36、ガオガイズ家の家庭事情
「これでもう少し煮込んだら完成だよ」
キッチン一杯に広がるカレーの香り。
もうそれだけで幸せな気持ちになる。
「やったぁー、日本式のカレーが食べられるっ。」
掻き回していたお玉を止めて蓋をすると横で見ていたリシュー君が諸手を上げて喜ぶ。
辛いものが苦手なフランスではカレーは料理の風味付けの為のスパイスとしての役割の方が大きい。
特に魚介のクリームソースに少量のカレー粉を加えた料理は、魚介の甘みをを引き立てとてもエレガントな味に仕上がりワインとの相性がいい。
それにフランスで定番のソース・オ・カレーは同じように鶏料理や米料理にかけて食べるが辛味は無く、あくまでソースであってルーではないので日本のカレーとは大きく違う。
だが家族全員が日本オタクであるリシュー君の家では日本式のカレーを良く食べていたとのことなので嬉しそうだ。
『カレーねぇ、懐かしいわ。軍で出されて誠之助も大好きだったわ』
メネがそんなことを言って微笑む。
確か最初にカレーを導入したのは1873年頃の大日本帝国陸軍で、土曜日の昼食に「ライスカレー」が食べられていたと記憶している。
軍属だった誠之助さんも口にしたのだろう。
「そうそう、魔国を出る前にお米を買い付けないと」
「うん、大事なことだよね」
そんな会話をしていたらアンから声が掛けられる。
『元の場のドア外でご主人様を呼ぶ声がします』
同時にテレビ画面に離れの様子が映る。
声の主はどうやらメイドさんらしい。
「そう言えばそろそろ夕食の時間だね。スルーするのも悪いから出とこうか」
「うん」
カレー鍋のことをアンに任せリシュー君と一緒に離れの一室へと戻る。
コンコンとリズム良く叩かれる扉。
それを受けて返事をし入室してもらう。
「ディナーの用意が整いましたが…此方にお運びいたしますか?」
「ええ、お願いします。それと」
「な、何でございましょう?」
「そうビクつかなくても大丈夫ですよ。出来たら別に御飯が欲しいのですけど」
せっかくだからレトルトではなく炊き立ての御飯でカレーを食べたい。
しかし私の頼みにメイドさんは困った顔をする。
「御飯…でございますか。申し訳ありません、此方にはそのような物は」
「お米はあるのでしょう、それを炊いたものですが」
「炊く?」
思いっきり首を傾げるメイドさん。
後で聞いたら魔国に米はあるが野菜の一種という扱いで、茹でたり炒めたりはするが炊くことは無いそうだ。
「仕方ない、厨房に案内してもらえますか」
「は?…あの」
「無いなら作るだけです」
きっぱり言う私に困惑していたが最後には承諾してくれた。
「うん、美味しい」
「やっぱり御飯は炊き立てが一番だね」
笑顔で念願のカレーライスを食べる私とリシュー君。
しかし福神漬けを忘れていたのは痛恨の極み。
今度作っておこう。
そんなことを考える私の周囲…厨房内は歓喜の叫びがあちこちで上がっている。
「これは…初めて食べる味だがウマい」
「辛いのにすぐに次が欲しくなりますね」
「ただ辛いだけではない、奥に肉と野菜のエキスが凝縮している」
「それがまた、このコメとよく合いますわ」
「はい、パンも良いですがコメ粒に絡んで一緒に食べると美味しさが倍になりますな」
御飯を炊くついでにアンのとこからカレー鍋を出して温め直していたら、その香りに誘われて屋敷中の人が集まってしまった。
で、作り方を伝授して欲しいと料理長に懇願されたので教えたら…食べた誰もがカレーの虜となってしまった。
さすがは日本の国民食と呼ばれるだけあって威力はバツグンだ。
まあ、喜んでもらえたし、何より此方にも益が有ったので教えた甲斐があったというものだ。
その益と言うのが『熟成』の魔法だ。
料理人の中にその魔法の使い手がいて出来立てのカレーを熟成してさらに美味しくしてくれただけでなく、私が持っていた魔石に熟成の魔法を付与してくれた。
これがあれば肉や煮込み料理を寝かせる時間を短縮できる。
お互いWin-Winで良かった良かった。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありませんわ。私はリディア・ガオガイズと申します」
カレーを完食して満足げな笑みを浮かべた貴婦人が此方にやって来て淑女の礼をする。
「ガオガイズというと…ご当主さまの」
「ええ、デラント様の妻ですわ」
緑の髪に薄茶の瞳、尖った耳に品の良いピアスが光る美人さんがそう言って微笑む。
