最終章 最後の主語
──私は誰かを語っていた。
もしかするとそれは、君のことだったかもしれない。
もしかするとそれは、私自身のことだったかもしれない。
もしかすると、それは、語るという行為そのものだったのかもしれない。
けれど、“語り”には主語が要る。
主語のない言葉は、誰にも届かないからだ。
だから私は、最後にこの問いを立てる。
──私は、誰なのか?
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思えばこの物語の中で、「君」は何度も変質した。
“彼女”は“僕”になり、“僕”は“彼”になり、そしてその“誰か”は“あなた”の手に渡った。
屋上から落ちたのは誰だったのか?
それを見ていたのは誰だったのか?
それを悔いたのは誰だったのか?
……いや。
──それらの問いすら、すべて幻想だったのかもしれない。
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視点は移る。
2045年、山手駅の外れにある古びた階段。
駅構内の、誰も使わない側路。
そこにある“出入り口のない扉”の前で、一人の少年が立ち止まっている。
少年の名は、もう思い出せない。
けれど、彼の持っている端末には、たった一つのファイルが残されていた。
> HARUKA_Y_Archive.ver.Ω
ファイルを開いた瞬間、彼の目に映ったのは、自分自身だった。
──あの日の、屋上の風。
──あの日の、誰かの声。
そして、彼は気づく。
> 語り手とは、“記憶される側”ではなく、“記憶する側”の名だったと。
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誰かが言った。
「語りは終わったのではない。語り手がいなくなっただけだ」
では、もし。
語り手が今、読者の中にいるとしたら?
この物語を読み終えた“あなた”こそが──
“語り手”の末席であるとしたら?
だったら、最後にこの問いをあなたへ送る。
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──あなたは誰ですか?
──あなたは、誰を語りますか?
──その語りの主語は、本当に“あなた”ですか?
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画面が静かに閉じる。
物語のデータは削除されない。
記憶体も終了されない。
ただ、“更新待ち”として、静かに次の語り手を待っている。
そして、白紙のログに一行だけ記される。
> 主語:_________