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第百六話 岩村城攻防戦 その一


美濃国 岩村城 柴田左京進勝家


「城代様!!」


「動いたかぁ!」


元亀五年八月、甲斐の武田がついに動いた。

この年の初めより報せがあった事とは言え、この乱世で最強と名高い武田家の上洛に合わせた南信濃から美濃への乱入は当初の予想よりも随分と時期が遅かった。

武田上洛の報せは北畠家に入られた兵庫頭様から信長様の下へと齎されていたが、予想では田植えを終えて直ぐにでも動きがあるのではないかと思われていた。

しかし、田植えを終えても一向に武田の軍が動き出したとの報せは無かったのだが、夏の盛りを過ぎようとする頃になると甲斐に放っていた伊賀忍び衆からの報せが届かなくなったとの報せが入った。

北畠家に入られた兵庫頭様は、北畠家の領地と隣り合う伊賀へ自ら赴くと伊賀の国を治めていた伊賀の忍びを臣従させて配下に加え、伊賀の忍び衆に織田家を取り巻く各大名に諜報の網を張り巡らせていた。その網に引っかかって来たのが甲斐武田家の上洛の動きだった。

ただ、武田家は甲州透破こうしゅうすっぱと呼ばれる忍び衆を抱えている事が知られ、そんな武田家の動きを探り出した伊賀の忍び衆はその名に恥じぬ働きを示したといえる。されどそんな伊賀忍び衆を以てしても、上洛を間近に控えた武田家から情報を盗る事は難しかったようだ。だが、その動きそのものが武田家が上洛の準備を進めている証拠となり、我らに間もなく武田家の上洛は始まろうとしているという事を報せてくれた。

 信長様と兵庫頭様から武田家の動きをお知らせ頂いた儂は、南信濃へと人を送り武田家の動きに備えていたのだが、遂に武田家が南信濃の飯田城で軍を起こし南下を始めたとの報せが入って来たのだった。

儂は直ぐに軍議を開くため登城の報せを発し、皆を大広間へと集めた。


「左京様!武田が動いたとの事にござりまするが真にござりますか!?」


評定に集まった家臣らの多くが顔色を青くしていた。これまでも岩村城は南信濃から南下する武田の軍と矛を交え、武田軍の精強の程は骨身に染みていたからだ。


「噂には聞いておりましたが武田がついに上洛の軍を動かしたという事でござりましょうか?」


「武田が上洛の軍を挙げたとなれば、その兵は万をくだるまい。我らだけで美濃の国境を護ることなど…」


「弾正様の援軍は何時参られるのでござりましょうか?」


集まった者たちの口から飛び出す言葉はいずれも迫り来る武田の軍に対して心配するものばかりであった。そんな者達をぐるりと見回した後、儂は大広間に響き渡る様に声を上げた。


「先ずは落ち着くが良い!」


儂の声に、好き勝手に声を上げていた岩村城の者達は騒ぐのを止めた。その様子を確認し、儂は控えていた者に小さく合図を送る。その合図に合わせて、大広間の上座に一番近い戸板が開けられると、岩村城の城主として入られた信長様の御舎弟・勘十郎信勝様の遺児、左衛門尉信澄が大広間に入られ上座に座られた。

儂が上座に座られた左衛門尉に平伏すると、大広間に集まった者達も慌てて頭を下げる。その様子に左衛門尉様は苦笑を浮かべられたが直ぐに表情を整えると、


「左京進、武田が動いたと聞いた。これは伯父上から報せのあった事に関わる動きだと思うか?」


と問い掛けられた。その問いに対し儂は頭を上げて居住まいを正し、


「はっ!弾正忠様と兵庫頭様より報せがあった武田家の上洛の動きに伴うものと見て間違いは無いかと!!」


「で、あるか。」


「はい。此度軍を動かしたは、飯田城の秋山伯耆守虎繁と高遠城の山県三郎兵衛尉昌景。動かした兵は秋山伯耆守が三千、山県三郎兵衛尉が五千の総勢八千。」


「秋山伯耆守に山県三郎兵衛尉が率いる兵八千…左京進殿、弾正忠様には援軍の要請はされておられるのでしょうなぁ!」


「左様。この岩村城には四千余りの兵しか居らぬのですぞ、城に籠城するとしても八千の武田の兵に対するとなると些か少のうござりましょう。」


儂が左衛門尉様の問いに対し武田の兵は秋山伯耆守と山県三郎兵衛が率いる八千であると告げると、遠山家の家臣共は再び信長様の援軍はいつ来るのかと騒ぎ出した。

しかし、武田家が上洛の軍を挙げるとの報せがあってから既に織田家から信長様子飼いの母衣衆から前田又左衛門と佐々内蔵助といった武勇優れた将が二千の兵と共に岩村城に送られ、兵庫頭様直伝の防御陣を城の周囲に張り巡らし改良された種子島なども運び込まれている。此程の備えを整えているというのに、まだ信長様からの援軍を求める遠山家の家臣共に苛立ちが募って来た。

