3-7 兄の沽券
7章
エルと別れたクランは女の子の走れるスピードに歩調を合わせながら、ヤンムのいる宿へと急いだ。
「もうすぐだ。父ちゃんと母ちゃんに会えるからな、頑張れ」
クランは大分疲弊していた女の子に声を掛ける。
「うん」
女の子もクランの励ましに最後の力を振り絞るように答える。宿が見えてくると、そこには2人の人影があった。
「お母さん…」
女の子はそう呟くと、クランを抜き去り両親の元へと走り出した。クランはその光景を笑顔で見守りながら女の子の後を着いていく。
「ミヤ!!」
母親であるセトはそう叫ぶと、走ってくる愛娘を思いきり抱き締めた。女の子の名前はミヤというらしい。
「おかあさーん!!」
ミヤは母の胸の中でわんわんと泣いた。
セトも娘を抱きしめ、わんわんと泣いていた。そして、後ろにいたヤンムがクランにお辞儀をするのだった。
「ありがとうございます。本当に何とお礼を言っていいのやら」
ヤンムは頭を下げたままの状態でクランに礼を言う。その声は若干震えているようで、恐らくヤンムも泣いているのだろうと推測がつく。
「すぐにここから逃がしてあげたいんだが、ちょっと待ってて貰えないか?」
クランの言葉にヤンムは顔を上げた。
「どうかされたのですか?」
「さっき爆発音が聞こえただろ。恐らくこれからタンダスは戦場になる」
「え?戦場?どういうことですか?さっきの爆発音は火の不始末とかじゃ…」
ヤンムはクランの言葉にテンパって固まっていた。
「とりあえずここにいたら戦いに巻き込まれるだけだ。だから一時的に避難して欲しい。…そうだなぁ。ミヤのいた西の祭壇が丁度いいだろう。そこまでは送るから、暫くはそこでじっとしててくれ」
クランはヤンムに丁寧に説明した。
「は、はい」
だがヤンムは動揺しきっていて、動きも言葉もおぼつかない様子だった。するとさっきまでわんわん泣いていたセトがクランに喋りかける。
「あの…、この村の人達はどうなるのでしょうか?村人たちは多分ただの火事だと思ってます。現に皆消火の準備に向かいましたし」
セトが心配そうな顔をしている。村人から見捨てられたミヤがいるにも関わらず村人の心配をしているセトをおかしいとしか思わないクラン。
「俺はお前たち家族を救う約束を果たすだけだ。この村がどうなろうと興味はない。お前たちの今後の生活も約束されているんだ。時には一つしか選べないときだってある」
「でも…」
セトは何故悩んでいるのか。クランには分からない。
「大切なものを選ぶ。それは当たり前のことだ。切り捨てる勇気だって必要な時がある、それが今だと俺は思うがな」
クランの言葉にセトはミヤを見るが、何故か悲しそうであった。
(踏ん切りがつかない、切り捨てられない、それによって何も得られず死ぬことなんて今まで沢山見てきた。今までの俺なら確実に切り捨て、前に進む。だが…、俺と一緒に旅をしている奴はそうではない。そうしたい――じゃあ、やるか。って感じだ。捨てない勇気、抗う勇気を持っている。バカだけど。そんなケルトの考えは嫌いじゃない。)
少し自分の心に変化があることに気付いたクランは思わず笑ってしまった。そして、力がないからと迷い、でもできれば助けてあげたいと考えているであろうセトにもう一つの選択肢を提示する。
「俺はこの村の民じゃない。どうしたいかはお前等が決めろ。この際だ、何人いようが変わらないだろ。お前たちの意思に従ってやる」
言葉の意図を汲んだのか、セトは笑顔を取り戻す。
「じゃあ…、皆も助けて欲しいです」
セトはクランを真っ直ぐ見ながら、強く言ったのだった。
「じゃあ、事は急いだ方がいい。お前等が言ったことだ、お前等で村人を皆ここに集めろ。それまではここを死守してやる」
「分かりました」
そう言うと、セトは立ち上がる。
「ヤンム、ミヤ、これから手分けして皆をここまで連れてくるのよ。皆で生きるの」
「うん」
「…分かった」
そう言うと3人は別々に村人の救出に向かった。
(女は強し…か…。)
何か忘れていたような気がするクラン。と、思い出したのだった。焦りの色が隠せないクラン。
「あっ、弱った。ケルトにはミヤを届けたらすぐにババの屋敷に行けって言われてたんだ」
クランは自分で言った手前、セトたちにやっぱり無理とは言えない。頑張ろうと必死に行動するセトたちを放っておくことなどもうできないし、後にも引けないのだ。
