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完全にこれはつまる所のいわゆる日記  作者: サケ・ノメナイ
9/11

三十六歳の人面瘡

お久しいっすね。想定数五千万人の読者のみんな!おいらは今は、スーパーカップを食べてるよん。次はピザポテトを食べるつもり。


ところでこの文章は、本当は、あんまり日記じゃないんだけれどもそれは、何故なら、そもそも日記としてこれを書いてはいなかったからなんだ、おいらが。


でも、まあ、良いやと思って載っけているだよ。


という訳で、スーパーカップは食べ終わったのだから。


次はピザポテトを一枚ずつ食べるので、おいらが、それじゃあ、楽しんで行ってね、みんなは。

 三十六歳という年頃に、当時の父の面影を宿しているこの胸である。胸の紹介である。胸は誰のものかを言えば、私の胸である。従って私の胸の紹介なのであるが、それは私の胸毛だらけであるところの胸の側なのではなくして、面影というものを宿せられる内の側、のことである。勿論そうである。そうではなくして宿せられた外側の胸に父の面影がはっきりと判るのであれば、それは人面瘡という怪奇現象である。少なくともその可能性は有る。当時の父の面立ちが、私の胸の胸毛にまみれながら胸へと張り付いて在るというのでは、それが瘡にもせよ面影は情緒を危うくさせるであろう。私もセクシーのその時に、開陳する胸を見せるつもりで、父の面影であるところの人面瘡を相手へとアピールしてしまうというような奇態は晒したくない。勿論、そのようなことにはならないという事実は既に明言されている。人面瘡云々は無為に書き連なったというだけの文章である。本当にそれに過ぎない。本当は、但し書きをする意味すらも無いようなことだ。無為である。


 歳重ねる者は生存をしている。私は生存をして来た為に、歳を重ねて今は三十六である。歳上からは若いと思われ、歳下からは、結構いってる、と思われる年頃である。或る時点から自ら歳を数えるようなことは止めてしまうというのは、人々に俄然起こって来る現象であるのだと私は理解している。それなら例に漏れず、私もが又そうであるのだとここに白状をしよう。そのことに負い目はない。いや、しかしそれは本当は有るのだと書いていて思う。今、気付いたのだ。それなら負い目は有るのだと私はここに白状をしたのである。何時までも若く在りたいという願いがどうやら食い下がっている。しかし今よりも若かった頃は、もっと早くに歳を取りたいと願っていたはずだったのだ。直にそれと知れるようなことへさえも非現実的な願望はその働きを休ませないということの、これは証左である。未来は思い描いたようには成らないものだ。


 思い描いていた未来というものを私も持っていたのかと訝しむ。殊に今は、三十六歳、という年頃へ思い描いていたその内容に就いて、である。何も無いと思う。三十六歳といういつか私の到達するであろう年頃に対して、私は具体的な何ものをも思い描いてなどは居なかった。それは詰まりいつの日かの青写真として、未来設計のように自らの社会的な位置やその下に於ける生活様相などを私は思い描いてなどは居なかった、ということである。次第次第に近付いて来る目的地へと到達をするというその時に、そうして到達をし得た私の姿へ理想の像を実現したいという目論見は無かった。それだから反って目的地は次第次第に近付いて来るというだけのものだったのだと表現をされた。あのように在りたいのだからそう在らしめようとする熱量を内に蔵するのであれば、目的地は近付いて来るものではない、近付いて行くものである。私は、そのようには生きていない。


「しかし、本当にそうだったのでありますか」


 とまれ、そう言う者の有るのならば、それは私の胸の人面瘡であろう。私はふと歩みを止める。ひらひらシャツのボタンを外して、首を竦めて覗き見る。在る。人面瘡である。驚いた私は指先をして胸毛を掻き分けた。掻き分けども掻き分けども、ところ狭しと植わる毛根から生え伸びた胸毛は、少しくその面を隠してしまい続けている。痒いというような気がするのではあるまいか。しかし痒いのでは今はない。ただ凍り付いたような瘡が冷たい眼差しを奥へ隠し持っているのだ。私は眼を見ようとした。上目遣いのぬるりとした仰天から遂にそれとの眼が合った。しかし感情が判らない。人面瘡は殆んど眠っているのではないかとも思われる。

