王子殿下のこと、私が先に誘惑しちゃいます
「あ──っ!」
"あの話ね! やっとわかったわ!"
……と、声に出して続けなかった自分を、褒めてやりたい。
突然だけど私には、幼い頃から前世の記憶がある。
前世の名前は菊池麻弥。日本の女子高生。大往生した記憶はないから、たぶんいつかどこかで命を落とした。
今世の名前はマーヤ・バルシュミーデ。
王様がいるヨーロッパ風の世界で、驚くことに公爵令嬢。
つまり、異世界転生。さらに現在進行形の婚約相手は、第一王子。
これはきっとアレだ。
数多ある悪役令嬢か何かの物語に、生まれ変わっちゃったんだと推測したまま、十数年。
なんのお話で、設定で、その後どんな展開なのか、まっっったくわからないと思っていたけれど、いま唐突に、ある物語が思い当たった。
「どうしかしたの、マーヤ。突然大きな声を出したりして」
「なんでもありません。失礼しました、フォンゼル殿下」
何事もなかったように、ティーカップに口をつけ……、あああ、手が震えちゃう。
そんな私を、アイスブルーの瞳で心配そうに見ているのは、婚約相手のフォンゼル殿下。
金髪碧眼の婚約者様とティータイム中、彼が提した「異世界から、聖女が来た」という話題と、その聖女の名前が《菊池あさみ》だったことから、転生先の物語を思い出した、今ココ。
(聖女の名前が、私と同じ苗字だったから覚えてたのよね)
そう、これは小説『花冠をあなたに』で読んだ設定。
救世の聖女がフォンゼル王子を"魅了"し、彼の婚約者だった悪役令嬢マーヤは、婚約破棄され、無実の罪で追放されるという、ベタベタなベタ展開。
そして確か、逆ざまぁモノ。
追放されたマーヤは、隣国でそれなりに幸せになるんだけど、彼女を冤罪で貶めた聖女と王子は、その後大変な目に遭う。
(待って待って待って。フォンゼル殿下は幼馴染よ? 酷い目になんて遭って欲しくない)
あと私も追放されたくない。
殿下とも離れちゃうもの。
早いうちから婚約関係にあり、茶会に公務、各種イベント。顔を合わせる機会も多く、ほぼ一緒に育ってきた。
ここ数年ですっかり身長差は開いたけど、殿下とは同い年。でも転生前の私から見たら、彼は可愛い弟みたいな存在。
この先もずっと、一緒に過ごしていくものだと思っていた。
(追放劇をなんとか回避できないかしら)
焦って考えていると、目の前の殿下が案じるように言う。
「なんでもない風には見えないなぁ。具合が悪い? それとも困りごと?」
懐っこい顔で尋ねられて、思わずポツリと言葉が漏れる。
「……ワンコ系」
(確かにすぐ"魅了"出来ちゃいそうだわ)
周りではクールな王子殿下と評判だけど、私が見てると、とてもそんな風には思えない。すごく素直だし、優しいし……。
「えっ、何?」
「いいえ、なんでも」
(どうしよう。聖女は現在、この国に来ちゃってるわけよね。知りもしない同郷人を悪く言うのも……。でも、もし小説通りの展開になったら……。殿下にも可能性として話しておくべき?)
うーん、うーん。
悩んでいると、ぐいと身を乗り出された。
私の手を包むように、そっと指で触れてくる。
「マーヤ、きみの不安を僕に話して?」
昔から彼にねだられると弱い。相談しちゃおっかなぁという気がしてくる。
これまでも前世の話はしたことあったけど、"頭おかしい"みたいな目で見られたことはなかった。
「殿下、今から変な話をしても良いですか? その、夢みたいに不確かな話なのですが……」
「マーヤの話なら、たとえ今朝見た夢の話でも聞くよ、僕は」
というから打ち明けたのに。
返って来たのは「ふぅん」という素っ気ない返事。
がっくりと力が抜けてしまう。
(話したのは失敗だったかしら)
そう思いながらも、言っちゃったものは仕方ない。
「……というわけで、今のうちに婚約解消をしてしまうという案はいかがでしょう」
それなら"聖女に誑かされたとはいえ、婚約破棄をした責任を追及せよ"、あたりが消えるわけだし、私が追放されるいわれもなくなるし?