「…ごめんな、ケルト。どうもお前の作戦に参加できそうにないわ」
クランはそう呟くと、天を見上げケルトがふざけてやっていた祈りのポーズをしたのだった。
・
現在、ラクトスの森にいるレイナ。
「ババの屋敷、ババの屋敷」
レイナはそう連呼しながらタンダスの入り口をくぐり、一直線にババの屋敷へと向かう。レイナだけはケルトの作戦を着実に遂行していた。
・
同じくラクトスの森。レイナとは違う場所にケルトがいる。
「ひゃっほーい」
ケルトは今、現実逃避していた。
(ヤンムの家族を救うだけのつもりだったのに。まさかこんな大惨事に巻き込まれているとは。)
と、後悔の真っ最中であった。だが、向かう先はキッチリタンダスである。
(面倒くさい。…てか、やばい。敵はバーレンにヘルジャス軍にフォードの側近のシルヴィーとかいう謎の女。多すぎてひゃっほーいとしか言えない。こっちの分が悪すぎてワロタ。)
大分走っているのだがタンダスへ着く気配がない。時間的にはもう辿り着いていい頃なのだが。不思議に思いながらもケルトはひたすらに走る。
(早く合流して作戦変更を伝えないと。最悪、人さえいれば村なんていつでも再建できるんだ。戦うより村人の避難が優先だ。)
ケルトは森の中で熱い視線にさらされていることに気付く。敵が多すぎて誰に狙われても仕方ない状況である。ヘルジャス軍、シルヴィー、はたまたバーレン。気配を感じる方角を直視しているとそこから隠れていた人物が姿を現す。
ヘルジャス軍でもシルヴィーでもバーレンでもない予想外の人物。
「おい、何してんだよ、アラル」
ケルトがそう言うと、マントで全身を覆うアラルが歩み寄ってくる。
(全身マントってこの世界で流行ってんのか?)
「よぉ、ケルト。久しぶりだな」
「久しぶりじゃねぇだろ。ついこの間会ったばかりじゃねぇか。てか、俺は今忙しいんだ。なんなら手伝ってくれよ」
ケルトは忙しい素振りを全身で表現している。
「手伝う?何故?何故俺が悪魔を助けることに手を貸さないといけない?」
アラルは相当悪魔を憎んでいるんだろう。アラルはこの世界で愛していた女をフォードに殺されたのだ。
(これはアラルにも俺のカッコイイ決め台詞を言ってやらないといけないようだな。そして、目を覚ませ。)
「あのなぁ、アラル。結局人間も悪魔も――」「お前が悪魔に肩入れするなら、お前も俺の敵とみなす」
ケルトの決め台詞は途中で遮られ不発に終わった。少々不機嫌になるケルトであったが、どうやらふざけてはいられないようである。アラルの顔は本気であり、殺意すら感じるのだった。
「どうして?お前はいつだって冷静だったじゃないか。俺とサリファの暴走を止める――そんな役回りだったのに。
………お前、今更反抗期なの?」
ケルトは若干ニヤケ気味でアラルに言った。
「ケルト、おふざけはその辺にしとけよ。お前だって忘れていないはずだ。俺らがこの世界に来てどんな目に合ったのか。そしてサリファに関しては今も行方不明のまま」
そう、俺はサリファを捜している。3人で異世界に来た。今目の前にいるアラルと俺と。忘れられるもんかよ。俺だってあの時、死ぬほど辛い思いをしたんだ。
過去は変えられない。
その想いがずしりとケルトの肩にのしかかる。アラルはケルトとは違う。ケルトよりももっとひどい事態に陥っていたのだから。アラルは目の前で最愛を殺されたのだから。
「お前がこれからも悪魔と仲良しごっこを続けるつもりなら、こっちにも考えがある。
………残念だが、お前を排除する」
ケルトは大きく息を吐いた。
「排除するって、どういうこと?」
アラルはケルトの言葉に耳を傾けることなく一気に駆けてくる。
(ゲッ、マジかよ…。)
アラルはケルトとの間合いに入ると、躊躇なく右ストレートを放つ。
(うへっ、速いし。)
ケルトは若干後ろに下がりながらそれを躱す。すると、すぐに左フックがとんでくる。ケルトはとんできたアラルの左手を掴むと、勢いそのままに背負い投げをかまそうとした。
(…うそだろ。)
アラルはケルトに掴まれた左手を無視してケルトの腰回りに右手を回す。そして、右腕と右肩を使い、そのままケルトを持ち上げバックドロップをかました。
(ぶへっ、脳天ゲームオーバーです。…って、言ってられるかぁあ!!)