(これは一体、何者だ)

 そう思ったのは私である。私のそのように思ったのである以上、人面瘡に父の面影はない。また別の誰かである。それだからその誰かとは何者であるのか、私は問いたいのだ。おもむろに、私の胸へ赤の他人が張り付き出した。そう思わぬのでもない胸の内に質して、いいや赤の他人など、とその謂われのなさに興醒めもしよう。馬鹿馬鹿しい限りの暗喩の内に込められるものなどたかが知れている。これは私である。百歩と譲って人面瘡が私を暗喩するものでないのだとしても、更に千歩と譲ったところが、私の胸へ張り付いた出来物であるところのものの全てが私のものであるという事実には変わりない。人面瘡は、私のものである。私の一部と成っている。私は、私の一部分を私と呼んでみせることに就いては些かの抵抗も感じない。


 胸は表裏である。胸の外があるのならばその内もがある。その内に父の面影を宿している理由は一つである。私にとって、父の年齢と言えば、それは三十六歳なのだからである。三十六歳であるままの父を胸に宿すことは、三十六の頃に父の亡くなり、そこから先、彼の時が進まなくなったことを理由としているのでは全くない。教職を退いて久しい父は、今も元気ぴんぴんに福田恆存の研究をしている。母と共にあちこちを巡りながら、郷土誌へ文章を発表したりなどをしていて、ぴんぴんに元気である。従って私の胸へと宿る面影は情の強張ったトラウマのような刻印足り得るものではない。それはただに記憶、ただに思い出というところにだけは根差しているという、謂わば印象、それも拭い去れないものではないという具合の、柔らかな付着のし方をしたものである。それがしかし今ばかりは少しく強い意味を持って来るとするのならば、それは、私が今、この胸と同様に三十六歳の頃を迎えているのだからだ、ということになるだろう。実に、なるのである。でなければ、この文章もこうして書かれて居はしない。


 果たして私は人面瘡のことを私自身と認めるその上に、この胸裏に隠れた父の面影とで二つの有様を比べてみるのだ。すると、どうしても凍てついたこのような面付きが、父のそれとで引き比べてみた末には、頼りのなく、若輩で、自己都合の、甘ったれであるのだと結論付けねばならなくなってしまう。三十六の年頃に、斯様であるべきはずであったものの象徴としての父の面影に、追い付かず、足りないで居ると感じている正にその表情までもが私の人面瘡のものである、即ち私のものである。そうであるのならば、足りず、追い付いて居ないという風に感じるのであるその理由を探ってみなければならない、のだと私は思う。


 父は母とで子を成して居り、成された子が私である。私は第一子で、下に妹が居るのだから成された者は私だけでは疑いの無くない。がそれは先ず措いて言うとすると、三十六歳の頃の父に、最も父である父、とでも言い得よう印象を持っている私の当時の年齢は、なんと五歳である。何が、なんと、であるものか。実際、当たり前のことながら驚いているのは無論のこと私だけであるが、そうして驚いたのは五歳では余りにも幼いからである。つまり私の、差し引きすれば良いだけの計算はせずにして、それをし得ない頭で想定だけをしていた当時の年齢よりも五歳はずっと幼い年頃である。私は八、九歳はある、と思っていた。幼い身に掛かる三、四年の差異の大きさは言うまでもないことではあるが敢えてここに言い添えてはおき、ところで今一つ驚いてしまった理由へとまた踏み込んでみると、予めされていた想定の内に、父を強く父と思ったであろう光景を私は胸に繰り広げていた。それが父の三十六歳ということと自然結び付いていた、という内的な事実はある。しかしながら今や本当に思い出された外的な事実としては、幼稚園に通っていた頃、初めて疑問に思ったことを口にして訊ねたあの時に、三十六歳はそうして胸に宿ったのだった。即ち、父の年齢を初めて私は彼に訊ねると、父は三十六歳と答えたのである。何故なら父はその時、なんと、三十六歳だったからである。


