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親友と不倫をした夫に子供を育てて欲しいと言われましたが、千年の恋も冷めたので断固拒否します

作者: 赤羽夕夜

「リリエル、すまない。けっして許されることではないことはわかっているが、それでもユエルとの子を自分の子だと思って一緒に育ててくれないか」


私、リリエル・フォンティーヌは現在婿養子でもある夫、サイレーンと王立学園以来の親友ユエルの最大の裏切りに空いた口が塞がらなかった。


赤に近い茶髪を琥珀の瞳に浮かべる涙のように、窓から差し込む陽光で照らされて煌いた。


まるで自分が悲劇のヒロインかのように泣きじゃくりお腹に手を添えて謝罪の言葉を口にした。


夫と親友の裏切り。お腹の子。悲嘆とお腹の子供への同情と怒り。


ぐちゃぐちゃと胸の中に渦巻いた感情をどう吐き出していいかわからず、慎重に答えるべきだと深呼吸をした。


彼の好みの女性になるべく、本当は巻きたくない髪を1時間かけて巻いてツインテ―ルの髪紐の結び目がやけに引っ張られるような感じがして痛く感じる。


年相応の大人びたドレスを期待のにフリルとレースがふんだんにあしらわれた重たい水色のドレスが裾に数十個の錘を着けたんじゃないかってくらいに重たかった。


口では謝罪の言葉を口にし、形から表現するべく、15脚並んでいる椅子に座ることなく私の足元で正座で座り込む2人。


お腹の子に負担がかかるから椅子に座らせようとも考えたが、怒りのせいで理性がまったく働かないし、なによりも謝罪というほど気持ちが籠った謝罪ではなかった。


一度だけの謝罪の言葉で満足して、ずっと言い訳と保身の言葉を並べ立てる二人を笑って許せるほど私は人が出来てはいなかった。


取り繕うことも出来ず、視線が下に向いていると、ユエルの言い訳はさらに拍車がかかる。


「リリエル、あなたが怒るのはもっともだわ。真実の愛に目覚めたとしても、親友の夫といけない関係になって子供まで作ってしまったのは許せないのはわかっている。けれど、お腹の子供には罪はないと思わない?」

「…………」


止めるまでキリがない。もっと言うことはないのか、とため息を吐きたくなったがぐっとこらえる。


学園時代、ユエルには何度も助けてもらったし心優しい言葉をかけてもらった。ユエルを心の底から友達だと思っていたからこそ、子供のことを盾にして自分がしたことを正当化して欲しくはなかった。


まだ、子供を産むことを許して欲しい、なら話がわかる。けれど、不倫の末に生んだ子供を侯爵家の子供として育てて欲しい筋と口に出して懇願するのは筋違いだ。


その発言で二人が自己中心的で、私がどこまでも自分の意のままに動いてくれる人形だと思っていたことがまざまざと見せつけられたようで視界が涙で溢れかえりそうになった。


※※※


サイレーンとは王立学園で出会い、恋愛の末に結婚までたどり着いて4年が経過していた。最初の2年こそは仲睦まじい夫婦だったが、後の2年は夜のそういった行為はもちろん、サイレーンの態度がそっけなく、一度外に出ると夜遅くまで帰らないので屋敷内でも話す機会も合う機会も減ったのが大きな理由で関係は冷え切っていた。


サイレーンは明るく人見知りをせず、いつも周りは人であふれかえっていた。


地味で目立たない私のこともよく気にかけてくれて、気の良いサイレーンに惹かれていつのまにか彼しか見えなくなるくらい好きになっていた。


サイレーンの好みの華奢で弱弱しい女の子というものを勉強するために、少女向けの小説を読み込み、おとぎ話のお姫様のように砂糖水の中に砂糖菓子を混ぜ込んだような恰好を無理して笑う日々。


苦しかったけれど、サイレーンが「可愛いよ」と言葉を投げかけ、興味を持ってくれる度に私の中の寂しいと思う心が空のコップに水が注がれるように満たされた。


サイレーンは入り婿なので私の家でもあるフォンティーヌの家を継いでいるが、当主としてまだまだこなせない仕事も多いので彼にバレないようにほとんどの実務は私がこなしていた。サイレーンのことを思うと全てが頑張れた。


そのせいで会える機会は減って、彼と過ごす時間も無くなっていったけれど彼と笑いあって幸せに暮らせるのならそれでいいと思っていた。


もう2年は共に過ごしていない夜。私がいない間に親友と乳繰り合って、仕事している間によろしくやっていたのかと思うと私の努力は全て水の泡だったのだと思い知らされた。


※※※


一縷の望みをかけて、いつも以上に気合をいれて腰まで伸びたプラチナブロンドの髪を巻いてふたつに結んだ髪の毛が首筋に触れて擽ったい。


フリルとレースがふんだんにあしらわれた少女趣味のようなドレスとアクセサリーを全て剥いでのうのうと許しを請い、また新しい生活を手に入れようとしている2人に向けて投げつけてやりたい。


ユエルとは会おうとしても体調が悪いと断られてばかりで、見舞いに行こうとしても風邪がうつるといけないからと断られたのはお腹の赤ちゃんのことを隠す為だったのかと思うと、最初から裏切る気が満々だったのがわかって、沸騰したお湯のように腹のそこから怒りがこみ上げた。


