1-3 善と悪
3章 善と悪
ケルトは気づくと山賊の腕を掴んでいた。もうこれ以上少女を傷つけるなと。ケルトに腕をつかまれた小柄な山賊の心には更なる怒りが生まれる。その意志が伝わったのだろうか。ケルトは山賊を睨みつける。後ろにいた大柄の男2人も立ち上がりこちらに近寄ってくる。と、ケルトは口元を緩ませた。小柄の山賊にもその表情は見えていた。だが、笑っているようには見えなかった。恐らくは後ろにいる2人の存在に気づき、自身の行った行為を悔いているのであろう、と。そう判断した小柄の山賊は掴まれた腕を振り払い唾をかけようとする。
「な・・・」
小柄の山賊は唖然とした。振りほどこうとして振った腕は、まだ掴まれたままだったのだ。更なる不快感を募らせる山賊。持て余していた左手を動かし、手を掴んでいる相手に殴りかかる。ボフッ。そのまま小柄の山賊の視界はブラックアウトした。
「ヌカンド!」
後ろからそう聞こえるが、もはやそれに答えることはできない。激痛がヌカンドの腹部を襲っている。耐え切れずにそのまま地面に沈んでいった。
「ボロビス、2人でしとめるぞ」
筋肉質の大柄の男は、脂肪の塊のような大柄の男に指示を出す。
「わかったぞ。ポポイ」
ボロビスという男はケルトに対し多少の畏怖を抱いていた。だが、隣にいるポポイは違う。殺気を惜しみなく放ち、ケルトを威嚇する。まただ。ケルトが笑ったのを視認する2人。だが、それ以降、山賊の2人はケルトを視認することはできなかった。
高速でまわいを詰められ、腹に一撃を食らう。そして、もう一人も同じように一撃を食らった。ボロビスとポポイが動こうとするよりも早くその攻撃は行われ、終わっていたのだった。
2人の山賊は両者ともケルトが笑った瞬間に視界がブラックアウトしたのだった。3人の山賊が地面に沈んだ姿を確認したケルトは踵を返し少女へと近寄っていく。意識のない少女。顔は腫上がり、口からは血が未だに流れている。目元は涙に濡れグチャグチャだった。
ケルトはそんな少女を抱きかかえると、先ほどここに来る前に放置していた野菜の入った籠の置いてある位置まで戻っていく。籠を背負い、少女を抱いた状態でケルトは山を下っていく。ケルトは少女を治癒するようなアイテムや魔法を持ち合わせていない。町の片隅に歩を進め、人の気配がないことを確認すると、ケルトは少女を地面に降ろす。そして、籠とは別に腰に下げていた手荷物の中から水筒を取り出すと、少女に飲ませる。中身は水だ。山で暮らすケルトにとって、飲み物といえば水でしかなかった。少女は飲んだ水を勢いよく吐き出す。吐き出した水は真っ赤に染まっている。口の中に溜まる血の色だった。
「悪魔の血も赤色なんだな」
ケルトは皮肉った小言をボヤキながらも少女を心配そうに見つめる。しばらく時が経った。少女は次第に意識を取り戻しつつあった。腫れた顔では目が開いたのかさえも分からない。多少手が動いたりしている。
「おい」
ケルトは意識を取り戻したであろう少女に声を掛ける。少女はその声に体をビクリと反応させる。尋常じゃない体の震えからケルトはどうしたものかと考え込む。
「お前、家はどこだ?送ってやるぞ」
ケルトの声掛けに返答は無い。ただ、震えるだけであった。だが、少女の様子を観察していると震えは次第に収まってきているようにも見えた。少し開いたその目は腫れ上がっている顔のせいでそれが限界であると容易に教えてくれる。現状を確認するように少女は辺りを見回している。ここは町の中。視界内にはケルト以外に人を確認できない。少女は息を呑んだ。
「これ飲むか?」
ケルトは意識を取り戻した少女に自分の持っていた水筒を差し出す。バシッ。ケルトの差し出した水筒は少女の手によって叩き落とされ、地面に転がった。
「何てことすんだよ」
ケルトは地面に転がった水筒を立ち上がり、拾いにいく。
「何てことすんだよ・・・じゃない」
モゴモゴと口を動かす少女の言葉はケルトには少し聞き取りづらかった。
「え?」
ケルトは確認するように再び少女に聞き返す。
「それはこっちのセリフ。あんたのせいで、あんたのせいで・・・」
唐突に少女は立ち上がる。その動きは先ほどまで打たれ、血を吐いていた少女とはまるで別人のようだった。
「なんだよ、どうしたってんだよ」
