1-7 化物
7章 化物
(ふーん、臭いか。臭い建物ねぇ・・・。)ケルトはクンクンと鼻を鳴らしながら臭いを嗅ぐ。
(・・・わかんねぇ。俺は犬じゃねぇっての。)自分で自分にツッコミを入れながらケルトは尚も進む。(まっ、歩いてりゃ、その内見つかるだろ。)
ケルトは歩いていて違和感に気づく。ケルトの住んでいた北の森は全体が山であって、坂道を登る必要があった。だが。対してこの東の森はどうだろうか。上る気配なんて未だにない。ずっと平坦な道を歩いている。山じゃなくただの森。ふっ、もしかしたらこの先にも変な町が存在してんじゃねぇのか。そんな推測をしていると、何やら変なにおいを感じ出す。
(んぐっ。何だ、この臭いは。生ゴミの腐ったような・・・。)
強烈な臭いに顔を歪めていたケルトだったが、その顔は次第に笑みへと変わり、声まで漏れるほどとなった。
「ふふふ・・・」
目の前の光景にケルトは足を止めた。建物発見。ケルトはそのままその建物へと近づいていく。
そして、ドアをノックした。トントントン。
「誰だ?」
内側から聞こえる声にケルトは素直に答えた。
「ちょっと尋ねたい事がありまして。ドアを開けて貰えませんか」
ケルトは社交的に、丁寧に言葉を発する。
「今忙しいんだ。去れ」
丁寧な言葉に対し、相手は下劣な言葉で対応する。やれやれと鼻で笑うケルトは再び言葉を発する。
「そこをなんとか」
「うるさい!去れと言っているだろ。次喋ったら殺すからな」
なんて優しいんだ。ケルトは建物の内側にいる男であろう者に敬意を表する。殺す前にちゃんと警告を発してくれる。山賊とはいい奴なのかもしれないと。だが、その山賊の好意は無碍に終わってしまうのであった。
「おい」
警告されたにも関わらず、ケルトは言葉を発する。ガタン。結果は十分に予想できるものであった。喋れば殺すと警告され、そして喋った。そうすれば、相手は自分を殺しに来る。つまりドアが開くということなのだ。勢いよく開いたドアの向こう側には大柄で腹の膨れ上がった、いかにも不潔そうな男が立っている。
「お前!調子こいっ、・・・うぐっ・・・」
男が喋り終わるよりも早く、ケルトはその男の膨れ上がった腹に一撃をかました。
「忙しいのはお互い様だ。ここに少女が来ただろ、今どこにいる?」
ケルトは簡潔に言葉を紡ぐ。
「し、知らない」
大柄の男は殴られた腹を押さえながら地べたで悶絶している。バキッ。ケルトは問答無用で横たわっている大柄の男の足を踏みつけ、骨を砕いた。うぐっ・・・。声にならぬ声が男の口から漏れる。
「分かった。分かったから、もう勘弁してくれ」
男はケルトがどういう人物なのかを察し、嘘は自分の破滅を加速させるだけだと観念したようだった。
(おっせーんだよ、全く・・・。)ケルトは男の腕を掴むとそのまま立ち上がらせた。幸いなことに砕いた足は一本だけだったため、立ち上がることは可能であった。ケルトはその男から離れ、近くにあった太い枝を手渡した。その行動に男は神妙な顔となる。ケルトの行動の意味をどうやら理解できていないようであった。ケルトは黙ったまま、少しの間男と周りを警戒する。だが、他に隠れているような人物を察知することはできなかった。
「じゃあ、行くぞ」
ケルトはそう、男に告げる。その言葉の意味を理解できない男は、ケルトに対し首を傾げる。
「少女の所まで案内しろ。俺に追いつかれる前に辿りつくことをお勧めするぞ。追いつかれたら」
ケルトはそこで言葉を切ると、思い切り建物のドアを殴りつけ、破壊した。その行動に全てを理解した男はケルトを押しのけ、ケルトに貰った木の枝を巧みに突きながら走り出した。その様子を見て、少し時間を空けた後、その男を追うように歩き出した。
「ひぃっ」
男は追いかけてくるケルトを確認すると更に速度を上げる。そんなこんなで、男との森の中での追いかけっこが始まった。メルヘンとは程遠い、臭い肥えた男との追いかけっこ。なんだか悲しい気持ちしか込み上げてこないケルトは手で顔を覆った。はぁ・・・。
と、またしばらく歩くと、光景が変わる。だが、その光景にまたもやケルトはため息をつく。それもそのはず。先ほどまでは一人だったデブ男が、今度は二人になったのだから。自分と同じ進行方向に歩いていた男は、ケルトたちの足音に気づき、振り返った。
「あんがとな」
ケルトは今まで道案内をしてくれていた男の肩をポンポンと叩くと、礼を言い、別れを告げた。
