いじわる
ベオウルフ様がお帰りになられた事で、少しの間固まってしまっていた客間の時間がまたゆっくりとその時を刻み始めました。
「全くもうっ! あのフェミウルフときたら!」
ジェシカ様はベオウルフ様の背中を見送りながら自身の両手を腰に当てて、ずいぶんご立腹のご様子でいます。
私はそんなご立腹のご様子のジェシカ様に声をお掛けしようかと思ったのですが、どうにも憚られてしまいただじっと黙ったままジェシカ様の小さく華奢な背中を見つめていました。
ジェシカ様はベオウルフ様の背中が見えなくなるとその場でくるりと踵を返しました。色鮮やかなエメラルドグリーンのドレスの裾がジェシカ様の動きに伴って優雅にふわりと舞い上がります。
ジェシカ様はそのまま私の方へと向き直り、白い歯を惜しげもなく見せつけて笑います。
「やっほ! 元気だった? ローレライ」
「ーーはっ、はい! お陰さまで。先日のお茶会の際はお世話になりました」
「ーーそっ、そうだ!」
ジェシカ様は急に何かを思い出したような仕草を見せると私のすぐ側まで歩み寄り耳打ちします。
壁に取り付けられた鏡の端に映ったジェシカ様の姿は見ようによっては私の頬に口づけをしているようにも見えて私としては何だか胸がこそばゆい思いです。それに、限りなく私の身体へと近づけられたジェシカ様の唇が私の心を激しく震わせ、ふわりと香る甘く上品なジェシカ様の匂いが私の中でどうにか押さえ込んでいたジェシカ様への想いを刺激して呼び起こします。また、私の耳と首筋を撫でるジェシカ様の吐息がとことん私の理性を崩壊へと導きます。
そんな、私を刺激して止まないそれらですが私は必死に両眼を閉じ両手をぎゅっと強く握り締める事でどうにか押さえ込みます。
……辛いです。
あの日のアンナもこんな気持ちでいたのでしょうか。私もアンナのようにーーと、それはさすがに不味いですね。
私とアンナならいざ知らず、私とジェシカ様では明らかに立場が違いすぎます。
それに、そんな事がもし世の男性に知られでもしたらポーンドット家の屋敷に火を放たれる結果にもなりかねません。
それだけは是が非でも避けなればいけません。
「ーーとかいじわるな事、されなかった?」
ジェシカ様のお言葉がやや遅れて脳内へと響き渡り、ようやくその内容を理解するに至りました。
私が帰った後いじわるな事、されなかった?
そうおっしゃったジェシカ様はあの日の事を言っているのでしょう。
あの日、ニルヴァーナ公爵家の薔薇園で行われた、あのお茶会の事を。
今思い出すだけでも薔薇の棘が肌に食い込む痛みが鮮明に蘇ります。私にとっては、きっと永遠に忘れる事が出来ないであろう恐怖のーー本当のお茶会。
ジェシカ様が急用でご帰宅なされた後に行われたあの出来事は当然、ジェシカ様が知るはずもなく……あれ? 変ですね。ジェシカ様はなぜ私があのような仕打ちを受けた事をご存知なのでしょうか?
そう思ったところで気付きます。ジェシカ様は『いじわるな事』と表現なされました。ですが、私が受けたあの仕打ちはどう軽く見積もっても『いじわる』という言葉で表情出来るものでは絶対にありません。
それほどに重々しく、荒々しい仕打ちでした。
という事は、ジェシカ様としては私が受けた仕打ちに関しては全く知らない事であって、今聞いてきた『いじわる』というのは全く別の意味合いの物事なのでしょう、きっと。
で、あればーー
「いじわる、ですか?」
と、私は若干誤魔化すように小首を傾げます。
「ええ。見ていて気付いたとは思うんだけど、あの三人って私達より年上で、すごく仲が良くって、結構……うーん、何て言ったらいいんだろう。悪いと言うか……いじわるというか……とにかく、三人集まると悪戯しだしちゃう人達だから、そんな三人の中にローレライ一人置いて帰るのが心配だったんだよね。聞いた話じゃ、お茶会に誘われたのにまるで使用人のようにお茶のお代わりやテーブルの片付けなんかをさせられたって話も聞いた事があるのよ。だから大丈夫だったかなって……」
ジェシカ様はやや上目遣いで心配そうに私の顔を見ながら、そうおっしゃいました。