少女の行動が全く理解できないケルトはたじろぎ、あわあわとする。少女はそんなケルトを無視し、歩き始める。
「大丈夫か?何なら送っていくが」
だが、少女からは返答がない。そのままケルトを無視し町中へと歩いていく。
「おい!」
ケルトは大声を出し、少女を呼び止めようとするが少女は聞く耳を持ってはいないようだ。そして、そのまま人ごみの中に消えていった。
「何だってんだよ。せっかく人が親切に助けてやったってのによ。恩を仇で返すとはまさにこのことだな」
そう言うと、ケルトは口を尖らせながら手に持つ水筒を腰袋にしまい、野菜の入った籠を背負って、町中へと消えていった。
いつもより大幅に遅れている。時刻は8時半。それは近くにある町の時計台が教えてくれる。いつもならば7時にはもうこの場所についている。来てすぐにタイムセールを行うためにその時間には顔なじみの客がいくらかはいた。だが、今はそこから1時間半も経っている。客たちは今日は来ないんだなと判断したのだろう。そこには誰もいなかった。朝一のタイミングで持ってきている半分の野菜は売り切れる。だが、今日はそのタイミングを逃してしまったようで、ケルトはハァとため息をついた。
関わらなければ良かった。無視してまっすぐここに来ていれば・・・。ケルトには後悔の念が浮かぶ。助けたにも関わらず感謝すらされなかった。助け損である。そんなことを思いながらもケルトは気持ちを切り替える。どうにかして野菜を売ってしまわなければ家で待つ爺さんにも申し訳がたたないし。それに持ってきたものをそのまま持って帰るというのも何故だかケルトの商売魂が許さない。
ケルトは自身の頬を叩き活を入れると立ちあがり客引きをはじめた。
いつもであれば昼までには野菜が完売し、帰路についている。だが、まだまだ野菜は余っていた。今一度奮起し、ケルトは野菜を売っていく。完売したのは夕暮れであった。時刻は17時を指していた。もうすぐ日が落ちる。ケルトは慌てて店じまいをすると、小走りで家への道のりを駆けていった。
「爺さん、帰ったぞ」
ケルトは倉庫に背負っていた籠を戻すと、玄関の扉を開いた。
「遅かったのう。飯は作ってある、待ちくたびれたわ」
爺さんの座るテーブルには今晩の夕食が並べられている。手はつけていないようで、ケルトが帰ってくるのを待っていたようだ。皿から上がる湯気は微かなもので、それはケルトをどれだけ待っていたのかを素直に表現していた。
「おっ、今日は猪鍋か」
ケルトは夕食の内容に興味をそそられたようで、食い入るように食卓の椅子へと腰掛ける。爺さんと顔を見合わせ、それから食事を始める。いつもより腹が減っていたのか、ケルトは飯をガッツクように頬張っていく。
「今日は遅くなってすまなかったな。ちょっといざこざに巻き込まれちゃって」
ケルトの言葉に爺さんは眉を潜める。だが、別に心配をしているわけではない。ケルトは無傷で目の前に座っているのだから。これは、そう。一種の団欒というやつだ。話をしながら楽しくご飯を食べる。それは、この森の中の生活において幸福を感じられるシーンの1つでもあるのだから。
「どうしたんじゃ?」
爺さんはケルトに話の続きを促すように相槌をうつ。どうせ、また下らないことを言い出すんだろうと高を括りながら。
「いやね、今日の朝町に向かってた時なんだけどさ、山賊に絡まれてる少女を助けたんだよ」
爺さんは目を見開き驚いていた。とても意外だったのだろう。食い入るようにうんうんと頷きながらコップに入っている水を一口飲む。今の一言でケルトへの好感度が少し上昇したようだ。
「そしたらどうしたと思う。ビックリだよ。まさかの助けた恩人をフル無視して町に消えてったんだよ。そんなことってありますぅー?」
ケルトの言葉に爺さんは首を傾げた。爺さんもまた少女の行動を理解できなかったからだ。助けて貰ったのなら、お礼は言うべきである。爺さんは解せない顔をするがふとその少女の行動に考え込み、思い当たる節を見つける。
「まぁ、致し方なかろう。一般の悪魔は得てしてそのようなものだ。お前は混血ではあるが元は人間。悪魔とは人間を蔑む傾向にあるからの」
爺さんはそう言うと自身も悪魔であることから同じ悪魔として残念に思うのであった。
「そうだよな・・・」