 これは、一度三十六歳と父は言ったのだから父の年齢はぜったいに三十六歳、たとえそれが三十一年後の今であっても、と思い込みをし続けて来ている頭の足りない、追い付かない、今や自身が三十六歳という哀れな大人に就いての話であったのだろうか。問いである。或る種の滑稽さとは物の見方からようやくに生じて来るものである。私は滑稽であるもので生活を充満させたいという性質をしているから、ここでは少しばかりの恥ずかしさに堪えるだけで、それから自分自身の愚かさを呪ってみることなどはしない。しかしながら滑稽なものを滑稽に見るということは、そこから先を見ないという人知れぬ選択である。滑稽さとはつまり或る地点と或る地点とを繋ぐバイパスに空いた穴である。そこから吹き零れて行くものが笑いである。だがバイパスはそれでも何処かへとは繋がっている。そのはずである。而して、それを見る、突き止める、ということが人知れず提示のされたもう一方の選択肢であるのだとすれば、その上での問いへの答えを私はこうしてここに宣うだろう。


「その通りであります」


 頭で容易に判明の出来るようなことをでも心では承知しかねて居るというちぐはぐとした事態は、それはそれとして歴とした事実である。歴としたもの、とは即ち心は心の方で来歴の内に積み上げて来た現在への根拠がある、という訳である。事実、幼い頃に刷り込まれた父の、三十六、という年齢に或る特別な意味を持たせたのは、近頃のことかもしれない。面影とて人の顔には本来意味はない。それがずっと、例えば今しがたも眠って居るように見えて、しかし宣うようなことはするのである我が人面瘡のように、父の面影はただいずこへかと紛れて、意味に於いては眠らされているに等しい骨董であったのだろう。父の面影であるそれは、それがただに面影であることからも、も早囁きかけるというほどの些細な口伝えもしはしない。三十六という頃に差し掛かった私の眉から、朧な光でそれを照らしているのである。果たして私が私をそれと知る自身の在り方から見つめる時、眉を曇らせた光源の妖しい揺らめきはその意味を炙り出した。或いは先ず率直にそこに意味を見出だしてしまったが為に、曇らせた眉から光揺蕩うその反映をまざまざと見ることになったのかもしれない。何れにせよ同じことである。

 父をより強く父と思う経験は、必ずしもその父性、父親らしさから訪れて来るものではあるまい。例えば、こんなことがあって私は酷く困惑をした。ゲームソフトを買ったのである。中古であった。懐かしいことにセガサターンのゲームである。買って、帰って、開いてみると、二枚組の一枚がプレイステーション用のディスクであった。これ如何に。流石にこれ如何に、となった私はしかし、取り敢えずは気にせず一枚目を手に取って遊び始めた。驚くほどつまらなかった。モノポリーのようなゲームだったと記憶をしているが、何せよ小一時間程度の遊戯で、もう有り得ないぢゃん、となってしまって止めてしまったのだから、然るにどのようなゲームだったのかということをさえも本来は言い得ないくらいに記憶は覚束ないものである。私は、なけなしの小遣いをこれに叩いたやるせのなさからふと眼を反らすと、そこにプレステのディスクを見つけて益々と落胆した。怒りではない。落胆である。余りのことに私は母へ愚痴を言いに行った。その日は休日で、父も居間に居た。すると父が不思議なほどに怒り出して、文句を言いに行ってやる、と言い出した。そうして私は連れられてゲーム販売店にまで行くことになったのだったが、無論、父はセガサターンというハードの為のソフトの中身に、プレイステーションというハードでしか起動のし得ないソフトが入っていた、というその点に怒りを感じていたのであろう。入店するなりにそのようなことを父は店員へと訴えたに違いない。私はよく覚えているが、店員のぽかんとしているその表情は、理由こそ違えど私の胸の内に示していた表情とで酷似をしているものだった。そうして一頻り、結局のところは全体掴みどころもない曖昧とした様相に終始をして、私と父とは帰途に就いている。私は父へ、ありがとう、とは言ったのだったと思う。実際に、ありがたいことなのではないか。息子である購買者の味わった不運の為に販売者の業務上の過失を訴えに行く父へと、他でもない私が感謝を示さないとあっては、彼にはそれをしたせめてもの甲斐すらもないのである。しかし、本心を言えば私はただただ戸惑いばかりの心の何処かで密かな罪悪感をすら覚えていたのだった。何故なら、私を何よりも落胆させたことはそのゲームのつまらなさなのであって、二枚組の内の一枚に誤ったディスクが収められていたことなのではないからである。どのみち、これほどつまらないと感じたゲームの二枚目などは知ったことではないではないか。すると、この表層上の構図に本心を交えれば、つまらないゲームだったことの腹いせに販売店へとクレームを働くというような深層を自身で持ってしまったかのような気がして、底冷えするような心の深部に、それで罪悪感を植え付けてしまっていたのである、ということになるが、それはまた別の話なのであろう。とにかく、父の息子への明らかなる父らしい行為の上に、例えば信頼を抱くというほどの単純さで、私は父を鑑とはしてはいないという訳である。


