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後編

「女神様……!」


ジャックス殿下の言葉は静まり返っていた会場中に瞬く間に広まった。その言葉を耳にし膝を折るもの、祈りのポーズをするもの、様々な反応がある中で、()は血の気が引く思いでその光景を見つめていた。



そう、アンナ・フォスターは私だ。

その私がなんかキラキラしながら自信たっぷりにジャックス殿下に微笑みかけていた。そんな光景を私は見ていた。


そう見ていたのだ。


おかしい……何で私自分の後頭部とか上から見えちゃってるの?霊体?死んだ?

そうパニックになっていると、頭の中に初めて聞く女性の声が響いてきた。


『ごめんなさいアンナ、私は貴女たちの呼ぶところの女神様ってやつよ。ちょっとこの状況あんまりだから貴女の体、少し借りるわね』


自称女神様はそれだけを一方的に告げると、私の体を勝手に動かし始めた。

いまだに信じがたい思いで自分が勝手に動くのを見つめていると、女神様(体は私)はジャックス殿下に再びにこりと微笑んだ。


その笑みを受け、頬をわずかに赤らめたジャックス殿下が立ち上がり、私の右手も取ろうとしたその瞬間だった。



パァン



小気味のいい音が大講堂に響き渡った。


実にいい音だった。中々こんないい音だせない、そう思わせる音だった。立場が立場だったら、呑気に感心できたかもしれない。

でも私はそんな呑気な立場には決して立たせてもらえそうになかった。


何故なら女神様の入っている私の体が、私の体がジャックス殿下にスナップの効いた素晴らしいビンタをお見舞いしていたからだ。


遅れて手にじんわりとした痛みが伝わってきた。体を動かせてもらえないのに痛覚は来るんだ。そんな逃避にもならないことを思い浮かべながら、私は半泣きで私(女神様)の行動をただ見つめていた。




「あっりえないんですけど!!!もちろんあっちのあんたの兄の方があり得ないけど、あんたも十分あり得ない!!


何、ずっと惹かれてたって。あんた15歳からずーーっと辛い立場に立たされてたアンナに何かしてくれたの?同じお城にいたのに噂一つ消してくれなかったよね?さっきも庇ってもくれなかったのに、この子が自分で解決してからポッと出て来て、求婚?は?しかも勝手に手にキスとかやめてよね。セクハラよセクハラ!自分は顔がいいし王子だから許されると思ってるの?あーもうその考えも含めて気持ち悪い!今すぐ手を洗いたいわ!


大体あの兄を許してる家族と結婚するとか無理無理無理。お城の中だってこの子の敵ばっかりだし、それを許し続けてきた父親と母親が義理の両親になるんでしょ。あー、そんな嫁ぎ先絶対に嫌よ。嫁イビり待ったなしじゃない」


畳み掛けられた言葉に呆然とするジャックス殿下をその場に置き去り、次に私(女神様)はスペンサー殿下と

ジュリエッタ様の元に向かった。


「あんたらもよくもあんな冤罪被せようとしてくれたわね。人としての品位?あんたらのがよっっっっぽどないわよ!大体この子は知らないけど私はあんたら二人が共謀してこの計画立てたこと知ってるからね。


そっちの男も婚約してからプレゼントどころか優しい言葉一つかけてこない最低男だし、自分が本来受けるはずの王族としての教養もアンナに押し付けてたの知ってるんだからね。


あとそこの女!あんたも最低よ!何よ優しい振りをしてアンナを騙して……水をかけたり、私物を盗んだ犯人もあんたの指示ってことも分かってるからね!本当に腹が立つわ。今までどれだけその顔はたいてやろうと思ったか分からないわ。


アンナはね、素直にあんたに感謝してたのよ。何とか穏便に婚約解消して、あんたをそこの男の婚約者にできないかとかまで考えてたのよ!はー、こんな二人のために時間を使って。無駄の中の無駄だったのよ。止めてあげられなかったのが歯痒かったわ。


だいたい真実の愛って何よ。王家として決めた婚約の癖に他の女に手を出して、ただの浮気じゃない。そういうの人間としての品位を疑う不貞って言うのよ。

浮気する方も最低だけど、女の方も『悪いのは私なんですぅ』とかヒロインぶってるくせにアンナの前でいちゃつくの止めないしさ。開き直って浮気してる男よりもある意味性格と質が悪いわ!


