花の友情、麦の友情
赤、白、桃色、薄紫。色彩の溢れかえる温室で、リリエルは聖なる大樹の下に蹲っていた。
「お願い──ごめんなさい。謝るから。私が間違っていたから。どうか助けて──!!」
温室の外には灯を手にした人々が押し寄せている。がさつな足音と怒鳴り声。
「悪女リリエルはどこだ!」
「王子を誑かした女の首を刎ねろ!」
「首を刎ねるなど生温い!八つ裂きにして晒してやれ!」
リリエルはみっともなくしゃくり上げながら聖なる大樹を登る。凝った刺繍の施されたドレスは破れ、汚れていた。王子に貰ったときには、とびきり輝いて見えたはずなのに。今となってはすべてが忌まわしく見えてしまう。
本当に欲しいものは、ここにはなかった。もっと早く気付けていればよかったのに。激しい後悔の念に襲われながら、リリエルは大樹のてっぺんに辿り着く。温室の花は豊穣の女神の加護を受けたリリエルの祈りによって、色鮮やかに咲き乱れている。花の国フロレンティア、その王族の権力を示すためだけの温室の花たち。
(もし、やり直せるなら私は───)
リリエルは最期の祈りを捧げると、聖なる大樹のてっぺんから飛び降りた。
◆◇
「つまり、王子殿下が私を婚約破棄して貴女を選ぶも、その数年後に凶作に伴う政変が起きて王家は亡命、取り残された貴女は稀代の悪女として断罪される──という話でいいのかしら?」
マグノリアが要約すると、リリエルはこくりと頷いた。神殿での鑑定により聖女だと認められた十五歳の少女は、真剣な目をしてマグノリアに向き合っている。
「その荒唐無稽な話を、私に信じろとおっしゃるの?」
「荒唐無稽といえばそのとおりなんですけれど、私にとっては実体験なんです」
「…では、貴女が王子殿下と共謀して、私を婚約者の座から引き摺り下ろしたのも本当なのでしょう?冗談なら笑えませんし、冗談でないなら気遣いがなさすぎます」
やんわりと、しかしぴしゃりと釘を刺すと、リリエルが「ですよねえ」と気の抜けた声を出した。どうやら思ったよりも馬鹿ではないらしい。
麗しき花の王国フロレンティア。
貴族から庶民に至るまで花を愛で、特に貴族たちはこぞって美しく珍しい花を育てている。貴族は領地に花園をしつらえ、王都では毎月のように花の品評会が行われている。お茶会のセンスも花の良し悪しで決まる、そんな国だ。
そのフロレンティア随一の花園は、王宮内にある大きな温室だ。中央に銀の花弁に金の花粉を散らす「聖なる大樹」が鎮座し、その周囲に品種も季節も様々な花が咲き乱れる様はまるでこの世の楽園だという。
その温室を聖力で満たし世話をするのが、豊穣の女神ガラテアの加護を受けた「聖女」の御役目だ。神託を受けたリリエルも、貴族学院に通いながら温室の世話をし、ゆくゆくは王族に仕える聖女として生きることになるだろう。
マグノリアは、祖母を先代の王妹に持つ公爵令嬢である。十数番目とはいえ王位継承権も持っているし、第一王子アーノルド殿下の妃候補筆頭でもある。だからこそ、御役目を持つ聖女の大切さも重々理解しているつもりではあった。例え荒唐無稽な与太話でも、聖女の口から語られた以上は相応の敬意を持って受け止めなければならない。
「リリエル様の言葉が本当だとして、なぜ私にそんな話をするのです?もっと相応しい相談相手はいますでしょうに。殿方ですとか、大人の方ですとか」
ピンクブロンドの髪に琥珀色の瞳。肌は白く小柄で華奢なリリエルは、男なら誰もが可愛らしいと思うであろう儚げな美少女だ。こんな美少女に涙ながらに助けを求められれば、守ってやりたいと思う男は後を絶たないだろう。
しかし、リリエルは首を横に振ってみせた。
「いいえ。殿方では駄目です。殿方に救いを求めれば、きっと私は守って貰えるでしょう。でも、凶作から政変の流れはきっと変えられません」
「それこそ、私のような未熟な娘に変えられることではないわ」
「では、コーンウェル領の田園地帯に、私の加護があれば?」
リリエルの琥珀色の瞳が、マグノリアの深緑の瞳を射抜く。
