1-8 少女の願い
8章 少女の願い
「この町は何っていう町なんだ?」
ふと、ケルトはミリに尋ねる。この町に対するミリの反応からして、ミリなら知ってるんじゃないかと踏んだからだった。
「ここはね、ローゼルピスニカっていうんだよ」
「ローゼルジス・・・。何だって?」
言葉を上手く聞き取ることが出来ずにケルトは渋い顔を浮かべる。
「ローゼルピスニカ」
再びミリは町の名前を復唱する。
「ローゼルんんんー?」
全く聞き取ることが出来ず、ケルトは目を閉じ空を見上げた。フン、と鼻を鳴らしたミリは小走りでケルトの少し前に出ると、振り返り立ち止まった。
「よーく聞いててね。ロー、ゼル、ピ、ス、ニ、カ」
どうやら、少女による言語講座が始まったようだった。もう顔を覆うしかなかった。何故俺はこんな辱めを受けているんだ、と。周りを歩く通行人にも聞こえるように、はきはきとした大きな声で講習が行われている。周りからはクスクスと、笑われている、そんな声がちらほらと聞こえる。もうここまでされたら、振り切れるしかなかった。ケルトは己の中に宿る羞恥心をかなぐり捨て、大声で受講する。
「ロー、ゼル、ピス、ニ、カ!」
ちゃんと言えた事により、先生からは拍手が返ってくる。そして、それを聞いていた周りの通行人からも拍手が巻き起こった。(もー、やだ。何なのこれ。)
ケルトは社会的な公開処刑を受けたような気分になり、ガクッと肩を落とした。
それから、先を進むと、ミリの目的地であろう薬屋が見えてきた。
「買ってこいよ。俺はここで待ってるから」
ケルトは店の中には入らず、ミリが買ってくるのを店の外で待った。そして数分が過ぎた。店を出てきたミリは入る前とは異なる悲しそうな表情であった。上手くいかなかったようである。この店にはミリの欲する商品が置いてなかったのか?そんなことを考えながら、ケルトはミリに問いかけた。
「どうした?売り切れだったか?」
ケルトの問いにミリは首を横に振る。では、何が原因だったのか。お金が足りなかったのか。でも、ミリの持つ袋は相当な大金が入っているはずだ。それでも買えないような物なのか。ケルトはがっくりと肩を落とすミリを見かね、頭を撫でる。
「何があったんだ?俺に話してみろ」
ケルトは薬屋から見える位置に公園を見つけ、そこまでミリを連れて行くと、公園のベンチに座らせた。
「お金が、お金がね、全然足りなかった・・・」
次第に溢れてくる涙は止まることを知らず次から次へと流れ続ける。
「1億eだって。私は3千万eしか持ってない・・・」
e、これはこの世界における通貨の単位である。1ヶ月20万eもあれば大体の生活に困ることは無い。
そんな世の中でこの少女は3千万eも所持している。それはひとえにあの山賊との生活の中で地道に稼いだのかもしれない。想像を絶するような苦労であっただろう。ケルトなんて、毎朝野菜を売っていたが、一日の売り上げなんて良くて1万eであった。そこまでしてでもお金を貯めなければならなかった。そこまでしてでも手に入れたいものがあった。そこまでしてでも・・・、いや。しなければならない理由があった。なぜだか分からない。だが、ケルトの目にも何やら熱いものが込み上げてくるのが分かった。
泣いているミリの頭をクシャクシャに撫でる。そして、手に持っている大金の入った袋を取り上げた。その行動に下を向いていたミリが顔を上げる。顔は涙でグチャグチャになっており、見るに耐えない表情であった。
「何って薬だ。俺が買ってくる」
ケルトは自身からこぼれる涙を隠そうとはせず、ミリをその目で見つめた。
「呪文を解く聖水」
ケルトはミリの頭を優しくポンポンと叩くと、ここで待ってろとだけ言い残し、薬屋へ向かって歩いていった。
呪文を解く聖水。ケルトもこの世界に来て結構な時間が経過している。爺さんとの会話の中にもそんなフレーズがでてきたこともあった。だから、知ってる。呪文を解く聖水の相場は。だからこそ、この、今抱いている怒りは止めようが無かった。
(小さいガキだから。大金持ってるのが怪しいから。正当な買い物じゃないか。金を払い、商品を受け取る。ただそれだけのことじゃないか。憎まれっ子世にはばかる、そんなところか。上等じゃねぇか。世の中上手く回してるつもりのクズ野郎に教育的指導をしてやんよ。)
