情報員の反省
情報員の反省
午後になると、有賀は杉本から部隊概要や各班の現況等について説明を受けた。
そして最後に有賀は杉本に質問する。
「先任、ここはマクロやミクロの視点を重視してるようですが、その理由は何ですか」
「まぁ、積り積った経験から現状最善と思える結論ってとこかな、それは。…例えば、以前横須賀にロシアの艦隊が入った時の話で、ロシア語のできるのと『ヴァリャーク』に行ってさ、SS-N-12の射程を傍に居た乗員に聞いたのよ。そしたら1,000kmと。一応乗員の話として報告書には書いたけど正直本気にはね、だから再評価の分析にはならなかった。当時、米軍資料でもSS-N-19より短い評価だったし、民間資料は約半分の550が殆どだったからね。しかし、今では『ヴァリャーク』のSS-N-12は1,000kmという評価がある。確かに、当時の分析資料から1,000という数字を評価する事はできなかったかもしれない。それに、SS-N-12はシステムの話ってのは解ってたんだけど、中がSS-N-19より新型で長射程という可能性にはね。まぁ、これは新しい方が射程が長いという妙な固定概念だ。で、この時の失敗は当時ミクロの視点しかなかったからって訳さ」
「でも、それは仕方ないような気がしますが…しかし、この場合のマクロの視点は何ですか」
「ミクロはミサイルだけで考えた事。で、マクロの視点で考えるべきだったのは、SS-N-19搭載艦と同時期の『ヴァリャーク』が今更短距離のミサイルなのかという事。つまり、長射程化傾向にあるロシア艦隊の攻撃システムで、新型艦がSS-N-12を搭載する意味とは何かという事をだね」
「艦隊レベルで考えれば、SS-N-12の中身が別物で、長射程の可能性があると考えられたと」
「勿論、最終的な結論がどうなったかは分からない。結局変わらずの評価だったかもしれない。唯、情報のプロセスが重要でね。結果として、一方向だけの分析でも正しい事もあるかもしれない。でもそれは確実な分析ではない。そこは少なくともダブルチェックが必要で、それは同方向からの分析ではなく、他方向からの視点が重要だと考えられたという事なのよ」と、杉本は説明した。
「成程、それでマクロとミクロの視点ですか」と、有賀は納得したように応えた。
「まぁ、これは一例だけど、他にも色々あった末に得られた結果でね」
「しかし、結構徹底してるように感じますね。事務室全体にそんな空気が」と、有賀は戯ける。
「かもね。それに関して幹部と海曹で結構遣合ったからね。ま、序でに」と杉本は前置きしてから、「機関部がダメと言われていた『遼寧』のドック明けで、その評価に関する検討会があって、内からも幹部が出てたんだけど、評価は自走不可能になった。で、ドック入りの理由については、タグで引いて運用実験などで使うための整備というベタ金ドルフィンの一言で終わったとか。それを帰って来た幹部から聞いて海曹連中が不満を持ってね。中国海軍をバカにしてるとか、それでも海上自衛官、情報かってね。それで最終的に科全体の会議にまで発展して、海幕でも統幕でも情報としての見解は述べて来るべきだってね。で、その見解はマクロとミクロの視点からの分析評価とした訳よ。それを感じたんだろうなぁ有賀3曹は」と、杉本は話した。
「前に作情で聞いた話では、『遼寧』のファンネル内に何か施してあったとか」と有賀は口走る。
「あー画像か…機関は死んでなかったか…」と杉本は唸った。
「結果的には。しかしそうした評価はありませんでした。…まぁ、不明だったんですけどね」
「情報に3分隊系は少ないからな…本当は暈して照会すべきだろうけど、仕方ないか。…情本の画地部は判ってたのかな…分析できてたのかぁ…」と杉本は独り言のようになる。
「先任、ぼやきですか」と、置いてきぼりの有賀が口を出すと、視線だけ杉本は有賀に向けた。
「ああっ、悪かった。…どうもね、最近、情報周辺の環境が急変してるような感じでね。サイバーや電磁波の話だけでなく、ファイブ・アイズ入りという話も聞く。それで、海自の情報はそういった要求に現状で耐えられるのだろうかと考えることがね。個人じゃなく、全体としてね」
「おっ、先任にしては珍しく弱気に聞こえますね」と、有賀は頬を緩ませながら言う。
「まぁ、どう言っても、日米同盟下で海自の情報は米軍に甘えて来たのが実際だからね。これでイギリスは兎も角、オーストラリアやカナダ、ニュージーランドと渡り合えるのかどうだか。しかし、そうした懸念は長年情報で飯を食ってる自分にもあるなってね」と、杉本はしみじみと応えた。
「情報はギブアンドテイク、フィフティ・フィフティの世界だから…まっ、どんな状況でもいいように、積極的な情報全体の能力向上に資する仕組作りなんかは、一応検討を始めたけどね」と杉本。
「そうなんですか、組織的な対策を。…仕事です、我々若手に任せて下さい」と有賀は嘯く。
「ああ、期待してるよ。…とは言え今ホットな話は、この先公の資料なんかが全部英語になったら面倒だって事なんだけどね」という杉本の自嘲した言葉に、有賀は背中に冷たい物を感じた。




