分からない
「この国を出て……どこか誰もいない場所で二人だけで暮らそう!」
「えっ……」
思いもよらない突然の言葉に私の意識は一瞬で白に染まります。
「そうだね……突然過ぎた。あの時も、そして今もーー本当にごめん」
言って、アシュトレイ様は私の手を包むその手にわずかに力を込めました。
「まずは……やはりあの日の事だね。僕が突然、一方的に婚約破棄を突き付けたあの日の事……」
アシュトレイ様は言い辛そうに視線を伏せ、窓枠を眺めるようにしながら小声で語ります。
「急にあんな事を言われてびっくりしてしまったよね、それに……君を深く傷付けてしまったと思う。今まで些細な意見の食い違いもなく常に仲良くしていたし、周囲の人達からも仲良しカップルだなんてよく言われていたから、僕が突然あんな事を言い出して全く理解できなかったよね。理由は……当然ある。事情があって詳しくは話せないんだけど……だけどローレライ! 君が悪いだとか君の事が嫌いだとか、そんな理由では決してない! あんな事を口にしたのは紛れもなく僕自身なのだけど、あの時も……そして今も、僕は変わらず君の事を愛し続けている! 到底信じて貰えないとは思うが、どうかそれだけは信じて欲しい。僕はーー君を愛している」
アシュトレイ様はそう言うと、窓ガラスに自身の額をそっと当てるようにうなだれました。
愛している。
それは今まで、数え切れないほどアシュトレイ様から掛けて頂いたお言葉のひとつです。
必要とされている。
私を求めようとするアシュトレイ様の気持ちの表れ。
心が和み温かくなる不思議な言葉。
ですが、以前その言葉を掛けて頂いた時と今とでは全くその印象が異なっています。
なぜでしょう?
アシュトレイ様は婚約破棄に至った理由を事情があって話せないと仰いました。その事情とは、もちろんベアトリック様がそう仕向けたからです。ですから、アシュトレイ様は泣く泣く私との婚約を破棄するしかなかった。それは別に構いません。貴族社会では仕方のない事です。
それに今のすっかりと憔悴してしまったアシュトレイ様のお姿を鑑みると、きっとそのお言葉と想いに嘘はないと思います。
この先、何がどうなったとしても全てを捨てて、本気で私と二人でどこか遠くへ逃げる気でいるようです。
なのに、
アシュトレイ様の愛しているというお言葉に私の心は以前感じたような喜びといったものは感じられません。
純粋に嬉しいとは思うのですが、以前とは明らかにその意味合いが違っています。
アシュトレイ様が今も変わらず私の事を愛していると仰ってくれたように、私もまたアシュトレイ様の事を変わらずに愛しています。
突然、婚約破棄を突きつけられたとしても人の心はそれほど容易に変わるものではありません。
だから悲しくて辛いのです。
だからあの日、朝が来るまであれほど涙を流したのです。
きっと、
きっとこのままアシュトレイ様の申し入れを受け入れれば、たとえ辛くとも幸せな日々を過ごす事が出来るのでしょう。
あれほど待ち望んでいた二人の幸せな結婚生活を送る事ができる。幼い頃からずっと思い描いていた幸せを手に入れる事ができる。
ジェシカ様への想いは私の胸の中にずっと仕舞ったままにしておいて、アシュトレイ様の手を取り二人で歩いて行けば、そうすれば全てーー。
なのに、
なのになぜ?
心が、
私の心が、
分からない。
3章 おわり
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