まぁ元々アンナもそこの男に対して毛の先ほども好意を持ってないから婚約破棄は喜んで受けるわよ。よかったわね、これであなたたちは『不貞の愛』から『女神の愛し子を陥れようとして失敗した性格最悪のお似合いの二人』ぐらいにはなれるわよ」


そこまで言った私(女神様)は次は来賓席にいる陛下を指差しこう言った。


「息子たちも最低なら父親も最低よ!アンナのこと愛し子として大事にもしないくせに、王家に縛り付るだけ縛り付けて!その上最後にこの扱い?はー、貴族に賄賂とかもらって腐ってると思ってたけど、性根も腐ってたわ。国民が可哀想だわ」


そこまで言いたい放題言った私(女神様)は、ふわりと浮き上がり壇上へと上がった。そして大講堂にいた生徒や貴族たちにこう宣言した。


「この国の王族はもうダメね。この国は一度私の手元に返してもらうわ」


そう宣言すると女神様は手を軽く振った。するとその手から放たれた光が陛下や殿下たち、ジュリエッタ様を拘束するように包み込み、やがてその姿を完全に消してしまった。


ざわつく貴族たちを見渡しながら女神様はおっしゃった。


「面倒だから先にお城に返しただけよ。これからの国家のことは追って発表します。それまでは皆、今まで通りの生活を行うように」


それだけを宣言すると、女神様は私の体も光に包み込み、光とともに大講堂から姿を消した。




光の眩さに閉じていた目を開けると、慣れ親しんだ王城の景色が目に入った。確かここは、窓から見える景色から考えるに宰相様のお部屋だろうかと思っていると、ドアから今まさにこの部屋の主ではと考えていた宰相様が駆け込んできた。



「女神様……!本当に降臨なさったのですね!」


白金の髪を揺らす私の姿を見るや否や息を切らしたまま宰相様はそうおっしゃり、深く腰を折り、女神様に祈りを捧げる姿勢を取った。

そんな宰相様に、女神様は先程まで学園で見せていたものとは全く違う、慈悲深い笑みを浮かべながらこう答えた。


「貴方の祈りも聞こえていたわ。よくここまで国を持たせてくれました。ありがとう」


「もったいないお言葉でございます。全ては民のためです」


「その気持ちが王族にも少しはあればよかったのだけれども。王族は国王を含め、皆一旦謹慎をさせています。実務に影響はどれぐらいあるかしら」


「サインをするだけの仕事も多かったので、さほどではございません」


「本当に仕事をしていなかったのね。なら日常業務は任せるわ」


「承りました」


そうして宰相様とやり取りを終えた女神様(体は私)は、その後も次々と国の要人と会っていった。

夕食の時間になって、私はやっと自分の体を返してもらうことができた。そのときに今回の経緯も少し教えてもらうことができた。



女神様が言うには、私は本当は数年後に起こる経済危機を救うために愛し子の力を授けられたのだそうだ。

基本的には女神様は世界には直接干渉せず、何かしらの致命的な危機が起こるときだけ、選んだ愛し子に能力を与える。その愛し子についてもずっと見守っている訳ではなく、ときどき成長を確かめるぐらいしかしないらしい。


そのため女神様もときおり私の能力が伸びているかどうかは見ていたが、私の置かれた環境までは細かく見ていなかったそうだ。歴代の愛し子は大層大事にされてきたとも聞いていたため油断をしていたとおっしゃっていた。


最近になって少し時間の余裕ができ、私のことを詳しく見たときに初めて私の置かれた環境のひどさに気付かれたそうだ。しかし女神様といえど簡単には世界に直接干渉することはできないらしい。そのため、私の扱いの酷さや陛下の賄賂の件など世界に干渉するための理由をまとめ、必要な対応を終え今日ああして私を通して姿を現したそうだ。


そのような今回降臨された顛末から話は始まり、そこから私はその日夜通し女神様のお話を聞かせてもらった。ミユキ様というお名前も教えていただいた。

『こんさるーたんと?』とか、『へっどはんてんぐ?』とかミユキ様の言葉は難しかったが、まとめるとどうやらミユキ様は元々は別世界の住人で、能力を買われ今の立場になったそうだ。前任の女神様から引き継いでこの世界を見守ってくれているらしい。