控えめに提案すると、フォンゼル殿下が刺々しい視線を向けてきた。
(う、こんな表情するんだ。初めて見たかも。不機嫌オーラまで纏ってる)
雰囲気そのままに、尖った声が私に告げる。
「まず、婚約解消は認められない。そんな仮定とも妄想ともいう理由で、王家と公爵家の婚約が消えると思う?」
「ですよね? では、僭越ながら私が先に、殿下を"魅了"しちゃうというのは?」
「"魅了"は精神支配系の禁術だ。王族にかけるなんて大罪だよ。マーヤが捕まってしまうと思うね」
投げやりな口調で、もっともなことを殿下が言う。
もとより私に、"魅了"を使うスキルもない。
「あ、そっか。そうですね。じゃあ……"魅了"じゃなくフツウの誘惑なら……」
「マーヤが……? 僕を? 誘惑?」
フォンゼル殿下が目を丸くしている。この表情も珍しい。
若干彼の空気が和らいだ気がして、私は深く頷いた。
「そう、めろんめろんになるくらいに」
「それは──いいね。楽しみだなぁ。マーヤの本気を見せてみてよ」
殿下は華やかに整った顔に、咲き誇る笑みを乗せた。
(ほっ、ご機嫌が直ったみたい)
「僕は長年の婚約者をあっさり裏切るような男だと思われてて、ずいぶんと信用がないみたいだから……、念入りに誘惑してね?」
っあああ。トゲっ。チクチクと痛い。
殿下、そこをお怒りだったのですね。ごめんなさい!
かくして私の、殿下誘惑作戦は開始された。
手作りお菓子を用いた餌付け作戦。
なでなでスキンシップ作戦。
悩殺ドレス作戦。──これは、「他の男性も見てしまうからダメだ」と厳重注意されたので、もしかしたら効果ありだったかもしれない。
だけど、様々な作戦をニコニコと微笑み受け流され、手応えらしい手応えが感じられない。
(ちゃんと誘惑出来てるのかしら)
定時の門限にはいつも公爵邸に送り届けてくれちゃうし、成果出ないなぁと思いながらも、しばらく経った頃。
殿下が私に持ちかけた。
「え、聖女様が、私に?」
「そう。話をしたいと言っててね。場を設けても良いかな。僕も付き添うから」
当の聖女様、《菊池あさみ》さんに名指しで呼び出されてるらしい。
「何の話でしょうか?」
「わからないけど、今後のことを打ち合わせたいと言っていたよ」
「今後? 打ち合せ? でも私たち初対面ですよ」
とはいえ、殿下を"魅了"する(予定の)聖女様とは会っておきたい。
「殿下は何度もお話しされてるんですよね。どんなお方ですか?」
「うん? 常識的な女性かな。愚かなことはしないタイプにみえたよ。マーヤから"先入観なく彼女に接して欲しい"と言われてたし、公平に見て、問題ないと思う」
私も物語のマーヤとは違うのだ。
聖女様も違うのだろう。
平然と答える殿下にも特に"魅了"の気配はない。
しかし悲しいかな、私の誘惑作戦も効果がないので何とも言えない。
(やっぱりワンコだから……)
情緒がまだ、色恋に向いてないのかもしれない。
それならそれで安心なんだけど、と思いながらも、長身の殿下を見上げる。
鍛えてある肉体は厚みもあり、逞しい。
長い手足に、整い過ぎてる横顔は精悍で、たまに見せる笑顔に、かつて少年だった面影が残る。
(それ以外はすっかり、青年って感じだわ)
しかもとびきり上等な、最高位の貴公子。
いつの間に声変わりしたのだったか、耳に心地よく馴染む、落ち着きのある低い声……。
(あれ? ワンコ成分と弟成分、なくなってきてない?)
そうなのだ。
そのせいで意識してしまったのか、悩殺ドレス作戦の時、デコルテを大きく見せる、足元スリットなデザインが、すごく気恥ずかしかった。
少し前まで"相手はお子様だから"、と安心していたのに、この頃は会うとドキドキすることが増えてしまって、私のほうが誘惑されちゃいそうだと不安になる。
こんなに素敵なイケメンなのだ。
聖女様だって、絶対好きになってるに違いない。
(しっかりしろ、私。今後を話し合うんでしょう。先方の意向を確認しておかないと、方針も方向も決まらないわ)
そう決意して開いた扉の向こうには。
当然なんだけど、日本人がいた。
想像してたよりお姉さんで、二十代くらい。
黒い髪に黒い瞳はとても懐かしくて、私の感傷を激しく揺り動かす。
(日本人だ! 日本人!)