初めてできた友達。恋人にして夫。大事にしたかった。嫌われたくなかったからこそ自分じゃない自分を演じて付き合ってきた。


それももう無駄なら我慢しなくていいよね。


ふぅ、と今までの思い出を捨てるように息を吐いて、新しい空気を肺に満たすように空気を吸い上げた。


弱みを見せたらこの人たちは骨の髄までしゃぶりつくそうとする。自己中心で物事を考えられないのなら、私も遠慮する必要がない。


――千年の恋も、友情も冷め切った。


ベルを鳴らしてフォンティーヌ家を二代渡って支えてくれている執事長と自慢の騎士隊を呼び寄せた。


「サイレーン様、いえ、サイレーン。あなたとは今日をもって離婚するわ。最後の情けとして、養育費代わりにこのアクセサリーをあげる。二度と家の敷居を跨がないで!」


怒りを表現せんばかりの、喉からちぎれるほど声を張り上げるとフォンティーヌ家に忠誠を誓ってくれていた騎士たちが鬼の形相でサイレースのスーツの首根っこを摘まみ上げる。


私は二人に向かってドレスに合うために誂えたルビーのクマモチーフのイヤリングとペンダント、腕輪とダイヤモンドの結婚指輪を乱暴に取り外して投げつける。


ユエルは鳩が豆鉄砲を食ったよう顔で私を見つめていると、両脇を抱えられ騎士たちによって屋敷から追い出された。



※※※


それからどこから情報を仕入れたのか、多くの新聞社がフォンティーヌ家の離婚劇を取り上げた。


貴族同士が離婚することは珍しいことでもないが、タナー王国の宿泊事業を一手に担うフォンティーヌ家のスキャンダルは暇を持て余している貴婦人を始め注目していた。


新聞が流行っていない数十年前の環境ならすぐに埋もれた噂も、風化するには時間がかかる。サイレーンは身重のユエルを連れて逃げるように王都を後にした。


リリエルはというと、新聞を購読した取引先や貴婦人たちから心配の声をあげられるのをストレスに感じていた。心配してくれることはわかっているが、かえってそれを重く捉えてしまったリリエルは休息が必要だと感じ、心を整理する時間も合わせて1週間休暇を取ることに決めた。



※※※



サイレーンを追い出してから、ツインテールをやめて髪の毛を降ろし、服装も年相応の大人っぽいタイトめなスタイルのドレスを着るようになった。


フリルとレースのごわごわとした重々しいドレスを無理して着なくなったのは精神的にはとてもよかったことだと思う。可愛く振舞う度に私の中のなにかがすり減っていくあの感覚。若さを取り柄にしたキャラ作りは年を取ったところでいずれボロがでてしまう。


それに、このスタイルは使用人たちからも好評で、侍女長からも褒められたし、執事長からも年を取ってからもあの痛々しいキャラを演じると思うと胸が痛かったといわれてしまった。


迷惑をかけた二人には後で特別休暇を出しておこう。


休暇を取るための最後の仕事の処理を終えると執事長がノックをした。


「お嬢――じゃなくて、奥様――でもなく、リリエル様」

執事長は私が幼い頃から仕えてくれており、癖として呼び方が定着していた。言い直しに言い直しを重ね、名前と敬称で呼び方が落ち着き、刻まれた顔の皺の溝にバツが悪そうに汗を浮かべた。


気にしなくていいのに、と軽く笑うと執事長は咳払いをして本題に入った。


なんだか落ち着かない様子で一度床に視線を落とした。そうして。

「ユーゴー様がお見えです」

「ユーゴー?王立学園の同級生だったユーゴー・テーヌかしら」


執事長は深く頷いた。


ユーゴー・テーヌ。タナー王国のテーヌ公爵家の次男で今は貿易事業を動かしている実業家。長男が公爵位を継いだ後は港町でも一等地に豪邸を立てて暮らしていると風の噂では聞いていたが、王都に戻ってきていたとは知らなかった。


サイレーンと結婚してからというもの、私が男性と関わるのを極度に嫌ったサイレーンを気にして友人たちとは疎遠にしていたのに。遠い地でも私とサイレーンが別れたという噂は広まったのだろうか。


それともなにか用事があるのだろうか。


なににしろ友人が遠方から訪ねてきたのに追い返すなんてできるはずもなく、応接室に向かった。


応接室に入ると、長い髪の毛の毛先がブルーがかったブロンドを後ろにひとつにまとめ、片目だけ視力が悪いのだろうか、モノクルを身に着けて眠たげなグレーの瞳を私へと滑らせた。


物静かでありながら重厚な雰囲気を醸し出すのは相変わらずで、対面の席に座ると昔となにひとつ変わらない切れ長で美しい顔に微笑を浮かべた。


「久しぶりだな。なんだ、あの趣味の悪い縦巻きツインテールとぶりっ子ドレスはやめたのか?」


意地悪な表情を浮かべ、皮肉を浴びせるのは相変わらずで安心した。


今になっては恥ずかしい記憶で、顔に集中した熱でどうにかなってしまいそうになりながら冷たい両手を当てて熱を冷ました。


「やめてよ。……あの恰好は本当に、私でもどうかしてたと思う」


22にもなって縦巻きロールにフリフリのドレスなんて周りをみてないにもほどがありすぎる。恋をすると周りが見えなくなるというけど、私はまさにその典型的なタイプだったらしい。


それに関しては反省しかないので、黙っているとユーゴーは察してくれたのかつまらないと口を尖らせて冷やかしの言葉を浴びせるのはやめてくれた。


「それで、ユーゴーが私の屋敷になにか用なの?貿易関係の会社、今右肩上がりなんでしょ。油売っていて大丈夫?」

「リリエルと違って要領がいいから心配しなくていい。それより、離婚したんだって?」


慰めに来たぞ、と言わんばかりにニヒルな笑みを浮かべた。


私がなにかをやらかすと決まってそれを引き合いに出して揶揄う意地の悪さは変わらない。


私も言い返す時は言い返すからそれほど気にしていないけど。


それに、今は親身になって慰めの言葉をかけられるより、茶化してくれた方が私も気が楽だ。


「あんなに新聞に取り上げられちゃあ港町にも届いちゃうよね~」

「まぁな。あんなにラブラブだったのに、別れる時はあっさりなんだと驚いたものだよ。元から女癖は悪かったし別れて正解だよ。よかったよ」


離婚を喜ぶ友人なんてどうかしている、と思うかもしれないが、私にとっては最悪な結婚だったし、ユーゴー自身も結婚前に「あの男はやめておけ」と1回だけでも忠告してくれていたのに聞かなかった。


