第十一話 墨俣築城戦の顛末
美濃攻めの重要な一歩となる墨俣城の築城は史実とは異なり主将を柴田権六が、副将を木下藤吉郎が務める布陣で行われた。
先ず、副将を勤める木下藤吉郎があらかじめ用意しておいた築城に必要な資材を夜陰に紛れて墨俣の地に川を使って運び込み、柵や逆茂木などで防御陣地を作り上げた。
日が昇り墨俣の地に陣地が作られているのを見た美濃の一色(斎藤)右衛門太夫龍興は、直ぐに軍を発して攻撃を加えたが防御陣地に籠った藤吉郎は頑強に抵抗した。
抵抗を続ける藤吉郎たちに龍興は全軍での力攻めを敢行したが、その機をとらえた柴田権六率いる築城軍主力に横撃されて多くの死傷者を出し後退を余儀なくされた。
横撃の際、柴田権六は
「上総介様の下知により墨俣で築城の任にあたり、今まさに孤軍にて奮戦する藤吉郎を救うのじゃ!藤吉郎を死なせてはならぬ、者共掛かれ、掛かれ、掛かれぇ~!!」
と、大声を上げ軍の先頭に立ち龍興率いる美濃勢の横腹を突いたと言われている。
この事は、救われた藤吉郎が自ら父・信長に報告している。藤吉郎から話を聞いた父は、大変喜び「流石は“かかれ柴田”よ!」と褒め称えたという。
美濃勢を後退させた柴田権六は追い打ちはせず、藤吉郎が籠る防御陣地に入り、藤吉郎に代わって防御戦の指揮を取り、藤吉郎は築城に傾注し墨俣の地に美濃攻略の出城を築き上げた。
墨俣城築城の報はすぐさま父に届けられると、父は軍を発し墨俣城周辺を押さえ一大橋頭保としたことでこの後は美濃攻略が進んでいくこととなった。
墨俣築城に成功した柴田権六と木下藤吉郎は家臣一同がうち揃った中で父から直々にお褒めの言葉を賜り、権六は織田家の家老職に叙せられ藤吉郎も足軽大将に抜擢され権六の与力につけられた。
また、藤吉郎は妻のおねとの仲をおねの父・浅野又左衛門長勝に許してもらえておらず、内々の式しか挙げられていなかった。それを権六が間に入り仲人を買って出ることで浅野又左衛門の許しを貰い、改めて盛大な式を挙げることとなった。
この権六の尽力に藤吉郎は感謝し、権六の事を『親仁殿』と呼んで慕うようになった。
そして…
「茶筅。貴様の差し出口のお陰で美濃攻略の足掛かりが出来たわ。さらに、扱いに困っておった権六と頭の固い古参の者たちに煙たがられておった藤吉郎が良い手駒として使えるようになった。褒めてとらす!」
いつもの様に清洲のお城で市之丞の稽古に耐え、一人で稽古場の掃除をしていた俺は清洲に来ていた父に呼び出され広間に向かうと其処には父だけでなく墨俣で活躍した権六と藤吉郎の二人が控えていた。その事を訊ねようとする俺の口を封じる様に、父は唐突に墨俣築城の献策をしたのは誰なのかを実行者の二人の前で暴露した。
父の言葉に権六はただ驚きの表情を浮かべ、父の顔と俺の顔の間を忙しなく視線を動かしていたが、藤吉郎は驚きはあるものの何か思い当たることがあったのか納得している様に見えた。
そんな二人の様子を横目に見ながら、俺は次に父が何を口にするのか戦々恐々としながら待ち構えると、そんな俺を見て父は大声で笑った。
「わっはっはっはっは。茶筅、何んじゃ金玉でも縮み上がったか?心配するな、今日は貴様の差し出口の褒美を取らせるために呼んだのだ。もっとも、権六と藤吉郎には己らが苦労することとなった墨俣築城の策を俺に告げた者が誰か知らせるために同席させたがな。後で二人から墨俣で如何に大変であったか苦労話を聞くが良い。」
そう告げる父に権六と藤吉郎は困ったような顔をしていたが、そんな二人に構うことなく父は立ち上がると、
「では茶筅、ついて参れ!」
そう告げて、部屋から出て行った。俺は慌てて父の後を追うと、そんな俺の後を権六と藤吉郎もついて来た。
父と共に向かった先は、清洲のお城で馬術の稽古や弓の稽古をするための広場で、そこには父のお小姓たちが準備を整えて父の到着を待っていた。
「では、以前の約束を果たすとしよう。茶筅、俺の隣に控えて見ておれ!」
そう言うと離れたところに置かれている壺に正対するように立った。その父の元に控えていたお小姓が火縄銃の発射口に黒い粉(黒色火薬)と丸い鉛玉を入れて筒先に備えられている棒(槊杖)で突き固めた後、火の着いた火縄を挟み込む火ばさみを起こして火ぶたを開け火ぶたに隠されていた火皿に黒い粉を載せて再び火ぶたを閉めてから別に用意した火縄と共に父に渡した。
