第百二話 甲斐の虎、動く!
すいません、これまでで一番短くなってしまいました。
元亀五年の五月、南近江の六角家六宿老が一家・蒲生家の次期当主、蒲生左兵衛大夫賦秀の下に徳姫が嫁入りした。
婚儀が決まって僅か三か月での嫁入りだったが、準備は母と父の方で整えてくれていた事もあって慌てて俺が奔走すると言ったことは無くすんなりと事が運んだ。
ただ、織田家としては徳姫を一度国元に戻し改めて織田家の姫として輿入れさせるつもりだった様だが、実際には国元には戻らず伊勢から直接近江に向かう事となった。
これには、左京大夫兄上の意向が強く働いていたようで織田家の姫と言うよりも俺の実妹として六角家の宿老である蒲生家に輿入れさせたかったようだ。
そうする事で、六角家は北畠家=兵庫頭信顕との繋がりを重視していると内外に知らしめたかったようだ。
元々六角家と北畠家は伊賀国を挟み対峙してきた経緯がある。先々代管領代六角定頼の時代には北畠家に娘・北の方を嫁がせるなどしてきた。理想を言えば北畠家の姫を左京大夫兄上の下に輿入れさせれば六角家と北畠家の縁は強くなるのだが、北畠家の姫である雪姫は俺と婚姻を結んでいる為、適当な姫君がいなかった。
しかも、今回の婚儀で左京大夫兄上が考えたのは北畠家との縁と言うよりも“俺”と六角家との縁を結びたいと考えてのことであったため、これから左京大夫兄上を支える事となる宿老格の家へ徳姫を嫁がせることにより、俺と六角家との縁をより強固にしようと考えての物であったため、織田家の姫君としてでなく北畠兵庫頭信顕の実妹としての婚儀であると印象付けるには伊勢から嫁入りする方が都合が良かったようだ。
もっとも、これから東から迫る脅威に対抗しなければならない俺にとって、その背後にいる六角家との縁が強くなることは大きなメリットでもあった。
何しろ、年を明けてから東の強国甲斐の武田家がいよいよ上洛の準備を整えているとの報せが百地丹波守から齎されていたからだ。
丹波守からの報せによれば、年が明けて直ぐ甲斐の国主・徳栄軒信玄は信濃の高遠城から息子・四郎勝頼を国元に呼び寄せると自らの傍らに置き次期当主としての教育を始めたという。
注目すべきは四郎勝頼の傍に置かれた者達だ。
土屋昌続や真田信綱・昌輝、武藤喜兵衛昌幸、小山田信成といった史実で武田二十四将に数えられる若手の有力な武将たち。どの者達も信玄が幼少の頃に見出し手塩にかけて育てた子飼いの者達を勝頼に付けたという事は、次期当主と成る勝頼を支える者達として差配したと考えられた。
中でも注目すべきは高坂弾正忠昌信が付けられたことだろう。高坂昌信は信玄の近習で、海津城という対越後の要衝を任せる程に頼りにされ武田の四天王と称させるほどの老中格の重臣。
そんな高坂弾正が勝頼に付けられたという事は、今回の上洛では勝頼を重要な場面=敵対勢力である三河・尾張美濃・近江の戦いにおいて指揮を取らせ、その武名を挙げさせて次期当主として申し分のない者であると言う箔付けをした上で将軍・義昭に謁見させ、上洛後には勝頼に家督を譲ることを視野に入れているのではないかという事が推察できた。
となれば、今回の上洛は信玄と勝頼にとって武田家の家督相続の為に絶対に成功させなければならない事となる。生半可な備えでは信玄の上洛を押し留める事は難しいという事が考えられた。
そこで報せを受けた俺は丹波守に引き続き甲斐の動きを探ると共に、父・信長と勘九郎兄上、左京大夫兄上、更に浜松城の徳川三河守様と岡崎城の次郎三郎信康、浅井長政に情報の提供と注意喚起の書状を送り、千賀地次右衛門保元改め千賀地伊賀守保元に都を中心とした畿内の動静を探らせた。
保元は、先の近衛関白・伊勢下向の功により伊賀守を名乗ることを許した。当初、藤林長門守や百地丹波守らは保元が伊賀守を名乗ることに難色を示すのではと思ったのだが、二人からは異論が出なかった。むしろ、保元から「伊賀守は兵庫頭様の股肱の臣である五右衛門殿が名乗るべきなのでは?」と困惑の表情と共に訊ねられたのだが、元から伊賀守は伊賀の忍びを纏める千賀地・百地・藤林のいずれかに名乗らせるつもりであったから、「これからも伊賀忍び衆を纏め丹波守、長門守と共に尽力して欲しい」と告げると保元は涙を流して喜んでくれた。
そんな伊賀守保元は俺の命に即座に動いてくれたらしく、十日もしない内に畿内で信玄の動きに呼応する者達を探り出して来たのだが、その動きは容易ならざるものであった…。




