6 ムルカ村
「あーやっぱりか」
朝、怠い体を起こしてトイレに行ったら…来ていた。
月に一回やって来る女性特有のアレが。
前はどちらかというと重い方だったが、今回はどうなんだろう。
そんなことを思いつつ念のため救急セットから痛み止めを取り出して…固まった。
いつもの習慣でつい鑑定をかけてしまって…そうしたら痛み止めが『エリクサー』になっていた。
そんなバカなと再度鑑定してみても結果は同じ。
しかも他の薬もみてみたら整腸剤は『究極毒消し』粉の風邪薬は『ハイ・ポーション』傷用軟膏は『超再生薬』キズバンなんて『強力肌再生張り薬』に変わっている。
虫刺され、虫除け、殺虫剤はそのままだけど効力は元の百倍だ。
これも『家』の進化の一端なんだろう。
進化が備品にまで影響するようになったとしか思えない。
取り合えず…この薬たちは門外不出と決めた。
世に出しても騒動の元にしかならないだろうから。
他の備品がどうなっているか気になったが…怖いので止めておいた。
どうせとんでもない性能を有してしまっているに違いない。
「こっちもかいっ」
気を取り直して朝食を作ろうと冷蔵庫に手をかけたら…『時間停止』と『収納量無限』が付いているのが見えてしまった。
私の『収納』には時間停止能力は無いので助かると言えば助かるが…あまりのことに脱力するしかない。
余談ながら…洗濯機には『浄化』と『修復』が追加され衣類を入れて蓋をするだけで洗うことなく新品同様になり、レンジにも『収納量無限』『性能強化』が付いて大量調理や発酵、熟成、何故か燻製までが可能になった。
丸形移動掃除機は床だけでなく壁や天井も走行できて集めたゴミやチリは『異空間収納』へ廃棄するのでゴミ捨てが不要になっていたし、エアコンは冷暖房の他に『浄化』による究極空気清浄機能が加わっていた。
「ま、いいか。便利になるのは良いことだし」
悩んでも仕方がないので潔く開き直ることにする。
朝食を済まし白燐に魔石を食べさせたら、いざ出発。
いつもより多少は腰に響くが…前の時のことを思えば痛みは軽い。
そのことに安堵しつつ魔の森を進んで行く。
「はい、おしまい」
休憩中、横から襲ってきた4本の腕を持つクマに似た魔物を結界に閉じ込め酸素を収納すると数分で酸欠になって魔石と爪を残して消えて行く。
「かなり大きいね。あれも強い部類だったのかな」
手をかざして収納した魔石を確認しながら呟く。
常にこんな調子なのでいまいち魔物の強さが分からない。
「…40の大台乗ったか」
昼休憩の時にステータスを確認したらレベルが40になってた。
『異世界常識』だと高レベルになるほど上がるのは難しくなるし時間もかかるはずなんだが…。
こっちに来てまだ3週間弱でこれだと人族と言う枠から大きく逸脱してしまってるのではと少しばかり不安になる。
まあ、魔の森と言うこの場所が異常なのであって此処を抜けたらそうそうレベルは上がらない…はず。
そんなこんなで魔の森を白燐に乗って走り抜けること6日。
木々が疎らになってきたと思ったら、いきなり視界が開けた。
「…抜けた?」
目の前には青い空と果てしなく続く草原が広がっている。
何だか実感が湧かなくてしばらくボーとしてたら急に白燐が嘶いた。
「ああ、そうだったね」
森を抜けたら放す約束をキリカさんとしたんだった。
「今までありがとう」
白燐がいなければ未だに森の中を彷徨っていただろう。
何よりこの白燐を私に貸してくれていろいろと便宜を図ってくれた里長や世話をしてくれたキリカさんには本当に感謝しかない。
邪神の所為で人間(?)不信になっていた私にこの世界も捨てたもんじゃないと思わせてくれたことにもお礼を言いたい。
おかげで信じることに希望が持てた。
「気を付けて帰るんだよ」
そう言って少し大きめの魔石を与えると食べ終わった後、名残惜し気に顔を摺り寄せてきた。
「慕ってくれるのは嬉しいけど…もう行きな」
首の辺りを軽く叩いてやると短く鳴いてから一気に森へと駆け戻って行く。
その姿が見えなくなるまで見送ってから私は背を向けた。
