4-2 変わらない世界
そして次の日である。クランは机といすが並ぶ教室にいる。ここが講習会の会場のようだ。剣は――といえば、しっかりと背中に背負っている。しょうがない、こればかりは身に染みたもので中々手放せるものではない。役所の人も別段何も言わなかったし、問題ないだろう。すると部屋には講師らしき人物が1人入ってきた。講師は教壇に立つと自己紹介を始める。
「私はシャウラ=キマウと申します。悪魔であり身分の低い私が人間様に物事を教えることを光栄に思っております。どうか今日1日よろしくお願いいたします」
シャウラはそう言うと深々と頭を下げた。なんだこれ。不快感しか募らない。人間様?なんだそれ。
「おい、お前は講師だろうが。何故俺にへりくだる」その時だった――。シャウラはいきなりその場にふさぎこんだ。
「すいません、すいません。どうか私をお許しください」
シャウラは震えながらそう言っていた。クランはそのままいつまでも立ち上がろうとしないシャウラの元へ近づいていった。
「どうした?俺は講習を受けに来たんだ。そのままの状態では俺が困るんだが」
やれやれといった様子のクランはそれでも立ち上がろうとしないシャウラの腕を掴み一気に上へ引っ張る。
「すみません、すみません。悪魔の私が講師だなんて、腹が立ちましたよね。どうかお許しください」
シャウラの震え方は尋常じゃない。と、シャウラの腕が目に入る。チッ…。ついつい舌打ちが漏れる。目を瞑って立ったままのシャウラ。このままでは本当に埒が明かない。
「お前、どうして傷だらけなんだ?」
「それは…」
言葉が尻すぼみするように小さくなる。まぁいい、まずは誤解を解くことから――か。
「これからの質問に素直に答えろ。絶対に怒らないし、暴力も振るわないと約束する」
そう言ってクランは教室の端までシャウラから距離をとった。万歳した姿勢で話しかける。
「まずは目を開けろ。絶対に何もしない」
正座し、シャウラを見上げる姿勢のまま根気強く話しかけ続ける。すると、しばらくしてやっとのことシャウラが目を開けた。
「大丈夫だ、絶対に何もしない」
だが、疑いはまだ晴れないようだ。怪訝そうな目で見られている。どうやらそこまでしてでも裏切る奴がいたのだろう。悪趣味な奴のせいでこっちがいい迷惑だ。
「俺は3人でこの世界にやってきたはずなんだ。人間と悪魔だ。皆仲間だったんだ。彼らを捜して、すぐにでもこの世界から出たいんだ。その為にはこの世界の情報が必要なんだ。シャウラの助けが必要なんだ。頼むから怯えないでこの世界のことを教えて欲しい」
丁寧に話すと、シャウラも少し警戒心が薄れてきたようだ。
「仲間って?どんな方ですか?」
小さい声ではあるが少しは心を開いてきているように見える。
「人間の方は混血だ。ケルト=バラモントと言ってランプ出身の奴だ。悪魔の方はレイナ=リヴェールと言ってローゼルピスニカ出身の奴だ」
クランの答えにシャウラは目を丸くした。
「レイナってあのお尋ね者になっていたレイナですか?」
「そうだ。だが、悪い奴じゃない。ガンザの偽物に家族をめちゃくちゃにされた敵討ちだったんだ」
クランの答えにシャウラは呆けた顔になっている。
「初耳です。レイナはそんな方だったんですね」
普通に会話してくれるようになりホッとする。
「ケルトってランプ武闘大会で優勝した人ですか?」
「そうだ」
「その人もここに来てるんですか?」
「あぁ」
シャウラは目を閉じ何か考えているようだった。それをクランは静かに見守る。
「分かりました。私はクランさんを信じます」
いい返事が聞けて何よりだ。クランはすっと立ち上がると椅子を2脚準備する。
「じゃあ、ここに座ってくれ。話をしよう」そう言って、クランは先に座る。恐る恐るなのは気になるがシャウラも椅子に座ってくれる。
「ではまず。何故最初に悪魔だと名乗った。言わなければ分からないだろ」
クランの言葉にシャウラは首を振った。
「いいえ。最初に名乗る様に指示を受けているので逆らえません」
「逆らえない?ここには誰の監視もないんだ。大丈夫だろ」
またもや首を振る。
「ダメなんです。講習の後で調査されて、指示通りできてなければ罰を受けるんです。それに、最悪の場合、この首輪を爆破されることもあります」
へ?