『しばらく体制を整えるまではアンナ、貴女の体を借りたいの。もちろん週休二日、基本残業なし、有給休暇ありの待遇は約束するわ』


朝陽が部屋の窓から差し込みだした頃、ミユキ様は私にそうおっしゃった。一晩話をして、ミユキ様の持つ経済や政治の知識はこの時代をはるかに凌駕するものであることがひしひしと感じられた。ミユキ様がこれから何をするかにとても興味を持っていた私は、この話を二つ返事で受け入れた。



そこからは目まぐるしい日々がしばらく続いた。ミユキ様の指示のもと私は色んなところに足を運び、彼女の指示を伝えた。

ミユキ様は王制ではない体制についても詳しそうであったため、私は彼女はこの国の体制を大きく変えるのではないかと思っていた。しかし実際には彼女は宰相たちを始めとするこの国の重鎮たちと王族の審査を行い、公爵となっていた王弟を呼び戻し、新たな統治者とすることを決めた。劇的な変化は毒にもなるし、何よりそれを人の手以外で行うべきではないと考えていると彼女はこっそり教えてくれた。


あの日城へと帰され、そこから拘束されていた元の王家である陛下やスペンサー殿下たちは、今後は北の宮殿にて半ば軟禁のような生活をすることとなったらしい。今後の態度によっては軟禁の程度は変わるが、彼らが再び戴冠することはないそうだ。私のこともあるが賄賂などでかなりこの国を腐らせていたことが最大の理由らしい。あの塔で彼らは生涯を閉じることになるそうだ。


スペンサー殿下の想い人であり、私に冤罪をかけた共犯者であったジュリエッタ様のお家も同じく汚職をしていたためお取り潰しとなった。ジュリエッタ様ご本人は修道院に入れられ、清貧な生活と労働を課されているそうだ。



そんな風に国の中枢も大きく変わる中、私が担っていた役割も中々大変で重要なものであったが、ミユキ様は『ろーきほーは遵守するわ』と呟かれながら、どんなに慌ただしくても夕方には必ず私が解放されるよう調整をしてくれていた。


そのおかげで夕方以降と休日はゆっくり過ごせるはずだったのだが、私自身の身の回りでも色々な変化が生じていたため、ミユキ様のお手伝い以外のところでも慌ただしく過ごす羽目になっていた。


まず私の生活する部屋だが、あのミユキ様が降臨された日から見知らぬ侍女が多く出入りするようになった。それまでは馴染みの侍女以外は私を視界にも入れようともしなかったのに、急に新しい侍女たちがやってきてすり寄るように笑顔を向けて私に接してきた。さらにそれだけでなく、彼女たちはこれまで私を世話してくれていた侍女たちを追い出そうとまでした。

私の世話をしてくれていた侍女たちは地位は高くなかったため、危うく私の担当から外されるところであったが、宰相様がそれを阻止してくださった。


その他、それまで手紙と言えば実家からの便りぐらいだったのに、あの日以降私のもとに山のようなお茶会、夜会のお誘いが来るようになった。その量だけでも辟易としそうなのに、女神の愛し子としての能力なのか記憶力のよい私は差出人の名前を見ると、『あのとき私に税金を食らうどら猫って言った人だ』とか、過去にされた仕打ちをすぐ思い出せてしまった。そのため、この人たちの手のひら返しのすごさに少し気疲れするような気持ちになってしまっていた。


同じようなことは釣書でも起こっていた。

スペンサー殿下との婚約がなくなったのもあるが、私のもとには有力貴族を始め、大勢からの婚約打診の話が来るようになった。しかし彼らが、彼らの両親が以前の私にどういう態度を取っていたかはしっかり覚えているので、どの申し込みにも嬉しさなどは感じなかった。


どちらも量が多過ぎて返事もままならなくなっていたところ、見かねた宰相様が事務員を一人付けてくれることとなった。手紙については内容別に仕分けてくれて、お茶会などのお誘いは私が行かないと判断するとお断りのお返事を代筆してくれた。一応もらった手紙全てに軽く目は通したが、結果的にはほぼその全てをお断りした。


釣書に関してはどうしたものかと考えていると、女神様が『ふるい落としのためにペーパーテストをするわよ!』といきなり言い出した。そこから婚約希望者は指定された日に登城して、私のことや教養についてのテストを受けることになった。