腰に下げたカバンから地図を取り出し現状を確認する。
「たぶん東の端に出たはずだから…此処はラクレス国か」
このハウター大陸には私が転生させられた魔の森を囲むように6つの国が存在する。
エルフの里があった場所から真っすぐ東に進むと辿り着くのはラクレスという名の国だ。
『異世界常識』だと主な産業は肥沃な土地を利用した農業と海に面しているので漁業と商業が盛んだ。
王家があるが特に圧制を強いることもなく、周辺国との揉め事も無し…それなりに平和な国だ。
「此処から一番近いのは…『ムルカ村』か」
このまま東に向かって行けば、今の私の足なら夕方には着くだろう。
しかし初めて地図を見た時、魔の森の広さには正直ビビった。
アメリカ大陸がすっぽり入るくらいの大きさで、此処を歩きで脱するなんてどんな無理ゲーだ。
飛行能力か白燐のような瞬間移動スキルでもない限り一生かけてもクリア出来ない…というかクソ邪神は最初から転生者を魔の森から出す気は無かったんじゃないか。
あのクソな性格からしたら大いに有り得る。
滅びろっと心の中で唱えながら歩を進めて行く。
歩き出して1時間くらい経った頃、轍の跡がある幅広の道が見えてきた。
どうやらこれが地図にあった街道のようだ。
道なりに歩いていたら何かが背後から突進してきた。
すぐに私が張っている結界に阻まれて弾き飛ばされたけど。
振り返って確認したら一抱えもある2本の角が生えたウサギが死んでいた。
鑑定してみたら『ホーンラビット…草原に住む兎、縄張り意識が強く突撃攻撃を得意とする。美味』と出た。
首の骨が折れたのが死因らしいが、どれだけの勢いで激突したんだか。
逆に言えばこんな攻撃を受けたら簡単に体に穴が開いていただろう。
「消えないんだね」
しばらく待っても森の魔物と違って死体がなくならない。
と言うことはこれは魔物ではなく獣ということだ。
それでいてこんなに狂暴なのか…異世界のウサギ恐ろしや。
鑑定に『美味』とあったのでサクッと収納して時間停止機能がある冷蔵庫に入れておく。
それから1時間ほど歩いたが…。
「ホーンラビット多すぎ」
うんざりしながら7匹目…いやウサギだから7羽か、それを収納する。
「この辺りは繁殖地なのかな」
そんなことを呟いて周囲を見回していたら遥か後方に馬車らしき影。
キリカさんの話だとこの街道は海に繋がっていて内陸に塩を運ぶ目的で作られたものだそうだ。
馬車が進む方向からして仕入れた塩を町に運ぶ途中なのだろう。
不審に思われるのも嫌なので時速20キロくらいで歩いていたスピードを落とす。
レベルが上がったからか最速80キロほどで走れるようになったのだが…こっちの世界でも人族はそんなに早くは走れない。
本当に規格外な存在になってしまったものだ。
「どこへ行くんだい?」
追い抜いたと思ったら少し先で馬車が止まって御者台にいたおっちゃんが声をかけてきた。
馬車だと思ったら、牽いていたのは馬ではなくラクダに似た動物だった。
「ムルカ村です」
当面の目的地を告げるとおっちゃんは荷台を指さした。
「通り道だから乗ってきな」
「いいんですか?」
驚いて聞き返す私におっちゃんが日に焼けた顔に笑いを浮かべて頷いた。
「ここらじゃ歩きの旅人を見かけたら乗せてやるのが習わしだからな。遠慮すんな」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
よっこらせと荷台に乗ると魚の匂いがした。
どうやら塩と一緒に干物にした魚も積んでいるようだ。
「乗せてくれてありがとうございます。私、カナエって言います」
「おう、よろしくな。けど若い娘の一人旅とは珍しいな」
私に背を向けたままおっちゃんが話しかけて来る。
「ええ、兄が結婚して両親と一緒に住み始めたので家を出て働くことにしたんです。…その、兄嫁とはあまり仲が良くないので」
これは本当の話だ。
兄嫁は婚約者だった頃から何かと私に嫌味を、それも誰もいないところでグチグチと言ってきた。
それで言い返せば、私に苛められたと兄に泣きつくのだ。
