祝福のない旅の始まり 1
夜が明けた。
フィリオーネ王国の王都。
城の北壁にある古い裏門から、静かに人影が三つ、朝靄の中へと歩みを進めていた。
金糸の飾りがわずかに残る深青のマント。
控えめながらも気品を感じさせるドレスの上に、旅装を重ねた銀髪の少女。
その背に、老紳士が黙って従う。
僕はというと、革の肩掛け袋を背負い、借り物の外套を羽織っていた。服装は完全に浮いていた。異世界の“旅人”として、まったく不似合いだ。
「あの......本当に僕がご一緒して良かったんでしょうか......」
ノーラは少しだけ目を細め、微笑んだ。
「あなたを見て、わたし自身を見ているようだったってこともあるけど......ただの同情じゃないわ。
わたしは……あなたに何かがあるって、そう思ったの。
たとえ今は、誰も気づいていなくても」
言葉が胸に刺さる。
自分の価値を信じられなかった佑真にとって、初めて向けられた“信頼”の光。
「……ありがとう、ございます。ノーラさん」
「ノーラでいいわよ。あなたは、もう“国の客人”じゃないんだから」
そう言って微笑む姿は、気高い王女ではなく、ひとりの少女のようだった。
佑真の胸の奥で、何かがわずかに温まっていく。
「……寒いな、意外と」
「標高が高いのよ、この都。夏でも朝晩は冷えるの」
ノーラの言葉にうなずきながら、僕は歩調を合わせる。
それにしても……異世界の空気は、どうしてこんなに“重たい”んだろう。
ただ歩いているだけなのに、地球の感覚よりも確実に酸素が薄い気がする。わずかに残る緊張と不安も、呼吸を浅くしていた。
「……本当に出て行って良かったんですかね?」
「問題はないかと。残念ながら、姫様の決意に反対する者など、そもそもおりませんので……」
ガルヴァインが、少し残念そうに呟いた。
そう、実際のところ、王宮から出ることは思った以上に“簡単”だった。
ノーラが旅立ちを申し出たとき、王も側近たちも、まるで興味を失ったように静かだった。『勝手にさせておけ』という雰囲気。哀れみと蔑みが交差したあの空気。
それでも彼女は屈しなかった。
「“無能”だからって、誰にも期待されていないからって……諦める理由にはならないわ」
その言葉を、僕は決して忘れない。
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城下町の外れに出ると、街道沿いに小さな馬車が一台、待っていた。
どうやら、それもガルヴァインが手配してくれていたらしい。年季の入った木製の荷台、ぼんやりと頭を垂れる老馬、そして――
「……あ、あの、姫様。お、お気をつけて……!」
小太りで、おどおどした中年の男が、慌てて駆け寄ってきた。
「エルヴィンさん、ありがとう。朝早くからごめんなさい」
ノーラが礼を述べると、男は顔を赤らめながら深く頭を下げた。
「そ、そんな!姫様のためなら、あっしは命でも差し出します!」
「命はいらないわ、命は大事にしなきゃ。代わりにといってはなんだけど……馬車を貸してほしいの」
「か、かしこまりましたぁっ!」
旅立ちの準備は、これで整った。
僕は馬車の後部に荷物を放り込みながら、街の方を振り返る。
巨大な城壁と尖塔、朝靄の中に浮かぶ王都の輪郭――
あそこが“始まり”であり、同時に、僕の“終わり”でもあった。
「……さて、どこまで行くんですか?」
「東の端、《リズハイム高原》を越えた先に、最初の試練の地があるわ」
ノーラはそう言って、道を指さす。
「まずは、《レム砂原》へ向かうわ。古代神殿のひとつが、そこに眠ってる」
「神殿……か。やっぱり、幻想的なんだろうな」
「幻想的かどうかは……行ってみないとわからないわね。何しろ、誰もたどり着いたことがないのだから」
それでも彼女の目には確かな光が宿っていた。
それを見て、僕は自然と笑ってしまった。
「……どうしたの?」
「いや……」
少し照れながら、僕は答えた。
「こんなふうに、誰かと一緒に、何かを目指すのって……久しぶりなので嬉しくて」
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馬車はギシギシと音を立てながら、王都の地を離れていった。
しばらく誰も言葉を発さず、車輪のきしむ音だけが流れていた。
それでも、静寂が怖くなかったのは、不思議なことだった。
そして――そのときだった。
「――止まれ!!」
突然、馬車の前方で怒声が響いた。
馬がいなないて立ち止まり、ノーラが顔を上げる。
数人の男たちが、街道の真ん中を塞いでいた。
粗末な鎧に、錆びた剣。全身に泥をまといながらも、その目だけは鋭く光っている。
「ん?……野盗ですかな?」
ガルヴァインが手綱から手を離し、剣の鞘に手を添えた。
