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安らぐ場所へ 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 君はひとりで出かけられるようになったのは、いつごろからだろうか。

 親に頼まれておつかいにいくあたりから始まり、じょじょにその行動半径は広がって、自由に動けることが楽しくなるはずだ。親などの干渉を受けないままにね。

 友達と一緒、あるいはひとりで好きなところへ向かい、時間を過ごせるのは素晴らしいことだ。好きなことに必要ならば、おのずと知識が蓄えられて、自分なりの「十八番おはこ」というか好みの立ち回りも生まれてくるはず。

 安心するために、その決まった手立てに寄り添ってしまうこともあるけれど……気までは許しきらずに、注意をしておいたほうがいいかもね。

 僕の昔の話なんだけど、聞いてみないかい?



 僕は小学校くらいのとき、電車に乗ることが好きだったんだ。

 路線の制覇とかには興味がない。自分の勝手知ったる沿線でもって、揺られるので満足していた。

 片道でおよそ10は駅を挟むだろうか。ターミナル駅とターミナル駅の間を、車両に揺られて行ったり来たり。定期券を用意しているので、切符を買う手間や、そのたびの出費を考えなくていい。

 おなかが空いたら適当に駅弁を買い、ベンチなどで広げて食べる。そうして日がな一日、駅を行き来し続ける。

 ときに本を読み、ときに外の景色をぼんやり眺め、時間によっては差し込んでくる陽の光を受けて、うとうとすることもあった。縁側でひなたぼっこをする、猫のような心地だ。

 なぜそんなにのめりこむのかと、家族に尋ねられたこともあるけれど、僕自身にもわからなかった。

 気分がよくなるからやる。突き詰めたところ、趣味を行う理由はそこあたりに落ち着くんじゃなかろうか。

 

 

 おそらく、僕が家族の中で一番の最寄り駅利用者と自負できるようになったころ。

 僕は電車を待って、ホームの屋根から外れる一角のベンチへ腰かける。最寄り駅に関しては、往復の起点となる2つの駅のスケールよりは断然小さく、線ものぼりとくだりで一本ずつしかない。

 急行が止まる駅ではなく、時間によっては長々と車両を見送ることもままあった。

 踏切の音とともに姿を見せるのは、赤を基調とした急行車両。すでに何度も見た姿で、どっと目の前を通り過ぎていく。

 それぞれの車窓もまた、いささかもとどまるスキを見せず横切りを続けていくも、その途中で。

 

 僕はいくどか、「しぶき」が顔にかかるような、感触を覚えた。

 水はねが飛んできたときに、感じるようなあれだ。思わず手をやったが、指先には何もついていない。

 そうこうしているうちに車両は過ぎ、閑散としたホームにふさわしい静けさが戻ってくるも、僕はなお違和感を抱きつつある。

 

 問題は向かいのホーム。ここと、前後の駅の名前が書かれた立て看板。線路をはさんで、僕の目の前にあるそれの色が変わっている。

 電車が通る前は看板全体が白をバックにし、前後の駅の名を結ぶ太い矢印は緑色であったはずだ。

 それが、通った後は全体的に銀色へ変わってしまっている。矢印もまたオレンジ色になり、こいつはターミナル駅で見られる、メタリックなよそおいだ。

 もしやと、僕はベンチから立ち、自分のいる側の屋根が覆っている下へ。こちら側のホームで立っている看板のもとへ向かう。

 やはりその看板も同じ色合いへ変わっていた。僕以外に誰もいない今のホームじゃ、共感を得られる存在はなし。

 目をいくらこすっても色は変わらず、「確かに変わったよなあ」と首をかしげながら、耳は近づく電車を告げるアナウンスを拾っていた。

 これ以上、自分じゃ調べようもない。ほどなく、入ってきた電車に乗り、がらがらの座席へ腰を下ろす僕。

 深緑のシートたちは、ほとんど乗客のいないこの車両の両端へ、堂々と横たわっていたよ。

 

 普段なら、座ってほどなく眠り込んでしまう僕だが、この日は違う。

 先のホームでの変化が、頭に焼き付いていた。次の駅ではどうなのかを、じっくり見届けようと思っていたんだ。

 数えきれないほど通った駅で、看板の位置は分かっている。乗り込むときに、ちょうど看板前で停まる位置への着席も済ませた。

 車内アナウンスが響き、なじみの風景もまた駅への接近を伝えてくる。

 わずかな変化も見逃すまいと、僕は席へあずける背筋を伸ばし、手はひざ、顔は正面をまっすぐ見据えて、緩んでいく景色の流れを眺めつつ、いよいよ訪れたホームの停車位置へ目を凝らした。

 

 が、集中しきれたのはそこまで。

 すっかり勢いを失い、車両の動きが停まって看板が窓越しに正面へ来るや、僕はまた「しぶき」を感じてしまったからだ。

 先ほどよりも多い。顔のみならず体中へ、全開にしたシャワーのはねを、まんべんなく浴びせられているかのように感じた。

 目もくらまされる。眼球へ無数に浴びせられる刺激を前にして、まぶたを閉じずにいられる奴なんて、そうはいないだろう。

 つい、手で目の前を覆うこと数秒。どうにか目を開けたとき、看板は僕の知るものではなくなっていた。

 

 銀色のバックに、オレンジ色の矢印。最寄り駅のものと同じだ。瞬時に何年もの時を越えて、「ハイカラ」になってしまった。

 確かに駅へ来たそのときは、これもまた少し前の最寄り駅のものと同様のつくりだったのに。

 結局、僕はターミナル駅に着くまでのすべてで、同じような目にあったよ。

 看板の前に来るや、汚れのないしぶきを受けて、目をしばたたかせるはめになって。ようやく落ち着けば、看板自身のビフォーアフターを見せられ続ける。

 奇妙ではあったさ。だが、どこかで降りて間近で確かめようという気にはなれなかった。

 

 心地よすぎたんだよ。

 布団に入り、こたつに入り、どれほど温度調節をした湯に入っても体験できないような心地が、あのしぶきからしたんだ。

 体全体が「休め、休め」とささやいて、張っていたはずの気がたちまち緩んでいく。抵抗しようとするたびあくびが口をついて出て、涙がおおいに視界をゆがませた。

 寝不足なはずはない。なのに、家にいるときよりも心が安らいでいる自分がいて、結局ターミナル駅に着くや、店員さんに起こされるほど、途中で寝入ってしまっていたんだ。



 あとで知り合いに聞いたところ、すでに各駅があの「アフター」な看板になって少し経つとのこと。少なくとも僕が駅に通う、休みと休みの間で仕上がっていたとのことだ。

 ひょっとして「旧」のよそおいに見えた看板たちは、しぶきを飛ばして、僕の体を癒してくれたのだろうか。

 ただ困ったことに、僕はふとした拍子で……ほら、手が妙に緑色になるだろ?

 力をこめると、ときどき出ちゃうんだよねえ、あのときの看板の色が。どうやら「旧」の色たちも、自分たちが消されるにあたって、残りたいがために僕の中へもぐりこんだのかもしれない。


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