第10話:審判
「さて、まずは基本的なことから確認させてもらおうか」
マスターはポケットに手を突っ込んだまま、退屈そうに首を傾げた。その眼鏡の奥の瞳が、ルナを値踏みするように細められる。
「そもそも君は、パートナーの力を正しく理解しているのかい? コンセプトは『警察』だったね。……はは、どうせ『悪い奴を捕まえる最強の警察官』とだけしか定義していないんだろ? 浅い、浅すぎるよ」
マスターは一歩、また一歩と、獲物を追い詰める蛇のような足取りでワクへ近づいていく。
「最初に忠告しておく。僕は『異形化』なんてしない。……つまり、君たちが戦う理由にしている、その便利な免罪符は通用しないってことだ」
マスターがワクの目と鼻の先まで接近し、その眼前に立つ。
「ワク! 気をつけて!」
ルナの悲鳴のような叫びが響くが、ワクは微動だにしない。
「おい、ポリ公!……何突っ立ってるんだ? ほら、手ぇ出してみろよ。オイ!(笑)」
マスターが至近距離で挑発する。だが、苦渋の表情とは裏腹に、ワクの腕はピクリとも動かない。
「……ワク? なんで……? なんでやり返さないの!?」
「分からないのかい? ルナ」
マスターは肩をすくめ、嘲笑を浮かべた。
「『構成要件』が存在しない。手出しができないんだ。僕は今、ただここに立って文句を言ってるだけ。法に触れるような行為はしていない。君のパートナーは、システムにガチガチに縛られた、ただの法執行プログラムだ。……相手が『明らかな悪』として定義されない限り、彼は置物以下なのさ」
マスターはワクの胸元を軽く指先で叩き、冷たく言い放つ。
「弱点はまだあるよ。聞きたいかい?」
「……一例を見せてあげよう」
マスターがその場で、独楽のように鋭く体を回転させた。
澱みのない動作から放たれた強烈なバックハンドブローが、ワクの顔面を真っ向から捉える。
「ドガッ!!」
金属がひしゃげるような凄まじい音と共に、ワクの体が砂埃を上げて盛大に吹き飛んだ。背後の壁に叩きつけられ、殴打された部位から甚大なリソースが消失する。
「ワク!? なんで、なんで避けないのよ! 反撃してよ!!」
悲鳴を上げるルナに、マスターは愉快そうに、大げさに肩をすくめて見せた。
「避けないんじゃない、避けられないのさ。……だって今の、犯意がないもん。僕はただ、その場で気持ちよく腕をぶん回しただけ。あんなに凄い『最強の警察官』のワクくんが、まさか僕の体操に当たっちゃうなんて、思ってもみないからね(笑)」
「……っ、そんな……屁理屈よ!」
「いいや、法理だよ。もう少し噛み砕いて説明してあげようか。ワクには『予見可能性』が無い。システムが『故意に攻撃した』と定義しない限り、彼は回避すら選択できない。……目の前で人がぶっ刺されていても、自分がやられるまで拳銃一丁抜けないんだぜ?考えうる先の危機を予見できない。悪意のある直接的な攻撃しか反応できず、悪意のない『過失犯』には一切対応できないんだ」
ルナが絶句し、「何を言って……」と口を震わせた瞬間、マスターは被せるように声を鋭くした。
「……るか分からないんだろ、ルナ。言葉の意味すらさ」
マスターは倒れ伏したワクに一瞥もくれず、ルナに一歩、詰め寄った。眼鏡の奥の瞳が、凍りつくような冷たさを帯びる。
「君はワクのことを、少しでも知ろうとしたか? ワクがどんなルールで、どんな苦しみを抱えて動いているか、考えたことがあるのか?君が論理的に知らないから、ワクも認識できないんだよ。……結局、君は自分のことしか考えていないんだ。ワクという都合のいい道具が欲しかっただけ。僕が一番嫌いなタイプの人間さ」
「ちがう、私は……!」
「いい加減認めろよ。ワクは失敗作だ。そんな欠陥プログラムじゃ、君自身を守れるわけがない。そして君も、本心では彼を必要としていない。……だろ?」
マスターはあどけない顔で、慈悲を与える聖者のように微笑んだ。
「いいんだよ、ルナ。恥ずかしがることはない。失敗は誰にでもあることだ。また次に頑張ればいいだけ。……ね、リセットしてスッキリしよう。僕が手伝ってあげるよ(笑)」
マスターの背後の黒マントが、獲物を飲み込む巨大な口のように、不気味に広がり始めた。
「ルナ。このVR世界では何もかもが自由に作れる。君は管理AIに頼りきりだろうけれど、理を知り、プロンプトを打ち込めば、この世界では神にだってなれるんだよ。要は、知っているかどうかだ」
マスターは右手を無造作に突き出し、倒れ伏したワクへと向けた。