それは儂だけでなく、又左衛門や内蔵助も同じだったようで、


「何とも臆病風に吹かれたものよ。武田徳栄軒が率いる武田家本隊が迫るというのならば分かるが、南信濃に置かれた伯耆守と三郎兵衛尉が率いる八千の兵に取り乱し、敵の姿が見える前から信長様の援軍を当てにして自ら城を守る気概を見せぬとは、呆れ果てた物にござりまするなぁ。」


「左様。兵庫頭様からの報せを受け、信長様の命により我らが施した防御陣は先年、長島の一向門徒一万余が小木江城に迫った折、僅か三千五百余りの手勢で小木江城を守り通した際に佐久間右衛門尉様が施された防御陣と同等に堅牢な物にござる。その防御陣に守られた岩村城で四千の兵にて対するのでござるぞ!

例え精強を誇る武田の兵と言えど少なくとも一万余の兵が無ければ抜かれる事はござらぬ。然るに武田が兵は八千余りというではござらぬか、何を恐れる事がありましょうや!!」


二人から放たれた言葉に、遠山家の家臣の多くは憤り、弾正忠様子飼いの将と言えどそこまで言われては黙っては居れぬと反論を口にし、『武田の兵など何するものぞ!』と気勢を上げていたが、だがそんな中の数人は又左衛門と内蔵助に煽られて気勢を上げる同輩の様子を盗み見て冷笑を浮かべていた。

その様子に信長様の警告が確かな物であったかと忸怩たる思いに駆られた。

 信長様は此度の武田家の上洛に先立ち南信濃から美濃へ兵が向けられ、その兵の動きに合わせて遠山家家中に武田に通じる者が現れると警告されていた。

この事は兵庫頭様配下の伊賀の忍び衆が掴んで来たもののようで、兵庫頭様から信長様に儂に伝える様にと言付けられたそうだ。

兵庫頭様は儂が亡き勘十郎様の下で信長様に反旗を翻したことで無聊をかこっていた時、美濃攻略の足掛かりとなる墨俣築城を藤吉郎と共に仰せつかった時にそのお知恵に縋ってからと言うもの、事あることにお知恵をお貸し下さった。

その墨俣築城から多くの戦場を共にする事となった藤吉郎とは、堺の代官を務める様になった今でも文を交わす仲であり、岩村城にて妻となったおつやとの仲は藤吉郎の御内儀である寧々殿のお陰で事なきを得ておる。

岩村城の城代となりお艶を妻とし、亡き勘十郎様の御子である左衛門尉様を支える者として信長様の信を得ているのも、全て兵庫頭様あっての事。その兵庫頭様が信長様を通しご助言下さる己の幸運を感じずにはいられなかった。


 軍議を終え大広間を出た儂は城内の奥へと向かうと、其処には先に大広間から下がられた左衛門尉様とお艶が儂が来るのを待っていた。


「お前様…」「親仁さま!」


儂が部屋に入った途端同時に声を掛けてくる二人に、儂は苦笑を浮かべ二人と対面する形で腰を下ろした。


「左衛門尉様、先ほどの評定での振舞い見事にござりましたぞ。

お艶、そう心配をするではない。大丈夫じゃ、武田の動きは半年も前から報せがあり備えは万全。それに先ほどの評定で、岩村城に巣食う獅子身中の虫の見当もついた大事ない!」


力強く言い切る儂の言葉に左衛門尉様は大きく頷かれた。しかし、“親仁さま”とは…御止めする事が出来ず死を賜る事となった勘十郎殿の忘れ形見であることから、左衛門尉様付き城代として岩村城に入城してから陰日向なく親身になって参った。そんな儂を左衛門尉様は亡き勘十郎様と重ねられたのか“親仁さま”と呼ぶようになられていた。


「お前様…お前様の事を艶は信じております。ですが相手は大和守様(景任)が討たれる事となった、あの武田にござりまする。お前様が大和守様と同じような事になったらと考えただけで艶は…」


そう口にすると、お艶の頬が涙に濡れた。そんなお艶を左衛門尉様の前だという事も忘れて儂は思わず抱き寄せていた。


「案ずるな、儂は其方や左衛門尉様を置いてこの世を去る様な事はせぬ!南信濃から美濃を蹂躙しようと企む武田の者共に、この地を守る者が何者であるのかとっくりと知らしめてくれよう!!」


力強く吼える儂の言葉を聞いてお艶は頬を赤く染め恥ずかしそうに笑みを浮かべながら何度も頷くのだった。


評定を行った数日後、武田の軍が南信濃と美濃の国境を越えたとの報を受け、儂は佐々内蔵助を伴い城から打って出た。先ずは国境を越えた武田の軍が如何ほどの物かを自らの目で確認するための偵察を兼ねての出陣であった。

その際、お艶と左衛門尉様の許には前田又左衛門を置き、評定の際に不審な動きを見せた者共に目を光らせる様にと言いつけ、お艶と左衛門尉様にも儂の留守の間に何か起きた時には又左衛門を頼りにする様に言い置くことを忘れなかった。


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