おかげで私は心の狭い悪者扱い、そんな相手に付き合うのは面倒臭いのでさっさと実家を出て一人暮らしを始めた。
正月に顔を出すくらいでガッツリ疎遠にしてやったのに、事有る毎に生まれてきた甥や姪に高額の小遣いを寄越せと集ってきて、挙句に小学1年生の姪の誕生祝にどう考えても自分用と思えるブランドバッグを指定してきた時には呆れ返ったものだ。
もちろん兄嫁の世迷言に付き合う気はさらさら無いので、全部まるっと無視したら毎日のように電話で『守銭奴』だの『業突く張り』だのと自己紹介乙な暴言を吐いてきた。
だが完全に尻に敷かれている兄も孫バカ一直線の両親も諫めるどこか擁護に回り、全く役に立たず。
そんな兄嫁の口癖が『高給取りで独身なんだから家事や育児に大変な私にそれくらいお金、出して当然よ』だった。
ならばと法事で親戚一同が会した時に兄嫁暴言語録の入ったレコーダーを最大音量で再生してやり、親と兄を除く全員にシメられたが…懲りた様子は見られなかったな。
こうなるとあの女にビタ一文やるものかと私の資産や生命保険の受取人を子供支援団体に書き換えておいて本当に良かった。
あの時の私、グッジョブ。
そんなことを思い返していたら、そうかとおっちゃんが頷いた。
「親御さんは何も言わなかったのか?」
「…特には。出る時に兄嫁が『家にあるのはすべて兄のものだから持ち出すな』と言ってた時も黙ってましたし」
私の話におっちゃんから深いため息が零れた。
「苦労してんだな。親も娘が可愛くない訳じゃないが跡取り息子のことになるといろいろとなぁ」
事情を察したようで慰めの言葉を口にしてくれた。
おっちゃん(ヨハンという名だそうだ)は海辺の街ガーナルの商人で塩と魚の干物の行商をしている。
これからムルカ村を経由して領都に向かう予定だと教えてくれた。
そのままたわいのない話をしていたが、スーパーの鮮魚コーナーでバイト経験があったので荷台の魚の話を振ったら…おっちゃんの口が止まらない。
今はグルー(話によるとサンマみたいな魚)が旬で脂の乗りが絶品だとか、エラ(どうやら甘鯛ぽい)は塩で絞めて一晩おいてからの方が旨味が増すとかをしゃべるしゃべる。
私がバイト経験を生かして巧く合いの手を入れるものだから上機嫌で話し続けて、途中で休憩した時には荷台からトイ(鯵そっくり)の干物を出して焼いてくれた。
「美味いか?」
「はい、凄く美味しいです。生も良いけど干物にすると最高ですね」
「そうだろ、そうだろ」
おっちゃんが得意げに頷く。
「うちが扱う品は領都でも美味いと評判だからな」
「領都…パナンの街ですね」
地図にあった名を告げると笑顔で口を開く。
「おう、賑やかで綺麗なところだぜ。機会があったら行ってみな」
「そうします」
おっちゃんに頷き返しながら領都へ行くのも良いかと目的地の候補に上げておく。
そんなこんなで陽が落ち切った頃、ムルカ村に到着した。
村は石壁で囲まれていて入り口には木製の大きな門扉があり、開けられた扉の向こうに藁ぶき屋根の家が集まってるのが見えた。
何となく日本の田舎の風景に似ていて見ていて落ち着く。
村の入り口でおっちゃんが貫録たっぷりのおばちゃんと話し込んでると思ったら。
「こっちだよ」
声をかけられ、そのまま村長宅へと連れて行かれた。
「ヨハンから話は聞いた。大したもてなしは出来ないがゆっくりしておくれ」
何故か気の毒そうにこっちを見ているおばちゃん。
おっちゃん、いったい何をどう説明したんだ。
まあ、ともかくも今晩の寝床をゲットできたことは素直に喜ぼう。
「あの、宿泊代の代わりと言っては何ですが…良かったら使って下さい」
そう言ってカバンから出したように見せかけて収納からホーンラビットを2羽取り出す。
「おや、マジックバッグ持ちかい」
「容量は小さいですけど…死んだ祖母ちゃんから譲り受けました」
私の話に、そうかいと頷くとおばちゃんは頭を撫でてくれた。
「性悪な兄嫁に取り上げられなくて良かったねぇ」
「…そうですね」
どうやら兄嫁は年端も行かない妹を追い出した人非人と思われているようだ。
世界は違うが…スカッとした気分になった。