19、エルデとアレクセイ
「あいつは刑場で言った『助けてくれよ…師匠』とな」
その時の様子を思い出したのかカイルさんから深く息が吐き出される。
「だが俺はそれに耳を貸すことなく無慈悲にあいつの首を跳ねた。最後に見たのはあいつの信じられないとばかり大きく開かれた目だ。…俺がもっとちゃんと指導していたら…あいつは死なずに済んだかもしれない」
悔恨に満ちた言葉に此方も切なくなる。
「カイルさんの所為じゃないと思いますよ」
「…皆も…ユナもそう言ってくれたが…俺は」
苦し気に綴られた名前。
ユナさんとは弟子の実姉でカイルさんとは恋仲だったそうだ。
弟子が引き起こした事件で街に居辛くなり、両親がいる故郷の村に帰ってしまった。
それきり2人は会うことも連絡を取ることもしていないと聞いた。
何かを堪えるように強く唇を噛み締めるその背に、ため息をついてから声をかける。
「そもそも人が人を変えるなんて無理ですから」
私の言にポカンとした表情を浮かべるカイルさん。
「こうなる前にカイルさんだけでなく多くの人が彼に忠告をしたのでしょう?」
「ああ、だがあいつは相手を小馬鹿にして笑うばかりでまったく耳を貸そうとはしなかった」
「それだけ自らの強さに酔っていたんでしょうね」
忠告も自分へのやっかみだとしか思わなかったのだろう。
その様が簡単に想像できて小さく息をつく。
「聞く耳を持たない奴は何があっても変わりません。誰が何を言おうと無駄です」
教育者の存在を真っ向から否定する私に唖然とするカイルさんだったが、気を取り直したように口を開く。
「しかしだな、そうならず教えに従う者も」
「それは当人が他人の言葉を糧に出来たからです。どんなに有り難い教えも、神の言葉ですら必要としない者には雑音でしかありません。その為人を変えられるのは自分だけ。他人が変えられることなんてありませんから」
きっぱりと言い切る私に、そうかとカイルさんが力なく頷く。
「ずっとあいつをどうにか出来たのでは、救えたのではと考えていたが…それは俺の驕りだったんだな」
小さく呟くカイルさんに私なりの考えを伝えます。
「後悔するのは自分を見つめ直すために必要なことでしょう。でもそれに囚われて無為な時間を過ごすのはもったいないとは思いますね」
「…確かにな」
苦く笑うと考え込み出したカイルさんを置いて小屋を出ます。
『あら、そんなことになってるの』
「そうだね、近年の通信技術の発達は物凄いって従兄が言ってたよ」
『ええ、そのスマホ?好きな時に世界中の人と連絡が取れて、いろんな事柄が瞬時に調べられるなんて誠之助が生きてた時代からしたら夢の道具だもの』
『データーによるとそれに関連したTwitter全世界の月間利用ユーザー数は約3億3000万人です』
アンのところに戻るとリシュー君、メネ、アンの話し声がしていた。
メネの影響か、アンも随分と流暢になって楽しくおしゃべりが出来るようになった。
そう言えばクソ邪神は今回はスマホを使って転生者の動向を追っているけど、他の時はどうしてたのかとふと思った。
腐っても神だから別の追跡手段はあるのだろうけれど、物珍しさに最新技術に飛びついた可能性があるな。
見た目通りに軽薄そのものな性格してたし。
後日、その謎はメネによって解かれた。
誠之助さんの体には『追躡の呪印』が刻まれていたそうで、これがある限りかけた相手から逃げることは不可能だそうだ。
本当にクソだな、あいつはっ。
「ただいま」
楽し気に会話している皆に声をかける。
「あ、お帰り」
『お帰りなさいませ』
『ねぇカナエちゃぁん、お願いが』
「却下で」
『何でよぉっ』
素気無く断る私にメネから悲鳴のような声が上がる。
「嫌な予感しかしないからですよ」
「そう言わずに聞くだけ聞いてみたら」
リシュー君の執り成しに小さく息をつくとメネに向き直る。
「何ですか?」
『作ってくれるって言う洋服のことなんだけどぉ。こんなのがいいと思うのよ』
差し出されたメモ用紙に鉛筆でざっくりとだが服のデザインが描かれていた。