「ご無礼致しました」
慌てて頭を下げる私とリシュー君に、あらあらと困った顔で手を振る。
「どうぞお楽に。デラント様のお客様を持て成すのが私の役目ですのに逆に待て成されてしまいましたわ」
「いえ、これは私が勝手にしたことですので」
「そんなことはありませんわ。見ての通りこの城の誰もが貴女がもたらした新しい料理に喜んでいます。それは素晴らしいことですわ」
ニコニコと笑うガオガイズ夫人。
「よろしければ少しお話を聞かせていただけません。私は国外に出たことがありませんので他国の様子を知りたいのですわ」
「…それは愛するご当主様の為ですね、見識が増えれば出来ることも増えますから。仲が良くてうらやましいです」
「あら、バレてしまいましたわ」
言うなり両手で顔を隠すが指の間から見える肌は羞恥で真っ赤だ。
何というか…素直で実に可愛らしい人だ。
これは当主もゾッコンだろうな。
そのままリシュー君とメネも一緒に夫人の私室に連れて行かれ…普通は男子禁制なのだがリシュー君は未成年ということでセーフになった。
そこでお茶を飲みながらの歓談となり、魔国に来るまでに通った街の話をした。
特に百年以上を過ごした精霊であるメネの話に夫人は興味津々で、いろいろと質問しては感嘆していた。
話の流れでバカ男の事になると、夫人も思うところがあるのか眉を顰めさせる。
「バーデランさまの行いは私も酷いと思っていましたの。ですがガオガイズ家の跡を継ぐ子が無いのは由々しき事態と周囲に言われると…」
夫人も子が生まれないことを遠回しに責められているのだろう。
彼女の立場からしたらバカ男のことに口を挟めないのは仕方がない。
それは当主も同じだろう。
跡継ぎがいないために親や親戚たちの手前、弟のことはほぼ放置するしかなかったようだ。
「お子様は欲しいですか?」
「もちろんですわ。デラント様の子ですもの」
私の問いにちょっと泣きそうな顔をする夫人。
魔族は一夫一妻制だが王侯貴族には側室を持つことが許されている。
しかしガオガイズ家には側室は居ない。
それだけ当主が夫人を愛している証ではあるが…その分、子がいない夫人への重圧は相当なものだろう。
「失礼」
断りを入れて手を握らせてもらう。
冷たいな、そう寒い季節でもないのにこれだと夫人はかなりの冷え性だな。
「お子様のことを何方かに相談されています?」
「ええ、医療師や薬師に。私の体調を整える薬をいただいてますわ」
「ご当主様は?」
「デラント様は特に何も」
その答えにため息が零れる。
「夫君に問題があるかもしれないのに?お子が出来ないのは奥方様だけの問題じゃありませんよ」
「そうなのですか」
驚く夫人にこの世界もかーと頭を抱えたくなる。
前世では医学の発展のおかげで不妊の原因は男女ともにあると周知されているが、昔は全責任は女側にあると決めつけていた。
此処でもそうなのなら夫人には辛い日々だったろうな。
「友人の夫婦が子が出来なくて悩んでいまして、食事改善のお手伝いをしたんです。その時に聞いた方法でよろしければお教えしますが」
「本当ですかっ」
前のめりになって聞いて来る夫人に、はいと笑みを向ける。
「ご当主様がお戻りになりましたらお話いたします。子供は夫婦で産み育てるものですから」
「よろしくお願いしますわ」
私の手をギュッと握り締めて懇願する夫人に大きく頷き返す。
彼女が心置きなく笑って暮らせるようお手伝いをしますか。
翌朝、疲れた様子で当主一行が戻って来た。
バカ男とその御付きたちの救出は無事成功したそうだ。
しかしながらその姿は精魂尽き果てたといった様子で窶れ果て、乾燥野菜のようだったと仲良くなったメイドさんが教えてくれた。
何より女に対しての拒絶反応は凄まじく、世話をしようとメイドが近付いただけで半狂乱になって部屋の隅に逃げてしまうのだとか。
ハイオーククィーンと過ごした日々は彼に途轍もない恐怖を植え付けたようだ。
もう女漁りをする元気もやる気もないだろう。
「さあ、デラント様」
「あ、いや。この者とは先に話すことが…」
「私の方がもっと重要です」
夫人に押し切られる形で並んでソファーに腰を下ろす当主。
夫人の意気込みは凄いからな、此処は逆らわない方が身の為だ。
ではと今に至るまでの経緯を説明して質疑応答を始める。
『異世界常識』によると魔族は生まれつき魔力量が多いだけで体の作りは人族とほとんど変わらない。
なので私の話も十分通用するだろう。