込み上げてくる郷愁の思いが、じわりと目元を熱くさせた。
互いに自己紹介で名乗った後、聖女《菊池あさみ》こと、菊池さんは私に言った。
「ねぇ。ちっとも私の出番が来ないんだけど、どういうこと? 察するに、あなた転生者でしょう? どれだけ物語変えたの? 本当だったら今頃、吸血虫による感染症が国内に広まって、私の神聖力で治癒するって展開だったのに、誰も倒れてないみたいなんだけど、私の役目は?」
「!」
すらすらと並べられた言葉に、隣で殿下も驚いている。私は慌てて聞き返した。
「吸血、虫?」
「そうよ。なぁに? いまさら知らないふり? もしかして転生のこと、そちらの殿下に内緒だった?」
私は殿下と顔を見合わせる。
"僕は何も話してないよ"、と無言のジェスチャーが返ってきた。
ですよね、私もそう思う。そして聖女様の様子に、隠しておく必要なさそうと判断する。
(勘だけど、この人は敵じゃない)
もし私に敵意を抱いていたら、殿下が私に会わせようとするはずがない。
彼は、私より他人の思惑に敏感だもの。
私は聖女様に答えた。
「じゃなくて、小説の内容を詳しく覚えてなくて」
最近まで、何の小説かもわかってなかった。
「ああ、そうなのね──。蚊みたいな羽虫が大量発生して、病気を広め、この国に危機が訪れるの。聖女が転移して、しばらくしてから起こる騒ぎで、聖女は熱に苦しむ多くの人を助けるのよ」
「あ……っ」
そういえば『花冠をあなたに』のお話では、聖女が地盤を固めたのも、王宮で強い発言権を持ったのも、治癒面で活躍したからだった。
(虫、蚊、発熱……まさかマラ〇アとか、デ〇グ熱とか、そういう──?)
でもこの国で、大量の蚊が人を襲うことはない。
「羽虫? それなら過去にマーヤが"蚊取り線香"とかいう虫よけを作ったから、それが国内に浸透して以来、極端に刺される人間は減っているぞ」
「あっ!」
「はぁ?」
殿下の言葉に、私と聖女はそれぞれ同時に声を出した。
そうなのだ。
私がまだ、菊池麻弥だった頃。学校の自由研究で、お手製・蚊取り線香を作ったことがあった。
なんせ苗字が菊池。
蚊取り線香が、同じく菊の名を持つ《除虫菊》から作られると知って興味を持ち、手作りしてみたため、転生後も作り方を覚えていたのだ。
こっちの世界にも似た花があり、効果が確認されたから、これ幸いとばかりに大量生産した。
あと下水道の臭いが苦手だったから、そちらも整備して貰ったし、他にも前世の知識で庶民の衛生面とか、生活向上してる。
だって婚約者は、第一王子という権力者で、私の実家は公爵家。財力があるから、効果が認められればお父様が商談だとか、人気取りとかに活用したもの。
「私、もしかして未然に、国の危機を防いでた?」
私の呟きに、菊池さんは拍子抜けしたような声を出した。
「なぁんだ。なら私もうお役ごめんじゃない。さっさと還らせて」
「えっ、えっ?」と私。
「そうか」と頷く殿下。
菊池さんが続ける。
「だって、居残ったところでこの舞台、逆ざまぁのお話でしょ? いやよ、分かってるのに、王子と令嬢に手を出して"ざまぁ"されるなんて。たくさんの人が困るかも、と思ったから、心配で残ってたんじゃない。そっちの恋愛ごとには興味ないわ」
この人って、この人って──。
「聖女!!!!」
「だから聖女だってば。というわけで王子様。魔法陣の段取りをして、私を元いた場所に還して欲しいの」
『花冠をあなたに』の世界では、異世界人の来訪は偶然だが、帰還は王家が守る魔法陣が使える設定になっていた。
物語の聖女は悪役で、"逆ざまぁ"の捕獲劇から逃れようと、魔法陣に走るシーンがある。物語では騎士によって阻止されたけど、こちらの彼女は止める理由がない。
「わかった。この国を案じてくれた礼に、しっかりと土産を用意しよう」
「わ、嬉しい。話が早い人って良いわね!」
彼女は朗らかに笑って、ウィンクした。
菊池さんは日本の会社員で。仕事の疲れをラノベで癒す派だった。