ケルトは薬屋の入口に立つなり、ドアを蹴り破った。店内にいた店主は驚きのあまり呆然としていた。
「ジャン=ララク」
ケルトは店主に向かって一言そう呟いた。だが、店主からの反応はない。ケルトは店内をしらみつぶしに徘徊する。そして、ある物を見つけ、フッと笑った。そのある物を手に取ると再び店主の下へと戻る。
「これは何だ?」
ケルトは手に持つ物を店主に見せ付ける。
「これは・・・、鉄球つきの足かせですね」
その通りだ。そう、店主は見たまんまを言っているだけだ。
「特注の足かせ。こんなのはどこの薬屋にも売っていない。じゃあ、もう一度だけ聞く。ジャン=ララク、知っているか?」
店主は口をつぐんだまま、ダンマリを決め込んでいる。ケルトはカウンター越しに立つ店主を睨みつける。店主の目は完全に泳いでおり、焦りの色がまるで隠せていなかった。ケルトは持ち上げた鉄球をそのままカウンターに叩きつけ、カウンターを縦2つに両断した。
「これが最後だ。お前はジャン=ララクの息がかかった者なのか、そもそも山賊なのか。そして、もし少女が来たとしても何も売るなと言われたのか。憎まれっ子世にはばかるとはよく言ったものだ。あいつは俺が倒した。根回しで命令されていることに従っても、もうお前が得するようなことは一切無いぞ」
そう言って、フッと笑う。本気の目で訴えかけるケルトを目の当たりにしている店主は尋常ではない汗を垂れ流しながら、そのまま膝を折った。
「呪文を解く聖水。確か相場は500万eだったよな。早く出せ」
ケルトの催促に慌てた様子で立ち上がった店主は、そそくさと目的の物を手にすると、ケルトに手渡した。
「迷惑料で痛み分けだ」
そう言うと、ケルトは目的の商品を受け取り、そのまま店をでた。店主はその後しばらく放心状態だったという。聖水を手に持ち、帰ってきたケルトは持っていたお金をミリに返した。お金を手にしたミリは不思議な顔をした。
「減ってないよ」
ずっと持っていたからだろう。中身を見ずとも重さで減っているかが分かったようだ。
「あげるって言われたから、好意に甘えたんだよ。その聖水の相場は500万eだ。1億eなんてふっかけられたら、誰だって怒るだろうよ。その結果だ」
ケルトは手に持つ聖水をミリに渡した。山賊と繫がっていたことは言わないほうがミリのためだろうと思い、口をつぐんだ。
「さて、帰るか」
その言葉にミリは大きく頷いた。手を繋ぎ、ミリと共にローゼルピスニカの町を歩く。と、じーっとこちらを見つめてくる。
「何だよ」
ケルトはミリの視線に耐え切れず、思わずそう弱音のような声を漏らす。
「野蛮人」
そう言うと、ミリはケルトから手を離しランプに向けて走り出した。
(急に素直になりやがって。やっと信じたってか?まぁいいや。)
そんなミリの姿を見てケルトは少しうれしさが湧いてきた。これで全て終わったんだなと。ケルトは前を走るミリに追いつくと、そのまま後ろから担ぎ上げた。
現在は帰り途中、ラクトスの森の中。もうミリさんは担いではおりません。横を歩いております。何故かって。それはローゼルピスニカでミリさんを担いだときのことでした。最初は恥ずかしがる仕草を見せるだけだったのですが、次第にバシバシと俺の膝をパンチが襲い、裏ももへのニーが炸裂する始末。私はこのダメージに耐えきることができなくなりエスケープしちゃったと、そういう訳ですよ。
(暴力反対。抱っこされているのが恥ずかしいなら、それは口で言って欲しかった・・・。)
と、横を歩いているミリが笑顔でケルトに話しかける。
「でもさぁ、ケルトと一緒だと不思議だね」
その言葉に何が言いたいのかを理解できないケルトは首を傾げる。
「何がだよ」
「この森ってさ、町の人は誰も通らないんだよ。魔物に怯えて」
ケルトはこの森に入る前にランプの町人であるガスからある程度の話を聞いていたためミリの言うことはそれなりに理解できた。うんうんと頷くとケルトは鼻を鳴らす。
「魔物か。そりゃ、出るわけないだろ。魔物ってのはな、自分より強い奴には近づかないんだよ」
「でも、この森にだってケルトより強い魔物がいるんじゃないの?」