内容は『しゃない秘よ!』と見せてもらえなかったが、結構な人が受けたそうだが、今のところ合格者はいないことから中々の難易度のようだった。


そんな風に私の生活はバタバタと変わってしまったが、知識の塔のマイペースな住人たちだけは、私に対して特に態度を変えなかった。いや、正確には伝承や魔法関連の研究者たちは、私を研究したいとギラギラした目を向けてきた。そりゃ彼らからすれば目の前に最高の研究対象がいるのだ。当然だろう。

しかし女神様からその手に関する手伝いは禁止されていますとお伝えすると、彼らは残念そうにしながらもさっと引き下がってくれた。



知識の塔は鍵がないと入れない場所であり、見知らぬ令息に急にちやほやされたり、学園で私に冷たかったご令嬢がにこにこ近づいてくることもないので、私の心の憩いの場となっていた。

そのため、休憩時間には宰相様からいただいた高級なおやつをお土産にしながら私は塔の研究室によく避難をしていた。その日も塔に避難してきて、ちょうど研究室にいたリカルド様と二人お茶をしていた。


「せっかく女神様がテスト制にしてくれたのに、隙あらば接近しようとしてくる人が本当に多いんです。ここと部屋しか気が休まりません」


盛大なため息とともに、ついつい気が緩んでいたため愚痴が出てしまった。最近こんな話ばかりしているかもとちょっと反省をしていると、目の前にいたリカルド様が予測していなかった方向でこの話に乗っかってきた。


「そのテスト、中々解きがいのある経済の問題も出題されているらしいよね。少し興味があるな」


「そうなんですか?私も内容については女神様からお聞きしてないので詳しくなくて」


「そうなのか。私にも受験資格はあるのかな?」


リカルド様がそう言ったそのとき、彼の目の前に一枚の紙がヒラリと現れた。


『今回は特別、持ち時間は一時間よ。それが終わるまでアンナの休憩も延長するわ』


休憩中は基本話しかけてこないミユキ様の声が急に頭に響いた。意味が分からずきょとんとしていると、その落ちていた紙を見ていたリカルド様が胸ポケットからペンを取り出してこう声をかけてきた。


「どうやらテストを受けさせてもらえるようだ。時間になったら教えてもらえるかな?」


私の返事を待たず、リカルド様は紙に向かって何かを書き出した。どうやらリカルド様の前に落ちてきたのは私の婚約者選抜用のテストのようだった。


カリカリとペンが紙をひっかく音が静かな部屋に響いていた。今までもリカルド様と二人になることはあったが、そのときには私が何かを教えてもらったり、二人とも何かに集中していたり、資料について議論をしたりしていた。そのため、思い起こしてみてもこうして私だけが手持ちぶさたになることは余りなかったように思った。


二人きりの静かな空間に、私は少し落ち着かないような気持ちになった。何かを考えて気を紛らわそうかとも思ったけど、気にしないでおこうと思えば思うほど、目の前に座るリカルド様に目がいってしまった。


用紙を見ている真剣な瞳に、まつ毛の影が落ちていた。少し赤みのかかった髪が陽に透けてその色を増していた。彼の持つペンが少し癖のある美しい文字を綴っていた。


一時間も何をして過ごそう、最初はそう思っていたはずなのに気付けばその時間は過ぎてしまっていた。




「どうやら時間内に終わらせられたみたいだね」


ペンを置き、時計に目をやりながらリカルド様はそうおっしゃったのを聞いて、私ははたと我に返った。同じく時計を見ると、確かに時計はあと少しで一時間というところを指していた。


リカルド様がテスト用紙から手を離すと、用紙に書かれた答えが赤いインクでひとりでに採点されていった。


そのとき私は初めて問題を見たのだけど、前半には基礎教養や私の専門分野が並んでいて、後半は私の好きなものなど、私に関する設問が並んでいた。


リカルド様はさすがこの塔の代表も務められているだけあって、前半の問題は全て難なく解いていた。

そして採点が後半に差し掛かっても、赤いインクは彼の回答に丸ばかりを付けていった。


苦い野菜が嫌いでピーマンが特にダメなこと。特にこだわっている訳ではないけど、私物は黄緑のものが多いこと。少し癖っ毛であることを気にしていて、サラサラのストレートに憧れがあること。

話した記憶があるものもあれば、ないものもあった。


回答に丸が増えるにつれ、私は段々顔が赤くなるのを感じていた。

お城に呼ばれてから、人に嫌われることの方がずっと多かった。それでもまっすぐ努力をすることにより、それらに負けぬよう踏ん張ってきた。味方がいなかったとは決して思っていない。けど、こんなに自分のことを見てくれている人がいるとは思っていなかった。