別れ方も別れ方なので、不快には思わなかった。ユーゴーは素直ではないので、逆にそうやって声をかけてくれるということは心配の裏返しなので、胸がいっぱいになるような気持ちになる。


「ごめん。あの時、忠告してくれたのに、私、聞かなくて」

「ん?ああ。別に気にしちゃいない。頑固なオマエを説き伏せられるとは思ってもいなかったしな。どうせ泣かされるだろうから、その時は顔を見に来て笑ってやろうと思っていたよ」


私から疎遠にしていたのに、数年経った今もこうして私を気にして屋敷に足を運んできてくれた。ユーゴーの心遣いに泣きたくなる気持ちを抑えて空気と一緒に飲み込む。


お茶を飲みながら失われた4年を生めるように互いの話に花を咲かせた。


そうして夕食の時間になり、ワインを開け、いい気分でアルコールを注入するといつの間にか記憶をなくし朝を迎えていた――。


※※※


「ん――んん。頭いった……、久々にワイン、飲み過ぎた。気持ち悪いぃ~」

頭の中を金槌で叩かれるような頭痛で目が覚め、酔い止めを貰おうとサイドテーブルに手を伸ばそうとすると、背後の肉の温かさと胸まで伸びる筋肉質な白い手が視界に入り行動と思考が停止する。


下腹部の違和感、裸の男女がベッドの上、酔いつぶれるまで飲んだこのシチュエーションでイメージできる状況はひとつしかなかった。


友人と一夜の過ちを犯してしまったことに対しての衝撃と罪悪感で悲鳴をあげそうになりながらなんとか声を抑えると、ユーゴーは視線でチョコレートを溶かしそうなほど熱く甘い表情を向けた。


あのユーゴーが笑みで女性を虜にして殺すような視線を向けるなんて新鮮だ。


一体何人にその甘い表情を向けてきたのだろう、と見惚れつつ、状況に流されてはいけないと理性が戻る。


急いで距離をとって、恥ずかしい恰好をどうにかしたくてネグリジェを雑に羽織った。


「これは……その、どういう状況……でしょうか」

「勘違いしたら嫌だから弁明させてもらうが、おまえから誘ってきたんだからな。ったく、酒が弱いなら次からはもう少しセーブしておけよ」

「~~~~!」


今まで酒で意識を失うなんてことがなかったのに、あまつさえ友人を襲ったなんて酔った私は一体なにをしているんだろう。


勢いで致してしまった罪悪感と、焦燥感で胸の中がじりじりする。


その間にユーゴーは脱ぎ散らかされたスーツを着直して、ジャケットを羽織った。


切り替えの早さに開いた口が塞がらない。コイツ、手慣れているな、と眦を細めると、ユーゴーは猫が玩具で遊ぶように楽しそうにグレーの瞳の視線を緩めた。


そうして静かに足音を立てて私の耳元で低く囁いた。

「男としても、夜の方も、俺のが良かったろ?」


ぞわりと鼓膜を震わす声と官能的なワードに下腹部が震え、羞恥心で熱が未だ残る首元が痒くなった。


親友にこんな劣情を抱くことと、あまつさえこの状況を楽しむユーゴーに苛立ちを感じて枕を手に取って彼の余裕が垂れ流される顔に口をふさぐように押し付けた。


※※※


一夜の過ちがあってから、ユーゴーはしばらく王都に留まると言って私の屋敷に滞在した。


あんなことがあったのによく泊まれるな、とユーゴーの図太さに感心していると魔王のような腹黒い笑みを浮かべて頬を抓られた。


それから一夜の過ちの後は特に他の罪も積み重ねることもなく。学園に在籍していた時のようにフォンティーヌ家の庭を散策したり、市場調査という名目で買い物や食べ歩きをしたり。


時にはビジネスの話をしたり、流行りの話や、王都劇場で公演している劇を見て感動したり。


遊び歩いて、寝て、起きて、食事を取って。結婚していた時以上に充実した休みを送れた気がする。


離婚の話を聞いて落ち込んでいるかもと、心配して離れている場所から駆けつけてくれる友達が私にはまだいたのだと思うと喉がきゅうと締め付けられた。


そうして休暇の一週間を終えると忙しい日常が戻ってくる。


離婚の後処理や、サイレーン名義でしていた業務の引継ぎがメインだがそれでも数週間は夕食以外で顔を合わすことは数えるほどだった。


サイレーンの名義といっても業務を行っていたのはほとんど私なのでそれほど大変ではなく、時間を食われたのは前者の処理だった。


離婚をしてから、サイレーンは生家のサセティーン子爵家に返ったが、不倫による離婚は地方領主の家臣である子爵家には特大スキャンダルだったようで、主人たるフェリクス伯爵を始め、周辺領主や貴族たちに白い目で見られているらしい。


特にフェリクス伯爵家と懇意にしているレガル伯爵家は、農業地帯でイチゴや桃、葡萄などの果樹園を生業としている領地で、フォンティーヌ家の旅行事業部門と提携し、富裕層向けの果物狩りツアーを毎年計画したり、果実酒を大量にホテルに降ろしてもらっている。