「良いか茶筅、火縄銃は小者がしたように打つ前に準備が必要となる。この準備を滞りなく済ませた後、この火の着いた火縄を火ばさみに固定し、狙いを定め火ぶたを開けて、引き金を引く!」
『ドカン!』
大きな爆発音と共に煙が立ち込め辺りには硫黄の匂いが充満した。俺は大きな音に驚き銃を構えたまま微動だにしない父の姿に目を奪われていると、背後から藤吉郎が大きな声を上げた。
「お見事にございます。的の中央を打ち抜いております!」
その言葉に俺は父が構えた火縄銃の先にある的に視線を動かすと、的にした壺の上半分が砕けて無くなっていた。
その光景に目を奪われて呆然と立ち尽くしていると、
「わっはっはっはっは、驚いたか茶筅!火縄銃は撃つまで準備に手間がかかり弓と違って連射は効かん。だが、威力は見ての通りだ。火縄銃ならば鎧武者も一撃で討ち取ることが出来る。どうだ、貴様も撃ってみるか?」
父は笑い声をあげ、機嫌よく火縄銃のメリットとデメリットを教え、俺に撃ってみるかと問い掛けてきた。
父の問いに俺は生唾をゴクリと呑み込むと震える声で、
「は、はい。是非とも撃ってみとうございます。」
と返した。そんな俺の様子がツボに入ったのか父は豪快に笑い声を上げ、小姓たちに顎で用意するように合図を送ると、それを見た権六が慌てて声を上げた。
「殿!茶筅丸様は未だ体が小そうございます。火縄銃を撃つは危のうございます。」
「では権六、茶筅の介添えをせよ!」
と父から命じられ、用意を整えた小姓から火縄銃を渡されて困ったような表情を浮かべたものの、父の命には逆らえなかったのか俺の下に近づいて来た。
「茶筅丸様。火縄銃は大変危のうござる。くれぐれも扱いにはご注意下され。及ばずながら某がお手伝いをいたします。」
そう告げて権六は俺に火縄銃を持たせ新たに的として置かれた壺に狙いを定める様に俺の背後に回り銃把と銃床を握る俺の手の上にその大きな手を被せて射撃の体勢を取らせた。
「それでは茶筅丸様しっかりとお持ち下され、狙いを定めて…火ぶたを開きましたでは引き金をお引き下され。」
照門から照星を見通しその先に壺を見据えて、引き金を引いた。
『ドカン!』
再び鳴り響く爆発音に合わせて手から跳ね飛びそうになる火縄銃を権六が押さえ込んでくれたおかげで何とか保持することに成功したものの、耳の奥がキーンと耳鳴りがしてその場に蹲りそうになるのを必死に堪えた。
「お、お見事にございます!」
驚きと困惑が入り混じった声で藤吉郎が賛辞を口にし、その言葉に視線を動かすと狙いをつけていた壺の上半分が父が撃った物と同じように吹き飛んでいた。
「初めてにしては上出来だ。もっとも、権六の介添えあっての事だがな。」
少し不機嫌そうな父の言葉に、俺は背後で俺を支えてくれていた権六に視線を向けると、むさい髭面の厳めしいおっさんが妙に優し気な笑顔を浮かべていた。
そんな権六に俺はお礼を言いつつ慌てて離れると、今試射したばかりで未だに筒先から火薬の匂いが漂う火縄銃に意識を向け、試射の時のように構えてみたり、引き金を引いて火縄を火皿に落としてみたり、火薬の匂いが漂う筒先から中を覗いてみたりと細かいところまで観察していると、俺の様子を見て父は鼻で笑い、
「ふっ、火縄銃を気に入ったようだな。ではその一丁を貴様への褒美としてくれてやろう。好きにいたせ!」
そう告げ、小姓を引き連れてさっさと城に戻って行ってしまった。その父の後ろ姿を俺は呆気に取られて見送った。
「茶筅丸様、お屋敷までお送りいたしましょう。」
そう声を掛けてきたのは俺の傍らに控えていた権六だった。俺は、その言葉に正気に返り声を掛けてきた権六の方を見ると、権六の傍らには藤吉郎も権六と同じように片膝をついて控えており、その手には先ほど父の小姓たちが持っていた火薬や鉛玉の入っている革袋を掲げ、
「殿様から火薬や鉛玉も分けていただいておりますぞ。」
ニコニコと愛嬌のある笑顔を見せた。俺はそんな二人に付き添われ父からもらった火縄銃と共に屋敷へ帰り、母や八右衛門殿を驚かせることとなった。