誰も知らない胸の内
アリーお姉様の印象に合った、落ち着いた大人の雰囲気が漂う黒の扇子。
ほんの少し前まで確かにそうでした。
私には到底似合わない気品溢れる黒のーーけれど、今はその黒が刻々と深まり漠然的な恐怖心さえ抱いてしまうほどの漆黒へと変化していったのです。
驚く私をよそになおも扇子はその黒さを増していき、最終的には黒以上の黒ーーもはや、何色と言えばいいのか分からなくなってしまいました。
さらに、私の目の錯覚なのか扇子の輪郭が若干、陽炎のようにぼやけて見えます。
「ーーっふふふふ! はっははは! あっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははーーーー!」
ジェシカ様はすっかりと漆黒に染まった扇子を宙でひらりと翻すと、よく晴れた青空を仰ぎ大笑いを初めました。
思いもよらない突然の行動に皆さんの視線がジェシカ様へと集まります。
「ーーっはははは……あぁ……そう、そうよ、そうなのよ……私はいずれ王妃になるのよ。今よりももっと高い地位に、もっと美しく、もっと華やかに、煌びやかに、優れた存在にーー私はなるのよ。国中の誰もが私一人に注目する、そんな存在に。ようやく……ようやくここまで来たのよ……ようやく……」
ジェシカ嬢様は青空を仰いだまま声も高らかに次々と言葉を放ちます。
その内容は誰かと喋っているというよりは、独り言を延々と口にしているように感じます。
ジェシカ様の心の内がそのまま口から漏れ出ているような、そんな感覚です。
そして何より、初めて見るそんな光景に若干以上の戸惑いを隠せません。
独り言をあれほど声も高らかに口にするというのは、通常考えにくい事ですから。
「私は絶世の美女ジェシカ・ユリアン、アヴァドニア公爵の娘、チェスター王国王太子の婚約者、そして未来の王妃。この国の全ては私の物、この国の人間は全て私の手足、私のために生きて私のために死んでいくのよ。全てが私の自由になるのよ。誰もが視線を伏せ首を垂れる。羨み憧れ嫉妬する、この国……この大陸……いえ……この世界で唯一無二の存在、聖母とーー神となるのよーーなのに……なのに……」
先ほどまで天を仰いでいたジェシカ様は、今は全身から力が抜けたようにその場でうつむいてしまっています。
「ーージェッ、ジェシカ……?」
キングス殿下も突然の事にかなり驚いているご様子で、側に寄ることさえ躊躇しているようです。
戸惑っているのは今や殿下だけではなく、ジェシカ様を取り囲む全ての人々が困惑し、怪訝な視線を向けています。
歓喜と祝福の声で満ち溢れていた広大な庭園は今は嘘のように静まり返っていて、ジェシカ様の言葉だけが遠くの方まで響いています。
「ーー最初はほんの数人だった。可愛いって、綺麗だって、噂しているのは。だから特に気にも止めていなかった。人それぞれ好みがあるし、そういう人は見る目がないって思っていたから。でも、日が経つにつれどんどん噂が耳に入ってくるようになった。毎日毎日毎日毎日毎日……腹が立ったけど弱小貴族が相手だから頑張って気にしないようにした。けれど……何が……何が……うら若き聖母よ……。何が美しくも儚い小さな一輪花よ……それらの呼び名に相応しいのは私、ジェシカ・ユリアンでしょう⁉︎」
ジェシカ様は声をあららげ、再び突き刺すような鋭い視線でもって私を射抜きこちらに向かって歩みを進めます。
そして、
白く可憐な腕がしなやかに宙を舞った直後ーー私はその場に倒れ込む結果となりました。