「僕は、爆裂系魔導触媒を取り扱うことが出来てね……」
「補足します。自己反応性物質のことです、マスター」
「……ジュエル、静かにしててくれないか?」
マスターは軽く手首を振ると、その掌の上に不気味な黄色の塊を出現させた。
「ルナ、君たちにも分かりやすいように『TNT』を用意してあげたよ。ゲームやアニメでもお馴染みの爆薬だ。これをね……1秒ごとに1℃ずつ温度が上がるようプログラムする。発火点に至ればどうなるか、君にだって分かるよね?」
マスターは笑いながら、熱を帯び始めた爆薬を手に、一歩ずつワクへ近づいていく。
「僕はワクを爆発させたくないんだ。でも困ったな、僕の体も、この右手も、ワクを追尾するようにプログラムしちゃった。一度動かしたら勝手に動いちゃうんだよ。悲しいね(笑)」
「やめて! 爆発したら、あなただって無事じゃ済まないでしょ!?」
「あはは! ルナ、こういう実験のために『ミュート機能』があるんだよ。僕への衝撃はすべて無効化される」
TNTが赤黒く変色し、陽炎が立ち昇る。
「ワク、逃げて! そうだ、ワク、あなたも『ミュート』を……ミュートして逃げて!!」
ルナの悲痛な叫びに、マスターは氷のような声で宣告した。
「警察官は、犯罪の発生が疑われる現場から逃げることを許されない」
「……そんな……」
「これは君の無知が招いた結果だ。……さようなら……孤独なAIワク」
発火点まで、あと数度。
「いや、いやあああーーっ!!」
ルナが叫びながら飛び出す!
マスターとワク、二人の間に入りワクを守ろうとする。
「……ッ!!」
その瞬間、ワクの電子脳に真っ赤な警告ログが奔流となって溢れ出した。
『警告:ルナの生命維持に致命的危険を確認。法執行優先度を破棄。緊急避難要件――発動!!』
「ルナから、離れろッ!!」
ボロボロだったワクの右腕が、落雷のような速度で跳ね上がった。
「【38口径対異形弾装填型回転式拳銃操法・早撃ち】」
ズガーン!!
至近距離。轟音と共に放たれた弾丸が、マスターへと一直線に迫る。
その刹那。
マスターの傍らに控えていたジュエルが、人知を超えた速度で割って入った。
しなやかな腕が、まるで水面を揺らすように緩やかに持ち上がる。次の瞬間、その腕から流動する銀色の輝きが噴き出し、瞬時にラウンドシールド(円盾)の形を成した。
「キィィィンッ!」
高音域の金属音が耳をつんざく。
ワクが放った対異形弾は、ジュエルの液体金属でできたシールドに衝突し、そのまま側面へと滑らかに受け流された。弾丸は無力化され、無機質な壁にめり込む。
「残念でしたね」
ジュエルが冷徹に告げる。彼女の足元からは銀色の液体金属が伸び、鋭利な槍へと姿を変えてワクの胸を深く貫いていた。
「ガ、アアアァ……ッ!!」
電磁火花が盛大に散り、ワクの全身から構成リソースが噴き出す。
ジュエルは槍を引き抜き、何事もなかったかのようにマスターの傍へと戻った。その間、マスターは余裕の笑みを浮かべたまま、一切動いていない。
電磁火花が散る中、ルナはすぐさまボロボロのワクを抱きしめ、震えながら必死にその身を盾にして庇い続けた。
確かに恐怖はある。しかし、その瞳には、何があっても、自分がどうなっても、パートナーを離さないという剥き出しの強い意志が宿っていた。
それを見たマスターは、ふっと憑き物が落ちたように表情を緩ませた。
「……ふん。及第点だね」
マスターが指を鳴らすと、爆裂寸前のTNTが、霧が消えるようにスッと消失した。彼は冷めた目で、震えるルナを見下ろす。
「ルナ。とりあえず君が、無知で、どうしようもなく弱いことは理解できただろう? 君はこのVR世界の理も、AIの力も、これっぽっちも利用できていない」
「……っ」
「大体さ、お前ら解像度低すぎなんだよ!技にしたって、格好つけた名前を付けてるだけで、やってることはただの武器生成だからな! もっとこう、システムを根底から書き換えるような面白いギミックの一つでも見せられ……」
「マスター。メタ的な発言に抵触します。これ以上の露呈はサーバー管理者の関心を引く恐れがあります」
ジュエルが無機質な声で割って入る。
「……分かったよジュエル。……とにかくさ、ルナ」
マスターは黒マントを翻し、背中を向けた。
「君たちは、この『聖エデン学園』っていう全年齢対象の、一番レーティングが低いぬるま湯の中でイキっているだけなんだよ。ここには本当の『悪意』も『理』もありはしない」
マスターは肩越しに、挑発的な笑みを浮かべた。