「豊穣の秋、黄金の波は揺れる。優しいひだまりは豊かに人々を満たす、その小麦畑の優美さよ──」
リリエルの誦じた詩に、マグノリアの頬はかっと熱くなる。
「前の人生で、アーノルド第一王子殿下に見せていただきました。マグノリア様が学園入学前に、王妃殿下に献上された詩だと」
「…きっと、私の悪口と一緒にご覧になったんでしょうね」
リリエルは気まずそうな顔をした。良くも悪くも素直な性格らしい。これでは「前の人生」でも貴族社会では苦労したことだろう。
「いいの。フロレンティアの令嬢らしからぬ趣向なのは重々わかっているわ」
そう言って、マグノリアは微笑んでみせた。
マグノリアは農地の美しさを愛し、花園に勝るとも劣らないと思っている。領民が丹精込めた実りは余すことなく戴きたいし、領地を見回るために馬にも乗れば、ぬかるんだ農地に入っていくこともある。その健康的な生活のせいか、マグノリアは長身で筋肉質で、アーノルド殿下よりも背が高い。
華奢で可憐で繊細で花のような令嬢とは程遠い彼女を、アーノルド殿下が気に入っていないことはわかっている。だから、未来の自分が婚約破棄されると聞いても、さほど驚きはなかった。リリエルは華奢で可憐で、それこそ花のような乙女なのだから。
だが花のような乙女は、思い詰めた表情を崩さない。
「あのとき殿下の悪口を聞き流したこと、平にお詫び申します。私が間違っていました」
「まだ起きてもいないことに、間違いも何もないわ」
「いいえ。私にとっては『起きたこと』ですし、止めるべきことです」
リリエルは絞り出すように言った。
「王宮の温室に閉じ込められ、私ははじめて民の怒りの声を直に聞きました。皆、飢えを訴えていました。子供が飢えて死んだ、我が子を返せと──私が温室を花で満たしている間に、お腹をすかせて死んでいった子供たちがいたんです。飢えや恐れや耐え難い悲しみの中で、どうして花を愛でる心を保っていられましょう。民の苦境に寄り添わずして、何が豊穣の女神ガラテアの加護を受けた聖女でしょうか」
マグノリアは息を呑んだ。荒唐無稽な話を持ちかけてきた少女の眼差しは、どこまでも本気だったから──
その夜の公爵家の晩餐、話題の中心はマグノリアと聖女リリエルの面談についてだった。両親と妹たちに加え、今日は叔母夫婦も同席している。
「聖女様は何と?」
「私とお友達になりたいそうです」
マグノリアは当たり障りのない言葉を選び、簡潔に答える。父は顎を撫でつつ「なるほど」と呟いた。
「新しい聖女様は貴族の出ではないので、貴族学院での生活に不安がおありなのでしょう」
「それは心細いでしょうね。ぜひ気にかけておあげなさいな」
そう母が言うと、叔母が気取った口調で付け足した。
「そうよ、マグノリア。フロレンティアの令嬢のお手本を見せてあげなくてはね」
そう言って叔母はメイン料理に殆ど手をつけずに下げさせた。妹ふたりも残念そうな顔でそれに倣おうとする。少食はフロレンティア王国令嬢の美徳なのだ。マグノリアの母は隣国出身、よく食べ精力的に動き回る健やかな体つきの女性だが、叔母はそんな母をうっすらと下に見ており、折に触れ「令嬢の手本」としての振舞いをマグノリア達に見せにくる。
(叔母さまは娘時代のドレスが今でも着られることがご自慢だものね)
いつもならマグノリアも叔母の顔を立て皿を下げさせるところだが、今日はそんな気分にはなれなかった。母とふたり、メインの煮込み料理を口に運ぶ。肉はほろほろと柔らかく美味だった。
リリエルの語った「前の人生」では、きっとマグノリアは理想的な令嬢であるよう努力したのだろう。アーノルド殿下のお気に召すよう振舞い、勉強に励み、無事婚約者の座を射止めて。それなのに、可憐なリリエルにそれを奪われて。
アーノルド殿下に、そこまでするほどの価値があるのだろうか。マグノリアは煮込み料理を平らげ、ソースをパンで綺麗に拭って食べながら考える。マグノリアが前の人生で下げさせた食べ物、大衆がひもじさに苦しみながら求めた食べ物のことを。そしてリリエルの真剣な眼差しを。
自分の取るべき選択は何か、心は既に決まっていた。