シュッという音を立てて、最後の設問にも丸が付けられた。そしてその丸の下に『文句なしよ』というコメントが現れた。



『今日はもうこの後仕事は手伝ってくれなくていいわ。それより自分のことをしなさい』


というミユキ様の言葉が脳内に響いた。自分のこととは、と思っていると目の前にいたリカルド様から声をかけられた。



「この手を取る権利が得られる日が来るなんて思っていなかったな」


そう言うリカルド様の目には、今まで向けられたことのないような微かな熱があるように感じた。それに煽られるかのように、ただでさえ普段より忙しなかった心臓がさらに鼓動を早めだした。


「懸命に努力を続ける君を支えてあげたい、守ってあげたいってずっと思っていたよ。けれど初めはそれは年下の女の子に向ける、妹みたいに思う気持ちだったのだと思う。あの頃は皆でまだ幼かった君を支えていけたらと思っていた。


けれど君が成長して、背を伸ばし、まっすぐ前を見ながらもときに人知れず静かに涙を流す姿を見たときに、私は自分の手で君を守りたいと思うようになっていたことに気付いたんだ。でも、そのときには君は既に王子の婚約者になっていたけどね。


もう陰ながら守ることしかできないと思っていた。けれど、女神様が私にチャンスをくれた。


アンナ、私の婚約者になってほしい。一番側で君を守る権利を私にくれないか?」




リカルド様の言葉を聞いて、頭の中が真っ白になったことだけは感じていた。高ぶった感情のままに、気付いたときには私はリカルド様を残して部屋を飛び出していた。

恥ずかしさなのか、驚きなのか、嬉しさなのか、とにかく気持ちがいっぱいになってしまって、その場から逃げ出してしまった。後ろからリカルド様の呼ぶ声が聞こえていたけど、今彼と対峙してもうまく対応できる自信のなかった私は、それを振り切って塔の中を駆け抜けた。


胸にあふれる気持ちに押されるように塔の中を走っていると、あの頃に王国史の授業を私にしてくれた女性にぶつかってしまった。涙目で顔を真っ赤にした私に彼女は少し驚きながらも優しく声をかけ、彼女の研究室に招いてくれた。


「あんなに走るなんて珍しいわね、アンナ。もしかしてリカルド君と何かあったの?」


出してもらったお茶に口を付けて何とか落ち着こうとしていた私は、彼女のその言葉に再び顔を一気に赤らめることになってしまった。


そんな私を見て、彼女は「まぁついに」と言いながら大変なことを聞かせてくれた。


「私たち周囲の人間も焦れったく思ってたのよ。せっかく貴女がフリーになったのにあの子何もアクションを起こさないんだもん。貴女に婚約者がいたあの頃はあんなに貴女を過保護にして、ちょっとでも貴女に惹かれるような素振りを見せる男がいたら徹底的に排除してたくせにね」


「あ、あの……」


「ああ、貴女は知らなかったでしょうけど、彼はずっと貴女を守ってきてたわよ。恋心を自覚してからはちょっと過保護気味なほどにね」


にこりと微笑みながらいわれた言葉に私は言葉を失ってしまった。そんなバカなと否定をしようとしたが、確かにリカルド様はずっと私に優しかった。


「貴女の気持ちがもちろん一番大切だけど、けど彼が貴女を大事にしてきたことは信じてあげて欲しいわ」


優しくも、真剣な目でそう伝えられ、私はまた自分の中から落ち着かない気持ちがぶわりと生まれるのを感じていた。助けを求めていたはずなのに、何だか追い討ちをかけられたような気分になりながら、私は自分の部屋へと逃げ帰った。



部屋に帰ってからもしばらくは落ち着かない心地であった。そわそわして、ため息を吐く私にいつもの侍女が遠慮がちに声をかけてくれた。


「アンナ様、今日はお帰りが早かったですが何かございましたか?私でよければ話ぐらいはうかがいますが」


その優しさに既にいっぱいいっぱいだった私は思わず涙ぐんでしまった。慌てる侍女に悲しいことではないんだと説明するため、リカルド様とのことを簡単に説明した。


すると侍女は抱きつかんばかりの勢いで私の手を握ってきた。


「まぁついに!!おめでとうございます!!」


「えっ?へっ?」


「私もずっとお二人を見守ってきましたので、本当に嬉しいです。リカルド様は本当にアンナ様のことを考えていて、昔からアンナ様のお好きな茶葉やお茶菓子をここにこっそり差し入れしてくれていたんですよ。