「いえ……違う」
ノーラの声は低く、しかし震えていた。
「――あれは、兄さまの配下よ。王宮騎士団の、第三小隊……!」
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「……なるほど。確かに、お一人だけ、いらっしゃいましたな」
ガルヴァインは呟きながら、馬車から身を乗り出した。
街道の先、斜面に並んだのは、剣と槍を構えた王宮騎士たち。
総勢七名。その装備と立ち姿には、明らかに訓練の跡が見える。
その中央に立つ、金髪の男――フリード=ルウェリア。
王太子であり、ノーラの実兄だ。
彼の顔には、妹に対する感情も、佑真に対する敬意も、一片もない。
「妹よ。愚かな道を選んだこと、心から嘆かわしく思う」
「兄さま……どうして……!」
ノーラが前に出る。
だがフリードは構わず言葉を続けた。
「貴様らの旅など、国にとって害でしかない。異界の者を連れて出奔するなど……国法に照らせば、反逆に等しい」
「反逆? それを言うなら、兄さまたちが佑真にした仕打ちは――!」
「黙れ。貴様のような“失敗作”に語る資格はない」
その一言が、場の空気を凍らせた。
佑真は、馬車の荷台からそっと降りる。
踏みしめた砂の感触が、現実の重さを伝えてきた。
目の前には剣を抜いた騎士たち。
後方では、ノーラが悔しげに唇を噛んでいる。
ガルヴァインが、一歩前に出る。
「――姫に対する侮辱、しかと聞き届けましたぞ」
「……ベクトール。老いた貴様が未だに刀を持っていること、もはや滑稽だな」
「滑稽で結構。ですが――この身が果たせる役目を示すとしましょう」
風が吹いた。
次の瞬間、ガルヴァインの姿が掻き消えたかのように見えた。
一拍ののち、鋼の音が鳴った。
「ぐっ……!?」
最前列にいた騎士が、剣を落として膝をついた。
右肩にかすかな切れ目。だが、明確な“間合い”すら掴めなかった。
「……っ、この老いぼれ……!」
フリードが剣を抜く。周囲の騎士たちが包囲を狭めていく。
けれど、ガルヴァインは動じなかった。
「やめて!」
ノーラが叫んだ。
「お願い、争わないで!兄さま……私は、ただ……!」
「――いい加減にしろッ!」
フリードの怒声が、森に響く。
「父王が貴様にどれだけの寛容を示したか忘れたか?その挙げ句が、魔力のない男と旅に出る?王家の名を穢すな!!」
その言葉に、佑真は静かに、前に出た。
自分が力になれることなど、ほとんどない。
剣も魔法も使えない。
それでも、このまま黙って見ていることだけはできなかった。
「王太子、フリード様」
その声に、周囲が動きを止める。
佑真は、まっすぐにフリードを見つめた。
「僕は、確かに何の力もない“無能”です。あなたの言うとおり、勇者失格かもしれない」
「ならばなぜ、ノーラは貴様のような男を選んだ?」
「……わかりません。ただ、彼女が信じてくれた。それだけです」
フリードが眼を細める。
「“信じた”?それが何になる。信頼も、希望も、剣には勝てん」
「違います。勝てないかもしれないけど、奪えないものです」
佑真は続ける。
「あなたたちは、王としての秩序を守ろうとしてる。それはわかる。でも、今ここで妹に剣を向ければ、それは秩序ではなく、“恐怖”の支配です」
「……貴様、なにが言いたい?」
「妹を、“反逆者”と名指しすることは簡単です。でも、そうすることで、あなたの治世に何が残る?」
「ノーラは確かに魔力がありません。でも、王族の一人として、民を見捨てず、自らを省みず、人と向き合おうとしてる」
「そんな彼女を、あなたが斬るというなら……あなたは、王に値しない」
沈黙が落ちた。
その瞬間の静寂を、風だけが切り裂いていく。
フリードの目が細くなる。
一歩、彼は前に出た。
剣の切っ先が、佑真の喉元へと向けられる。
ノーラが駆け寄ろうとするが、ガルヴァインが手で制した。
だが――
「……面白い」
剣が、音を立てて鞘に収まった。
「妹の信念に、無力な男がここまでの言葉を紡ぐとはな。まったく……くだらん芝居のようだ」
フリードは背を向ける。
「いいだろう。今は剣を収めよう。だが、覚えておけ。お前たちの旅路が、どこで破綻しようと――私は決して救いの手を差し伸べん」
騎士たちが命令に従い、静かに後退していく。
佑真は、小さく息を吐いた。膝が震えていたことに、今さら気づいた。
ノーラがそっと彼の手を握った。
「……ありがとう」
「いや……怖かった。正直、喉が乾きすぎて、途中で死ぬかと思ったよ……」
2人は、微笑み合った。
旅の始まり。
初めての対立。
初めての、信頼。
それが確かに、彼らの中に刻まれていた。
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