貴族学院に入って早々に、マグノリアはリリエルと行動を共にしはじめた。授業も食事も放課後もリリエルと一緒だ。リリエルの可愛らしさは男性陣の耳目を集めたが、彼女に彼らとお近づきになる気はないようだ。
「ねえ、いくらなんでも殿方を避けすぎではなくて?」
そう尋ねると、リリエルは遠い目をして言った。
「前の人生では殿方に取り囲まれて調子に乗りすぎたので、避けすぎるくらいでちょうどいいんです」
「調子に乗ってはいたのね…」
「だって皆さん、私には眩しすぎるくらいの貴公子ですし、ちやほやされると嬉しくて」
リリエルの素直さや屈託のなさは、きっと貴族令息たちには新鮮かつ可愛らしかったのだろう。現にマグノリアは、彼女と過ごす時間が楽しく思えているのだから。
とはいえ、ふたりはただのお友達ではなく、成し遂げるべき目標を持った同志である。卒業後ほどなく訪れる食糧危機への備えるために、小麦をはじめとする穀物の収穫量を増やし、救荒植物の栽培を始めなければならない。
マグノリアとリリエルは貴族学院の寄宿舎の片隅に実験場を作り、様々な農作物の栽培を始めた。リリエルが祈りを捧げ、作物の成長を後押しする。豊穣の女神ガラテアの加護により、リリエルにはその植物が成長のため何を欲しているかが手に取るようにわかるらしい。
この作物には水を。あの作物には肥料を。
あちらには光を。そちらは風除けを。
リリエルの言葉どおりに世話をしながら、マグノリアは彼女の言葉を書き留めていく。
リリエルは聖女本来の御役目として王宮の温室にも出入りしているが、その折にはマグノリアもできるだけ同行していた。アーノルド殿下は愛らしいリリエルが気になっているが、マグノリアが一緒だと声をかけづらくなるらしい。「妃候補の友達と仲良くしたい」程度の取り繕い方もしないのは如何なものかと思ってしまう。
「私としては助かりますけどね。この子達にも無理をさせずに済みます」
リリエルは聖なる大樹の幹を撫でながら言う。
「季節問わずあらゆる花が咲き乱れる温室を作りたい、雪原に咲く向日葵が見たい、紅葉と共にリラの花を楽しみたい…今回はそういうことに聖力を使いたくないのです」
「いかにも王族の皆様が好まれそうな贅沢ね」
「王族好みの贅沢に協力して褒められて、調子に乗って。そういうのはもう沢山です」
リリエルの考えには一理あるとマグノリアは思った。学園に入ってからマグノリアは、妃に選ばれるための努力をやめているが、それがなかなか快適なのだ。俯き加減をやめ、背筋を伸ばし大股で歩くようになった。私服もピンクや水色の可憐なデザインはやめ、すっきりしたものを増やした。髪もいちいち巻くのはやめ、濃い金髪を高い位置で結ぶだけにしている。
凛々しい公爵令嬢マグノリアと可憐な聖女リリエル。
「ノラ様」「リリィ」と呼び合い、いつも連れ立っているふたりは、貴族学院の名物扱いされるようになっていた。
「花の友情とは、まったく麗しいね」
主に男子生徒から、やっかみ混じりの言葉が飛んでくる。女同士の美しい友情をあらわす「花の友情」という言葉は、一方で儚く長続きしないものをあらわす慣用句でもある。
「言いたいように言わせておけばいいんです」
リリエルはそう言い切って農作物の改良に励んでいる。長期休暇にはマグノリアと共にコーンウェル領を訪れ、収穫量の向上にも貢献した。
「仲がよろしいとはいえ、コーンウェル公爵家で聖女様を囲い込むとはいかがなものか」
そう言ってくる貴族には、リリエルが琥珀の瞳を潤ませて答えていた。
「芽吹き、開花し、実りを迎える。そのすべてを大切にすることがガラテア様の思し召しなのです」
まったく、顔に似合わずいい性格をした聖女様である。
芽吹き、花が咲き、実りを迎え。三年近くがあっという間に過ぎたある日。
「殿下と結婚しない?!」
昼下がりの農業試験場で叫ぶリリエルを、マグノリアがしいっと嗜めた。
「リリィ、はしたないわよ」
「でもそんな、婚約を破棄…」
「破棄じゃないわ」
「では婚約解消…」
「正確にはそれも違うわね。殿下の婚約者候補を正式に辞退したの」