 斯様に思い返してみれば、父が私の為を思うことで何ものかへと訴えかけるというような振る舞いを、私にそれと判るように明らかに見せたということは余りない。殆んどない、と言って良い。例えば私の学校へと登校をするのを拒否したい、というくらいに恐ろしく思っていた先生の在った時にも父は、いや母もが、私の心の弱さを問題とした。例えば私の学校へと登校をするのを拒否したい、というくらいに恐ろしく思っていた同級生の在った時にも父は、いや母もが、私の心の弱さを問題とした。このように書けば、ただ一方向からの視座とても、書かれたものは当時の時代性に就いて何をか云わんやという様相を呈して来るようだ。だが事実、私の心の弱さには明らかな問題が有ったのだし又、このように対外へひ弱な心を打ち震わしている子が一転、その心に抱え込んで居る悪辣なるものをこれ見よがしに対内へ、然るに妹に対して如何のなく発揮をしていたという揺るがない事実を、父母は必ず知悉していたのである。敢えて反論味に言わば、どれだけ問題としてみたところでこれは早々に治るものではない、としたいそのような悪辣さを今は私も宝としている自身であるが、とまれその生き様には付いて離れぬものなれどもそれが全くに問題でないとは決して言い得ないということへなどは、道義へ照らして人々の及ばぬ理解は何処にもない。二つに類別をすれば、私という子はとにかく被害者であるよりは加害者であるという分類を前提として、様々なことは問題視をされて来たのである。ともすると確かに、ゲームの一件に於ける私は一方的な被害者であったようにも思われよう。それならば父の、父らしくもないような、子を守ろうという父性からの行動に対して初めて、私もそれらしい合点が行くのだ。


 躾とは律しである。それが親心からであることを否定することはない。少なくとも私の父母が、私という存在を律し正そうとしたその根本に親心を鎮めていたことを、私は疑わないでも済んでいる。殊に父の面影に就いてを主題とする文章の上で、折に触れ、子自身を問題とするその躾の在り方も又、父性の発現である。それではこのような父性をこそ、私は人面瘡の裏に残留をする父の面影へ見出だすことになるのだろうか。私の眼は。見出だすのである時に、それを見出だし得るのである必要の眼は。それは内観をする隠れた眼差しである。何を見出ださずともに隠れた眼差しは、それをそうと自ら設えたその時に、確かに心の中というものを見透す為の必要の眼として有り得ているのだ。有らしめているのだ。見ている。それは見ている、見続けている、のだが、も早トートロジックに勿体ぶった真似をして、先行き引き延ばそうとしてみたところで、全面壁のような駆け上がりの急勾配を見、圧倒せられて尻餅を着くというのがそのような眼の辿る末路である。果たしてこのような父性から始めて、彼の面影を意味付けることをなど、私にはやはり出来ないことなのである。


 父の三十六歳であることを強く意識したその日は、彼に三十六の年齢を訊ねたその日であった、ということを既に私は思い出している。正しくその日であったのだった。しかし、それ以前に私は、三十六歳のままである父の面影から列れて思い出されていた光景を、脳裏に浮かばせていた。反転、私はこちらをこそ今は見詰める気持ちになっている。