そして、新たなる大男に近づいていく。すると、何やらそのもっと先で何かを叩くような大きな音が聞こえる。(こいつにこの先の道案内を頼もうと思ったが・・・、もうその心配はしなくてよさそうだな。)
ケルトは敵意むき出しの相手に対し、突っ込む勢いそのままに豪快な一撃を腹に加えた。攻撃をくらった大男はそのまま膝を折り、意識を手放した。
(じゃっ、いっちょ、やりますかね。)
ケルトは肩を回しながら、音の発生源まで歩み寄っていく。
ケルトが視界に捉えたものは、ケルトを唖然とさせた。言葉がでないとはまさにこういう時に使うものなのだと。ケルトが視界に捉えたのは昨日出会った少女であり、唖然とさせたのはその近くに立っている男が四つん這いの少女に木の棒でケツバットをかましている光景だった。
だが、唖然としたのは一瞬。ケルトは颯爽と歩き出す。
「おい、ポポイはどうした?」
目の前にいる男の更に奥にも大男が立っている。山賊ってのは体格に基準でもあんのかね。そんなことを思わせるくらいだった。
ケルトがここに来るまでに出会ったのは皆、大男。だからであった。
「あれ?」
と、手前で少女にケツバットをかましている小柄の男は間抜けな声で奥にいる大男に返答していた。(ったく、しょうがねぇな。)
ケルトはやれやれといった表情で木陰から姿を現す。それと同時に大男に対して質問の答えを語った。
「あのデカぶつ、ポポイっていうのか。そいつなら、今気持ちよさそうにお昼寝してるぞ」
その声に反応したのか、手前の小柄の男はこちらを確認しようとする。(お前には、見られることすら不快だわ。)ケルトは加速する。そして、小柄の男が振り返るよりも早く、男の顎に強烈なニーをお見舞いした。ゴキッ。その音は彼が先ほどまで行っていたケツバットの音を遥かに凌ぐ程の音だった。
「振り向きざまのニークラッシュ。これぞ、まさに芸術」
ケルトは自画自賛しながら、自分の行った行動の説明を倒れた男にしていた。そして、説明し終わると、次は少女に視線を移す。
「おい、少女。よく頑張ったな。後は俺に任せろ」
ケルトはよく見るとやつれきった少女にそう言いながら、軽く頭を撫でてやった。
「貴様、何者だ」
大柄の男は目の前で起こった行為に対し、堪らなく怒っている様子であった。そんな様子とは真逆の仕草。ケルトはニッコリと笑った。只それだけ。相手の質問に対し、答える気なんて毛頭ない。それを態度で示していた。
指をポキポキと鳴らしながらケルトは大男に近づく。
「俺はジャン=ララクだ。この森を牛耳る山賊の賊長だ」
聞いてない。ケルトは目の前でそう発する大男の言葉を無視し、尚も歩み寄る。その行動に対し大男は少し下がる。
「俺に喧嘩を売るとは、只ではすまないからな」
尚も言葉を発する。(何て言ってたっけ。・・・、あっ、そうそうジャンだ。)ケルトはジャンに対し、しょうがなく、先ほど出会った町人ガスから聞いた知識を教えてあげることにした。
「この森はラクトスの物だそうだぞ。だから、今お前が言っていることはただの間違いだ」
その言葉を皮切りにケルトは歩くのをやめ、走り出す。
「てめぇ・・・」
小バカにされたジャンはもう怒りを抑えられない。向かってくる敵に対し自慢の大きな腕を振りかぶる。そして、タイミングよくその腕を振り下ろした。狙いは顔面。グチャグチャにして悶絶させてやる。その後、うずくまるその体を踏みつけてペチャンコにしてやろう。
ジャンはそんなことを思いながら拳を振りぬいた。
「はっ・・・?」
ジャンの的確な右フックは豪快に空を切る。と、攻撃するための下がった頭の後頭部を掴まれる。ズドン。一瞬だった。後頭部を掴んだ手は、そのまま地面に向かい加速した。ジャンは成す術なく地面に沈んだのだった。
起き上がる気配がないことから、ケルトはひとつ、大きく息を吐くと、踵を返し、少女の元へと向かっていった。少女は唖然と、口をあんぐりと開けた状態でこちらを見ていた。化け物を見ているような、そんな感覚で。
「うわー、なんだこれ。痛々しいを通り越して、俺の足が痛くなってきたわ」
ケルトは少女の足に付いている足かせを引きつった顔でひん曲げていた。その視界に入る足首の内出血に悲痛の念を浮かべながら。
「あっ、あ、ありがとうございます」
ふと、我に返った少女は、ケルトにお礼を言う。
「いいってことよ」
ケルトは引きつった顔のまま少女から外した足かせを遠くにブン投げていた。(んん!!!)
