全ての始まり
「ローレライ嬢ーー」
「ローレライ嬢ーー」
「静かな美しさーー」
「奥ゆかしいそのーー」
うるさい。うるさいわ、とても。
最近とても周囲がうるさいわ。
みんなしてローレライ、ローレライ、ローレライ。口を開けば二言目にはローレライ。まるで催眠術にでもかかっているように、繰り返し繰り返し。
私はあのジェシカ・ユリアンなのに。私の方が綺麗なのに。私の方が地位が上なのに。それなのに最近、みんなしてローレライローレライ。
噂は私の耳にも届いている。だから知っている。何でも『うら若き聖母様』や『儚くも可憐な一輪花』とか囁かれているらしい。
それはすぐに理解出来た。だって、私の目にもそう見えたから。
それらの言葉がすんなりと納得出来てしまうほどに、ローレライからは神秘的な神々しさといった何かを感じた。
だから、きっとこれからすごく人気が出るんだろうなってすぐに思った。
世間は今、私の名前で溢れかえっているけれど、きっとその中にローレライという名前が一部混ざって来るんだろうなって……。
すごく嫌だった。すごく腹が立った。みんな私だけ見てれば良いのにって、そう思った。
ローレライなんて、どうせ流行り物のようにすぐに飽きられちゃうんだから、最初から注目されなければ良いのにって、そう思った。
でも……どれだけ時間が経ってもローレライの噂は消えて無くならなかった。どれだけ待っても消えなかった。
どころか、どんどんローレライの名前を呼ぶ声が大きくなっていった。
嫌で嫌で仕方がなかった。
耳障りで仕方がなかった。
ローレライという言葉の響きが嫌いで仕方がなかった。
ローレライなんていなくなっちゃえって思った。
そうすれば、みんなまた私の名前を口にするようになる筈だから。
そうすれば、私はまた笑えるようになる筈だから。
私が私でいるために、ローレライという存在はいらない。
私がまた笑うためには、ローレライという存在はあってはならない。
私がこの国で輝くために、みんなの想いに応えるために、ローレライという存在を排除しなければならない。
けれど、どうすればローレライはいなくなる?
ローレライがローレライでなくなる?
二度と立ち直れないくらいに痛めつけてやろうか?
ダメ。
私にはイメージがある。イメージは大事。イメージを壊す事は絶対に出来ない。
じゃあ、どうしましょう?
そうだ。いじわる三姉妹に協力をお願いしましょう。
ダメ。
いじわる程度ではローレライはきっといなくならない。
もっと傷つけて、ボロボロにしてあげなくちゃ。そうしないとローレライは私の前からいなくならない。
そうだっ! 幸せを一つ一つ奪ってやればいい。そうすればきっとローレライは私の前から姿を消すはず。
男をーー婚約者を取り上げましょう。
相手は確か子爵家の令息だった。じゃあ簡単。一声かければ尻尾巻いて逃げ出すわ!
精神的に追い詰めてやるのよ。今が幸せならその分落ちた時の痛みは増すはずーーようは落差が肝心なのよ。
死んだ方がマシだって思っているところに、お次は肉体的な苦痛を与えましょう。
痛い痛いお仕置きをしなくっちゃ。
場所はやはり、いじわる三姉妹の勝手知ったる所が良いわね。じゃあ、やっぱりあの薔薇園かしら? 真実の愛の薔薇園が地獄の薔薇園に早変わり……楽しみね。
そうと決まれば、さっそく行動よ。今すぐベアトリック嬢に会わなくっちゃ。
便利で使える可愛い可愛い私のクイーンちゃんに。
すごいすごい! みんな迫真の演技だわ! あのローレライが泣いているわ! あぁん……そんなに涙を流して何がそんなに悲しいのかしら? そんなに痛いのかしら? そんなに怖いのかしら? 本当に可哀想ね、ローレライ。調子に乗らなければそんな目に遭わずにすんだのに、ね。
これが私とあなたの差よ。よく噛みしめなさい。理解しなさい。悟りなさい。あなたでは私はおろか、目の前の三人にさえ勝てはしないのよ。
これが絶対的な力の差というものよ。
いい気味だわ、ローレライ!