 旅行先である。日光であったのではないかと思っている。日光の、江戸村であったのではないかと更に思っている。そこで私たちは何か、薄暗い家屋から明るい外へと出て、疎らな人波に真っ向しながら不思議と立ち止まっている。私は、先行をしている父の後ろ姿をふと見ている。父であれ母であれ、妹であれ、なるべく彼らを見逃すまいとするのが旅先の家族同士に弛く結ばれ合う目配り同士である。それは相互監視のようでもある。知らぬ土地ではぐれてしまう訳には行かないからだ。今とでは事情のまるで違う空気感の相互拘束である。何せよ、互いに気軽で、手頃な連絡手段をなど持してはいない当時のことなのだからだ。そういう訳で私は父を見ているより仕方がない。と、父はぶらぶらとした足取りで石畳の短な階段の近くへ次第に寄り付きながら、後頭部へ両手を回した。指はそこで組み合う結束をして、立ったまま昼寝をしようというような両腕の形がダンボの耳である。或いはそれは、銃社会に於ける正にその時に、処さねばならないホールドアップの体勢なのだが、如何せん父はやはり昼寝のような呑気さで、足取りも妙に蟹移動につきホールドアップなら既に撃たれて必死の無防備さをしている。私は、なんであんななの、と思って足早に近付き、ねぇ、お父さん、

「なんで頭に手ぇやってんの」

「なんでって、別に良いじゃん」

「変だよ」

「なんにも変じゃないよ」

 と言葉を交わす。すると父は、或いは私という子は、つまりどちらかは何をかを言い、言われたどちらかはそれに又言葉を返し、そうして二、三の応酬をするに、やがては父こそ笑い出す。

「なんだ、お前、おもしろいな」

 そう言ったのは父である。私はその途端に、一身総毛立たせるかのようにぎゅっと背伸びをして伝えたいというような心境から、

「おもしろい、そう、俺、おもしろいでしょ。だから将来は、お笑い芸人になります。許してください」

 と言った。思い出した。最後は、私は頭を下げた。すると父はふいに顔を歪めて、

「そこまではおもしろくない」

 と言うと、ぷいとそっぽを向いて行ってしまおうとした。その時、

「あんた、この子、多分本気だからね」

 二人の後ろから母が又如何にも、困っちゃうよ、とでも言いたげで、父よりも増して苦々しそうに言い添えて来たのである。然るに、光景を見つめ、これを詳らかにせんとして追い求める為、没入をして行ったその結果、このように私には思い出されることとなった。


「ほれ、見ろよ。必要の眼で見たんだろ。嘘を吐いたな。どうりで、ひりひりするのであります」


 人面瘡の嫌らしげなこの物言いは、それがもし本当にされたのであればふと、胸へ手を当てて省みてみるよすがと成る。だからと言って何も彼を窒息死させようとしているのでは私はない。確かに人面瘡へ宛がった手に止め、そいつは、むんぐ、とそれきり黙るが、それでも黙らせようとして私はそれをしたのでは全くない。心的の事実は、むしろ逆転した意思の為にである。何せよ、省みてみることの契機にそれが成ったと私は既に明言をしたのだった。例え行為が、嫌らしげにつつかれる胸の傷の痛みを咄嗟に庇うという意味を、それなりに伴わせていたのだとしてもである。あらゆることの結果として今に浮腫をして来た人面瘡のことを、誰も潰滅してはしまわれない。在るのだとすればそれは人面瘡として在るのだとするそのものは、例え本来人面瘡の如きあやかしなのではなかったのだとしても、これを消尽し去ることは私の死せるという最後の行為にだけ可能なのである。三十六という年頃に至るところへ累積をする生の、或る一つの証として在るものは、ありとあらゆる年頃へと至りつつあるどなたもの胸に必ず存在をするものである。畢竟私は、必要の眼で見るのであるその時に、人面瘡としてこれを見立てたというだけの話だ。見立てられたものとは暗喩の原資である。暗喩はいずれその役目を終えて消え去るのが定めである。そうして暗喩が消え去ったのであっても原資は依然、この胸に残留をする。例えば、私の必要の眼を以て囚われたものを、私の必要のナックルダスターで殴打することは可能である。


