恋をしていた
「ーーーーっ⁉︎」
重ねられる唇、初めて感じるアンナの柔らかい熱。
私の両腕を掴むアンナの手にさらに力が加わり肌がひりつきます。
「……んっ……んむっ……」
初めての体験を前に私は対処法が分からず、ただその場に立ち尽くします。
立ち尽くしている中、せめてもの抵抗というか私もアンナの両腕を握り返します。
今まで誰とも経験のない事、そして経験のない距離感。
いつも羨ましく思っていたアンナの愛らしい顔がすぐ目の前に迫り、その輪郭がぼやけています。
甘い、いい香りが私の鼻孔を駆け抜けアンナの息遣いが私の頬をくすぐります。
私の身体は極度の緊張感から固まってしまい、先ほどから全くいうことを聞いてはくれません。
なので、近すぎるほどに目の前に迫ったアンナの顔をぼんやりと眺めていると、不思議な事にジェシカ嬢の顔がちらつきはじめました。
この国一番と称される美貌の持ち主で、全女性の憧れの的で、全男性の最終目的とも比喩される知らぬ人などいるはずもない超有名人、アヴァドニア公爵令嬢ジェシカ・ユリアン嬢。
外見、内面共に人並み外れた器の持ち主で、誰にも分け隔てなく接するその振る舞いから聖母との呼び声も高い人物。
いえ……人物、人間でさえないと囁かれる事もしばしば。この世界を創った女神の生まれ変わりとか、人類を導く聖母の生まれ変わりだとか噂は様々で、私がお母様の次に尊敬し憧れ手本とする人物ジェシカ・ユリアン嬢。
ジェシカ・ユリアン。名前を口にするだけでうっとりとしてしまいます。
そんな、本来なら雲の上の存在であるジェシカ嬢を私が恐れ多くも馴れ馴れしく、ジェシカ嬢と呼ぶようになったのは今からほんの数時間前の事なんですよね。
もはや神様とか聖母様のように思っていたジェシカ嬢が突然、高貴な威厳を放ちながら目の前に現れて私の隣に座ったかと思えば、可憐な口にクッキーをいっぱい頬張ってケラケラと笑う。そして、私なんかの事を知ってくれていた時点で驚きなのに、さらに私の口元にクッキーを差し出してくれた。今考えれば明らかにおかしい状況です。驚きと幸せのあまりショック死せずに済んだのが奇跡です。
そんなジェシカ嬢の初めて見る人間らしさに、私は強く心を打たれました。
私と同じ人間なんだって、一人の普通な女の子なんだって、嬉しいって思ったんです。
あれからずっと、私の心の中にはジェシカ嬢がいてどんなに辛い事があっても何とか耐える事が出来ました。
心の中でジェシカ嬢がずっと微笑んでくれていたから、強くも優しい光で照らしてくれていたから、私の心は壊れずに済んだ。
ジェシカ嬢の人間らしい一面を見たあの時からずっと胸が高鳴って、ジェシカ嬢の事ばかり考えてしまう。お茶会の最中なんて何度横目で盗み見たことか分かりません。ジェシカ嬢が私以外の人と話しているのを見ると急に不安になって、なんだかイライラしてしまって、なんとかこちらを振り向かせようと必死になって、それでだんだん胸が苦しくなって……自分自身が狂っていくのがはっきりと実感出来たんです。
ジェシカ嬢が欲しくて欲しくて仕方なかった。
抱きしめて離したくなかった。
私の存在なんて溶けて無くなって、ジェシカ嬢のほんの一部にでもなれるのならそれで良いと強く思ってしまった。
「…………」
やっぱり私、変になってしまったみたいですね。
だって、今の私の心境をそのまま言葉にするのならひとつしか当てはまらないんです。
そう、私はジェシカ嬢にーーーー恋をしてしまった。
アシュトレイ様にも向けた事のない強い感情を胸に抱いてしまったんですから。