第十話 閑話・墨俣築城
◇小牧山城・柴田勝家
「柴田権六勝家、お呼びに寄り参上いたしました。」
居城を小牧山城に移し美濃攻めに注力される殿(上総介信長様)に呼び出され急いで出仕すると、小牧山城の大広間には上総介様の前に平伏する者が居た。その者の後姿を見ながら大広間の前で大声を上げる某に殿は鷹揚に頷かれると手に持っていた扇子をパチリと音を鳴らせてから近くに寄るようにご自分の近くを指し示された。その指示に従い素早くお傍に寄り腰を下ろし先に来ていた者の顔を横目で確認すると、その者は百姓上がりながら清州城の修復普請などで力を見せ、殿に気に入られておる木下藤吉郎であった。
「権六!貴様に墨俣の築城を命じる。」
いつもと同じように唐突に用件を告げる殿に某は目を見張った。
墨俣と言えば美濃の守護・斎藤龍興の居城・稲葉山城と目と鼻の先にある要衝。墨俣に築城が叶えば長良川を押さえる事が出来、美濃攻略に一歩も二歩も進むことになるがその事は龍興も分かっている事。生半可な事では築城など出来ぬ難業だと某の心底から警鐘が鳴り響いた。そんな某の心の内を読まれたのか殿はニヤリと笑い、
「案ずるな権六。策もなく貴様を死地に赴かせるようなことはせぬわ!藤吉郎、貴様は清州の修復普請で力を発揮した。その時の様に此度は権六の下で墨俣築城に尽力せよ!」
「はっ!柴田様に従いこの身の力が及ぶ限りの事は致します。ですが一体どのようにすれば…」
殿の言葉に藤吉郎は威勢良く返したものの如何して良いのか思い付かぬようで声は萎んでいった。そんな藤吉郎の様子に殿は声を上げてお笑いになると、我らに墨俣築城の策を授けて下された。
「わっはっはっはっは、流石のサルもいつもの大風呂敷は流石に広げられぬか。
良いか、昼日中に手勢を率いて墨俣に赴けば右兵衛太夫(龍興)の耳に入り即座に軍を発して来るであろう。そうなれば墨俣築城など画策しようともいくら武勇を誇る権六とて防ぎきれるものではない。そこでだ、藤吉郎は予め墨俣に築城できるように木材などを加工し夜陰に紛れて川を使って墨俣に運び込み、防護陣地を築くのだ。築いたところで権六は手勢を率いてその陣地に入れ。防御陣地に立て籠れば右兵衛太夫がお主たちの動きに気付いて軍を派遣しようと持ちこたえることは出来よう。その間に藤吉郎が墨俣に城を築くのだ。何も清州やこの小牧山の城の様な物を作れと言うのではない、軍を入れられる砦で構わぬ。築城が成ったら物見櫓に軍旗を掲げよ、それを合図に儂が軍を率い墨俣に入る。さすれば右兵衛太夫は尻尾を巻いて稲葉山城に逃げ帰るであろう。この策を成し遂げ美濃を落とした暁には美濃攻めの勲一等は権六と藤吉郎の二人となる。」
殿の言葉に某は武者震いが止まらなかった。
殿の父君・信秀様の頃より美濃攻略は悲願であった。その美濃攻略に向けての重要な一手を某と藤吉郎にお任せになり、しかも斯様な策まで授けていただけるなど、正に至れり尽くせりとはこの事。一も二もなく拝命の言葉を返そうとする某に先んじて藤吉郎が口を開いた。
「信長様、築城に必要な資材を予め加工し素早く設営に当たるという事は言われる通りに進める事が出来ると思われまするが、加工した資材を川を使って墨俣に運ぶと言うのは…」
そう言葉を濁した。そんな藤吉郎に殿は眼光鋭く睨みつけ、
「藤吉郎!貴様の与力に前野丨何某と申す者が居るらしいなぁ。その前野は、川並衆を従え、『川の事は己が意のまま』と豪語しておると聞く。尾張を治める儂を差し置き、川の事は己が意のままと豪語したその力量、確と見せてもらおう!」
と、命じる言葉に藤吉郎は体中に汗をびっしりと掻き、
「か、畏まりましたぁ~。藤吉郎、信長様の美濃攻略のために一命を投げ出して相勤めまするぅ~~。」
と平伏した。その姿に殿は満足そうに笑みを浮かべられたが、その眼は一切笑っていなかった。
殿の前から下がった某はさっそく藤吉郎と話を詰め、川の水嵩が増す梅雨時を狙い決行した。
◇小牧山城城下・木下秀吉