「いたい、いたいっ」


 と悲鳴の上がる。私は思い切り殴打をする拳へ感情に於いて込められるものを精一杯に込めている。だまれだまれ、と募らせる胸にその言葉が感情の一部、又、したがえしたがえ、と募らせる胸にその言葉もが感情の一部、しかし、うううぅ、と募らせる胸にその感情は、言葉になど決して成らない私の痛みである。しっぱいした、しっぱいした、お前はしっぱいした、と責め立てる言葉は人面瘡のものなのであって然るべきであろう、ところが、も早感情はそうではない。明らかにそれは私のものなのである。それも、そもそもの初めから、それはそうに決まっていたのだ。

 私は人面瘡を殴打することを止めた。破壊衝動に囚われて在ったのだとしても、破壊のされ得ぬものに対しては建設的に取り組むのでなければならない。煎じ詰めれば、私はこのような胸の痛みを理由として死ぬ気では無い、ということである。又、死ぬ気でも無いという呆然の生の内に在って、壊れ得ぬものへと打ちかかる絶望は、人へ余程に敗退の死を近付けてしまうのである。粗末に出来る命などないと云う観念は、ありとあらゆる生息の個々へと累積をして来た、疑わざるそのユニークさの承認こそがそれの端緒と成ってもいよう。事実、人の命は幾様にも粗末に扱われて来ており、それが最も顕著に現れる戦争状態の以外に於いてでさえ、現在進行中の事態であると言える。しかし何れだけ粗末に扱われようともその人が、その人なりに、それなりに生きた、生きている、という時の事実は、世界に既に充填をされた、世界に常に充填をされつつある、のである。私は私のことだけしか判らないのだから、私が世界へと充填せしめたその一部を、私は個人的に人面瘡の音に聞いてみるのだった。

 人面瘡は音を立てるのである。それは声ではない。むぎむぎ、と云っている。実に瘡蓋の音だ。

 こいつにも血は巡っているのかしらん、即ち瘡という皮膚の在り方のそこに血は固まってしまって居るはずであるのだが。

「確かに、失敗してしまったとは思うよ」

 私はそう言って、人面瘡へ息を吹き掛けた。

「でもそれはどうにか人の、外部の、社会のいや、世間の、か。それの秤に乗っけてみた時、確かに僕は失敗したのだと思うということだ」

 人面瘡は黙っている。

「僕は今こうして、また君に出会ったのだと思う。君は確かに、かけがえの無い僕なのではあるが、それでも永遠に僕の一部でなければならないという過去の、そのまた一部であるというだけの君なのだと、今の僕はやはりは思う。僕は三十六の年頃に父の姿を見たかったのだ。君の姿ではない」

「三十六という年頃に」

 すると人面瘡が口を開いた。

「お前の予定をしていたお前自身でないことが苦しいのでないのなら、三十六の年頃の父を思い浮かばせ、これとお前とを比較するなりに劣等感を覚えるなどということも無かったはずだろう。いや、はずでありましょう。そういえばこういう口調で統一をすることで、人面瘡のキャラクター付けをしていたのだったわ。すっかり忘れていたのだったわ」

「死ねよ。でも、それは深層、或いはそこに見えるものとして、真相、はそうなのかもしれないのだけれど、でも僕は初め、この回想するという行為にそんな印象を持たなかったのだ」