「いるかもな。だが、俺はそんなことは気にしない。俺のポリシーは向かってくるものには、例え自分より強かろうと背中を見せない。俺の本気をぶつけるだけだ」
その言葉にミリはシラーっとした顔をする。
「ケルトって真っ先に死ぬタイプだね、きっと」
「おい、そうやって俺をけなすな。言葉の暴力にはめっぽう弱いんだからな」
「フン」
ミリは顔をプイっとさせ、ケルトの前方を進んでいく。辺りは日が暮れ森を闇が染め始める。ずっとケルトの前を歩いているミリを呼び止めようと声を掛ける。
「おい、もう夜も遅いんだ。急ぎたい気持ちも分からんでもないが、今日はここまでだ。そこの木に寄りかかって寝ろ」
そう言うケルトを見つめるミリではあったが、一人ではどうすることもできないことを知っているのだろう。
「分かった・・・」
ミリは頬を膨らませながらも、ケルトの指示に従う。やはり疲れていたのだろうか。木に寄りかかると次第に目がトロンとしだしていた。
(ふっ、素直じゃねぇガキが。)
ケルトは口元を緩ませながらミリの横に座ると、ミリが寝静まるまではとミリを見守ることにした。ミリが寝息を立て始めた頃、ケルトもまたそろそろ寝ようかとしていた。だが、そうは問屋がおろさなかった。昨日の昼間感じた殺気と同系統の気配。昨日よりは遥かに劣るものの、それは相手が力を抑制しているだけであって、もしかすれば昨日の人物と同じ奴なのかもしれない。今回は意識を手放すほどの膨大な殺気を放っていない。とすれば、もしや。誘っているのか、と、ケルトは勘ぐる。ふぅ、とため息一つ。寝ようとしていたケルトは重い腰を上げる。
(行きますか。)
ケルトは瞬時にミリから離れ、相手の意識をこちらへと向けさせるようにワザと殺気を放ち返す。
(こいつなかなか強いぞ。まずいかもな。)
ケルトは額に嫌な汗をかいている。対象に向かっているのはケルトであるはずなのに、いきなりその気配が近づいてくる。
(来る!)
格上の相手に対しケルトは最初から全力で臨む他なかった。出し惜しみなくその力を発揮する。
『―鋼力― 』
ケルトは自身に肉体強化の魔法を唱える。それが悪魔の能力であり、人間が悪魔には絶対に勝てない理由である。悪魔は魔法を使えるのであった。それに対し魔法を使えない人間は無力である。それこそが、この世界で人間が下等生物であるといわれる由縁であった。だが、混血であるケルトは悪魔の能力である魔法を使える。それ故、森でもそう襲われることはなかったのだった。それもこれも全てはケルトを救ってくれた爺さんのおかげであるのだが。
ケルトは爺さんに魔法の概念から、使い方までいろいろと教えて貰い、実践使用できるまでに育てて貰っている。今こそ、その力を存分に発揮するときであった。
『鋼力』これは通常の力を6倍にまで跳ね上げる肉体強化の魔法であった。ケルトはそのまま近づいてくる気配に対し拳をブチ込む。
「こんなものか」
ケルトは驚きのあまり少しだじろいだ。それもそのはず。この森で戦うのは大体が魔物であり、魔物は人語を口にしない。つまりは対象が悪魔であることを示唆していた。と、気配が正面から消える。
(今度は後ろか。)
ケルトは咄嗟に振り向くが、避けることは不可能だと理解する。相手の攻撃はすぐそこまできているのだった。ケルトは腕を十字に組むとその攻撃を受ける態勢を整えた。ボコン。ケルトはその拳の勢いに耐えることができずに、遥か後方へと吹き飛ばされる。
「ふっ、まだまだだな、ケルト」
その言葉を聞いたケルトは倒れた体を起こし、薄ら笑いを浮かべた。どうやらケルトは相手を知っているようであった。そして、相手もケルトを知っているということだった。
「やっぱりか、ラクトス。この異常なまでの魔力。お前以外にはいないよな、やっぱ。はは・・・」
ケルトは呆れ笑いながらラクトスの下へと歩み寄る。
「2年ぶりか。多少は成長したようだな」
見下ろす魔物は徐々に姿を変えていく。そして、人型となった。赤髪の男性へと。
(こいつ・・・。できれば会いたくなかったんだがな。)
ケルトは苦笑いをしながらも、出てきたものはしょうがないと諦め、ラクトスと話をすることにする。
「なんか用か?」
その問いにラクトスは答えない。質問を質問で返してきた。
「ダメージはないのか?」