クランは目が点になる。「爆破?その首輪は爆弾なのか?」
「はい。リモコンで遠隔爆破が可能です」
やっかいこの上ない。難易度が急上昇したじゃねぇか。
「まぁ、分かった。頭が痛くなる話だった。とりあえず、話を元に戻そう。指示と言ったな。その指示とはどんな指示なんだ?」
「はい・・・。私はこの役所に買われた奴隷なんです。初めてこの町に訪れた人間は異世界で悲痛な思いを味わっている。だから、体を張ってその思いに応えろと役所の人に命令されています。だから私は初めに悪魔であると名乗ったのです」
なるほどね、殴られ役…ってとこか。
「そうか、そうか、そうか………」
「クランさん?」
思考が闇に沈んでいく気分になる。凄く嫌な気分だ。昔だったらこんな気分になることは無かった。悪魔だろ――みたいな感じで割り切れていた。完全にケルトに毒されたみたいだ。最初から分かって言ったことだった。
ミーファと対面した時だって我慢したんだ。
だが、やっぱりこの世界は狂ってる。人間の楽園だって?ふざけるな!なんか面倒くさくなってきた。こんな時はケルト思考に乗るのが楽でいい。
「シャウラ、俺はトイレに行ってくる。少し休憩だ」
そう言うとクランは大剣を背負い教室を出ていった。
「クランさん?」
とてもじゃないが、トイレに行くような装いではないクランに動揺するシャウラだった。クランは1Fの受付へと辿り着くと受付嬢に責任者を呼ぶように話を通す。
「今所長は席を外しておりまして」
大体使われる常套文句だ。確認しないで即答する辺りが胡散臭い。
「俺はとても怒ってる。背中に背負ってる物を使って今にも暴れたい気分なんだ。察してくれるか?それか、君が責任を取ってくれるとでも?」
受付嬢は即座に首を振る。即座にクランは剣を抜き放つ。
「ほらそこ、怪しい行動はしないように。俺は人間界では犯罪者だった。クラン=イーザス…、分かる奴は大人しくしておいた方が身のためだが」
知っている奴がいたのだろうか、皆が視線を合わせ、頷き合っている。そして、皆が手を上げその場にしゃがみ込んだ。
「所長はどこだ?」
すぐ近くにいた者に尋ねると、「所長室です」と素直に答えてくれた。
「通報して天界の遣いがかけつけるのと、俺が殺しにくるの――どっちが早いかちゃんと考えてから行動するように」
そう言ってクランは所長室のドアを開けた。ドアの先にいた者を見てクランはため息を吐いた。これだけの騒動の中、何にも気づいていなかった様子。どうやら、この部屋は防音設備が十分なようだ。所長の傍らにいた女性を見ると首輪が付いていない。人間か…。
「唐突で申し訳ないんだが、シャウラをくれ」
クランの言葉に所長は頭に血が上る。
「お前、俺がただの所長だと思ったんなら大間違いだぞ」
所長はスッと立ち上がった。体がデカい。すぐ横に合った鉄の棒を持ち上げ、振りかざしてくる。
ガコン。
上段からの振り下ろしを横なぎに大剣で払う。
「あっ…」
あっけなく所長は武器を手放す。
「次はないが、どうする?」
すると所長は腰が抜けたのか尻餅をついて怯えだした。
「わ、わ、分かった。あいつはやる。やるから殺さないでくれ」
いい返事がもらえて何よりだ。クランは先ほど横なぎで止めていた大剣を振り下ろす。
「あぎゃー!!」
クランは所長の両足を切断したのだった。殺さないことは約束したが、怪我させないとは言ってないし、許さない。クランは良い子たちの間を通り抜け2Fへと上がっていった。
「く、クランさん?」
シャウラが少し怯えたような表情で見ている。
「帰るか」
そうクランはシャウラに話しかけたのだが、「そうですか。今日はありがとうございました」そう言ってシャウラは深々と頭を下げた。だが、クランは首を傾げる。
「早くしろ、手ぶらじゃ心もとないだろ」
「へ?」
シャウラが顔を上げ、首を傾げた。
「所長と話をしたんだ。お前はもうここにいる必要は無いんだが、俺と来るか?」
「へ?」
またもや呆けた返事をするシャウラ。どうやら話が頭に流れ込んでいないようである。
「異世界へ帰りたいなら来い。帰りたくないならここにいろ」
そうキッパリと言い放つと、シャウラはハッとしたのか、「行きます」とそう答えたのだった。1Fに降りると皆の視線を感じる。
「あ、あの、クランさん――」