ビジネス的にも深い関わりがあるので、レガル伯爵も怒り心頭でフェリクス家を通してサセティーン子爵家に抗議をしたようだった。


ユエルと言えば、無事に子供が生まれたようだが夫婦仲は最悪で喧嘩が絶えず、義父母とも折り合いがつかない。


なにかと息子を庇い、人に責任を押し付ける性格なので、私とも反りが合わなかった。ユエルのような反抗心が強い性格だとうまくやっていけないだろう。


その旨に関する愚痴と再婚の要求がサイレーンから届いた手紙には書かれていた。


私からしたら知ったことではないし、自分たちの問題は自分たちで解決して欲しい。


それに、スキャンダルというものは一度報道されてしまえば、勝手に情報を解釈し、話を理解した気で騒ぎ立てるものだ。一度悪く捉えられてしまうと、優しく声をかけたところで逆効果なのは目に見えている。


手紙を暖炉にくべて燃やしてやって椅子の背もたれに思いっきり身を沈めた。


※※※


手紙が来た次の日、朝食を取りに来るとユーゴーは食後のコーヒーを片手に新聞を読んでいた。


それ、私が頼んでいた王国新聞紙なんだけど。


目で訴えていると「細かいことは気にするな」と言いたげに息でコーヒーの湯気を揺らした。


「あなた、ここにいつまでいるつもり?もうすぐ一ヶ月だけど、仕事は大丈夫なの?」

「ご心配どうも。俺の部下は優秀だから、一ヶ月くらいなら俺がいなくても問題なく事業を回せるさ。それより、リリエル」

ユーゴーはコーヒーをおいて私に向き直る。いつになく真剣な眼差しが気になってつい私も背筋をしゃんと伸ばした。


意地悪ではなく、まっすぐと私を見据える時は決まってシリアスな話であることが多いから。


「単刀直入に言う。俺はおまえのことを愛している」

「本当にストレートだね。……でも、それはちょっと信じられない、かな」


ユーゴーとは軽口を叩き合えるくらいに気を許している仲だ。だからこそ、悪口を言い合っても、喧嘩をしても仲を保っていられる。


サイレーンが嫌がるから連絡を取ることを辞めた時、こうして会いに来てくれるとは思わなかったけど。離婚の話を聞いて、心配してくれて勇気づけるために一緒にいてくれたというのは本当にありがたいと思った。


余計なことを考えずに休暇を過ごせたし、学園時代の楽しい時間を思い出せた。


けれど、今の私は愛というものがわからなかった。


愛とは与えるものだと誰かが言った。


サイレーンのことを愛していたし、彼が入り婿として馬鹿にされないように、侯爵の名に恥じないように影で私なりに支えてきた。


彼が大人びた女性は生意気だから嫌いだといったので、小動物のような可愛らしい恰好と見た目を目指した。


少しむず痒かったけれど、私なりに彼に尽くしてきたつもりが、裏切りで私に返した。


彼は私と同じ気持ちだと信じていた。


愛に見返りを求めるものではないけど、期待して裏切られた時。私は愛というものを信じられなくなってきた。


だからこそ、目の前でユーゴーが「愛している」と口にしても、申し訳ないが信用することができなかった。


「過ごした時間は楽しかったし、あなたのことは好きだけれど、それは異性としてかといわれるとわからないし。そもそも私、離婚したばかりなのよ。今すぐあなたの告白の返事をするのは難しいわ」


傷つけないように、けれど本当のことだけを伝えた。すると、ユーゴーは唇を不安そうに緩ませた。しかし、グレーの瞳は肉食獣が獲物を捕らえるように、私を視線で釘付けにした。


「”今すぐ告白の返事をするのは難しい”ということは、考える余地はあるんだな。なら、今はそれでいい。嫌になるまででいい。少しだけ、俺の気持ちを伝える猶予をくれないか」


こんな、押しが強かったっけ。

私の計算だとここで遠慮して断ってくれてもいいのに、食い下がるユーゴー。申し出を断れば数少ない友達がまた1人いなくなる。ひんやりとした寂寞の空気が不安を掻き立てる。


友人と嫌な雰囲気になりたくなくて、気が付けば何回も私は首を縦に振っていた。


笑みは崩れなかったが、ユーゴーは安心したように肩を落とした。


※※※


それから、ユーゴーは港町に帰った。


特に日常が変わることもなかったが、ユーゴーとは手紙のやり取りや事業を通して会う機会が増えた。


以外とマメな人で今日あった些細なことを手紙でしたためると丁寧に返してくれたり。定期的に時間を作っては会おうと言い出してくれたり。多い時は週に1度も顔を合わせれば仕事に明け暮れる私たちには他愛のない話の話題の底がついてしまう時だってあった。


そんな時に、ふとお互いの事業の話題になれば以外と他愛のない話より話が弾んだ気がした。私も宿泊事業の話やユーゴーの事業の話が楽しくてついつい話過ぎてしまうところがあった。


服やアクセサリーの話を無理に話していた時と比べると楽しい。


ユーゴーの前でありのままの私でいられることがどれだけ気が楽だろうか。


そんなある日。ふと酒の席でユーゴーから有益な話が聞けたのがきっかけだった。


ユーゴーの貿易事業が軌道に乗っており、港町と周辺一帯の海路は賑わいを見せていた。タナー王国自体が外国との交易の幅を広げたということもあり、港町一体の店は珍しい品物であふれかえり、観光客が増えているという。


その中で船を活かした船旅の事業を展開しようという話が商会内で持ち上がったそうだ。ユーゴーが所有する大型の客船を改築し、貴族をターゲットにした宿泊施設なんて楽しそうだ、と話すとユーゴーはまるで子供が流行りの童話の続きを聞きたがるような好奇心に満ちた目で聞き返した。