ケルトはぼそりと呟く。ケルトもまた爺さんの言っている事が理解できたからである。少し暗い顔をし、自分の行いは間違いだったんだろうなと心を曇らせるのであった。
「まぁ、少女が無事だったから良かったんじゃないか」
暗い顔をするケルトを慰めようと爺さんは優しく言葉を紡ぐ。
そこから少しの間沈黙が支配する。何やら考え込むケルト。爺さんとの会話を踏まえた上で自分の行いに対しての反省でも行っているのであろうか。ケルトは自身の殻に閉じこもる。それはケルトの過去が悲惨なものであり、そしてそれは悪魔により受けた傷であったからだ。過去、悪魔に傷つけられ、今回悪魔を救ってもどうとも思われない。爺さんはそんなケルトを不憫に思うしかなかった。
訪れた沈黙はひたすらにケルトと爺さんを支配する。楽しい食事の時間のはずなのに、今は最後の晩餐のような静まりようだ。その空気に耐え切れなくなった爺さんは再び口を開く。
「お前の行いは間違っていない。胸を張れ。たとえ感謝されずともその行為自体はその少女の記憶に残る。心ではきっと感謝しているはずだからの。そんなに気を落とすことでもない」
その言葉にケルトは爺さんの目を見る。
「俺は聖人じゃないぞ。人間であり、下等生物だ。それはその少女からしてもそうだ。蔑まれる存在だ。だが、いいんだ。そうだ、そうなんだよ。下等種族なんだよ。俺には関係ない。またあの少女が山賊に絡まれていたとしても、次はない。見つけたことを気づかせた上で無視してやる。お前のその考えこそが下等であると愚かさの代償を支払わせてやる」
ヒートアップしたケルトは恨みの炎をメラメラと燃やす。それを静かに聞いていた爺さんはやれやれといった表情をした。ケルトもまたケルトであるが、少女の行った行為もまた間違った行動であったからだ。
「だが、相手は子供だぞ。教えられたことしか知らない。言われたことを正しいと認識するしかないような未熟な存在だ。お前とは考えられる知識の幅が違うんだ。そこもちゃんと汲んでやるんだぞ」
その言葉にケルトは納得がいかない表情を浮かべる。だが、何か思い出したのか、ケルトは次第に笑顔になる。そんな表情の変わりように眉を潜めた爺さんはケルトの真意を問いただす。
「何故笑うんじゃ?」
理解できないからこそ問うたのだ。その気持ちが悪いほどのケルトの表情の変貌振りは爺さんに興味を抱かせた。すごく悪い笑みだ。
「あいつ、また山賊のところに戻るんじゃねぇかなって思ってな」
ケルトはクスクスと笑って、飯を頬張る。何やら気がついたようだ。
「それはまたどうして?」
それはケルトにしか分からないことであり、爺さんはそれをケルトから聞くことでしか分かりえなかった。実際にその場にいたのはケルトであり、爺さんはそこにいない。爺さんはケルトの答えを待った。
「まぁ、推論だよ」
ケルトはもったいぶるように、少し間を置く。
「まずは少女からした臭いだ。あれは昨日今日攫われたような臭いじゃなかった。もう長年山賊と暮らしているような。そんなくさい臭いがこびりついていた。そんな服装をしたやつが町をうろつけば、山賊の仲間だと町の者から追われることは間違いない。そして、それだけの時間、助けが来なかったということだ。恐らくは少女に身寄りのようなものはないだろう。町でそんな少女が暮らしていけるわけがない」
ケルトの推論を黙って聞いている爺さんは、ケルトから聞いた上で更に自身でも改めて考え直すような素振りを見せている。
「俺は少女と会話をしている。それは一言だけだったのだが、『あんたのせいで』そう言ったんだ。少女は山賊にどれだけ殴られようが逃げる素振りを見せなかった。あの山賊と少女の間には何かがある。それは、少女が求めるもの。このまま逃げてしまえば、山賊からの報復に怯えることはない。きっと逃げられない何かがあるんだ。だからこそ少女は俺に『あんたのせいで』といったのかもしれない。そう考えれば、遅かれ早かれ少女は再び山賊の下へと戻るはずだ。いい気味じゃないか。あの状況で逃げたんだ。更に悪いことにその山賊たちは俺がボコボコにしてるんだ。その全ての憂さは戻ってきた少女に向けられるだろう。次は死ぬんじゃねぇのか」
ケルトはクスクスと笑いながら、勝ち誇った表情を作っていた。
「下等種族を舐めやがった罰だ」