これに懲りたら二度と調子には乗らないようにする事ね。
あー、すっきりした! これでローレライが消えていなくなってくれる筈だわ!
今日から夜もぐっすりと眠れるわ!
ーーっあ! 大変! ローレライが帰るみたい。私も急いで帰らないと……。
ルークレツィア嬢とアレンビー嬢が大怪我をした? あらあら、お気の毒様。
それにしても、ローレライしぶといわね。
さて、あれからずいぶんと日が過ぎたわ。少し様子を見に行ってみようかしら。
あの日と同じクッキーをお土産に持ってーーこの皮肉、ちゃんと伝わるかしら?
ポーンドット家の屋敷はあそこね。あら? 見慣れない馬車が出て行ったわ……誰かお客が来ていたのかしら? けれど、ちょうど良かったわ。邪魔者はいない方がいいからね。
さあ、着いたわ……あれ? この馬車……マルグリット公爵家の家紋が入っているわ……そんな事はないと思うのだけれど、もしかして面識があるのかしら?
ほぇ?
ベオウルフとローレライが二人で何をやって……って、えぇーっ⁉︎ 何でベオウルフが跪いてローレライの手を取っているの? これはいったいどういう事なのっ⁉︎ 二人はいったいどういう関係性なのっ⁉︎ とにかく一刻も早く、邪魔者を追い払わないと。ベオウルフは私だけのものなんだからっ。
ようやくフェミウルフを追い返したわ。あいつの女好きもいい加減にして欲しいわね。あいつは私だけ見てればそれでいいのよ。あいつは私のものなんだから。
さて、ローレライが勘違いしないように上手く状況を纏めないと……それには多少なりと褒めてあげることも大事よね。あまり上から言い聞かせると尻尾が出てしまいかねないから。そういう時にはあいつのフェミニストが役に立つわ。ローレライだから会いに来たんじゃない。少し綺麗な女の所ならあいつはいつだってやって来る男なの。自分は特別じゃない。その他大勢の中の一人に過ぎないの。ちゃんと伝わったかしら? 心配だけれど、欲を出すと必ずといっていいほど失敗することになるのだから焦りは禁物ね。大丈夫、ちゃんと伝わってる筈、安心して、私。
うるさいわね、ローレライ。
最近『用がない』や『そうじゃない』といった言葉を聞くとイライラするわ。だって、ローレライって聞こえてしまうから。すごく嫌な気分になる。
ベアトリック嬢までもが大怪我を? いじわる三姉妹が揃いも揃って大怪我だなんて……きっとあの日の罰が下ったのね。悪い事するからよ。自業自得だわ。
ふふふっ。遂に私も結婚ね。
そうなれば私は未来の王妃様になるのよ。
名実ともにこの国の女性の頂点に私が君臨するのよ。
私にこそ相応しい地位と名誉ね。
今から胸が高鳴ってしまう。あっははは! ローレライなんてもうどうだっていいわ!
気が向いたら国外追放にでもしてあげましょう。ルーク、ビショップ、クイーン。駒ならいくつも揃ってる。今やキングすら私の手の内にあるんだから、ね。せいぜい掴まらないように盤面を必死に逃げ回るがいいわ。
あなたでは私に勝てっこない。
陛下によって召集がかけられたわ。遂にお披露目ね。国中の貴族達が集まる刺激的な一日。どんなアクシデントが起きるかしら? ローレライの奴、何かしでかさないかしら?
「お美しいジェシカ様!」
「ジェシカ様!」
「麗しのジェシカ様!」
「絶世の美女ジェシカ様ーー」
はあぁ……心地良い、この響き。いつまでも聴いていたい、この囁き。
「ローレライ嬢!」
「ローレライ嬢!」
「ローレライ嬢!」
「うら若き聖母様ーー」
「まさに可憐な一輪花ーー」
「美しい美しいローレライ嬢ーー」
うるさいわね。みんな何を言っているの? もう酔っ払っているの? 馬鹿なの? イライラするって分からないのかしら? 理解が出来ないのかしら? そんなにローレライが良いのなら共に処分してあげようかしら……。
本当にどれだけ私を怒らせれば気が済むのよ。本当、馬鹿みたい。
うるさい、うるさい、うるさい。そんなに言うとローレライがまた勘違いしちゃうじゃない……この子今まで誰からもちやほやされた事がないから、すぐに勘違いしちゃうんだから……フォローが大変かもなんだから……いい加減静かにしてくれないかしら……。
本当にいつまでもいつまでも、しつこいんだから……私もいい加減……我慢の……限界が……限界が……。
「ーーもう一人の主役が来ちゃったね……」
ベオウルフの声? もう一人の、主役? 誰の事?