そうして、大型船を客室が備わった客船へと改造し、宿泊施設を増設すること。船旅に、海から見る港町の絶景ポイントを周り、有名な音楽団や外国の旅芸人などを招いてのショー。ディナーは歌姫や吟遊詩人のディナーショーで、旅の夜の〆は豪華な花火を打ち上げるなどのエンターテイメントという付加価値をつけたら面白そうだと提案すると悪くない案だと受け入れた。


海運で荷物を運ぶとき、乗務員たちは何日も船の中で寝泊まりをするという。何日も船に揺られて退屈だという話を追加で聞いて、絶対にこれは流行る!と勢い込みで話すとトントン拍子で話が進んだ。


客船の内部の従業員と催し物に関わるサービス面の全ての差配はフォンティーヌ家が。船に関わる管理や運営、港関係の全てをユーゴーのテーヌ家が請け負うことで話が進んだ。



まずは王国民向けに事業発表をして反応がよければ試験的に外国向けに徐々に展開していく。宿泊事業としてはもちろん、移動手段としても利用してくれるようになれば、観光客が主に港町にもお金を落としてくれて、結果的に経済も潤う。


船とホテルをかけ合わせた新しい在り方に私は胸を躍らせつつ、新しい企画のために寝る間も惜しんで準備と調整を重ねた。


※※※




「はぁ……、緊張するな~~~~!」


豪華客船のお披露目会当日。


港に停泊している白い船体の巨大船を前にして不安と一緒に緊張をため息と一緒に吐き出す。


前代未聞の船の上のホテルにして、王国新聞紙をはじめとしてさまざまな情報媒体や貴族、王族に至るまでさまざまな人たちから期待を寄せられた事業だけあってお披露目会は絶対に成功させたかった。


数億金貨を費やし宿泊設備を備えた客船へ改造し、王国だけでなく外国でも名が知られている劇団や音楽団を招いた。宿泊会を行うために出資した貴族や富豪たちに声をかけ、記者や社交界でも名が知られている貴婦人たちを招待した。


このお披露目会の為に頑張った努力も、かかわった人たちの期待を裏切らないためにも、そして私がリリエル・フォンティーヌ新侯爵として名前を知ってもらうためにも。そして手を貸してくれたユーゴーに美味しい思いをさせてあげるためにも全ての思いを乗せてお披露目会に望んだ。


――。


「リハーサルでも何度か見させてもらったが、本当にオマエのところの従業員の接客スキルは目を見張るものがあるな」

「おもてなしの心を持つことこそがうちのモットーですから。それより、招待客たちの案内を任せて大丈夫だった?」

「ああ、船の構造や設備に関しては俺たちの方が詳しいからな。広間まで案内して、詳しい説明と経営陣挨拶を終えたら、段取り通り、リリエルは招待客の接客に集中してくれ」

「わかった。じゃあ、わたしは招待客のリストとディナー料理のチェックに行ってくるね。――あとは」


よろしく。最後の言葉が廊下の奥から聞こえてくる金切り声で掻き消された。


誰かが癇癪を起して暴れているというのは想像に難くない慌ただしさで、胸騒ぎがした。


ユーゴーと顔を見合わせて急いで声がしている船の入り口に向かうとそこには見知った女と男。そして女の手の中に抱かれている赤ん坊が立っていた。


「私はリリエル・フォンティーヌの親友よ!招待状だって本物なのにどうして中に入れないの!肌寒い時期の潮風だって体に悪いのに。それに赤ん坊だっているのよ!」

「申し訳ありません。招待状に記載された氏名のご本人様以外の入場はお断りさせていただいております」

「一度リリエルに合わせてくれ。サイレーンが来たと言えばきっと……っ!リリエル!」



何故ユエルとサイレーンがここにいるのだろうか。豪華客船の宿泊会のチケットは出資者の家族や知人、一部の貴族と王族、複数の新聞記者にしか配っていない。


そのリストの中には彼らの名前はなかった。


受付を担当していた10代後半の男の子に話を聞いてみるとどうやら誰かから譲られたチケットで入ろうとしていたようだった。


所謂転売か、それともただ譲渡されたのか。過程を問うのは後にして今は彼らせいで送れる出航時間と状況の整理と対処が先だった。


「お久しぶりです。サセティーン令息。サセティーン令息夫人。招待状に記載の通り、安全面を考慮してご本人以外の入場はお断りしております」

「冷たいわ。私たちはサイレーンの故郷に戻って後ろ指を差される生活をしているというのに、あなたは優雅で壮大な船に乗って船旅を楽しむんですって。私たちにもそのおこぼれに預かってくれたっていいじゃない。親友でしょ」


その親友のを裏切って夫を寝取ったあげくに子供を育てさせようとした女がなにをいけしゃあしゃあとほざいているのだろうか。自己中で面の皮が厚い態度は相変わらずだ。


一時期、この態度を素直で甘え上手だと感じていたが、実際はただ他人を自分の欲望を満たすだけに利用していたのだと思うと落胆する。私の数年を返して欲しいとは言わないが、縁を切ったつもりだから現れないで欲しい。


しかし、ここは人の目が多い。騒ぎを聞きつけて噂好きの貴婦人たちが興味深そうに廊下の死角からこちらの話に聞き耳を立てている。


ここで対応を間違えば出だしからつまずいてしまう。


ユーゴーはどうしているだろうか、と表情を伺ってみると、目元に影を落とし、額に青筋を浮かべていた。そうだよね。大切な事業の発表会を邪魔されて怒らないわけがない。


「厚顔無恥という言葉があるのは知っているが、この王国でそのような人物に出会えたのは初めてだよ。親友を裏切った挙句に、体調も崩しやすい赤ん坊を賑やかな会場に連れてくるなんてどうかしている。それに自分のしでかしたことを棚に上げて親友だなんて、正気か」