ケルトはため息をつきながらもラクトスに合わせることにした。自己中ハンパないだろ、などとは思っているのだがそれは口が裂けても言えないことであったので。
「そりゃあ、この通りピンピンよ」
ケルトは腕を振り回しながら言葉を更にジェスチャーで表す。
「ふっ、何かスッキリしたみたいだな。前会ったときとは雰囲気が大分違うようだが」
「まぁな、こっちもいろいろとあってな。最近復活したところだ」
「きっかけはあのガキか?」
「まぁそんなところだ。それより、お前今までどこいってたんだよ」
「ふっ、寂しかったのか。お前には縁の無い遠いところだよ」
「連れないねぇ。俺には縁が無いだなんて」
「まぁいい。お前が自由にしているってことは、もうあいつは倒したってことか?」
「あぁ、ガラオスだったな。あいつはな、もう思い出したくもない」
「その後、お前はどうしてたんだ?」
「森に住んでる爺さんに拾われたんだよ。だから、こうして今も元気に生きてるって訳だ」
「爺さんねぇ・・・」
ラクトスは何故か薄ら笑いを浮かべている。だが、それを聞いたところで教えてくれないだろうと知っているケルトは本題に入ることにする。
「で、何だよ。用件を早く言わんかい」
ケルトの言葉にラクトスは鼻で笑う。
「ふっ、じゃねぇよ。早く用件を喋っちゃってください。私は眠くて、眠くて仕方がないんです」
「まっ、いいだろう」
ラクトスの対応にケルトは目を見開いた。ラクトスの仕草のいちいちがケルトの癇に障るのだった。
(くっ!いちいち癇に障るな、こいつ。・・・とは言いたいところだけど、ここは早く終わらせるために、我慢我慢っと。)
「お前、前に人を捜しているって言ってたよな」
「あぁ、今もまだ見つかっちゃいないけどな」
「そうか。んじゃ、朗報だ。願いの叶う杖ってのが今ランプにあるらしい。大会の賞品らしいぞ」
(何!?そんなバカな。そんな都合のいい杖があっていいのかよ。)
ケルトは興奮のあまり少し前のめりぎみになる。
「俺と友達の2人を人間に戻して、人間界に帰して下さい。って願いは叶うかな?」
「・・・」
ケルトの言葉にラクトスは無言で頭を抱えだした。
「おい!何黙りこくってんだよ!」
はぁ、とひとつため息をつくと、ラクトスはケルトに自分の視線を合わせる。
「お前願い事多すぎ。言っとくけどな、願いは1つしか叶わない。しかも、何でも叶う訳でもない。まぁ、優勝しないと意味はないんだけどな」
「で、何だよ。その大会ってのは?」
「武闘大会」
「武闘大会ねぇ。ルールは?」
「場外負け、ギブアップ負け。そして死んでも負け。以上だ」
「ふっ、死んでも負けってか。たまらないな、遊びなんてこの世界にはないってことか」
「どうするかはお前次第だ」
「あぁ、考えとく」
「ふぅ、お前は俺の話を信じていないようだがな、俺はこの森の主だぞ。そして森の守護者でもあるんだ」
ラクトスは中途半端に会話を区切った。ケルトがそこから理解できることは1つだけだった。
「何かっこつけてんだよ」
ケルトはあきれ返ってもう何も言いたくなくなってきた。
「俺の言いたいことはな、何でも叶う杖ってのは別名獣王の杖って言うんだ。そして、お前はこの森で強烈な魔力を浴び、気絶しているはずだ」
その言葉にケルトは背筋が凍る。
(こいつ・・・、隠れて俺のことを見ていたってのかよ。マジ、ストーカー乙。)
「これは獣王が通ったって証だ。この大会はかつて獣王が開いた大会というだけだったんだよ。だから、いつもならば賞品は偽物なんだ。願いが叶うなんてうそっぱちだ。だが、今回は違う。獣王は確実に通過している。つまりは本物の杖が今回の賞品だってことだ」
ラクトスの熱弁にケルトは後ろ髪を掻く仕草をみせる。
「だから、信じてるって。ただ、心の準備が必要だって話だよ」
「そうか、心の準備ねぇ。俺はどうやら伝える相手を間違えたらしい。ヘタレに話すことはもうない。時間を無駄にした。じゃあ、俺は帰るが、森は荒らすなよ」
ラクトスはケルトを見下すように軽くケルトの顔を見ると、そのまま森の闇に消えていった。
「あぁ、分かった」
ラクトスの消えた空間にケルトの声が虚しく響いていた。
(何が時間の無駄だ!じゃあ、来んなって話。あー、やだやだ。もう寝よっと。)