第百五話 織田家嫡男の杞憂
すいません、更新が遅くなってしまいました。
今回は結構難産でした。
美濃国 岐阜城 織田勘九郎信重
「ほぉ~。」
「ふっ、少しは落ち着いたか奇妙。」
棒茶を一口飲み、その芳香と喉元を過ぎ去る温かさに思わず漏れ出た溜め息に、対面に座った父上が少し意地の悪い笑みを浮かべて私の幼名を口にされた。
何時ぞやもそうであったが、父上は時々私の幼名を口にされる事がある。そんな時は決まって私が下らぬ事で気落ちしている時であった。
「父上。私が父上の後を継ぎ織田家の当主と成ることが真に織田家の為になるのでしょうか?真は兵庫頭が織田家の当主と成り織田家を率いた方が良いのでは ござりませぬか。」
「…またか。奇妙は茶筅めがその才を見せると同じ事を言うのぉ。」
少し呆れた様にぞんざいな言葉が父上から返されたが、その表情は私たち家族にだけ見せる優しき苦笑であった。
「ですが父上。私には此度の徳栄軒殿が上洛し、その動きに合わせて本願寺が各地で一揆を起こすという危難に際し、兵庫頭の様に平静では居られませぬ。
ましてや、越後の不識庵殿に越中平定の好機として立たせるなどという策を思い付く事など到底できませぬ。」
先程父上と私、徳姫が輿入れをした六角家宿老・蒲生下総守の嫡男、左兵衛大夫賦秀と兵庫頭の四人だけで内密に甲斐の武田徳栄軒殿が上洛するのに合わせて本願寺が各地で一揆を起こすという謀が公方・義昭様と幕臣の者共によって進められているという報せに、如何に対処するかを話し合っていた中で出された兵庫頭の献策を口にすると、父上も少し悔しそうな表情を浮かべ、
「そうよなぁ。儂も“越後の龍”を使おうなどとは考えも及ばぬわ。徳栄軒もさぞ驚くであろうなぁ、己が上洛の為に背後の憂いを取り除こうと用いた策が逆手に取られることになるのだからな。」
と吐露された事に私は驚きを隠せなかった。
「なっ!父上もが唸る策にござりましたか。であれば…」
「茶筅に織田家の家督をか?たわけ、あのような鬼謀を良しとし実行しようとする者など普通ならばおらぬわ。
仮に、もし儂が茶筅と同じ策を考えついたして家臣共はついては来ぬ。茶筅の策を儂とその方が“良し”とするからこそ、家臣たちは自分たちが理解できぬ策であろうとも、織田家の当主である儂と次期当主である奇妙が認めたのだからと納得するのだ。
良いか奇妙、よく覚えておけ。
人と言うものは己と違う考えの者を恐れるものよ。茶筅の考えがどれほど理に適ったものであろうと茶筅一人の考えである内は忌避され、付き従おうとは思わぬ。
それは、茶筅ほどではないが儂にも当て嵌まることよ。奇妙も知っておろう、儂がまだ若かった頃“うつけ”と呼ばれていた事を。
儂がいくら理に適う事であると考えて行動していようと、これまで常道と異なったものであれば、人はそれを愚かなもの・間違っていると考え排除しようとするのだ。
その為に儂は我が弟を殺さねばならなかった。尾張一国の中でもそのような事が起こるのだ、今は織田家は尾張と美濃に飛騨、更に属国として伊勢と伊賀に南近江まで広がっておる。
貴様も見て来たであろうが、国が違えば言葉も習慣も少しずつ異なる。その織田家の当主に茶筅がつけば茶筅の考えについて行けぬ家臣たちは儂の時と‥否、儂の時以上に混乱し茶筅の排除を考えかねぬ。
良いか奇妙、茶筅は諸刃の刃なのだ。彼奴の才覚に惚れ込み傾倒して行く竹中半兵衛の様な者もおろう。だが、その一方で佐治八郎の様にその才覚を恐れる者もおるのだ。」