「もちろん、私がしでかしたことは裏切りに等しい行為かもしれません。しかし、それは愛の前では仕方なのないことだったのです。リリエルがサイレーン様に向けた愛が私がサイレーン様に向けた愛に勝っただけのこと。それに、リリエルは離婚後、どこかの殿方とはいい雰囲気だとか。昔のことを蒸し返さないでくださいませ」

「……リリエル」


愛だと宣うのなら百歩譲って恋慕したとしても、それが不倫をして子供まで作る理由になるわけがない。愛を使えば全ての出来事が正当化できると思わないで欲しい。


それに離婚した後のことまで彼女たちに口を出される権利はない。煮えたお湯のように沸々と湧いて来る怒り。


ユーゴーは密に私の腰に手を回して落ち着かせるように数度叩いた。


味方が1人いるだけでも心強い。それに、目の前の人たちが私を利用しているつもりなら私もまた彼らを利用しても罰は当たらないだろう。そう思うと熱した鍋に冷や水をかけられたように苛立ちという熱を失い、冷静さを取り戻した。


彼女たちがなにを考えているかわからなくはない。思い通りにはさせない。


頬に手を添えて、こてんと首を傾げてみた。

「本来は招待状の譲渡を禁止しております。令息夫人が抱かれているお子様はまだ首も座っていないようですし、注意事項に書かれている通り、陸と海上の気温と環境は違いますので、体調面等を考慮して三歳児以下の入場はお断りしているのです」

追い返されると思ったユエルは弱弱しく瞼を伏せて胸に抱いている赤ちゃんを大切そうに抱え直した。


「リリエル。私たち、子爵家に戻ってから煌びやかな場所にもいけず、薄暗い部屋にこもって、たまに小さな庭園の庭木を眺めるばかりの静かな生活をおくっていたのよ?少しくらい楽しい思いをさせてくれたっていいじゃない。この子にだってこれからの為にも経験をさせてあげたいわ」


ユエルの視線は目の前にある、赤ちゃんに向けられる。両親似の赤に近い茶髪に、父親似の翡翠のくりくりとした瞳が照明が淡く照らしていた。


殺伐とした中で赤ちゃんだけが無垢に笑っているが、不倫相手の子とあって素直に可愛いとは思えなかった。赤ちゃんには罪はないけれど、裏切りの象徴は見ているだけでいい気分ではない。


しかし、いつまでも寒い潮風にあたっていれば免疫もまだない赤ちゃんは容易く体調を崩すだろう。気に入らないからといってどうにでもなればいいと思うほど薄情にはなれない。


あくまで赤ちゃんの体調を心配するという言葉を全面に押し出して私の判断を伝えることにした。


「わかりました。ここで無理に追い出して無理やり連れてこられた赤ちゃんになにかあれば可哀想なので、特別に入場を許可します。ただし、赤ちゃんの体調の変化を考慮して船内に常駐している医師の近くの部屋にいること。必ずうちの従業員一名以上目の届く範囲にいることを条件とします。”招かれざる客”だということを念頭に置いて過ごしてください」


心配しか残らないけど、現状は監視の元で様子を見た方がいい。


それになにかやらかしてくれればその分こちらで対応しやすくなるだろう。


後ろ髪をひかれながらも、時間が押しているのでユーゴーと共に船内に戻ることにした。


※※※


一泊二日の宿泊会は最初に客船内の広間件ロビーでの挨拶が終わった後、プログラムに則って、船内散策、自由時間、オーシャンビューを背景に海外の音楽団による音楽鑑賞会、旅芸人たちのプレミアムショーと演劇の後、歌姫と吟遊詩人によるディナーショーが行われ、1日の〆に港から打ちあがる花火を鑑賞するという流れだ。


従業員の監視もあってか挨拶から音楽鑑賞会までの予定の中、特に騒ぎ立てることもなく静かに催しを楽しんでいる雰囲気だった。


途中赤ちゃんがぐずってしまったが、うちの従業員たちの臨機応変な対応で別室に移動させたことで空気を壊さずに済んだ。


ユエルはなにか言いたげだったがそもそも三歳児以下の入場は規約で禁止していることを出せば強くいうこともなく。このまま順調に予定が終わればいいのだけど。


音楽鑑賞が終わり、休憩を挟んだ後、宿泊会でも期待されている演目のひとつ、演劇鑑賞が始まろうとしていた。


演劇鑑賞では激しい色味の照明や大きな音が使われる予定なので、心臓が弱い人や妊娠した女性や小さい子供は安全を考慮して別室で世界のお菓子試食会を楽しんでもらう予定だった。


ユエルも赤ちゃんを連れているのでそちらに案内する予定だったのだが、それが気に喰わない様だった。


「嫌よ。どうして演劇が楽しめないのよ。赤ちゃんの面倒くらいみててくれたっていいでしょう!」

「申し訳ありません。演出上の都合で体が弱い方は別室で別の出し物を楽しんでいただく予定となっておりますので、こちらに参加することはできません」

「貴方じゃ話にならない!リリエルを呼んできなさいよ!」


大声は裏方で段取りを確認していた私にも聞こえてきた。


参加者たちはそれぞれが指定された席に座り、鑑賞会を楽しみにしているというのに。


わざわざシアターの舞台の真ん前までやってきて抗議をしているようだった。


ユエルから発せられる怒鳴り声に胸の中に抱かれて眠っていた赤ちゃんが泣きだし、状況は余計に混沌を極めた。


監視役を頼んでいた従業員では手に負えないと判断した私は舞台袖から姿を見せると、ユエルは不満を込めてキっと睨んだ。


「リリエル、聞いてよ。赤ちゃん連れだと演劇が見れないんですって。これって差別じゃないの!?どうにか言ってよ!」

「演出の都合上、心臓が弱い方の鑑賞はお断りしているんです。妊婦や小さなお子様連れのお客様には別室で違うプログラムを楽しんでいるので、そちらに向かっていただくようにお願い申し上げます」

