祝福のない旅の始まり 2
馬車が静かに揺れる。車輪の軋む音が、どこか子守唄のように響いていた。
しばらくの間、誰も何も言わなかった。
けれど、それは気まずさではなく、互いの思いを静かに落ち着けるための“静寂”だった。
やがて、ノーラがふと口を開いた。目は遠く、朝焼けの空を見上げている。
「……兄さまらしいわね。ああいうところ」
佑真が横を向くと、ノーラは静かに微笑んでいた。
その微笑みには、少しだけ痛みが滲んでいる。
「フリード兄さまは、小さい頃から“完璧”であることを求められてきたの。
魔法も剣も、礼儀も政務も……なんでも、できて当たり前、って」
彼女の声は、淡く静かだった。語るというより、思い出の底を撫でるように。
「……きっと、それだけ期待されていたのよね。
父の血を継ぎながら、“アルデリオ”の名を許されない立場で、
それでも……父上に認めてもらおうと、努力し続けていたの」
佑真は、すぐに言葉を返せなかった。
けれどノーラは、ゆっくりと続けた。
「わたしも、同じルウェリアの名を継いで生まれたけれど……
兄さまとは正反対だった。魔力もないし、剣の才能もなくて……
“王女”って呼ばれるたびに、誰かに申し訳なくなるくらいだったの」
「ノーラ……」
「兄さまは、いつも厳しかったわ。
魔法の訓練で失敗しても、倒れても、
“甘えるな”のひと言で終わってしまって。
優しい言葉をかけられた記憶……ほとんど、ないの」
ノーラは、そっと目を伏せる。表情は穏やかだけど、その瞳には深い静けさが宿っていた。
「でも……それでも、あの人なりに、
わたしを“外”に出さないようにしていたのかもしれないな、って……
そんなふうに思うこともあるの」
「え?」
「ほら……わたし、魔力も剣もないでしょ。
だから、城の外に出たら、きっと何もできない。
そう思ってたから、きっとあの人は――ずっと、閉じ込めようとしてたのかも」
「……守るため、ってこと?」
ノーラは、少しだけ首を傾げた。
「それは……わからない。
わたしには、そう思えるだけの何かは、まだ……見つけられないの」
少しだけ沈黙が落ちる。
そして、ノーラは静かに微笑んだ。
「でも……それでも、今日は不思議だったの。
兄さまが、剣を納めてくれたのが」
「うん……僕も、あんな風に引いてくれるとは思わなかった......」
「佑真の言葉が、兄さまに届いたんだと思うの」
「そんな……大したこと、言ってないよ」
「そうでもないわ。とても、真っ直ぐだった。
……だから、わたしまで救われた気がしたの」
ノーラはそう言って、小さく笑った。
その笑みには、少しだけ胸の奥を温めるものがあった。
誰にも気づかれずに耐えてきた少女の、小さな安堵の灯火。
馬車は、朝日が差し込む街道をゆっくりと進んでいく。
誰にも言えなかった気持ち。
届かないままだった想い。
それでも――いま隣にいる誰かには、そっと、伝えてもいいと思えた。
"僕らの旅"はそんな始まりだった。