「お待ち下さい!八郎殿には兵庫頭が造り上げた南蛮船を一隻与えるだけでなく、その建造も許したではありませぬか。その様な恩義を受けた八郎殿が兵庫頭を恐れるなど…」
兵庫頭から南蛮船の建造という利を受けた知多の八郎殿が兵庫頭を恐れているという父上の言葉を俄には信じる事が出来ず、思わず反論を口にしていた。だが、父上はその私の言葉に首を横に振られて、
「其方も耳にしておろう、八郎は事ある毎に南蛮船の造船は尾張のみにするべきだと主張している事を。南蛮船は茶筅が幼き頃に小さき物を組み上げ、それを熱田の職人に命じて造らせたもの。それを茶筅から取り上げ尾張で独占しろと言うておるのだ。尾張で独占するとなればその運用は八郎が率いる佐治水軍の扱いとなると見越してな。」
「なっ。確かに八郎殿は南蛮船の建造は尾張にて行うべきと申されておりますが、それは兵庫頭を除いてという事ではないのですか?もし、父上が申される通り八郎殿が南蛮船の造船を独占したいなどと考えているのならば、その様な心得違いを致す八郎殿から造船の許可を取り上げるべきではござりませぬか!」
「そう怒るな。八郎は恐ろしいのだ、己では考えもしなかった南蛮船の造船を日ノ本で行おうと考えた者が居た事がな。
八郎だけではない、人は己では思いもつかぬ事を成す者を恐れるのだ。仮に茶筅が織田家の当主と成れば八郎は間違いなく反発するであろう。だがそれは八郎だけではない、他にも続く者は必ず現れる。それでは織田家は割れ、この乱世を治め日ノ本を一つに纏めることは出来ぬのだ。
だが、茶筅の才覚はこの乱世を治める為には欠かせぬもの。では如何にするべきか分かるか?」
私を見つめる父上の眼光に思わず体が震えてくるのを無理やり押さえ込み、父上が意図する言葉を口にした。
「…兵庫頭の才覚を認める者が兵庫頭の上に立つ、という事でござりましょうか。」
「それだけでは足りんな。彼奴の才覚を認めそれを他の者にも伝える事が出来る者が欠かせぬという事よ。今は儂が居る故良いが、儂が居らなくなった時には奇妙、其の方がその役目を果たし、日ノ本を一つに纏め上げねばならぬ。幸いにも茶筅は其の方と三七を兄として慕っており、三七も茶筅の才覚を認めておる。
此度の徳姫の輿入れも、儂を通さず直接茶筅に願い出たは、織田家の姫である徳姫ではなく、茶筅の実妹である徳姫を六角家家中に迎え、六角家と茶筅の繋がりを強固にしたいと願っての事よ。 三七め、儂より先に茶筅の所に徳姫の輿入れの話を持ち込むとは、あじな真似をするものよ!」
そう吐き捨てる父上であったが、その顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。しかしそれも一瞬の事で、
「もっとも、三七めの思いも分からなくはないがな。
これまで、六角家と北畠家は北伊勢を巡り争っておった。そもそも伊勢には数多の国人領主が争い中々一つに纏まるという事が無かったが為に、六角と北畠が食指を伸ばす隙を作っておったのだ。
更に、伊賀も北からは六角が南からは北畠が手を伸ばしておった。先の南伊勢攻略の際も、藤林長門守は最後まで北畠家に合力していたと聞くし、茶筅が伊賀を臣従させる際には六角と繋がっておった伊賀者は中々首を縦には振らなかったと聞く。
六角と北畠は長年に渡り覇を競っておったといえる。その両者の領域が伊賀や北伊勢という緩衝地を失い隣り合う事となれば、三七と茶筅は良いとしても家臣共は気が気ではなかったであろう。