ケルトは目を見開いた。異様な殺気。そして、すぐさま四つん這いになっている少女を抱き上げ、辺りを確認する。だが、先ほど倒したジャンは地面にへばったままだった。では?
ケルトは謎の殺気に警戒心を高める。だが、どこにいるのかも分からない。と、ケルトは自身の体に新たなる異変を感じる。異様な重力感だった。地面にめり込んでしまいそうな程の重力感をその肌身が体感する。そして、それは次第に息をすることもままならない状態へと陥る。危険であることは分かるが、それが誰の発しているものなのか、そしてそいつはどこにいるのか。全てがまるっと謎であったため、ケルトは今出来る最善、逃げるという選択肢をとった。少女を抱えたまま、どことも分からない森の中を走る。対象に対して、遠ざかっているのか、はたまた近づいているのか。だが、結果は無残なものだった。抱えていた少女にはもはや意識はなかった。そしてそれは自分にも言えることであった。足が重く、もう歩くことすらままならない。
ケルトは膝を折り、そのまま地面に倒れてしまった。まるで糸の切れた操り人形のように。
(ん?んぐっ・・・。)
辺りは木漏れ日もなく、闇に支配されていた。夜である。意識を取り戻したケルトは、おもむろに立ち上がる。意識を手放す前までの記憶は鮮明に残っていた。今は・・・。意識を手放す前までの重力感、殺気、呼吸を困難にさせる程の圧迫感、そのどれもが消えていた。
(何だったんだ・・・。)
ケルトの頭は無限のクエスチョンマークに支配されていた。と、足元で寝転んでいる少女に目を向ける。そして、手首を持ち上げる。うん。ケルトは少女の脈を確認してホッと胸を撫で下ろした。
辺りを見回すと、今が夜であることは容易に判断できる。意識を手放す前は昼ごろだったか、そんなことを思い返していた。そう考えると今は夜。時間自体は不明ではあるが、大分ここで眠っていたらしい。
運命とは実に面白いものだ。仮にケルトが助けにこなかったとしても少女は助かっていたかもしれない。あの状況であれば山賊であろうが何であろうが意識を手放し倒れていただろう。そこに逃げるチャンスがあったのだ。だが、その後に関しては分からない。もし、少女よりも山賊の方が早く目覚めたならば・・・。その先の運命は・・・。それは言うまでもないだろう。
ケルトは痛む体をさすりながら、それが夢ではなかったことを実感していた。(化け物の住む森・・・か・・・。まっ、ここでうだうだ考えててもしょうがない。)ケルトはそんな自分を鼻で笑う。
(とりあえず、町に戻ることが一番・・・。)と、ケルトは来た道とは反対方向であろう場所に微かな明かりを感じた。微かに明るい、そんな感じがする。その程度のことだったのだが。
ケルトは自分を信じ、未知ではあったのだが、その先を進むことにした。こんなところで野宿するよりかはいくらかましだろう、と。そして、時は夜更けから夜明けへ。
ケルトは少女を抱えたまま、大分の道のりを歩いた。夜中感じた明かりはどうやら気のせいだった。いくら歩いても、その明かりにたどり着くことはなかったのだから。だが、その淡い期待は、今なら言える。間違っていなかったのかもしれないと。その訳は人の声だ。声は大勢のものであった。恐らくはこの先に何らかの町があるのだろう。ケルトは少女を抱えたまま、歩を進めた。
「ふふ」
ケルトは安堵したのか、思わず言葉が漏れた。町に着いたのだった。ケルトの知らない町。つまりはランプではないということ。ケルトは抱えていた少女を近くの柱の下へと座らせ、寄りかからせた。
「おい、おい」
ケルトは少女の肩を揺すり、目を覚ますのを待った。ん、んんー。少女は目を擦りながら眩しそうにゆっくりと瞼を開ける。