しかしそれは…。
「誰が作るかっ、この変態っ」
『いいじゃないのぉー、これくらい』
「何処の世界に女王様スタイルのキュー〇ーがいるっ」
そうなのだ、そこにあったのは黒レースのボンテージコルセットに黒のТバック、膝上ブーツ。
しかもご丁寧に鞭付きで。
「だいたい何処からこんな」
『魔族のサキュバスたちの服を参考にしたのよ。だってカッコイイでしょ』
どうやら精霊ネットワークを使って調べたらしい。
「自分の好きな服と自分が似合う服は=にならないってのが世の公式なんです。ちゃんと自分に合った服を選ばないと…海よりも深く後悔することになりますよ」
自戒を込めて暗い声で言葉を綴る私に、さすがのオネエも何かを感じ取ったようだ。
『わ、分かったわ。別のを考えるわ』
そう言って素直にデザイン画を引っ込めた。
「だいたいそんな恰好で飛び回っていたら目立って仕方ないでしょう。悪い奴らに捕まって見世物にされても知りませんよ」
『それは大丈夫よぉ』
自信たっぷりに言い切るメネ。
何故なら精霊は実体がある分身体と言えど声と同様に見える力を持つ者は限られているからだそうだ。
精霊自らが姿を見せようとしない限り、存在に気付くことは出来ないのだとか。
まあ、空飛ぶオネエなキュー〇ーが目撃されずに済むのは幸いなので良しとしよう。
「ところで頼んだ調べ事は終わりました?」
私の問いに、もちろんよぉとメネが胸を張る。
『魔の森にいるエルデって子とアレクセイとその仲間の近況よね。まずエルデちゃんだけど…あれはヤバいわね。『精神耐性』のスキルと持ってる魔剣の効果『戦闘態勢継続』で何とかなってるけど、普通だったらいつ死んでもおかしくない夫婦生活を送ってるわ』
「そこまでですかー」
ため息をつく私の横で同情しきりなリシュー君が口を開く。
「僕らがその魔族の里に行って助けてあげたら…」
『それは止めときなさい』
リシュー君の提案をメネが即座に遮る。
『あの奥方はちょっとした刺激で爆発する地雷並みに厄介よ。下手に介入したらエルデちゃんを殺して自分も死にかねない。まるで清姫みたいな子だもの』
「誰?」
日本オタクであるリシュー君もさすがに知らないようで首を傾げている。
なので彼女についての話をしてあげた。
清姫とは紀州道成寺にまつわる伝説の登場人物だ。
恋人である僧の安珍に裏切られたことを知った清姫は蛇に変化して彼を追いかけ、最後は道成寺で鐘の中に隠れた安珍を焼き殺す。
目的を達した清姫は悲しみの血の涙を流しながら入水して果てるという内容だ。
その悲劇性から能や歌舞伎、浄瑠璃などさまざまな題材にされている。
『恋する女は夜叉にもなるのよ。可愛さ余って憎さ百倍、自分を裏切るなら殺してしまえってね』
「…こ、怖い話だね」
プルプルと震えているリシュー君に、だからねとメネが言葉を継ぐ。
『自分以外は愛する男を連れ去ろうとする敵と思っているから、安易に接触したら命は無いわよ』
「どちらのです?」
『どっちもよ』
きっぱりと言い切るメネに私とリシュー君から深いため息が漏れた。
「取り敢えずいきなり訪ねるのは止めておこうか。リンさんを怒らせない方法が見つかるまでは静観ってことで」
「そうだね」
リシュー君と同時に頷き合うとメネにもう一方の報告を促す。
「アレクセイ君たちは…」
『あー、そっちもいろいろと面倒臭そうよ。何しろ全員があいつに感謝してるから』
「はい?」
自分の耳が悪くなったのかともう一度聞くが答えは同じだった。
『あの子たちの会話を拾ってみたんだけどね。アレクセイちゃんとヴォロドちゃんは戦死、ターリク君は敵対組織による拷問死、ミオリちゃんはイジメからの自殺で、セドちゃんは親からの虐待死だったみたい。だからこの世界の方が辛い前世より余程いいって思ってるらしくてね』
直近の戦争と言えば…あれだろう。
アレクセイは侵攻してる側でヴォロドは防衛側でよくある名前だ。
他の人達の死因も彼らと似たり寄ったり…酷いものだ。
過酷な前世よりこっちの方がまだマシと思い、連れて来たクソ邪神に感謝してしまうのは無理もないか。