「この子のせいならあなたが預かっててよ。それとも、小さい子供を連れた私は客じゃないとでもいいたいの?」



小さい子供連れのお客様には事前に口頭で伝えてあるし、全員理解して別室に移ってもらっている。ユエルだけではなく関係なく等しく同じように扱うのは当然のことだ。


そもそも、楽しむために押し掛けたのならそれはそれで赤ちゃんを連れてこなければよかったのに。


癇癪を起こせば今まで相手が折れて思い通りになっていたから、今回も同じように癇癪を起して自分の主張を通そうとする。


いい大人が感情に任せて周りに迷惑をかけるなんて間違っている。


というか、それに巻き込まれるお客様も私も迷惑だ。


「リリエル、どうした。開演時間までもう――」


船内を巡回していたユーゴーが合流した。騒ぎを聞きつけて来てくれたのだろう。ユエルを止めることもなく、ただ静かに座るサイレーン。そして騒ぎを起こしてるユエルに表情を顰めた。


「……リリエル、ここはいいから別室に向かってくれ」

「あら、ユーゴー様じゃありませんか。サイレーン様と別れた後にリリエルに言い寄っているそうですけど、気があるんですかぁ?」

ユエルはユーゴーを見下すように語尾を跳ね上げて鼻息を鳴らすと、ユーゴーは安い挑発だと舌打ちを鳴らした。


駄目だ。感情的になって相手にすれば相手の思うツボだ。


それはわかっているだろうに、ユーゴーはあふれ出る怒りを我慢するように拳を作る。



「そうですよね。学園時代、リリエルばかり構っていたのですもの。離婚したらちょっかいかけるのも頷けますわ。でも、リリエル。離婚して1年も経っていないのにもう他の男に乗り換えなんて気が早過ぎない?」


ユエルは気づいてさらに罵倒を浴びせる。ユーゴーや私がなにをしているか、今の状況で出す話題でもない。私の評判をどうにかして下げたい意図が見えた。


今日はとても大切な日なのに。これしきのことで狼狽えては周りのお客様も幻滅してしまうだろう。


それに記者が複数人いる。対応を間違えればゴシップネタとして醜聞が広まる。


リリエルが私を尻軽女として騒ぎ立てて私がゴシップネタになるか。ユエルが自分から自滅してくれるのを待つか。しかし、彼女にはもう何も失うものがないと言いたげに暴走している。


サイレーンも目が死んでいる。


黙っていてはユーゴーまで巻き込まれてしまう。どうせ私が悪者になるくらいなら――。


「あら、夫と別れて新しい恋路を探すのはなにかおかしいことなの?ユーゴーは未婚だし、私からアプローチしてもなにも関係ないことだと思うけど」

心の中で謝りながら、ユーゴーに腕を絡めてしなだれかかる。この間従業員として雇った元娼婦の女性から教わった誘惑術を披露する。


流し目なんて人生で発なんだけど、どうかな。とユーゴーを見上げると、鳩が豆鉄砲を食ったような表情で固まっていた。


黙っていた方が好都合だ。


「遠回しに無神経だと罵りたいなら、人の夫を寝取った挙句に、縁を切った元友人の職場まで子供を連れて無理に押しかける女の面の皮はどれほど厚いのでしょう。鋼鉄くらい?」


首を傾げてやると、ユエルは思いのほか挑発に乗り、わなわなと肩を震わせた。


まさか自分のことは棚に上げられたままだと思っていたの。浅はかすぎて笑いが漏れちゃう。


「あなたがどうなろうと知ったことではないけれど、生まれたばかりの赤ちゃんの体調も考慮せず、ただ自分がしたいように振舞って周りに迷惑をかける両親に育てられる子供の環境を考えるといたたまれないわ。不倫した男の子供出産したって母親なんだから、少しは子供の為に自重したら?」

「~~~~っ!はっ。それがあんたの本性ってわけ。男好きの癖に貞淑を装っちゃって。サイレーン様も飽きてユーゴーに乗り換えたいから捨てたんでしょう」

「……?なにを言っているの?サイレーン様は自分の意思であなたと赤ちゃんを選んだんでしょう?話を捏造しないでくれるかしら」


これ以上相手にしても話は堂々巡りになるだろう。こちらとしても礼儀は尽くしたつもりだし、特別待遇で客船に招いた。これ以上我慢する必要はない――。


気持ちが固まって彼女たちを追い出そうと口を開こうとしたとき。腰に当てられる手のひらの温もりを感じた。


ユーゴーが身体を引き寄せ、綺麗にセットされたブルーがかったブロンドの横髪を耳にかける。いつになく穏やかな表情で、逆に怖い。


悪魔の笑みをひやりと作ると、ユエルを静かに見つめた。


「そうだな。俺はそこの気持ちが軽い男と自己中で小狡い女と比べて、リリエルを大切な恋人として思っているから魅力的に見えてしまうのもよくわかる。少なくとも、俺はオマエたちのように大切な人を簡単に裏切ったり、利用して陥れようとしない。その点ではオマエたちがリリエルを解放してくれて感謝しているよ」