それに、私がここでのお仕事に残れるようにも手を尽くしてくださいました恩人でもあります。お二人がお幸せだと私も嬉しいです」


目をきらめかせた侍女がそんなことを言ってくるものだから、私は言葉を失ってしまった。


なんだこれ。今日は一体なんなんだ。

皆して急にこんなことを私に伝えてきて、これではまるで、まるで……。


「……リカルド様が私のことすごく好きみたいじゃない……」


思わず呟いた私の言葉は否定されることがなかった。それを聞いていた侍女はただ柔らかく微笑むだけだった。




ベッドに入っても、その夜はリカルド様のことばかりを考えていた。初めて会った日に向けてくれた笑顔のこと、本を山積みにしながらお互い譲らず論争したこと、王子妃教育の部屋から連れ出してくれたときのこと、足取り重く学園に向かう私に甘いキャンディを持たせてくれたこと。


思い返してみると、思い出の中のリカルド様はいつもまっすぐ私に接してくれていて、そして私はそんな彼の側でいつも自分らしく過ごしていた。


自分の気持ちをまとめるのに一晩もかからなかった。きっかけさえあればそれはとても簡単なことだったのだろう。


私はリカルド様が好き。


きっと今までも親愛のような、友愛のような気持ちは自覚していたと思う。

でも色んなことを理解した今、私の心を占めているのはあの手を取り、彼の笑顔の一番近くにいたいという気持ちだった。




翌日、『有給休暇!』と朝イチで叫んだミユキ様からお休みを言い渡されてしまった。時間ができたため、その朝は侍女にしっかりと支度をしてもらった。最後に着けてもらった髪飾りは、お茶会に出るようになったなら必要になるとリカルド様がくださったものだ。本当に、改めて見てみると私の周りには彼の優しさが散りばめられていた。


昨日はいきなり色んなことを知りパンクしそうになっていたけど、今日は穏やかな気持ちでいた。もちろん緊張はある。けれど、それよりも私を大切にしてくれていた彼にこの心を伝えたいという気持ちが勝っていた。


城を出て庭に足を踏み入れると、堪えきれずに走り出してしまった。いつも側にいた訳じゃないのに、そのときは塔までの距離すらももどかしかった。研究室まで走り込んだら、彼は驚くだろうか。困ったような顔をするだろうか。いつものように柔らかく微笑んで出迎えてくれるだろうか。


昨日と違った理由で早まる心音を感じながら、私は塔へと足早に向かっていった。



いつもの研究室の、いつもの席にリカルド様はいた。

あんなに急いて来たくせに、姿が見えると緊張して、つい足が止まってしまった。


研究室の入り口から見える、見慣れた背中をしばらく眺めていると、不意に『はぁ……』というリカルド様の声が耳元で聞こえてきた。研究室の入り口から彼が座る席まではそれなりに距離がある。なぜリカルド様の声が聞こえるのかと驚いていると『面倒見るのはここまでよ』とミユキ様の声が聞こえた。


『あそこで彼女を見失うなんて本当に俺は情けないな。しかしあんな全力で逃げるだなんて、やっぱり俺は兄のようにしか見られていないんだろうか。俺の気持ちは諦める方が……』


「ダメ!!」


気づいたら私はリカルド様に向かって全力でそう叫んでいた。急に私の声がしたことに驚きながら、リカルド様がこちらを振り返った。

私はリカルド様の座る席まで走って行って、リカルド様にこう伝えた。


「それはダメです。困ります。だって私も……私も……」


伝えなきゃと思っているのに、リカルド様を目の前にすると急に恥ずかしくなって言葉が尻すぼみになっていってしまった。


続く言葉が紡げず、視線を下げた私の手をリカルド様が優しく取った。そしてやや俯く私の目を覗き込むようにしてこう尋ねてきた。


「続く言葉が私の望むものだと思うのは自惚れだろうか。ねぇアンナ、もし私の考えが間違いでなければ、今君を抱きしめてもいいだろうか?」


まっすぐ私を捉える強い視線から目をそらすことができなかった。鏡で見た訳ではないが今の私はきっと真っ赤になっているだろう。嬉しくて、恥ずかしくて、泣きそうな気持ちだった。私はただ小さく首を縦に振ることしかできなかった。




