第2話:記憶の欠落
いつもなら、「おや、ルナさん。お疲れ様です」というゴンドウの温厚な声と、ジンの「おう!ルナ!」という挨拶が飛んでくるはずだった。
「……こんにちは。ゴンドウさん、いますか?」
しかし、部屋の中に漂う空気は、初めてここを訪れた日のように余所余所しく、冷たい。
「おや、いらっしゃいませ。お嬢さん、何かお困り事ですか?」
デスクから顔を上げたゴンドウは、慈父のような微笑みを浮かべたまま、丁寧な一礼をした。その瞳には、共に事件を解決し、喜びを分かち合った記憶の欠片も宿っていない。
「え……。ゴンドウさん、何言ってるんですか? 私ですよ、ルナです」
ルナの隣で、ワクがジロリとゴンドウを見据えた。
「所長。状況報告を。……我々を認識していないのか?」
ワクの問いは短く、鋭い。だが、ゴンドウはワクを一度だけ見ると、困ったように首を傾げた。
「おや、そちらの少年も変わったことをおっしゃいますね。……ルナさん、でしたね。本日は何か、遺失物の届け出か何かでしょうか?」
「ゴンドウさん!本気なの?」
ルナは救いを求めるように、隣のデスクで端末を叩いている相棒に視線を向けた。
「ジンさん! ジンさんからも言ってください。ゴンドウさん、何かおかしいんです!」
ジンは面倒そうに視線を上げると冷徹な声で告げた。
「……市民の方。警察官を馴れ馴れしく名前で呼ぶのは控えていただきたい。そのコスプレしている犬の子供も、勝手に備品に触らせないでください。公務の邪魔です。速やかに退室を」
「な……ッ」
息が止まった。彼は暴走族上がりで口こそ悪いが、誰よりも情に厚かったはずだ。口調が明らかに違う。そしてその瞳も、今はただ、迷惑な来所者を見る冷酷な光に変わっている。
「嘘だ。……二人とも、私とワクのことを忘れたの?」
ルナは震える手で自身のデバイスを起動し、専用管理AI『エマ』にアクセスした。
「エマ! 派出所のゴンドウ所長とジン巡査の記憶データを確認して! 二人とも、私とワクのことを完全に忘れてるの。これ、絶対に何かのエラーだよ!」
少しの沈黙の後、エマの落ち着いた、しかしどこか気遣うような声が耳元に届く。
『ルナ様。お困りのようですね。ですが、お二人の精神ログおよび記憶素子を照合しましたが、異常は見受けられません。彼らの記憶整合性は、システム上、正常であると定義されています』
「そんなはずないよ! 私たちがここで一緒に過ごしてきた時間を、エマなら記録してるでしょ!?」
『……しかし、ルナ様。あなたの主張する事実と、サーバー内の記録に乖離が生じています。データが閲覧出来ない以上、私は返答しかねます』
『ルナ様、精神負荷が高まっている可能性があります。少し休んで、メンタルケアを受診してみませんか? 私は、ルナ様が心配です』
「バグってるのは私の方だって言うの……!?」
ルナは叫びたかったが、ゴンドウたちの視線に耐えられず、ワクを連れて逃げ出すように派出所を飛び出した。
「……ルナ、安心しろ、俺はお前から生成されたパートナーだ。お前の記憶、俺は覚えている」
ワクが立ち止まり、淡々と事実を告げる。
「これは異常だ。……原因究明の必要がある」
完璧に管理されたエデン国の美しい街並みの中で、ルナは自分達だけが「透明な存在」になってしまったような孤独を感じでいた。
心の支えはワクがいてくれたことだけだった。