何か話しかけてくる役所の人。話に付き合うとどうなるか、お前等の魂胆は見え見えなんだよ。先ほどと違い、別の緊張感を感じるのだから。
「行くぞ、シャウラ」
クランはシャウラの手を引き、走って役所から出ていった。どうやら追手はまだ到着していなかったようで、クランたちはそのまま逃げおおせた。それからが大変だった。キャンプ用品を買い、野宿セットを整えると、森での生活が始まった。レイナは簡単には見つからないだろう。ケルトはすぐに見つかりそうだ。奴が歩く道はトラブルだらけだからな。騒がしいところに行けばすぐに見つかる。クランはシャウラを森の拠点に残し、1人、街を徘徊する。だが、いくら捜しても見当たらない。野宿し始めてから結構経つのだが、ケルトのけの字も見当たらない。いないのか?ケルトはこの町に来ていないのか?病院は1か所しかない。人間ならば病院で丁寧に診察されるはずだ。金もないケルトならば仮設住宅が関の山なのだが、見当たらない。と、諦めかけたその時だった。真横をケルトがすれ違ったのだ。
ハッとしたクランは咄嗟に「おい、ケルト!」と呼びかけたのだが、全く反応が無い。他人の空似か?だが、どう見てもケルト本人であった。拠点に帰り、シャウラにも聞いてみたのだが、それに関しては分からないとしか言われなかった。いったい何がどうなっているのか。ケルトは記憶を消されてしまったような感じだった。俺をチラ見すらしなかった。もし記憶が無いのならば無理やり連れていけばこちらが痛手を負うことになる。考え事に浸りながらテントの青い天井をボーッと眺めていると突然ザザっという音と共に木に結び付けていたテントが崩壊した。
「キャッ!」
シャウラも起きたようだ。まぁ、普通なら起きるだろう。襲撃か?天界の遣い?
「見つけたぞ。お前が少女を連れまわしている悪い奴なんだな」
ん?子供?女の子?
突然聞こえた声にクランは少し頭が混乱する。天界の遣いはシャウラから聞いた通りならば全員大人の男のはずだ。クランは数秒混乱した後、すぐに大剣を手に取る。
「遅いぞ、人間」
少女の手はすでにクランの首元にある。【タルジュ】首元がヒンヤリとした瞬間、「やめて下さい!」とシャウラの声が飛んだ。首元のヒンヤリが止まった。
「悪魔、お前は人間と一緒にいて辛くないのか?」
その問いにシャウラは「この方はクランさんといいます。私をこの町の人間たちから救って頂きました」
「そうか…。じゃあ、いいや」そう言うと少女は夜の闇に消えていった。
一体何だったんだ。首元が涼しくなったが、あれはいったい?
ドサッ。その場にシャウラがへたり込んだ。
「大丈夫か、シャウラ?」
クランの問いにシャウラはジロりとクランを睨みつける。
「大丈夫かどうか心配なのはクランさんの方ですよ。あのままだったならクランさんは氷漬けにされてましたよ」
シャウラの言葉にクランは喉元に触れてゾッとしたのだった。
「奴はいったい何だんだ?」
「分かりませんが、悪魔でしたね」
「悪魔…。お前を逃がそうとしていたな」
「そうですね。魔法を使える悪魔がこの街で密かに暮らしているのかもしれないですね」
「レジスタンスか何かか?」
「分かりません。そんな情報は私の所までは下りて来ませんでしたから」
「そうか。でも、魔法が使えるということは――輝石…、持ってるよな」
「そうでしょうね。でも動きが速いですし、見つけるのは一苦労な気もします」
「あいつも追われる身ならば、俺たちが簡単に接触することは難しそうだな」
輝石とは何なのか。それはシャウラに聞いた知識の一つなのだが、この世界では魔法を使うためには輝石が必要なのだとか。原理なんかは分からないがそういうものらしい。天界の遣いは皆、輝石を所持しているらしい。とても危険であり、奴らが身分が上だと言っている意味も分かった。
輝石を持っているという点では是非とも接触したいところではあるが、難しいなら無理にしようとは思わない。魔石を使う人間と悪魔――魔法を使う相手として戦うならば前者の方がましだ。テントを張りなおし、夜風に当たるために外をフラフラしてみる。何をどうしようとも出口が見つからない。ケルトが正気に戻るのを待つしかないようである。そしてどのくらい経ったのだろうか。拠点を移動させながら、来る日も来る日もケルトを待った。
そして――「すみませーん」テントの入り口が開いた。