元々、幼い頃からマグノリアとアーノルド殿下の相性は良くなかったのだ。学院に入ってからは、マグノリアが妃候補としての努力をやめていたこともあり、言葉すらろくに交わしていなかった。王族の結婚は政治的なものとはいえ、さすがにここまで冷え切ったふたりを娶せたいと周囲も思うまい。
「殿下の婚約者は私の妹、ヴィオレッタに決定したわ」
マグノリアのひとつ下の妹ヴィオレッタは、甘え上手の愛され上手で要領のいい令嬢だ。何より小柄で愛らしい見た目はアーノルド殿下の好みに合う。そのわりに強かなところもあるので、よい妃になるだろう。
「じゃあ、ノラ様の卒業パーティのエスコートはどうするんです?」
「別にエスコートなしでの参加もできるわ。リリィだってそのつもりでしょう」
「私はいいんですよ。けれどノラ様はそうもいかないでしょう」
「あなたはいい、の理屈がよくわからないけど」
マグノリアはそう言って農業試験場を見渡す。マグノリアとリリエルのふたりで始めた農地の開発は段々と人が増え、今では「農業研究会」として二十人余りが農業に勤しんでいる。花の王国フロレンティアにも案外、花より穀物、花より野菜といった趣向の貴族はいたのだ。その中にはリリエルにほのかな思いを寄せる令息もいることを、マグノリアは勘付いていた。
「所詮私は孤児あがりの聖女、結婚する必要だって特にはありません。でもノラ様はお嫁に行かれるのでしょう?」
「あら、行かないわよ」
マグノリアは得意げに笑ってみせる。
「ここ数年の働きを評価されて、私が女公爵としてコーンウェルを継ぐの。婿候補は鋭意選定中なので、エスコートは間に合わないわね」
だからこんな趣向はどうかしら、とマグノリアはリリエルに耳打ちする。その様子を農業研究会の面子は遠巻きに見ていた。
マグノリアとリリエルに挟まってはならない、というのが会の不文律でもあったから。
卒業パーティは王城の敷地内にある迎賓館を借り切って行われる。窓から隣接する温室を臨む迎賓館のメインホールで、生徒たちは「聖なる大樹」に見守られながら卒業の日を迎えるのだ。
マグノリアとリリエルは白いドレスを纏い、手に手をとって入場した。麦の穂をモチーフにしたヘッドドレスで髪を飾り、シンプルな白いドレスの肩には勲章を付けている。それを見た生徒たちがざわついた。
「帝国勲章だわ…」
「あのおふたり、いつの間に」
フロレンティアの隣に位置し、大陸きっての領土と権勢を誇る大帝国。ドレスに輝く勲章は、王室すら頭を下げる帝国に、ふたりの乙女が認められたことを意味する。
マグノリアは堂々とした笑みを浮かべて宣言した。
「私マグノリア・コーンウェルは聖女リリエルと共に、貴族学院及び王室のご厚意により、穀物や野菜の収穫量を上げるための取組をしてまいりました。聖女リリエルはその聖力で、植物の求めるものを言い当てることができます。私たちはその詳細を記録することにより、生育具合や気候にあわせて何をすべきかを一般化してまいりました。こうした知識の積み重ねにより、聖女が直接出向けない場所でも収穫量の向上は可能です。この研究が評価され、帝国より叙勲の名誉を受けました。これもひとえに貴族学院、ひいては王室の心配りに感謝いたします」
「豊穣の女神ガラテア様のご加護が、とこしえにフロレンティアを満たしますよう」
公爵令嬢と聖女は優雅なカーテシーを披露する。生徒や教師たちからの惜しみない拍手がふたりに贈られた。
だがそのとき。
「勲章に収穫量に、当代の聖女様は随分と俗っぽいのねえ」
玲瓏たる声が響き、ホールは静まり返った。
「おばあさま…?」
アーノルド殿下が目を丸くする。おばあさま、ことカメリア王太后が扇子の影から冷ややかな眼差しでマグノリアとリリエルを見据えていた。
「先代の聖女様は温室に四季すべての花をいっぺんに狂い咲きさせました。その前の聖女様は世にも珍しい白金色の薔薇を咲かせましたよ。麗しき花の王国フロレンティアの聖女は、奇跡の花を咲かせるものですのに」