「大丈夫か?」
少女の体を心配したケルトは、不安な面持ちで少女を覗く。
「えっ、ここは?」
少女の問いかけにケルトは自信なさげに答える。
「ランプじゃない、森を抜けた別の町」
「本当に!?」
少女は食い気味に身を乗り出しそう尋ねてくる。
「あぁ」
それ自体は間違っていない。そう心で呟きながらケルトは少女に言葉を返す。それを聞いたとたん、気だるそうだった少女が跳び上がった。
「うっ、何だよ。いきなり」
突然の行動に驚きが隠せず、ビクッとしてしまった。
「よかった。本当によかった」
少女は安堵の表情を浮かべながら、しきりにそう呟いていた。だが、「あっ・・・」という言葉と共に少女の表情は沈んだものへと変わっていく。
「どうした?」
突然の感情の急変に驚いたケルトはその原因が何なのかを問う。
「私のお金・・・」
その言葉に、ケルトは懐から金の入ったボロ袋を取り出す。
「あっ、私のお金!」
少女はケルトが出した袋を見るなりそう叫んだ。ケルトはふと目を閉じた。(そ、そうだよな。こんなラッキーなことが簡単に起こるわけがないんだよな。)
ケルトは鼻を啜りながら、大金の入っているであろう袋を少女に返した。この袋はあの時戦ったジャンからくすねたものだった。ジャンを叩き付けた瞬間にジャラっという音が聞こえたので、ケルトはジャンの懐を探り、その金の入った袋を見つけ、そしてくすねたのだった。これはお前にこの森のボスが誰なのかを教えてやった情報料だと、勝手な理由をこじつけて。
一瞬にして大金を失ったケルトはもう笑うしかなかった。
「なぁ、お嬢さん。そんな大金ぶら下げて、どこに行くつもりだったんだい?」
そんな情緒不安定な様子のケルトに対し、少女はクスッと笑い、ケルトの問いに答える。
「この町で薬を買いたかったの」
そう言うと、少女はしゃがみこみ脱力状態にあるケルトの手を引っ張り、少女の目的地とやらに強引に連れて行く。
「私はミリ。ミリ=ラクテシナといいます」
そう自己紹介を受けた。(あの時は・・・。)あの時は、話さえ聞いてもらえなかった。ケルトは少女と初めて出会ったときのことを思い返していた。だとするなら、(少しは好転したってことなんだろうな。)ケルトはふっと息を吐くと、気だるそうに引っ張られる体勢を中断し、自ら歩き出した。
「俺はケルトだ。ケルト=バラモント」
太陽の光を全面に浴びるその体は、にこやかな表情を作り、ミリに笑いかけた。ミリの目的地まで特に重要な会話は交わさなかった。何故、山賊とつるんでいたのか?とか。他に身寄りはないのか?とか。人には聞かれたくないことだって沢山ある。それを無神経に聞き出し、心を荒らす。今のミリならば、助けてくれたケルトに対して多大な恩情を感じていることだろう。だからこそ、どんなに辛い事だろうが我慢して話してくれただろう。話してくれることで相手を理解し、より助けになることはできる。だが、それを相手が求めていなかったとするならば。それはただのありがた迷惑に終わってしまう。話したいときに。それはかつて自分が爺さんと暮らし始めた時と同じだった。爺さんは何も聞かなかった。笑って、他愛もない話をするだけ。辛くなければ話す必要は無いと。辛くなったときに話してくれれば、それでいいと。
ケルトはまだまだ爺さんのようにできた人ではないと、そう思った。到底追いつけねぇわ、と。だからこそ下手なことは言わない。
ミリの頭を撫で、笑顔を向けること。それが今出来る精一杯のことだった。話したくなったら、そのときに話してくれればいいと。心にそう思いながら。ミリにとって、太陽の。そう、森の中にさす優しい木漏れ日のような、温かい存在になれれば、と。