生きていくことに意味があるんだ」


「そんなの、ただの意地だよ! お父さんは、変わるのが怖いだけでしょ!」




 その後、ルナは「白い箱」を秘密裏に手に入れ、エデンのVR世界を体感する。そしてあの日、VR内でのエデン国入国試験に合格したルナは、市民権を手にし家を飛び出した。

 追いかけてきた父に、ルナは心とは裏腹な、毒のような言葉を投げつけた。


「お父さんなんて大嫌い! そんなにこの古臭い街にしがみつきたいなら、一生そこで苦労してればいいわ! 私はエデンに行って、立派な大人になって、お父さんたちが間違ってたって証明してみせる! 私が迎えに来た時、後悔したって知らないから!」


 父は何も言わず、ただルナの背中を、言葉にできないほど悲しそうな瞳で見つめていた。

 歩みだし、遠ざかっても、母の泣き声が耳に残る。


「(……私、間違ってない。ここで最高の教育を受けて、いい仕事を見つけて。いつか二人を、この綺麗な世界に招待するんだ。そうすれば、二人もきっと笑ってくれる。……そうだよね?)」


 夕暮れの屋上。語り終えたルナの瞳には、薄っすらと涙が浮かんでいた。






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