それを抑える為には北畠の当主である茶筅の実妹である徳姫が六角家の宿老の下に嫁ぐことが重要だという事よ。」
と、左京大夫の心情を慮る父上。
「もしや、本当は北畠家に姫君がいたら左京大夫の下に輿入れという事に。しかし、北畠家の姫君は兵庫頭と夫婦となった雪姫殿だけ。そこで徳姫に白羽の矢が?」
「まぁな。だがな、あの左兵衛大夫という男と縁を結んだは良き事であったわ。南伊勢攻略の折には蒲生の嫡男は猪武者であると評判を落とし、実弟の藤次郎が六角を致仕して茶筅に取り立てられるといった騒動があったが、その後は三七の下で力をつけ次期宿老の筆頭格と目されておるとか。更に、徳姫が輿入れする前にいつもの様に徳姫が無茶を申した様だが、それに応えた左兵衛大夫を茶筅が大層褒め称えたそうだ。
聞く所によると、器量と力量を示した左兵衛大夫を前にして徳姫に左兵衛大夫との婚儀を否と申すのなら、もはや嫁ぐことは無いだろうから髪を下ろして仏門に入るしかないと迫ったそうだぞ。わ~っはっはっはっは。」
そう告げて笑い声を上げる父上に私は顔を引き攣らせていたと思う。
しかし、兵庫頭も思い切ったことを口にしたものだ。一度目の輿入れの話が挙がった時には徳姫が無理難題を突き付けた事で破談となり、織田と徳川の同盟関係にも亀裂が入ると家中が騒然となったが、兵庫頭が自ら三河守様の許に赴いて直談判に及び、自らが質となることで徳川家の面目を立たせ冬姫の輿入れに繋げた。
されど此度は左兵衛大夫が器量と力量を示したとはいえ、実妹である徳姫に髪を下ろして仏門に入るか輿入れをするか選択を迫るとは。まぁ、二度目の輿入れ話も不成立ともなれば徳姫の輿入れは難しくなり家臣へ降嫁させるか兵庫頭は徳姫に告げたように仏門に入るしかないだろう。どちらにしても徳姫は不本意な思いを抱えたまま生きて行くことになる。それならば徳姫の申し出に応えて見せた左兵衛大夫の下に嫁がせるが最良と腹を括ったのかもしれぬな。その判断は的確だったようで、左兵衛大夫と徳姫の仲は傍に仕える者が頬を染める微笑みを浮かべてしまう程に良いと聞く。
「まぁ三七の事は良い。彼奴も彼奴なりに考えて茶筅との付き合い方を模索しておるのであろう。尤も、此度の徳栄軒の上洛に際して茶筅が三河守の援軍に向かう事になったからには、この後は茶筅は東にそして三七は西へと向かう事になろう。領地が隣り合っているからといって気にしている状況ではなくなるが、その前に両家の縁が結ばれた事で背後の憂い無く動けると言うものよ。そうなった時、最も要となるのが奇妙、其の方の役割だという事は分かるであろう。織田家の次期当主としてどっしりと構えておらねばならぬ。其の方が中心になることで、天下の静謐が成るかどうかは掛かってくるのだからな。
此度の徳栄軒の上洛に合わせての動きは良い機会となろう。儂は加賀に入り不識庵と北陸を抑える。都で兵を挙げる公方は左京大夫に、越前の動きには朝倉だけでは心もとない故、義弟・備前守に動いてもらい、三河・遠江に迫る徳栄軒には先の通り兵庫頭に任せる。勘九郎、其の方は尾張と美濃の仕置きを万全に整え各方面に目を光らせて不測の事態に如何様にも対処できるように致せ。いざという時には儂をも手駒として使いこなして見せよ!!」
そう言い放った父上に私は驚き思わず頭を抱えたくなったが、私を見つめる父上の鋭い眼光に頭を抱えるなどと言った醜態を曝すことは出来ず、生唾をゴクリと呑み込んだ後、
「か、畏まりました。全力を尽くし己が役目を全う致します!」
と返すことしか出来なかった…。