「だったら私たちが話に行っても協力は望めないね」
『逆に敵認定されるのがオチだと思うわよ』
メネの言葉に私とリシュー君から再び深いため息が漏れた。
『そう言えばあなた達は何で死んだの?』
メネの問いに小さく息をついてから答える。
「私は交通事故だね。信号無視のバイクに跳ねられて」
「僕は世界中で流行った疫病に罹っちゃって」
『なるほどね』
そうメネが頷いた時だった。
カンカンカンっと木板を叩く音が外から響いた。
「何事?」
訝る私にアンが周囲の状況を教えてくれた。
『此処から北東5キロの地点に魔物の群れがいます。村にやってくる確率は90%』
それを聞いて剣を持って立ち上がったリシュー君に声をかける。
「まずはカイルさんの指示を仰いだ方がいいよ」
「カナエは?」
「村で避難の手伝いをしてるよ。戦況によっては私も参戦するから」
「分かった」
大きく頷くと走り出したリシュー君を見送って私も行動に移る。
『アタシも行くわよぉ』
「本体が壊れても知りませんよ」
『心配ご無用よ、だって』
バチンとウィンクするなりメネは私のエプロンのポケットに入り込んだ。
『一番の安全地帯だもの』
メネの言う通りこのエプロンはアンの進化に伴いとんでもないことになっている。
何しろ『攻撃無効』『ダメージ軽減』『体力回復』の効果があり、下手な鎧より防御性能が高いのだ。
村に行ってみると避難の真っ最中だった。
聞けばこういった魔物の襲来は年に何度かあるそうで、その手順はしっかりしたものだ。
女子供、老人は村で一番大きな倉庫へ。
此処が一番堅固な作りをしているからだ。
戦える者は村を囲む石垣近くで迎え撃つ手筈になっている。
倉庫へ行くと表で炊き出しの準備が始まっていたので手伝いを申し出たら喜ばれた。
せっかくなので死蔵していたホーンラビットをすべて提供すると子供たちから歓声が上がる。
陣頭指揮を執っている村長の奥さんの指示通りに肉を捌いたり野菜を切ったりしながら、こっそりメネに話しかける。
「魔物の動きはどう?」
『真っすぐこっちに向かって来てるわ。…あら、そうなの。これは不味いわね』
「どうかした?」
『近くにいる精霊の話だと魔物はレッサードラゴンの群れで20匹くらい居るそうよ』
「チッ」
その名に思わず舌打ちが漏れる。
『女の子が舌打ちなんてするもんじゃ無いわ。またリシューちゃんの御小言が増えるわよ』
「すみませんね」
『まあ、そうなる気持ちも分かるけど』
慰めの言葉を綴るメネに小さな溜息で答える。
『異世界常識』によるとレッサードラゴンという魔物は最下位ではあるが一応はドラゴン種だ。
それゆえ身を守る鱗の硬さは半端なく、普通の剣や槍は通用しない。
何より厄介なことにアンチマジックスキルを持っていて、如何なる魔法攻撃も解除してしまうのだ。
しかも奴らは獰猛なうえに肉食の大食漢。
通った後には残る生き物は居ないと言われている。
ギルドで示されている脅威度はAランク、それが20匹となると領都の騎士団が派遣される案件だ。
「村の自警団の手には余る相手か」
心配の眼差しを石垣の方に向ける私に、そうねぇとメネも同じ眼をして空を見上げた。
アンチマジックスキルがあるなら私の結界は通用しないし、リシュー君の魔法もダメだ。
対抗できる剣技を持っているのは村ではカイルさんくらいだろう。
となると完全に詰みだ。
出来上がったホーンラビット入りゴロゴロ野菜のシチューを集まって来た村人たちに渡しながら、ぐるりと周囲を見回す。
シチューを口にして、美味しいと笑っている子供たち。
それを見て微笑む母親や老人たち。
レッサードラゴンの群れの前ではこの倉庫の壁も紙みたいなもので盾にすらならない。
移動が遅い彼らでは今から逃げてもすぐに追いつかれてしまうだろう。
このままでは此処にいる人たちすべてが魔物の餌食となる。
「さて、どうするか」
この世界に来て初めてと言っていいピンチに考え込む私をメネが不安げに見上げていた。
 




