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第百十話 岩村城攻防戦 その五

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

三が日は過ぎてしまいましたが本年一発目の投稿です。


美濃国 恵那郡上村 秋山伯耆守虎繁


「申し上げます!御一門衆が一人、下条伊豆守(信氏)様。御討ち死にぃ!!」


「山県“赤備え”隊、望月左衛門佐(信永)様。御討ち死になされましてござりまするぅぅ!!」


信濃との国境を越えた途端に、岩村遠山氏の手の者と思われる者達から幾度となく襲撃を受けて少なからぬ兵を失ったものの、山を越えて岩村城の城下へと辿り着いた我らを待ち受けていたのは、幾重にも馬防柵などが施された防御陣であった。

国境を越えてからと言うもの、岩村城に籠もっている内通者からの繋ぎも途絶えていた。しかし、我らの動きを知った城方の統制が強まった事で内通者は繋ぎを取りたくとも身動きが取れない状態に置かれているのであろうと高を括っていたのだが、まさか斯様な防御陣が施されているなどとは思いもよらぬ事であった。

然れど、馬防柵による防御陣が施されていようと、それを抜いてしまえば後は内通者から手に入れている絵図を用い城を囲う事は容易いと思われた。

 ところが、いざ城攻めの為の軍議を開くと副将を務める三郎兵衛尉殿が難色を示し出したのだ。

 三郎兵衛尉殿曰く、「城に籠もる内通する者から繋ぎが国境を越えてから途絶え、それに合わせるかのように山中を進む我らが幾度となく襲撃を受けた事実を鑑みるに、城方は内通する者の動きを予め掴み、敢えて泳がす事で我らの油断を誘い罠に掛けようとしている。此処は、内通する者から手に入れた絵図面などは無き物と考えて慎重になるべきだ」と。

三郎兵衛尉殿が率いる“赤備え”は武田家中においても最強との呼び声高き一隊であり、三郎兵衛尉殿は“赤備え”を率いて各地で赫々たる戦果を挙げてきている。

そんな三郎兵衛尉殿からの言葉は、いつも以上に儂の心を苛立たせた。

此度の岩村城攻略はこれまで南信濃を預かって来た儂の労を鑑みて、御屋形様から直々に儂が主将を申し付けられたもの。

岩村城を押さえた後は岩村城を拠点として織田を牽制。上洛軍本隊を率いた御屋形様が遠江と三河を領する徳川を降し、尾張と美濃攻めに全軍を上げて行う下地を作る為、三郎兵衛尉殿は岩村城を離れて三河・岡崎城の次郎三郎信康を牽制しつつ遠江に入られる御屋形様と合流する手筈になっていた。

その為、三郎兵衛尉殿の兵は損耗を押さえる必要があり、岩村城攻めの主力は儂が率いる南信濃の兵とされていた。そんな関わりがあるが為に儂は三郎兵衛尉殿の言葉を“是”とする事が出来ずに退け、岩村城城下に施された防御陣に対し攻撃を命じたのだ。


 だが、それは大きな誤りであった。

儂が先手に対して突撃を命じ、兵たちが防御陣に迫ると城方は後列に置かれた弓隊による一斉斉射を行わせた。

この動きは予想されたものであり、兵たちは用意していた矢楯に前に出し頭上から降り注ぐ矢を防ぎ、ジリジリと馬防柵に迫った。

あと僅かで馬防柵に到達する距離まで迫った時、それまで姿を隠していた城方の鉄砲隊が何処からともなく姿を現し、馬防柵へと迫った兵に一斉に鉛玉を放って来た。

しかも、それが一斉射で終わるのではなく、一斉射を放った後は次から次へ釣瓶打ちに鉛玉が放たれたのだ。

鉛玉は兵を飛来する矢から守っていた矢楯をいとも容易く貫き通し、矢楯に身を潜めた兵の命を次々と奪っていったのだ。

これまで、火縄は一発撃つと次弾を撃つための準備に手間が掛かり、家中においては幾ら鎧を貫通する威力があろうとも合戦には向かぬ武具。一発を凌ぎさえすれば長柄槍の一突き、騎馬の突撃で蹂躙出来るものと考えられていた。