ケルトは瞬時に起き上がりすぐさまアラルと距離をとる。
「なぁ、折角まともに出会えたんだからさ、ちゃんと話をしないか?」
ケルトは首を回しながらアラルに訴えかける。
「悪魔は敵だぞ。それが俺の根本だ。お前はこの2年間で目的が変わってしまったんじゃないのか?」
「目的ねぇ…。変わる訳ないだろ。サリファを助ける、それだけだ」
「それだけ?じゃあお前は今いったい何をしているんだ?」
「えーっと、それは…。ついでだよ、ついで。サリファちゃんいませんかぁ?って聞いてんだ。教えて貰ったんだから例えそいつが分からなかったとしてもそれは恩義にあたる。恩を返すのは当然のことだろ」
「当然のことか。でもそうしている間にもサリファは辛い目に合っているかもしれないんだぞ」
ケルトは言葉を詰まらせる。アラルの言葉にケルトは即座に答えられなかったのだ。
「答えられないか、浅はかだな。お前はいつもそうだ。目的があったとしても目の前で困っている奴がいたら全てを投げ出してでもそいつを助けようとする。目先のことばかりを考えてる。昔から変わらない悪い癖だ」
「悪い癖か…。だが、俺は信じてるぞ。サリファは絶対に無事だって。俺は俺のやり方でサリファを救う。俺はこういう人間だ」
「ふっ、人間だと?お前も俺も悪魔に魂を売った身だ。そして、悪魔に肩入れまでしている。心も体ももう人間とは言えないんじゃないか?」
「魂を売った?何勝手に決めてんだよ。マジ、妄想乙」
「ふっ、またおふざけか。話し合いは終わりだ。もう容赦しないからな」
アラルはそう言うと、再びケルトとの距離を詰めようと駆けだす。【狂】アラルは肉体を強化する魔法を唱えるのだった。
(やばいなぁ…。)
ケルトは速度の変わったアラルが肉体を強化したことに気付く。【鋼力】応戦する為にケルトもすかさず肉体強化の魔法を唱える。
「肉体を強化できるようになったか。少しは成長したようだな」
「うるせぇ、何だその上から目線は。バーカ、バーカ」
アラルは先ほどと同じく右ストレートを放ってきた。
「どれだけ強くなったってなぁ、当たらなきゃ意味がないんだよ」
ケルトはアラルの攻撃を突っ込むように避け、そのまま右手を伸ばして、アラルにラリアットをかました。
(くっ…。)
アラルはケルトの攻撃に動じることなくそのままケルトの背中の服を掴むと、ケルトの腹に膝蹴りを入れた。
何度も、何度も。
「グハッ…」
ケルトは吐血し力なくその場に倒れこんだ。
「これが俺とお前の実力の差だ。お前の目的は俺が叶えてやる。だからもう、お前は大人しく死ね。そして悪魔の契約からも解放されていい。お前は昔悪魔との契約はなかったと言っていたが、混血には必ず契約が存在するんだぞ。短い命だがな、だからこそここで苦しまずに安らかに眠れ。それが俺からできるお前への贈り物だ」
アラルはそう言うと、ケルトに向けて拳を振り上げる。息をすることで精一杯なのか、ケルトは下を向いたままである。
ドゴーン。
アラルの放ったパンチは地面をえぐる程の威力だった。付近には視界をくらますほどの砂ぼこりが舞っている。アラルはため息を吐きながら脱力するのだった。
「何故、大人しく自分の運命を受け入れないんだ?なぁ、ケルト」
アラルの先ほどの攻撃にケルトの感触は微塵も感じられなかった。
「隠れても無駄だ。お前に勝ち目はないんだよ」
ケルトはアラルの拳をギリギリのところで躱していた。だが、それはこれからの策があってのことではない。先は全く見えない。深手の傷を負っているケルトにとって、今はただ砂ぼこりのおかげでアラルに見つからない。
(やべぇなぁ…、追い詰められ方がハンパない。何…、この極限状態。しかも相手は友人だし。バーレンよっかおっかないわ。俺の考えるよりも早く手を打ってくる。こいつにだけは一回も喧嘩で勝ったことないんだよな…、どうするよ俺。)
その時だった。ケルトの頭に閃きのような何かがフラッシュする。
(何故に俺の妹?)
