ドレスの記憶
「ほらっ早く! ベアトリック嬢が待っているじゃない! 早くなさい! 本当にのろまなんだからっ! ほらっ!」
「地面に額を擦り付けなさい! ニルヴァーナ公爵閣下に、公爵夫人に泣いて詫びるのです! 平民同然の貧乏貴族が!」
次々と浴びせられる罵詈雑言に胸を痛め、私の心と身体は力無く地面に沈んでいきます。
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
お母様……本当にごめんなさい。
お母様が一番大切にしていたドレスをこんなに泥だらけにしてしまって……本当にごめんなさい。
そんな泥だらけのドレスを見ていると突然、不思議な映像が脳裏に浮かんできました。
あれは……お父様とお母様? しかし、お二人共ずいぶんと若いお姿をしていらっしゃいます。若いお二人がどこかのお部屋でお話しをしている?
これは……私が生まれるずっと前の出来事?
私が知るはずもない、お二人の若い頃の遠い記憶?
映像はゆっくりと流れていき、やがてドレスを恥ずかしそうにお母様に差し出すお父様。
感激し、涙を零しながらぎゅっとドレスを抱きしめるお母様。
遠い遠い日の、お二人だけが知る、お二人だけの物語。
実際にそんな話を聞かされた訳でもないのに、なぜ突然そんな映像が見えたのでしょうか。
まさかとは思いますが、さっきのはドレス自身が持つ記憶でしょうか? さっき見えたあれは確かに私の知らないお父様とお母様の若き日の姿でした。それは写真でさえ見たことのないお姿です。
ドレスの記憶ーーーーあまりに信じ難い事ですが、そう考えると不思議と納得が出来てしまいます。だって、お父様とお母様のあの物語を間近で見て体験したのは紛れもなくこのドレスなのですから、今、ここでその事を知っているのはこのドレスだけなのですから。
物にも記憶は宿るんですね。
だったら、大変です。
このドレスが今の、この状況まで記憶してしまったらせっかくのお二人の物語に文字通り泥を塗ってしまう事になるではありませんか。
私は地面に両手をついてどうにか立ち上がろうと試みますが、頭を強く地面に押さえ付けられ敢えなく断念せざるを得ませんでした。
「待って、待って、待って! まだよ、ローレライ。今やっと準備が整ったところじゃない。やっと、地面にその可愛らしいお顔がついたところじゃない。ね? それからどうするの? どうするの?」
「…………」
お二人の大切な物語を守るために何も出来ない自分自身の不甲斐なさが悔しくて、情けなくて、仕方がありませんでした。
閉じた私の目からは涙が滲み出てきました。
そんな私の顔の左側にはベアトリック様の足がのせられていて、靴底を強く擦り付けるようにしているので小石が擦れるジャリっとした感覚と鈍い痛みが私を襲います。
「ごめんなさい……」
「そう、そうよ。ローレライ。もっと謝って。もっともっと大きな声で謝って!」
「ご……ごめん……ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「あっははは! そうそう、その調子よ! お祖父様はきっと耳が悪いから大きな声ではっきりと伝えてあげて頂戴!」
「ほーらほーら、もーっと謝罪しなくちゃ。えらーい公爵様なんだからっ!」
「ローレライ。あなた謝罪の方法も知らないのですか? 本当に不憫ですね。こうやって! こうやって! 地に這いつくばって! ただただ、許しを請いなさい!」
新たな二つの痛みが私の背を襲います。
私はもはや地面に対し完全にうつ伏せ状態に倒れ込んでしまい、ドレスは本来の色が分からなくなる程に泥まみれになってしまいました。
ごめんなさい……。
なおも上から降り注ぐ容赦のない罵詈雑言と暴力に私の心と身体はついに限界を迎えてしまい、音が途絶え、感覚が遮断され、だんだんと思考が停止し始めてしまいました。
ごめんなさい……。
「もっとーーーー」
ごめんなさい……。
「身分がーーーー」
ごめんなさい……。
「いつまでーーーー」
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
お父様……お母様……本当にごめんなさい……。
ごめんなさい……。