また。また一緒にいる。ベオウルフとローレライ。この間よりも近い距離感で、いったい何を?
どこまで私を馬鹿にすれば……。
殿下……殿下はいったい何を喋って……まさかローレライに騙されているんじゃ? まさかローレライはベオウルフだけじゃなく、殿下まで私から奪おうとっ⁉︎ どこまで卑しい女なのよローレライ。男だけじゃ満足できず、権力にまで手をだそうというのね……それも王族に手を出すなんて恐れ多い。どこまで計算高い女なの、恐ろしい、恐ろしいわローレライ。
早く殿下を遠ざけないと殿下がローレライの魔力にやられてしまう。
「ーー殿下っ! 早く皆様のもとへーー」
「ローレライ嬢ーーあなたは私が頭に思い描いていた人物よりも、ずっと清らかで美しい」
やられたっ! 殿下がローレライの魔力にやられてしまった! 迂闊だった。甘く見ていたわ。どこまであざとい女なの、ローレライ。
とにかく早くこの場から離れてーー、
「ジェシカ様!」
「ローレライ嬢!」
「ジェシカ様!」
「ローレライ嬢!」
「ローレライ嬢!」
「ローレライ嬢!」
ダメ……もう……もう……限界……もう……無理……。
少しだけなら……少しだけなら……いいかしら?
なるべく目立たないように、さりげなく、自然に。
ん? この扇子は? 怪しい扇子ね。ローレライのイメージには合わないものね。けれど、ローレライの裏の顔を表しているのだとしたらお似合いかも。
もっと、もっと真っ黒だけど。ローレライの裏の顔。
この扇子を使いましょう。これで顔を隠して耳元で囁くの。私の気持ち。誰も知らない私の本当の気持ちを教えてあげましょう。
気持ちがいい。
気持ちがいい。
気持ちがいい。
胸がスッとする、身体が軽くなった、羽根でも生えたのかしら? 今なら空だって飛べそうよ。
もう少しだけ、あとほんの少しだけ。私の気持ちを伝えれば伝えるほどに身体が軽くなる。
もっと、もっと、もっとよ。
待って、待って、待って! それは言っちゃダメ! 絶対に言っちゃダメ! それだけは私の胸の中にしまっておかないと……誰にも聞かれる訳にはーーーーダメッ!
何これ、何これ、何これ。
口が勝手に……言葉が勝手に溢れ出してくる……止められない! 何これ、何がいったいどうなっているの? 言葉が、口が、手が、勝手にーーーー!
どうしたらいいの、この状況。
そうだ、全てローレライのせいにすれば……ローレライに脅されて言ったって事にすれば……そうよ、そうよ! 全てローレライが悪いのよ! あの醜悪な女が全て悪いのよ!
何で……何で私を信じてくださらないの……殿下。
あなたの婚約者である、私を。
は? 何この人? いったい誰?
は? 何これ? みんな何を言って……何が始まって……。
うるさい、うるさい、うるさい。
だから、その名前を呼ぶな!
聞きたくないのよ! その名前を!
また……胸が……苦しく……なって……。
スッとしたい。軽くなりたい。楽になりたい。空を飛びたい。さっきみたいに……少しだけ……言ってしまえば……きっと……!
少しじゃだめ、全部言いたい、全部言ってやりたい、あいつに!
なぜそんな目で見るの……殿下。私、全て正直に言っただけなのに。
それなのに……。
もう、どうでもいいわよ全部……。
私、疲れちゃった……。
みんな死んじゃえ……。
え? な、何? 何か降って……。
何この、生暖かい白いもの……ちょっ、ちょっとこれ……まさかっ!
誰かっ! 誰か助けて! 私を、私を助けて!
みんな……誰か……私を……助け……て……。