「つまり、なんだ。お前が死ね」

「つまり」

 つまり、私は父の印象の為に彼の面影を探り出したと言うのに、そうして父の面影の在ったその所以からして思いがけずも私自身の古傷を撫で擦り出していた。一言で言えば、それは心外である。たとえ、あくまでも心の内に就いてを云々としているに過ぎないこの文章へと列なり来るそれが一言であったのだとしても、まるで呈せしめた前提を翻してする心外という感想の抱き方は、それでも依然、前提のままに心の内のことであるのに過ぎない。而して、私はどのような訳でもなく、使役し弄する言葉の波のまやかしの底で、それだけが事実であるという確かさの内に心外というものを認め得る。私は心外という語を見ようではないか。よく見てみるの意をさしてこれを見ようという意思をここに書いているのだ。それだから私は、心外、をよく見てみて居るのである。するともう本当に前提を翻って進む思惑は突貫をしてひた進むばかりとなる。私が私の心の内を問題とし過ぎてしまうそのきらいを見極めて、これを斥けるのであるのならば、私は私の心の外に探り当てねばならないのだというのが当面の結論となる。さりとて事態全体は、浅知恵の目論見通りにならざるを得まい。私がこれを書いている、私以外の何者もこれを書いてはいない、という事実の歴然とあってみれば、浅かろうとも深かろうとも、目論見は白い一色の面上を何一つ差し障らしめず罷り通って行く記号連隊なのだから。果たして見れば、心の外に見出ださなければならぬものとは予めに父である。それもあの日、あの時の、おそらくは日光江戸村に在ったであろう家族の父のことである。


 家屋の、おそらくは売店であったのであろうその屋内の薄暗がりから出でて見て居る子供の私の視点を借り受けた今現在の私は、見てみて居る。父の背を見て居る。それから父が何をするものか、と思わば、視点を借り受けてまでこれをするような必要はも早ない。動画再生と何も変わらない。わざわざ一から鑑賞するまでもなく、この辺りであったとて指でバー、つぅとなぞればそれで良いのだ。父は頭へ後ろ手の指を絡ませ合って、ダンボの耳である。これだ、と私は膝を打つ、とは嘘である。膝は打たないが、そうした表現の内に古代人の意味あらしめた発見の閃きを、私は感じ取る。しかしこれも嘘である。私は、私自身へと、ダンボの耳を以てそうと感じ取らせたいのだ。

「これだ」

「何が、それだ」

「人面瘡よ。僕の胸の、苛みのかつてよ。これなのだ」

「だから何が、それだ。ばか」

「何がこれかは今に言うんだ。お前の方が完全にばか。二重にばか。待てないばか。それとばかって言う方がばか。これ以上の問答は不要であるほどにばかって言う方が致命的にばか、なので、お前がこの先、どれだけばかと言い返してみたところでお前のばかは確定的である。ばか」

「お前自身の作った地獄に居付いているんだ。たかだか過去と思って、放っておいたこれがお前の報いだ」

 何を言っている、この人面瘡は、と私は思った。判らぬことを言う、と私は思った。

「とにかく、これだ。この父のダンボの耳が、私の父の、三十六の年頃の面影なのだ」

「面影って。後ろ姿だろうが」

 いずれにせよ本来から意味の無かったものへと然るべき時、然るべくして意味を見出だそうとするのなら、父の立ったまま昼寝を試みるかのようにしているあの呑気さに、私は着目するのである。それは実のところ、私自身とはやはり関係のない姿である。それが一つ、父の個性に触れているというばかりのそうした姿は、確かに心の外側に位置するはずのものである。

 

 私の心は一つである。私の心と言うのであるのだから、それは私のものである。私は、私のものを私と言うのに差し支えを感じない。そうであるのならばしかし、その心の外側に私ではないものを居付かせている事実を私は、どのように捉えれば良いのか。いや、怪しげな言葉の戒律を遵守し続けずとも良いだろう。何故ならそれは怪しげだからである。事態は明らかに心の内である。私であり、私のものである私の心の内に、私ではない他者が居る。それが人との思い出というものだ。彼は、明らかに私ではない。にも関わらずして、彼は恰かも私のものである。私のものであるものを、私は私と呼び得るのであるのならば、彼もまた私である、ということにどうしてもなる。人との関わりが思い出となって当人の人格を追いつ形成するというような仕組みは、このようなところにその原理を持っているのだろう。しかし、おそらくは彼の思い出として残るところに私のものであるかのような錯覚から彼を私自身と思う失敗は始まっている。即ちそれは失敗である。錯覚であり誤認である。父と子という関係にあって、その遺伝という性質から初めて成立のし得るかのような混同は、それが馴れ初め立ての恋人同士である場合には起こり得ない。むしろ心に残る彼や彼女が、余りにも恋い焦がれる他者である。一方で、長年連れ添ったというような夫婦の関係の内に、双方が互いを心に私のものとして似通って来るというような変成も又有り得よう。私は例えば、父の取り組んでいる取材活動の報告を受けるたびに、嬉しそうに話している者がしばしば父ではないことに密かな感動を覚えているのだが、事実取材活動そのものは、父の伴う形であるはずの母の方こそがうわてなのである。確かにそれが母の興味に成っている、ということには必ずしも父の先導だけが働きかけている訳では無いのであろう。しかし父の無くば又母もこれには関わらないと思わればこそ、心に居付かせている他者のどれだけ働くかということも、それが現に顕在しようその時までは誰にも窺い知れぬことなのだ。