そこからは中々大変だった。彼に抱き締められ、気持ちを確かめ合った後の照れくささを抱えながら二人で研究室から出ると、どこで聞き付けたのか待ち構えていた塔の住人たちに盛大にお祝いをされた。「やっと納まったのか」「いやー出会いから見守っちゃったわね」「俺は二人は似合いだとずっと前から思ってたよ」と私とリカルド様は大騒ぎをするみんなに揉みくちゃにされた。


そのあとは二人して宰相様にも呼び出され、直々にお祝いの言葉もいただいた。「フォスター男爵令嬢の周囲には未だ婚約者の座を狙う者が多いからね、明日にもこちらから発表したいのだがいいだろうか?」と言われ、リカルド様は食い気味に「ぜひ」と答えていた。


そして最後に、ミユキ様も私たちを祝福してくれた。


『私ここにきて1ヶ月ほどだけど、それでもアンナより先に彼の気持ちに気づいたわよ。こんな鈍い子相手じゃ苦労するわね貴方。でも二人ともお互いを思う温かい気持ちで溢れているわ。おめでとう。


さて、最大の懸念事項も解決したし、国の運営もある程度軌道に乗ってきたし、私はそろそろ帰るかな。置いてきた他の仕事もあるしね』


「ミユキ様、帰られるのですね」


『いつまでも直接干渉しつづける訳にもいかないの』


「この国を導いてくれて、そしてあのとき私を助けてくれてありがとうございました」


私はその場で手を組み、祈りをささげる姿勢で大きく頭を下げた。


『いいのよ。むしろどっちも半分ぐらい責任はこっちにもあったしね。

人生はこれから先も続くわ。きっと大変なことも起こるでしょう。でも貴女には私の加護もあるけど、それ以上にそのまっすぐに努力を続けられるところがある。彼もいるし、きっと乗り越えられるわ』


「はい、これからもがんばります」


『うん、いいお返事。では私は帰るわね。宰相には伝えたとおりによろしくと伝えておいてね』


ミユキ様がそうおっしゃると、今まで淡く光り続けていた左手の紋章からすっと光が消えた。体の中から何かがなくなったような、ちょっとした喪失感を感じながら、私は再び頭を大きく下げた。





新たな陛下を迎えた王国は、色々問題も起こったが何とか平和な日々を維持していた。

女神様の声を伝え、王家にまで及んでいたこの国の腐敗を取り除いたという功績により、私は知識の塔の名誉顧問という地位をいただいた。私が何かをした訳ではないと思ったけど、宰相様に「変革にはこうした目に見えた功罪を示すことも必要なのです。それに女神様の代理人の貴女を称えることも今の治世には必要なのです。受け取っておいてください」と言われてしまったので、ありがたくその地位を頂戴した。


地位を得たこともあり、私の周りには相変わらずすり寄ってくる貴族たちが絶えなかった。辟易するのも変わらないが、今は一人ではないのでそれらにも対処できるようになっていた。




「国王が替わったことで政策も色々見直されて女神様が言ってた経済危機も起こらなかったのよね。私って結局愛し子として何もしなかった気がする」


ミユキ様が降臨されてから数年後、私は塔の自室で久々に昔のことを思い出しながらそう呟いた。すると、向かいの机で書類にサインをしていたリカルドがこう答えた。


「君という代理人がいることが大事だったんだと思うけどね。でも君が何かしたかはさておき、愛し子でなければ君は知識の塔に来なかっただろうし、私と出会うこともなかっただろう。そう思うと、君が愛し子であったことは私にとっては十分意味のあることだったよ」


婚約者となったあの日からリカルドは私への好意を言葉にして伝えてくれる。リカルド曰くやっと得た権利の行使と周囲への牽制とのことだが、少しは慣れたとはいえ私はその言葉に未だに顔が熱くなってしまう。


あの頃、女神の愛し子として自分が何ができるかが分からなかった頃には、こんな幸せな日々を過ごせるなんて予想すらできなかった。


私は少しばかり火照りが残る顔のまま、今日の幸せを感謝すべく私たちの女神様へと祈りを捧げた。

最後までお読みいただきありがとうございました。


評価、ブックマーク、いいねありがとうございます。また誤字もご指摘ありがとうございます。


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