だが、岩村城を守る織田の兵どもは数多くの火縄を用意して間断なく鉛玉を放つことで火縄の欠点を補い、鎧も貫く威力を遺憾なく見せつけたのである。

更に僅かに生じる鉛玉の間隙を埋める様に、後方の弓隊が矢の雨を降らせた。

最前線で矢楯を構えて敵陣に迫りつつあった先手の兵は、城方が行った火縄の一斉射からの釣瓶打ちによって矢楯を持つ兵が次々と鉛玉に打ち抜かれ、矢楯の護りが失われるとその後に降り注ぐ矢の雨と鉛玉によって次々と倒れ伏していった。

先手の兵を指揮していたのは御屋形様の御妹君を妻とされた下条伊豆守殿。

伊豆守殿は兵を鼓舞するために自ら最前線に出られ指揮を執っておられたため、城方が放った鉛玉を左肩に受ける事となった。

勿論、左肩は大袖で守られていたが鉛玉はその大袖を貫通し伊豆守殿の左肩を撃ち抜いた様だ。

左肩を撃ち抜かれた伊豆守殿は左肩を貫く鉛玉の圧によってその場にもんどり打って倒れ込んだ。

これまで多くの戦場を渡り歩き、甲斐武田の武威に携わって来た伊豆守殿ではあったが、そんな伊豆守殿であっても火縄から放たれた鉛玉を身に受けた事は無く。矢の何倍も強い圧と左肩を蝕む熱い痛みに直ぐには立ち上がる事が出来ず、藻掻き苦しんでいる所へ矢が飛来し伊豆守殿の喉を刺し貫き御命を奪ったらしい。

伊豆守殿が討ち死された事で指揮する将を失った先手の兵は総崩れとなっていったが、其処に救いの手を伸ばそうと動いたのが、三郎兵衛尉殿が率いる“赤備え”の将である望月左衛門佐殿であった。

左衛門佐殿は御屋形様の御舎弟・典厩信繁様の御三男で、北信濃の名門・望月家に御養子に入られた兄・三郎信頼殿が川中島の戦にて御討ち死にされたため、その後を継ぐために望月家へ御養子に入られ、此度の上洛の為に三郎兵衛尉殿の“赤備え”の将として参陣されていた。

 左衛門佐殿は総崩れとなった先手の兵たちと城方の間へと割って入ると、素早く矢楯を立てさせて城方から放たれる矢を防ぐと、将を失い狼狽える先手の兵を一喝して正気を取り戻させ、矢楯に身を隠して後退する様に指示を出した。

その姿は在りし日の典厩様を思い起こさせる物であったと言う。典厩様も自ら兵の先頭に立ち、その勇猛なる姿で兵を鼓舞された勇将であられた。左衛門佐殿も典厩様と同じように兵の先頭に立ち鼓舞される将であったようだ。しかし、此度はそれが裏目となった。

先手の兵を背後に守りながら後退する中、御自身は配下の“赤備え”と共に殿に立たれたのだが、一発の銃声と共に飛来した鉛玉が左衛門佐殿の左胸を貫いた。

左衛門佐殿が身に纏う鎧は今流行の当世具足で、ある程度はという注釈がついてしまうのだが火縄から放たれる鉛玉を防ぐことが可能とされている一領であった。しかし城方が放った鉛玉は左衛門佐殿の鎧を苦も無く貫いた様だ。

 左胸を貫かれた左衛門佐殿は口から血を吐きながら前のめりに倒れ伏し、それを目の当たりにした配下の赤備えの兵が慌てて左衛門佐殿を担ぎ上げて撤退を完遂したという。


 この日、岩村城に対したった一度の攻防によって儂ら武田方は先手の兵三百と将を失い総崩れとなった兵たちを救うために駆け付けた赤備え五十、そして下条伊豆守殿と望月左衛門佐殿という二人の将を失う事となり、岩村城攻略の厳しさを突き付けられることとなったのだった。




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