ケルトは脳裏に妹の姿がよぎった。しかも妹がテレビを見ている謎の光景。
(あー、のほほんとしてるなぁ…。って、違うから!今死ぬかもしれないっていう究極の状態なんだぞ。)
そしてケルトは恐ろしいことに気づいてしまった。
(まさか…、俺はシスコンだったのか…。)
だが、即座にケルトは首を振る。それは威厳あるお兄ちゃんとして絶対に認めてはいけない事象である。
(いやいや、違うだろ。絶対に違うはず。むしろそんな自分、全力で否定してやる。何か、何かあるはずだ。この窮地に追い込まれた状況を打破する為のキーワードなんだよ、きっと…。)
ケルトは己の知識を総動員させ、フルに頭を回す。
(妹が関係する何か…。何だ?いったい何なんだ?………さっぱり分からねぇ。ということは、つまり。)
どうやらケルトの中で考えが纏まったようである。
(俺は自分の死に目に妹を思い出しちゃうような痛いシスコンお兄ちゃんでした…、ってこと?)
「違う、違ぁああうぅぅううう!!!俺は断じてそんな男ではぁあああ!!!」
悶絶しながらも認めてしまう。ケルトは最愛である妹のことを想像しながら、笑顔の最後を迎えました。
没。
(って、ならないからね。マジ、勝手に終わらせないでくれるかな。ここで終わったら、俺、マジでただのカス野郎だからね。)
砂ぼこりも晴れ、隠れていたはずのケルトも大声で叫んじゃう始末。すぐにアラルに発見されてしまうのだった。アラルは汚物を見るような目でケルトを見ていたそうな。
(な…、なに、このカオスな状況。俺の1人負け具合がハンパないんですけど。ってか、自爆だし。誰にもやられることなく自ら負けてるし。)
だが、精神的にとことん打ちのめされていたケルトの目が輝きだす。
(いや、違う。これは逆に、ある意味においての勝利なのかもしれない。俺は勝ったんだ。そう、俺は勝ったんだよな。なぁ、教えてくれ。)
「我が妹、ユウリよぉぉおおお!!!」
「おい…」
1人でもがき苦しんでいるケルトにアラルは声をかけた。
「あっ、ごめん。お前に勝てる要素があまりにも無さすぎて、ついつい現実逃避しちゃった、テヘッ」
ケルトは舌を出しながら可愛い子アピールをしてみた。
「だろうと思った…」
アラルはそれだけ言い、ケルトの変な仕草に対しては完全スルーした。
「でも大丈夫、受け入れるさ。俺が正しいってことをこの拳でお前に教えてやる」
ケルトはそう言いながら立ち上がる。
「あっ…」
ケルトは立ち上がった瞬間、何故この状況で妹を思い出してしまったのか、それに気づいてしまった。
――考えるな、感じろ――
そう、これだったんだ。
それは、一時期妹であるユウリがマイブームにしていた言葉だ。毎週、毎週録画して何度も見直していたアニメの名台詞。