会場の空気がざわりと揺れた。王太后の言葉にも一理ある、フロレンティアらしからぬ聖女じゃないか…とひそひそ話をする声。マグノリアは唇を噛んだ。下手に言い返せば不敬になってしまう。
そのときだった。
「ご覧になって?あれ…」
「何だろう、何か光って…」
窓に近い場所にいた生徒たちが声をあげた。ざわめきはさざなみのように広がり、窓のほうに次々と生徒たちが吸い寄せられる。
聖なる大樹──その白い幹や枝が、銀色の花弁がぼうっと発光していた。光はどんどん強くなり、金粉に似た花粉がきらきらと舞う。
「何ですの?あれは」
「聖女様!リリエル様をこちらに」
どよめきの中、マグノリアとリリエルは大樹を臨む窓辺に駆け寄った。その瞬間、光はふわりと舞い上がり、人の──世にも美しい女性の姿になった。白銀の髪に金色の瞳、白いドレスを纏い、身の丈は普通の人間の倍ほどある。
一目で誰もが、それが「豊穣の女神ガラテア」であると理解した。
人ならざるその美女──女神ガラテアはふわふわとホールを飛び回る。金粉がひらひらと舞い落ちては消えた。その神々しさに、今や誰もが声も出せずにぽかんと立ち尽くしている。
女神ガラテアはホールを三周ほどすると、マグノリアとリリエルの前にふわりと降り立った。ふたりは自ずと首を垂れる。女神ガラテアは両の手で、慈しむようにマグノリアとリリエルの頭を撫でた。
誰もが、それを祝福であると理解した。
女神ガラテアは慈愛に満ちた笑みを浮かべ、再びふわりと浮き上がる。そしてガラスを通り抜け、聖なる大樹に吸い込まれるように消えていった。
卒業パーティに女神ガラテアが現れ、マグノリアとリリエルに祝福を与えた話は、国中にあっという間に広まった。女神直々の祝福とあっては、ふたりの行動に異を唱える者はいない。マグノリアは女公爵として、リリエルは聖女として、引き続き国の農業を発展させるべく尽力することになった。
貴族学院の農業研究会は、正式な研究機関となり、大学に格上げされた。研究対象に花の栽培も含むことで保守的な貴族にも金を出させたその大学は、外国からの留学生も受け入れるようになり「花と実りの王国フロレンティア」の国力の象徴となった。
リリエルは農業研究会の初期メンバーである、伯爵家の五男と結婚した。求婚にじゃがいもの花を差し出してくるような朴念仁だが、おおらかで貴族らしくないところが魅力なのだとリリエルは笑う。夫は農業大学で職を得て、リリエルと共に国の豊穣のため尽くすことになった。
マグノリアは親戚筋から婿を取った。騎士団で活躍していたクマのような男だ。気は優しくて力持ちで働き者なので、コーンウェル領民の受けも抜群だ。何よりご飯を美味しそうに食べるところがたまらないとマグノリアは思っている。
「前の人生」で王室が逃亡しリリエルが殺されかけた運命の年も、大規模な凶作は起こらずにすんだ。あらかじめ進めていた農地改革のおかげか、救荒植物に救われたのか、はたまたリリエルが問題となりそうな土地に積極的に出かけ祈りを捧げたおかげか、そのすべてなのかはわからない。
「いずれにせよ、たくさんの国民が飢えて死ぬことにならなくてよかったわ」
リリエルの呟きに、マグノリアも頷いてみせた。
マグノリアとリリエルの友情は、運命の年を経てもずっと続いた。結婚して子供も産まれ、会う頻度は減ったが絆は変わらない。リリエルのピンクブロンドとマグノリアの濃い金髪がすっかり銀色になってもなお、ふたりは仲のいい友達であり続けている。
麦の友情。
かつてからかい混じりに「花の友情」と言われたふたりの関係は、今ではそう呼ばれている。実りは人を豊かにし、地に落ちてまた次代の実りを迎える。令嬢たるもの花のようであれと言われた時代は過去になり、今では土いじりをする令嬢も、爵位を継いで自ら領地を切り盛りする令嬢も珍しくない。
マグノリアとリリエルは、季節ごとに食事をしながらいろんな話をする。時にお互いの家族を交え、時にふたりきりで。たくさん食べてたくさん笑って、女神ガラテアのもたらす豊穣に心から感謝するのだ。
お読みいただきありがとうございました!