OP、でもこの風、泣いてません
――『推し』と『恋』の違いはなんだろう。
はじまりの日――婚約者との初対面の日、私は思った。
その日は、風が強かった。
風が強いというと「でもこの風、泣いてます」と言いたくなるけど、たぶん泣いてはいなかったと思う。
雅やかな演奏の中、瑠璃の花が風に揺れている。きれいな風景だ。
婚約発表の場、ガーデンパーティの片隅で、幼い私たちは出会った。
周りは背の高い大人たちだらけ。好奇の視線がいっぱい注がれている。
「はじめまして、コーデリア。僕のお姫さま」
婚約者になる子は、お人形みたいに綺麗で可愛い男の子。
小さい男の子が大好きな方々が「あら~♡」って言ってうっとりしちゃうような、全力でいい子いい子したくなる感じの可愛い子だ。
王族の血も継いでいるという、公爵令息――お名前は、ジャスティン様。
ジャスティン様と私はこのとき6歳だった。
「ごきげんよう、ジャスティンさま」
挨拶を返しながら、私はジャスティン様に夢中で見惚れた。
特別な存在が目の前にいる。
私を見ている。そして、私たちを大人が視てる……、そう思うと、ドキドキした。
ジャスティン様のチョコレート色の髪はさらさらしていて、触ってみたくなった。
雪のように白い肌は、お体が弱いという噂のとおり、ちょっと心配になるくらいの蒼白さ。
瞳はモスグリーンで、優しそうな色。
王室から称号を賜りし貴族の名家、由緒正しきディ・ソルデージュ。
そのご嫡男が、ジャスティン様だ。
大人たちの中には小さな声で「取引」とか「契約」とか囁いている人たちもいて、私のお父様をチラチラと見ている。
お父様は商売がお上手で、困っている大貴族様をよくご支援しているのに、それが理由で意地悪なことを言われてしまうのだ。
「うまく取り入ったものだ」
「貴き血統に商人貴族の血が混ざるなんて」
そんな声が聞こえて、私はしょんぼりした。
――私のおうちは、他の貴族たちにあまり好かれていないんだ。
そんな空気を肌で感じてうつむいていたら、あどけなくも凛とした声が大きく響いた。
「シイフォン伯爵夫人、エレトナ子爵夫人、ミレニエ子爵夫人……」
ジャスティン様の声だ。
名前をたくさん呼んでいる。
声はしばらく名前を呼び続けて、見守っていた大人たちが驚いたような気配をみせていく。
そっと様子を窺うと、ジャスティン様とぱちっと目が合った。
ジャスティン様の手が伸びてきて、ふわりと私の耳を塞ぐ。
あたたかな体温を感じて、音が聞こえなくなって、胸がどきっとした。
「 」
ジャスティン様の唇が動いて、耳を塞いでいた手が離れる。
何を仰ったのかはわからない。
けれど、名前を呼ばれていたご婦人たちは蒼褪めたりしょんぼりしたり困ったような顔になった。
一体なにを仰ったのかしら。
どうしよう、可愛いお顔で物凄い悪態ついていたりして。
いろんな台詞をふわふわ妄想していたら、ふっと私の頭の中に妙な考えが生まれた。
【ジャスティン様は……私の推しだった当て馬令息だわ】
その思いに堰を切られたみたいに、一気にぶわわっと前世の記憶が脳に蘇る。
「っ、? あ……っ」
「――コーデリア!?」
恋愛小説だ。
前世で読んでいた小説の世界だ。
当て馬令息ジャスティンは聖女に片思いするキャラ。
婚約者に遠慮してアプローチできないまま失恋する優しいお兄様系のキャラで、前世での推しだったのだ。
小説の記憶、前世の人生の記憶――すさまじい情報量が脳をぐるぐる巡る。
「ぷしゅぅ……」
「コーデリア!」
支えようと抱き留めてくれるジャスティン様の腕の中で、私はパタリと気を失って倒れたのだった。
たぶん、漫画的な表現で頭から煙を吹いたりするようなオーバーヒート状態になったのだと思われる……。