 私は父の面影を見ている。そこに意味を見出だそうとして私はこれを見て来た。しかし意味ありげであるということだけが判るのである私は、その通り、その面影に意味を見出だすことなどは出来ないのだった。少なくとも今のところは。


 骨董である。私はためつ(矯めつ)すがめつ(眇めつ)したそれを元の場所へと位置せしめ、それから指先へふんだんに纏わり付いた埃を擦り取る。私の眉の照射はふと反れる。するともう光の宛が変わるのであるその時に、照り返して来るものは別の骨董である。何せよ眉に直線的な光源を持たせているのである以上、私の視線さえもが又新たなそれを見るのでなければ必ずならない。この暗がりの中で時の進み行くコクイッコクという音が微かに聞こえて来る。あと数時間もしたら私は三十六という年頃を終えている。つまりこれを書いている十二月一日の次の日が十二月二日、私の誕生日である。すると私は三十七に成っている。信じ難いことだ、と思うことより、人も又時の流れを計測する為の機械に過ぎぬものであるかのように感じられている。年齢とは社会生活を営む上での約束、目安のようなものだ。本来天然は、たとえ一年を経過してみたのだとしても、次なる三十七という齢をした人間としてそうくっきり区切られるものではない。だが本来天然の上に形作られた有為の社会が、天然に基づかないものではないということは、必然的に現在社会というものの存在しているという点からして明らかであろう。とは言え、三十六らしさに敗れ去った者が、三十七らしさに追い付くはずも無いのだから、一度は本来天然に立ち返るような気持ちをして、年齢の意味を問わぬように自己調整をする気分転換も時には必要である。無論、それは気分転換に過ぎぬものだ。今は良し、だがやがては肉体は今より判然と衰え行く定めを持っている。それも本来天然のことである。それこそが本来天然のことである。而してその頃、克明にして区切るものとは、上がらなくなった肩だとか、今より更に勃起のしなくなったおてぃんてぃんぽこちんちんちんだとかである。快適、快楽的な若さの良さの故に、それは痛わしい未来である。そうして私のもののみならぬアンチエイジングの祈りは、世界を新たに明け初めようとするだろう。私のところにも、いよいよ光が差して来た。記憶、思い出の蔵に在って、光差さしめる私だけがようやくに認められる光の先で、現実は待っている。その実社会に生きるということが私を待ち受けはしないだろうが、勿論それはそれで良いのだ。生きている、生きた、ということの証明は、それを知るべき人が知るのである。知る人ぞ知る、というそのように知られた人とは殆んど全ての人のことである。我々はその点で同様に連綿するのだ。各人は各人に於いて世界を充填して居ればそれで良い。私も結局はそのつもりで、なさけのない人生へと取り掛かって行くつもりである。


 今一歩、そうして蔵の暗がりは晴れ始め、辺りは仄か、薄暗がりと成って来た。私も止めどなく歩く果てに、頭へ後ろ手をして、ダンボの耳をでも作ってみたいという気持ちになった。そうして実社会を歩いて行くというつもりも、生きることへの処方であります。

そういえば、ちゃんとしている風の(エログロではない)所謂小説を、載っけたことないんじゃない?って、今、思ってる。ビザポテトを、一枚一枚、丹念にいつまでも食べて居りながらね!

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