「兄者、上総介様からの急なお呼び出しは一体何だったのだ?」
殿様から柴田様と合力して美濃攻略のために墨俣に城を作れとは命じられて、儂は驚きと困惑で頭の中がグルグルと渦巻いて小一郎から声を掛けられるまでどうやってお城から戻って来たのかさえ分からんかった。
しかし、此度の御下命はまたとない出世の好機。墨俣に城を築けば美濃攻略に一気に弾みがつく事は間違いなく、柴田様と儂が勲一等に浴することは間違いない。
これまで、城の修繕や賄いなどで功を上げ殿様からお褒めの言葉を賜ったことはあるが、戦働きでは又左衛門(前田利家)や内蔵助(佐々成政)などに一歩も二歩も後れを取っていた。しかし、此度の御下命を成し遂げれば又左衛門や内蔵助に堂々と肩を並べられると言うもの。何が何でも成し遂げねばならぬと決意を新たに殿様からのお呼び出しの経緯を話して聞かせると、小一郎は驚き喜声を上げた。
「兄者、それはとんでもない大役を仰せつかったではないか。しかも、上総介様から事細かに墨俣築城の策を授けられてとなれば、築城は成ったも同然だ!」
確かに小一郎の言う通り、殿様から授かった策は美濃方の意表を突いたもので、成功する率は高いと思われた。しかし、それには柴田様との連携に築城の準備をどれだけ念入りに行えるか儂の手腕に掛っていた。しかし…
出世に繋がると喜ぶ小一郎は儂がのって来ぬことに不審を覚えたのか心配そうな顔をして、
「兄者、一体どうしたと言うのだ?何かいつもと違う様子だが。」
と訊ねてきた。そんな小一郎に儂は前野将右衛門の事を問うた。
「小一郎、将右衛門殿は今どこにおる?」
「将右衛門殿ならばご自分の家に、呼ぶか?」
「おぉ、頼む!」
儂の言葉に小一郎は自分の疑問は一先ず腹に仕舞い、将右衛門を呼びに走った。しばらくすると小一郎に連れられて将右衛門が顔を見せ、呼び出した理由を問うてきた。
「なんじゃ藤吉郎、織田の殿に呼び出されたと聞いていたが何ぞあったか?」
「そのことなのだが将右衛門殿。将右衛門殿は『川の事は己が意のまま』などと口にした事はあるんかのぉ。」
儂は出来る限り優し気に問い掛けると、将右衛門はしばし考える様に宙に視線を向けていたが直ぐに何か思い出したのか面白くなさそうな表情を浮かべた。
「以前、河原者が獣肉について商家に文句を言いに来たことがあっただろう。その時の小僧を締め上げたら、商家で偉そうにしていた小僧が煩かったからつい…しかし川並衆を差配するのは儂じゃ、間違ったことは言っておらぬが。」
と嘯いた。この言葉で儂は全てを理解した。
「将右衛門殿。お主が川並衆を差配し『川の事は己が意のまま』と豪語したおかげで殿様から大役をいただいたぞ。墨俣に柴田様と共に築城せよとのお達しじゃ!」
その儂の言葉に将右衛門は目を見開いた。
「更に、殿様から策まで授けていただいた。先ずは砦で良いから素早く形作れるように予め組み立てられるように加工し、加工した木材を川を使って上流から流して墨俣に陸揚げし築城せよとのお達しじゃ。正に川並衆の腕の見せ所というものじゃな!」
追い打ちをかけるような言葉に将右衛門は顔を青くして狼狽え始めた。
「殿様からここまで明確な策を授けられて失敗などしようものなら儂らは尾張から追放されても文句は言えん。将右衛門殿、川並衆を総浚いじゃ何としても遣り遂げるぞぉ!!」
そんな将右衛門を叱咤するように儂は声を張り上げ、そうすることで武者震いをしている自分にも気づいた。だが、ここまでのお膳立てをしていただいているという事は、殿様は柴田様と儂に手柄を立てさせようとしてくださっているに違いない。
柴田様は以前は殿様に敵対した御舎弟・信勝様の家老職を勤めておられ、一度は殿様に弓引いたこともあるため古参の御家来衆の中では無聊を託っておられる。一方、儂は百姓上がりの成り上がり者として煙たがられていた。そんな儂ら二人に美濃攻略の重要なお役目を策まで授けて任せてくれた殿様の意気に報わねばならぬと儂は心に決めた。