そう言い終えると、満足したのかケルトは大きく息を吐き出した。そんなケルトを対面に座る爺さんは静かに見つめる。それは同意の視線ではなく、冷ややかな冷たいものであった。
「環境はここまで人を変えるんじゃな」
ボソリと爺さんは呟く。その言葉にケルトは肯定的な表情を見せる。俺は間違ってない、間違っているのはこの世の中だと言わんばかりに。
「お前はそこまで分かった上でその少女を見捨てるというんじゃな」
確認をとるかのようにそうケルトに問う。
「見捨てる?俺は救ってやったじゃないか。現に今日俺は少女を山賊から守ったんだ」
「だが、少女は言ったんじゃよな。『あんたのせいで』と」
「ああ。言われはしたが、そんなこと言われたって仕方ないだろ。俺は神じゃないんだ。あいつの考えを一から十まで理解できるような、そんなタマじゃない。それに救ってやったことに対しての礼もないんだ。当然だろ」
「果たしてそれは本当に救ったと言えるんじゃろうか」
「何が言いたいんだよ、ジジイ」
次第に会話がヒートアップしていく。だが、ヒートアップしているのはケルトだけであり、爺さんは依然冷ややかなままだ。
「お前はもう忘れてしまったようじゃな。お前に起こった過去を」
「あ!?忘れる訳ねぇだろうが。あの恨みだけは死んでも忘れねぇよ」
「では、その後起こったことも忘れた訳じゃあるまい」
「その後!?何だよ」
その言葉に爺さんは視線を落とし深くため息をついた。そして再びケルトを見つめなおす。
「お前が過去に悪魔にされたこと・・・、分からなくはない。襲ったのも悪魔・・・、じゃが助けたのもまた悪魔・・・じゃないのか?」
その言葉にケルトは目の前にいる爺さんを見たままフリーズする。そう、ケルトは悪魔に襲われ半殺しの目にあっている。だが、瀕死の状態を救ってくれたのは今目の前にいる爺さんだったのだ。襲ったのも悪魔。だが、救ったのも悪魔だったのだ。
「その少女がもし人間だったならお前はどうした。無視されようが蔑まれようが、助けようとしたであろう。この世界において同じ気持ちを共有しているのだから」
「・・・」
爺さんの言葉にケルトは何も返答できなかった。
「悪魔・・・、だから理解できないのか。それとも理解したくないのか?全ての悪魔はお前にとって敵なのか?」
話を続ける爺さんではあったが、もはやケルトの熱意はとうに冷めており冷静さを取り戻しつつあった。それでも、ケルトは爺さんの言葉に対し返す言葉が見つからない。それは沈黙という不動の状態を維持させる。
「もはや言葉も無いか。じゃあ、今日はもう寝るんじゃな」
冷ややかな言葉を浴びせた爺さんはケルトから視線を外し、再び食事を開始する。空気が凍っている。その空気に耐え切れないケルトは、だが何も言い返せない。それはすぐに行動として表れる。食事の乗るテーブルを思い切り叩くと、そのまま立ち上がり2Fの自室へと向かって歩き出したのだ。そう、爺さんが言ったとおり、ケルトはもう寝ることにしたのだった。テーブルを叩いたのは爺さんに対する怒りからなのだろうか。はたまた何も言い返せなかった自身に対しての怒りからなのだろうか。
いろいろな感情がケルトの頭の中を駆け巡る。その中にはケルトの過去の記憶も混ざっていた。それは更にケルトを冷静な者へと変え、気づかせる。
(助けたのも悪魔・・・か・・・。違いねぇ。もし、あの少女が人間だったのなら。おれはどうしたのだろう。爺さんの言うとおり、引き止めてでも、何かしてやろうと思ったかもしれないな。この世界は悪魔の世界。だが、今までの生活から、全ての悪魔が自分にとって敵でないことも知っている。いつからだろか。いつから俺はこんなにも臆病者になったのだろうか。いや、違うな。臆病とはまた質が違う。俺は卑怯者だ。全てを他人のせいにして自分を守っている。もう、それが当たり前になりつつある。だからこそ、爺さんの言うことも分かったし、反論もできなかったのだろう。弱いな・・・、俺は。まだ、過去のトラウマから逃げたいってのかよ。なぁ、アラル、サリファ・・・。お前らいったいどこに消えたんだよ・・・。)
やるせない気持ちでいっぱいだった。爺さんの言うことは最もだった。理解はできるのだが、まだケルトには受け入れきれない部分があったようだ。そんなことを思いながらケルトは自室のベットで横になるとそのまま視界をブラックアウトさせた。