VS狐来乃伝説の復活
「大会出ないのに入部なさるのですか?理由をお聞かせください。内容によっては容赦いたしませんわよ」
僕の大会参加拒否宣言を聞いて今まで沈黙を守っていた神崎さんが口を開いた。
その言葉には敵意や廃意は感じられなかった。
むしろ僕のことを労わるかのような、試すかのような表情をしているように見える。
「そんな大それた理由じゃないけど……大会が怖いんです。またあいつらみたいなやつが来るんじゃないか、また追いかけ回されるんじゃないかって。そんなことあるはずないのに。笑ってくれてもかまわないですよ。僕は只の臆病者なだけなんです」
僕は自分の受けたこと、それが原因で酷いトラウマを抱えていることを話した。
僕の話を三人は黙って聞いてくれた。それだけでもうれしかった。
あの時僕の話を本当の意味で聞いてくれたのは幼馴染の桂葉だけだった。
それが今僕の前には話を聞いてくれる人が桂葉意外に二人もいる。
ただそれだけのことがたまらなくうれしかった。
「そうでしたのね。不躾な質問をお許しくださいまし」「私も先ほどはごめんなさい。あなたのことをうらやましいと思っていてしまいました」
狐来乃と角堀先輩はそろって僕に頭を下げてくれた。
「あ、頭を上げてください。僕も話を聞いてもらえて少しすっきりしましたから。それよりもほら、今日は活動しないんですか?」
我ながら話の変え方が下手だとは思ったが仕方ない。三人とも僕の話に乗ってくれたということだろう。
うまく話の流れが変わった。
「今日は軽い自己紹介だけのつもりだったけど、奇跡的に偶数で全員有段者なのだから対局しましょうか?対局者は私と桂葉ちゃん。狐来乃ちゃんと両馬君でどうかしら」
さすが唯一の上級生の角堀先輩だ。うまくみんなをまとめてくれた。
でも僕は一つ疑問があった。
「此処にいる4人全員有段者なんですか!?」
レベルが高いなんてものじゃないぞ……
普通有段者は強豪校でも多くて5人から7人。それも30人以上部員がいる中でだ。
それがいくら4人しかいないにしても部員全員が有段者などありえない。
「そうよ~。私が五段で、狐来乃ちゃんが四段だったかしらね。桂葉ちゃんは二段くらいかしら?両馬君の棋力は詳しくわからないけど、当時三段だった私相手に完勝してるのだからそれ以上は確定でしょ?だからみんな有段者」
「そうよ。あんたは知らないと思うけど私も段とったのよ。あんたが引きこもりになった後にね。ま、あんたには遠く及ばないとは思うけど……」
桂葉は口ごもるように俯きながら言葉を紡いだ。
僕が引きこもり始めてから三年ほど。
その短時間で二段ならかなりの才能の持ち主ということになる。
それなのに何故だろう。彼女は自分に才能や実力が足りないと考えていそうな気がする。
そもそも彼女は普段自信家のくせに妙なところで自己評価が低いところがる。
まあ僕の思い過ごしという可能性もあるからあまり深く考えないようにしよう。
「あら、難しい顔なされてどうかなされましたか。もしかしてわたくしでは力不足でございましょうか?これでも去年の中学生名人なのですけれど。それにわたくしに敬語は不要ですわよ」
どうやら僕が考え込んでいたのを対局者に不満があると取られてしまったようだ。
反省しなければ。
「ごめん。ちょっと気になった事があって考えこんじゃった。でもいいの?去年の中学生名人なら僕なんかじゃ相手にならないと思うけど……」
すると狐来乃は驚いたような表情をして、わざとらしく手を口元にもっていき、
「まぁ、驚きましたわ。ここまで謙虚でいられるなんて。強くなればそれだけ驕りや優越感に浸ってしまう人もいるというのに。本当に素晴らしいお人ですわね」
それは単に僕に自信がないのと、少し特別な環境で育ったせいだと思うけど……
「僕はそんなにできた人間じゃないよ。僕一人じゃ何にもできない。ただの臆病者だよ」
すると三人がこちらを見つめてきていることに気が付いた。どうかしたのかな。
「全くあんたってやつは…」「本当にあの時の子なの~?」「これが天才という人種ですの?」
三人は顔を見合わせて三者三葉のリアクションをしていた。
えぇ~そんなやばいやつを見る目でこっち見なくてもいいのに……
「ま、まぁ何はともあれ私たちは棋士よ。続きは盤上で語らないかしら。気になることもあるし」
桂葉が変な方向に行きそうになっていた話を引き戻してくれた。
直ぐに対局の準備は整えられた。
僕の相手は狐来乃さん。去年の中学生名人らしいから加減はできない。全力でぶちかますだけ。
「ごめん、狐来乃さん。先に謝っておくね。僕は今段あるか怪しいと思うから」
「なるほど確かに三年ものブランクがありますものね。でも安心してくださいませ。その心配はきっと杞憂だとおもわれますから。それに過ぎた謙遜は嫌味にしかなりませんわよ」