「かなり立ち入ったことをお聞きしますが正直にお答えください。その情報がないと問題解決に至りません」
なので部屋にいるのは私とご夫妻だけ。
他の者に聞かれたくない話も出てくるからね。
まずはとやり方とか回数とか聞いたら、どっちも真っ赤になりながらもきちんと答えてくれた。
その話を元に夫人の生理期間を暦の上に書き記して、そこに同衾した日を記入する。
生理の周期は問題ないようだが、夫人の体温は低めで冷え性と教えて改善してもらうよう進言する。
「冷えは万病の元」といわれるように手足が冷えるといった直接的な症状だけでなく、疲労回復が遅れたり、むくみや生理痛、頭痛が酷くなったりと様々な不調を引き起こす。
特に女性特有の生理機能である月経・妊娠・出産などにも冷えは大敵。
「まず奥方様ですが冷え性を改善する食事のレシピを料理長に渡しておきます。他に体温を上げる薬草茶も執事さんに教えますので飲んでください。体温が上がるだけで多くの事が改善して行きますので」
「はい、ありがとうございます」
笑顔で頷く夫人に笑みを返してから当主に向き直る。
「此処に記されてあるのは奥方様の生理日と同衾した日です。丸が付いているのは妊娠の可能性が高い日で、それ以外でなさっても妊娠することはほぼ無いと思って下さい。これにある通り今までお二人が同衾した日は完全に時機がずれてます」
タイミングが合わなければ回数を熟しても妊娠はしない。
女側の努力だけではどうしようもないのだと視覚化して当主に理解させる。
次いで不妊の原因は種が悪い可能性もあると懇切丁寧に説明。
そうしたら途端に当主の顔色が悪くなった。
「ご当主さまが最優先でされることは奥方様を外野の中傷から守ることです。精神的な負担は身体に影響を及ばします。どうか奥方様を支えてください」
子が生まれないことで夫人に多大なプレッシャーがかかっているのは知っていても、やはり他人事といった感覚だったのだろう。
私の言葉に神妙に頷くと泣きそうな顔の夫人を抱き寄せて『気付いてやれずに済まない』と謝っていた。
「では今度は此方の話をしましょうか」
退室した夫人に代わってリシュー君とメネがやって来たところで此処に来た目的を口にする。
「聞こう」
まったく隙のない真剣な眼差しを此方に向ける当主。
これは少し脅しが過ぎたか。
「そう身構えなくとも大丈夫です。貴方を困らせると奥方様が悲しみますから」
クスリと笑うと当主の緊張が解けるのが伝わって来た。
「其方は…不思議な娘だな。大胆な策士かと思えば我ら夫婦の為に働き、城の者たちを料理一つで夢中にさせる。いったい何者なのだ?」
呆れと感心が入り混じった顔で此方を見る当主の前で軽く肩を竦めながら口を開く。
「それは追々。まずは私どもが此処に来た目的を果たしたいと思います」
そう言うと徐に収納から『魔杖リオンサート』を取り出す。
「こ、これはっ…何処でこの杖をっ?」
ソファーから軽く腰を上げて当主がテーブルに置かれた『魔杖リオンサート』を見つめる。
「半年前に無くなったガオガイズ家の家宝たる『魔杖リオンサート』に間違いございませんか?」
私の問いに、ああと当主が驚きも露わなまま頷く。
「この姿、この波動、幼き頃より身近にあった私の半身だ」
「分かりました。リシュー君」
「うん、この杖を貴方にお返しします」
テーブルにあった魔杖を取り上げ、リシュー君が当主に手渡す。
「ああ、礼を言う」
感動した様子で当主は『魔杖リオンサート』を手に取った。
途端に当主の魔力に共鳴するように光を放って震える。
真の主の下に戻れて杖が嬉しいと言うように。
「これで杖の所有権は御当主に移りました。私たちはこの為に此処へ参りました」
蒼竜王さまに宝珠を返してから知ったのだが、この世界では持ち主が譲渡を認めなければ所有権は移らない。
所有権が変わらないまま使用しても、それが枷となり本来の力の半分も発揮できないというなかなかに厄介なシステムが存在する。
「本当に其方らは何者なのだ?何故得にもならないこのようなことを」
訳が分からないという顔で動揺する当主に落ち着くように言ってから話を始める。
「そもそもの始まりは…」
さて、クソ邪神の悪行をこれでもかと暴露させてもらおう。
お話を読んでいただきありがとうございます。
次回「37話 因果は巡る」は金曜日に投稿予定です。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m