よって読んだ話は数知れず、そんな中、同姓同名が出る作品があったから「いつか異世界転移しちゃうかもね──」と笑っていたら、まさかの事態が起こったらしい。
ラノベの世界に恩返ししようと、聖女の力を発揮するため、今まで滞在していてくれたのだとか。
魔法陣は気がかりがあると発動しないのだ。蚊取り線香は、彼女の憂いを煙と消した。
「これを換金して、またたくさんラノベ読むわね~っ」
殿下からいくつか宝石を貰って、菊池さんは元気に魔法陣から帰還した。欠勤した分も、宝石で賄うと言っていた。私も渡したから、たとえ無職になっても当面困らないと思う。
知らないうちに国は救われ、物語の追放劇も回避できた後、私に残ったのは自己嫌悪。
「どうしたのマーヤ。元気がないみたいだけど、彼女が還って寂しい?」
「……菊池さん、すごく良い人だった」
「そうだね」
「なのに私、フォンゼル殿下を取られちゃうんじゃないかって疑って。魅了されたらどうしようって心配までして、出逢う前から彼女のことを警戒してしまった……」
先走って殿下を誘惑しようとした。
なけなしの魅力で。
「自分が情けないわ……。こんな私、呆れたでしょう?」
並んで座ったソファから、俯いた顔を少し横に向け、殿下を見ると。彼の声は、意外なほどに優しかった。
「未知の要因に備えるのは大事なことだよ。特に僕たちは、あらゆるものを疑い、有事への対応を求められる立場だ。呆れるものか。それに……僕にとって良かったこともある」
「殿下にとって?」
「今回のことでやっと僕を"男"として意識してくれたでしょ?」
「えっっ」
「気づいてないとでも思った? ずっと僕をきょうだいみたいに思ってたこと」
「っぐ!」
(ペットのワンコみたいとも思ったことは、知られちゃなんない!!)
緊急シグナルで、全身が固くなる。
そんな私に構わずに、殿下が魅惑的に微笑んだ。
「僕を取られたくないって思って貰えたのは、進歩だった」
「あわわ、そ、それは、あの」
私は慌てた。迂闊にも、そんなことを口走ってしまった気がする。
「誘惑作戦が終了するのは残念だな。個人的にはまだまだ続けて欲しいのに」
ソファの端から距離を詰めてくるので、自然と私は距離をとるものの。
じりっ、じりっと追い詰められていく。
「で、でも私の誘惑はまるで効果がなくて」
「まさか。"待て"をしてるのも、大変だったんだよ。ご褒美が欲しいんだけど」
(ワンコもバレてる──!! っつ、ソファの端!!)
行き止まりだ。
「とりあえず、今まで何度伝えても通じてなかったけど、そろそろ響いてくれるといいな」
「えっ?」
何を、とは聞けなかった。殿下に口をふさがれてしまったから。
軽いくちづけは、すぐに離れたけど。
前世でも今世でも初めてのキスで。バクバクしてる私の鼓動に構うことなく、殿下がそっと囁いた。
「好きだよ、マーヤ。追放なんて有り得ないから、ずっとそばにいてね」
「~~~!!」
そんなこんなで婚約はナチュラルに挙式にスライドし、私は花冠が映える花嫁になったのだった。
お読みいただき有難うございました!
夏休み、いかがお過ごしですか? 災害級の猛暑に、毎日辟易しております。
ただでさえ集中できないのに、ちっともお話が完成しなーい。
さて、こちら二作目の「菊池祭り」参加作品となります。(一作目は現代恋愛の5000文字)
「異世界転生」&イセコイで"菊池"の落とし込み、難しかった!(笑)
"誘惑"部分をたくさん書きたかったのに、省略になってしまって…、私めっ。
さらにワンコな部分をもっと書きたかったのに、やっぱり書けてなくて…精進します(`・ω・´)ゞ
マーヤが作った蚊取り線香、たぶんぐるぐるじゃなくて、三角コーンのお香型。あと麻弥の漢字はアサミ読みが出来、ラノベの救世の聖女は実は…みたいに何か仕込みたかったのに、こちらも時間足らず!残念っ。
なのですが少しでも楽しんでいただけましたら、下の☆を★に塗って応援ください。今後の励みとしますので、どうかよろしくお願いします!!(*´▽`*)/