第1話:刺されて思う
今回は異世界転生もの。
あなたもきっとスーツが好きになるはず⁈
今日も今日とてなんとか1日を生き残った。
理不尽な指示、満員電車、動かない同僚、立て続くミス、溜まったメール、たまらないお金、稼げない職場。
「……あー」
やめようやめよう、どうせ明日も滅入るほどに考えるのだから。
フラフラとした足つきをしているのが自分でわかる。
ギリギリなのだ色々と。
家への道すがら、誰も見ていないからと大きくため息を吐く。
「帰ったら夕飯食ってー……んで風呂入ってー……それで一時すぎだろ? 明日は五時半起床だから……」
大きく項垂れた。
どう足掻いたって娯楽にさく時間が無い。
今日は先方にミスを謝り行って、その後その時間で出来たはずのタスクを後半に詰め込んで無理やり終わらせてきた。
家は職場の近くのマンションだ。
終電なんて概念はない。
「にしても最近事件が多いな。セクハラだの痴漢だの傷害だのなんだのって……ストレスが溜まってたとかほざきやがって……俺たちの方が数億倍ストレスの中で生きてんだろ……」
携帯に溜まったニュースアプリの通知をチラリと見て文句を垂れる。
やらないから偉いのではない。
やらないのが普通なのだ。
だから褒めてほしい訳ではないが、少なくともそんな奴らが勝手にスッキリしているのが許せない。
「今日あのプリン食うか」
そんなこと考えても虚しくなるだけなので、携帯をポケットにしまい小さな提案をする。
あのプリンとは、冷蔵庫にある高級プリンだ。
この前、友人がお土産として買ってきてくれたものなのだが、現物を見た時泣きそうになった。
プリンが大好物だとは自分自身理解していたが、そんなんでも泣いてしまうし、最近はよくわからないもので涙腺が崩壊するから歳なんだろうと思う。
小学校の頃に流行っていたゲームのリメイクのPVを見た時に涙が出たのは本当に驚いた。
「まだ二十五なのになあ」
静かな夜道、自分の足音だけがザリザリと響く。
革靴を持ち上げる気力すらない。靴の底がすり減るのは嫌だが、如何せんこんな状態なのだ、それぐらいやさぐれてもいいだろう。
「お、なんだ……?」
ポケットでスマホが揺れる。
連絡なんだろうが、この時間に来る連絡は大抵良いことではないので内容を確認するのが億劫だ。
ただ連絡を見ないという選択肢はない。
「んん……?」
スマホの画面には、近くで事件が発生した際に注意を促すニュースアプリの画面が映し出されていた。
内容は。
「近くで傷害事件の発生? って言っても」
もう少しで家だしな。
その言葉が出る前に、遠くから自分以外の足音が聞こえた。
鼻歌だろうか、妙にご機嫌だ。
……いやこの時間だぞ。
幾つになっても夜道はやっぱり怖い。
背筋が夜風に撫でられた、スーツを着てるってのに。
段々と足音が近づいてきている。
俺は耐えきれず後ろを振り向いた。
「マジかよ」
秋なのに白いTシャツ一枚だけを着た男がこちらを見ていた。
問題は手に包丁を持っていることだ。
街頭の元に入るたび、その刀身がどろっと赤く光る。
俺は全力で走り出した。
家まであと百メートル以上。
「そりゃ追ってくるよな……!」
ああくそ! 営業とかで外回りするってのに革靴を指定するのはなんなんだ! 走りづれぇ!
かかとが、くるぶしが、しばらく買い直せていないサイズの小さい革靴に削られる。
犯人は依然として追ってくる。
身軽だからかクソ早い。
追いつかれる。
でも手前にコンビニがあったよな……!
そこに行けば人がいる!
そう、そこに行けば。
人がいる。
「……そうだよな……」
このまま行けば追いつかれる前になんとか人がいるところに入れる。
ただ、人がいるところにこいつも入ってしまう。
警察署に逃げ込む訳じゃないんだ。
ただのバイトが包丁を持った犯人をどうにかできるか?
中にこの状況をどうにかできる人がいるか?
中にいる人と、俺。
どっちの命が大切だ?
「……最悪なトロッコ問題だな……!」
俺は踵を返すと、こちらに包丁を振り上げて追ってきていた男に向かってタックルを仕掛けた。
「……いっ」
不意に向かってきた俺に対処できなかった男は、俺に刺しかかる前に大きな尻餅をついて地面に転がった。
よしよしよしよし、こっからおいどうすんだ。
包丁、あぶねえよな。
蹴り飛ばす。手狙って。
「いってえなぁ!」
待て起き上がるのがはやい。
突き。
はや。
「う”」
下腹部に包丁がぶっ刺さる。
下着と地肌の間に生暖かい血が流れるのを感じる。
筋肉痛のような激痛が走る。息をするたびに患部から全身に鳥肌が伝った。
「抜か、せねえ。よ……」
包丁を抜こうとした手を押さえ込む。
ここで逃げられちゃ本末転倒だ。
さっきまで鼻歌歌ってやがったやつに……。
「っでぇ!」
初めて人の指を折った。
指を何本か掴んで、手の甲まで全力で曲げるとあっけなく包丁を離した。
……こんなもんかよ。人ぶっ刺しておいて、もう一方の手で掴めるだろ包丁。
狂ってないんだよ、人なんだよ。
こいつも俺と同じ人なんだ。
「ガッ……まっ」
のけぞった顔を足の裏で押し飛ばし、仰向けに転がす。
そして無防備な喉に向かって、腹部から引き抜いた包丁を突き刺した。
「ごぼッ……! ごぼッ……!」
息を吐くたびに目の前の男の口から血が噴き出す。
息ができないのだろう、数秒ジタバタしていたがじきに動かなくなった。
それは俺にも言えたことで、包丁を患部から引き抜いてしまったが故に血がさっきから止まらない。
貧血になったのだろう、立ちくらみのようにその場に膝から崩れ落ちる。
立ち上がれない。
不思議と身体から痛みが引いていく。
意識が、目の前の光景が薄くなっていく。
つまらない授業を聞いてるようだ。
「あ……ぁ」
最後の言葉なんてものも発せないか。
こんなんばっかだ、この世界。
好き勝手、権力、金。俺の命でやっと一人。
もっとぶん殴りたいやついんのに。
もっと助けたいやついんのに。
殺した分だけ死ねよ。
「……フー……」
地べたに顔をくっつくけて、息だけゆっくりと吐き出す。
目を閉じた。
次が、もし次があるのなら。俺は。
「……スー……」
暗闇の世界で息を吸う。
死という揺籠から最後の揺らぎを。
深い眠りについた。
こんな感じでやってきます、1話づつ区切りが短いので隙間時間によかったら......!
どうか応援よろしくお願いします。