ユーゴーの言葉は鋭いのに声音は非常に穏やかだった。嵐が過ぎ去った後の湖の湖面のように穏やかで、グレーの瞳は緩やかに視線が和らいだ。


嘘でもときめいてしまう言葉を必死に生唾と一緒に飲み込んで我慢する。いつも喧嘩していたユーゴーにこうして女として気持ちを向けてしまう日がくるなんて。


私の視線に気づいたユーゴーは挑発的にほほ笑み、顎に手を添えて持ち上げた。


「んっ……」

顔が下りてきたと思えば唇から熱が伝わり、ミントとシガーの香りが鼻孔を擽る。


触れるだけのキスではあるが、背筋がぞわっとする甘さ。自分の意思の範囲内で夫以外に許したことがない行為に顔から火がでるくらい恥ずかしい。


ざわり、とオーディエンスが騒ぎ、記者たちはカメラを持って私たちのキスシーンを何度もシャッターを切った。


ユーゴーは見せつけるように、肩を引き寄せた。


「俺とリリエルの間にお前たちが付け入る隙はない。残念だったな。それより、お前たちはこのままでいいのか?俺たちよりお前たちの方が目立っているぞ」


ユエルたちは後ろを振り返ると、記者たちがカメラやメモ帳を構えており、その後ろに座っている貴族たちは冷ややかな視線をユエルたちに向けていた。


顔色の悪いサイレーンは腕を組んでいる私に手を伸ばし、「リリエル、お願いだやり直さないか」と消えそうな声で口にする。今それを言う?


しかし、騒ぎを聞きつけた警備員はサイレーンを取り押さえた。


「最下層の監禁室に入れておきましょうか」

「両親はともかく、赤ちゃんの体調が心配なので、部屋に案内してください。その代わり他の客人に危害を加えるといけないので、警備の人員を2人割いて監視をお願いします」


支持を出すと、警備員たちは機敏とした動作でユエルたちを連れて行った。


ひとまずは嵐は去った。息を吐きたい気持ちを我慢して肩だけ落とすと、パラパラと拍手が聞こえた。


もしかして、これが劇のワンシーンとでも勘違いしたのだろうか。我ながら、小説に書かれているようなドロドロな展開だもんね。


拍手の中で私たちは手を挙げて騒動とタイムテーブルの遅れに関し謝罪とお菓子のサービスを手配して舞台袖へと引っ込んだ。


……。


そうして、全てのスケジュールが終了した。


ユエルたちは船を降りたその後、業務妨害と名誉棄損、貴族侮辱の罪で裁判をかけることに決めた。サイレーンからは謝罪と保身のための手紙が来たが全て破り捨ててやった。


新聞にはあの時の騒動が記事になっていた。簡単にまとめると、ユエルたちが無効な招待状を片手に船に乗り込み、業務を妨害したこと。まだ幼い赤ちゃんを盾にして私たちを陥れようとしたことが書かれていた。


ユエルたちがどうなろうと知ったことではないが、赤ちゃんには罪がないのでこの騒動がきっかけで生きづらい人生を送って欲しくはないなとも思ったり。


そんな記事がいくつかある中、私とユーゴーの熱愛報道もされていた。


新たなロマンスの始まりだの、若手実業家同士の交際だの、好き勝手に描かれている。あの時は受け入れたけど、こう好き勝手に描かれてしまうと気分のいいものでもなく。


いや、たしかにユーゴーはイケメンだし、性格に難ありで強引だけど、世話焼きなところもあるから結婚相手としては引く手数多なんだろうけど。


それでも私なんかと釣り合うのか心配だ。


あの時は協力をしてもらったけれど。だからこそ、好きになれば、ユーゴーを利用しているようで気が引けた。


そんな気持ちのまま、ユーゴーと再び会う機会が訪れて、今は王都で有名なカフェの個室で二人で甘いものでテーブルを囲い、紅茶を飲んでいる。


あの時のことや新聞記事のことをどう切り出そうかと悩んでいると、ユーゴーはショートケーキのいちごをフォークで差した。


「いっとくけど、あの時利用したからってお前が後ろめたいって思わなくていいから」

「……顔にでてた?」

「ああ。あの時協力したのも、罪悪感でもなんでも、俺を記憶の中に留めて交際のことを前向きに考えてくれればな、とは思ったから。俺もあの時の状況は利用したんだ。だから、お互いに利用した者同士、考えることはなしにしよう」

「それでも……」


友人を利用したことは間違いない。彼が変に気を遣うことがない性格なのは知っているけど……。


「ああ、いいな」

ふと、ユーゴーが言った。なにが、と聞き返すと、行儀悪くテーブルに肘をついてにやりと笑う。


「お前がこうして、俺のことばかりを考えている事だよ。あいつらにはムカついたが、あいつらがきっかけを作ってくれたおかげで、どんな形であれ俺に関心をむけられたからな」

「……本当に、私のことが好きなのね」

「もちろん。賢くて純粋でアホなところはあるけど、そんなお前が愛おしいよ」


サイレーンと暮らしていた頃も自分から感情を表現していたけれど、伝えられることはなかった。何度も言われると勘違いしてしまうじゃない。


じぃ、と見つめると、勘違いをしてもかまわないといいたげに首を傾げたユーゴーに、私はついに白旗を挙げた。


「……私、可愛げがないし、背はちょびっと低いし、童顔だし、冗談通じないし、自分を表現するのが下手だけど、いいの?」

「いいよ。俺も好きな子の前では意地悪だし、背は高いし、顔の整っていて、冗談が通じるから。お前が勘違いしたり、よそ見をしないように、精一杯の愛を伝えるよ」


自己肯定感高すぎ、とチョコレートケーキを口に入れるとカカオの酸っぱさとほろ苦さ、砂糖の甘い味わいが口の中に広がった。


胸の中がじんわりと温かくなるくらい、甘くて温かい味わいだった。




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