それきり僕たちは言葉を交わさなかった。
対局は僕の先手で始まった。互いに礼をして自分の主張を盤上で表現する。
僕は昔ながらの四間飛車。狐来乃さんは対振り持久戦居飛車穴熊を選択したらしい。
僕の方もそれを狙っていたから問題ない。ここまでは大方予想通り。
元来振り飛車という戦法は受けの戦法と言われてきた。
相手の攻めを誘発してカウンターを狙うことで勝利を手繰り寄せる戦法。
その振り飛車を倒すためにはどうすればいいのか。
数多の居飛車党たちが研究し、たどり着いたある一つの究極的な答えは単純。攻めなければいい。
だがそれは簡単なことではない。
隙を見せればいくら受けの戦法といえども自陣を破壊されてしまう。何万、何十万の対局は居飛車と振り飛車の殴り合いの繰り返しだったが、ある時その繰り返しに一つの回答が出た。
それが対振り持久戦居飛車穴熊。
その戦法の登場によりプロでの対局で振り飛車党の数が著しく少なくなった時期があり今でも振り飛車の勝率は高くない。
だが振り飛車党もただやられていたわけではなかった。
対居飛車穴熊の戦法は数多く編み出されたのだ。
例えば藤井システム、ゴキゲン中飛車、四三戦法などが有名。
でもこれらは特効薬ではない。
穴熊に組まれる前に倒しきるか穴熊に組まれても振り飛車側が少し良くなる程度の物がほとんどだ。
そんな中僕が選んだ戦法は既存のどれでもない戦法だった。
否、戦法と呼ぶにはいささか拙いものだった。
狐来乃は対局に集中しながらも戦慄していた。
な、なんですのこの方は。こんな戦法見たことがございませんわ。
普通はありえない角切りからの無理攻め。それを表情一つ変えずに淡々と指すなんて。
しかも恐ろしいことにほぼ変わらないリズムでこちらの心を折に来ている。
これが天才の思考。
かないませんわね……
局面は私の圧倒的な不利。
でもこんなところで……
「こんなところで負けるわけにはいきませんの!!」
わたくしは気合を入れて決死の勝負手を放った。
わたくしが急に声を上げたことに驚いたのか、大きな駒音に驚いたのかはわからないが隣で対局している二人がビクッと反応した。
それなのにわたくしの体面に座っている機上両馬さん、いやとてつもない力を持った暴力の化身はこちらを見ようともしない。
わたくしのことなんてまるで眼中にありませんか……
これだから天才という人種は大嫌いなんですの。
わたくしが苦労して、血反吐を吐いてやっとひねり出した手をまるで鼻歌を歌っているような手軽さで飛び越えていく。
あの女、角堀愛花もそう。
わたくしは中学時代ほとんど負けていない。
あの女を除けば。
始めて殺り合ったのはわたくしが中学一年の時の中学生名人戦の決勝。
その時のわたくしは同年代に負けるはずがないと思いあがっていた。
結果は当時中学生棋戦の絶対女王と言われていたあの女に歯が立たなかった。
そこまではまだよかった。わたくしの力不足なだけですから。
また一から鍛えなおせばいいだけの話なのだから。
でもその後のあいつの言葉はわたくしの心を砕きに襲い掛かってきた。
「少しは期待してたのに残念だわぁ~。やっぱりあのお方でなければ満足できないのよ」
わたくしはそれから何度も、何度もあの女に挑戦しまくった。
そしてその全ての対局で完敗した。
ただでさえ、わたくしと同い年にとんでもない強者がいたこともあり、あの女に負け続けたわたくしは、周りからは敗者の烙印を押された。
悔しかった。
敗者と言われ続けることも、その地位に甘んじている惨めな自分でいることも。
そして、わたくしの世代最強の棋士にして、あの女が妄信していた相手こそ今わたくしの相手として戦っているこの生物。
この生物に勝つことができればあの女を見返すことができる。
対局前はそう思っていた。愚かにも。
わたくしは機上両馬も角堀愛花もいなくなってから全国制覇した。
それでもわたくしは周りからはあまり良い目で見られることはなかった。
わたくしはこの一年で強くなったと思っていた。
そのために文字通り血反吐を吐くような修行を毎日寝る間も惜しんで続けた。
甘かった。そうとしか言い表せない。
そんなことあいつらがやっていないわけがない。
この戦法だってどれだけの時間を研究に費やしたのかわからないほど調べた。
なのに盤面はわたくしの劣勢。いや、敗勢ですわね。
ちらりと狐来乃は対局相手の顔を盗み見た。
そこには対局前の気弱そうな少年はどこにもいなかった。
そこにはひたすら勝利に向かって計算を繰り返している一人の棋士がいた。
今ならあの女の気持ちも少しはわかる気がする。
これはもうありませんわね。
「負けました」
そういって狐来乃は頭を下げた。