第百九話 岩村城攻防戦 その四
少し短いですが投稿します。
美濃国 恵那郡上村 岩村城物見櫓 遠山左衛門尉信澄
「おぉ、これは中々の絶景よのぉ!」
「“親仁殿”何をその様に暢気な事を申されておられるのですか!」
武田の軍勢が国境を越えようとしているとの一報で開かれた軍議の後、伯父上(信長)様が与力として送って下された佐々内蔵助殿と共に、一時城を出ていた左京進親仁殿が城に戻られると、左京進親仁殿の後を追うようにして二日の後に武田の軍勢が姿を現した。
軍議では信濃の飯田城を発した武田の軍勢は主将の秋山伯耆守が三千、副将の山県三郎兵衛尉が五千の総勢八千と聞いていた。しかし、実際に城の近くに姿を現した武田の兵は八千には程遠いのではないかと言う兵数でしかもその動きには精彩を欠いている様に私には見えた。特に、精強と名高い山県三郎兵衛尉が指揮いる“赤備え”は聞くと見るとでは大違いと言いたくなる程であった。
とは言え、それでも六千から七千にも上る兵の数である。それ程の武田の軍勢を物見櫓から見下ろして親仁殿の様に『絶景』などと言える位ほど私は肝が据わっておらず。つい親仁殿に苦言を口にしていた。そんな私に親仁殿は苦笑をされて、
「左衛門尉様、ご案じ召されるな。この日が来ることは半年も前から告げられ、この日に備えて準備万端整ってござる。これまでは良い様に荒らしてきたと安易に踏み入れた岩村の地ではござるが、此度は死地となっているという事を武田の者達は思い知る事にござりましょう。」
そう告げる親仁殿の瞳には剣呑な光が宿り、私は震える足を必死に踏み締めて親仁殿に気付かれない様にするのがやっとだった。そんな私達の許に伯父上様が寄こしてくれたもう一人の与力・前田又左衛門が
ガシャガシャと鎧の擦れる音を響かせながら近づいてきた。
「左衛門尉様!親仁様!」
「又左衛門。良いな、示し合わせた通りに武田の兵を存分に苛つかせてやるが良い。」
「承知しております。勘九郎様や右衛門尉様から、親仁様の指示に従いくれぐれも功を焦ってはならぬと言付かっております。」
「ならばクドクドとは申すまい。幸い、長島を始め加賀や越前でも門徒どもが動きだしたと報せが入っておる。間もなく武田方の知ることとなろう、そうした時に如何なる動きに出るかのぉ。」
そう言うと親仁殿は少し意地の悪い笑みを浮かべられた。その表情に俺は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
親仁殿は御怒りになられているのだ。
それと言うのも、対武田に対する軍議の後に内蔵助殿と共に親仁殿が城を出た隙を突いて武田方から降伏と臣従の打診が家臣の一人から齎されたのだが、降伏の条件として御養母上が秋山伯耆守の妻となる事が求められていたのだ。
如何やら、秋山伯耆守は御養母上を妻とした上で居城を南信濃の飯田城から岩村城へと移し、美濃国を武田家の版図とするために、美濃攻めの橋頭保とするつもりの様だと思われる。
これより甲斐から上洛の軍を発しようとしている武田方の動きを考えれば上策と言うべきものではあったが、この申し入れに敢然と“否”と返されたのは御養母上であった。
普段は家臣だけでなく領民に対しても心優しく接する御養母上が、武田方からの申し入れを耳にした途端その顔から表情が消えたかと思うと、側仕えの侍女に薙刀を持ってこさせると、武田方と通じ降伏と臣従の打診を伝えて来た家臣を一刀の下に切り捨てると血に濡れた薙刀を小脇に抱え、
「この期に及んで武田方に降りたいと思う者は早々に城から出て行かれるが良い。その事にお恨みは致しませぬ。ですが、私は武田方の将・秋山伯耆守などの妻になるつもりは毛頭ござりませぬ。
亡き夫・遠山大和守様が武田方との戦で受けた傷が元でお亡くなりになられ、大和守様との間に子をなす事が出来なかった私は尼となり大和守様の菩提を弔うため日々を送ることも考えました。
然れど、此処にいる左衛門尉様を養子に向かえ左衛門尉様を支える為に城代にと遣わされた柴田左京進と夫婦となった上は、夫を支え左衛門尉様を盛り立てて行くが私の務めと思い、いざとなれば城を枕に討ち死にする覚悟は出来ております。
私と共に死ぬ覚悟が無い者は早々に城を出て、秋山伯耆守とやらの下に参じ我らが戦振りをとくと見物なされませ!」
そう、言い放たれた。その姿は正に“尾張の虎”と称された弾正忠信秀様や伯父上・織田弾正忠信長様を見る思いであった。
城に戻られた親仁殿はその事を前田又左衛門殿からお聞きになられたようで、鎧を脱ぐ暇も惜しみ御養母上が居る奥の間へと小走りに向かい、出迎えた御養母上を強く抱きしめて労いの言葉を掛けられたそうだ。
鎧を脱がず奥の間へと入って来た親仁殿に御養母上は驚きの表情を浮かべられたそうだが、親仁殿からの力強い抱擁と労いの言葉に見る見る内に瞳から涙が零れ落ちると、親仁殿の胸に縋り付き嗚咽を漏らされたという。
御二人のこの姿に、傍に控えていた侍女たちも涙が止まらなかったと私に教えてくれたが、御養母上を泣かせることとなった武田方からの心無い為さり様に、怒り心頭の親仁殿であった。
然れど、怒りに我を忘れる様な親仁殿ではない。
怒りを内に秘めると、武田方の動きを家臣に伝えるとその後は城下の民を城の中に収容する指示を出し淡々と籠城の準備を整えていったのだ。
家臣の中にはそんな親仁殿の姿を見て、御養母上が武田方から降伏の打診を伝えて来た者に対する苛烈な仕置きと比べて親仁殿は日和っているのではと陰口を口にする者も居たが、親仁殿の後姿からは内に秘めた怒気が武田方が近付くにつれて漏れ出てきているのを感じ、恐れ慄いたという。
そして、それは武田方が岩村城城下に踏み入れた途端、堰を切って溢れ出た濁流の様に武田方に襲い掛かる事となるのだった。
これにて本年の投稿は最後になります。
年明けは三が日の間に書ければ投稿したいと思います。
それでは皆さん、良いお年をお迎えください。