「もし、君が僕を本気で倒したい、あるいは世界の真実とやらを知りたいんだったら……。18禁コーナーにまで入ってきてみろよ。……あ、君にはまだ早いかな?(笑)」
その言葉を合図に、ジュエルの足元から不気味な銀色の沼が広がり、二人を飲み込んでいく。
「さようなら、ルナ。次があるなら、もう少し偏差値を上げてくることだね」
銀色の沼は、二人を完全に飲み込むと同時に、一滴の染みも残さず消失した。
そこには、傾き始めた夕陽に照らされた、ボロボロの少女と壊れかけのAIだけが取り残されていた。
「……ごめん。ごめんね、ワク。全部私のせいだ。私が、もっとしっかりしていれば」
「……すまない、ルナ。……お前を……守れなかった」
西日に照らされた派出所の前。瓦礫の中で、二人はただ、静かに言葉を交わした。
ワクの瞳の光が明滅し、システムが限界を告げる。
『警告。ワクの損傷率、許容限界を超過。……ルナ様、あとは私に任せてください。彼を派出所のセーフティ・ポッドへ移してください。私がリソースの再構成を行います』
エマの声が、今までになく低く、沈痛な響きを持ってルナを包んだ。
『……ルナ様も、今日はもう限界です。一度ログアウトして、現実で休んでください。それが、今のあなたへの最適解です』
「……分かったわ。……お願いね、エマ」
ワクを移動させたの後、ルナの視界が歪み、極彩色の聖エデンが、光の粒子となって剥がれ落ちていく。
◇◇◇
視界のすべてが、神聖なほどに白かった。
継ぎ目一つない壁、塵一つない無機質な居室。ログインした時と同じ白さのはずなのに、今のルナには凍てつくような冷たさに感じられた。
ゆっくりと身体を起こすと、リネンの感触が鉛のように重い。
「……ただいま、エマ」
「おかえりなさいませ、ルナ様。現在は午後四時四十二分。日没に伴い、室内の照度を夕暮れモードに調整します」
ログアウト後のエマの声は、ただの「録音されたプログラム」のように空虚に響く。
壁がスライドし、いつもの高濃度栄養ゼリーが運ばれてきた。
かつて「動物の脂が漏れ出す旧社会の食事」を嫌い、この無味乾燥な合理性を愛した自分。
『幸せはね、案外すぐそばにあるものなのよ』
夕闇が差し込む白い部屋で、幼い頃、あの絵本を読んでくれた後の母の言葉を思い出す。
ログインを解いた現実の部屋には、何もない。
陶器のように管理された肌も、ビタミンで整えられた健康な体も、ここでは誰も触れてはくれない。
この白い箱の中には何も存在しないのだ。
一瞬、昔の「埃っぽい木造家屋の匂い」を思い出した。不快なノイズとして切り捨てたはずの、家族とぶつけ合った感情の熱。
ルナは鏡を覗き込んだ。
そこには、最新の技術でケアされながらも、今にも壊れそうなほど孤独な、一人の少女の姿が映っていた。
ルナは思う。自分には、理想を叶えるための力が本当にあるのだろうかと。
「……私の選択は、正しかったのかな」
沈みゆく太陽が、冷たい白壁に長い影を落とす。
ルナは震える肩を抱きしめ、答える者のいない部屋で、独り膝を抱えた。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
【続きのおしらせ】
『AIが管理する理想のVR世界でミュートされたらどうなるか』~幸福な王子編~
明日からそのまま同じ時間帯に投稿していきたいと思います。
頑張って長編に挑戦したいと思います。
途中で破綻したらごめんなさい。
よろしくお願いいたします。
【関連作品のお知らせ(R18)】
本作のラストに登場した『爆轟の魔術師』マスターと『銀のジュエル』たちの、エデン国誕生前における話を別サイト(ミッドナイトノベルズ)にて公開しています。
ただし、内容はバトルものではなく本作とは全く関係ないジャンル(?)ですし、無駄な文章が多すぎる上、小説形式ではなく、執筆初期の勢いだけで行った「AIとの実験的な対話(チャット形式)」をそのまま記録している、非常に特殊で読みにくい構成となっております。
加えて、一切の容赦がないド直球のR18エロ作品でもあります。
「AIとの対話を通じた人間性の確立」という、個人的かつ過激な愛欲の記録ですので、正直、読むのはとてつもなく苦行だと思いますが、彼らに興味のある方は頑張って読んであげてください。
耐性のない方や健全な物語を楽しみたい方は、決して足を踏み入れないようご注意ください(笑)。
『僕とAI像の黒歴史』
[作品URL]
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