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呼び出し

作者: 暦師走

「完治に2ヶ月かかるね」


 原付で通勤中に後ろから車で追突され、左足を骨折。あとは治療の必要もない擦り傷や打撲程度で済み、労災で入院費も賄ってもらえる。事故に遭った事自体は不運としか言いようがないが、順調に大学を卒業してから会社に勤めて3年間、休む暇もなく働いていたから丁度いい休息と思えば悪くはない。

 自分の家で使っている布団よりも寝心地のいいベッド。女っ気のない人生だったはずが、毎日顔を出してくれる白衣の天使。極めつけは個室でもないのに残り3つのベッドが空いている貸切状態。

 満足に動けるわけでもないが、働き詰めの社会人にとっては一種のリゾート気分を味合わせてくれる。

 しかしそれも外が明るい内だけ。


「消灯しまーす」

 

 1日の終わりにひょっこり顔を出した看護師の言葉と共に、病院内が一斉に明かりを消す。窓のカーテンも引かれて部屋は真っ暗。一瞬で監獄に放り込まれた心持ちにさせられる。

 しかし現代人は闇など恐れない。携帯の所持を許されている今、動画。ネットサーフィン。好きなように世界の知識に触れ、眠気を覚えるまで自由に時間を使うことが許される。翌朝出勤しなくていいというのは、精神的にも気楽であるが、遅くまで起きていると流石に病院側から怒られるため、乱用は出来ない。それでも携帯を眺めていると本能的に喉が飲み物を欲してくる。

 炭酸を呷りながら動画を楽しむ。1人暮らしの当たり前の日常にして究極の贅沢と言えよう。

 思い立ったが吉日。携帯を横の棚にしまって財布と交換し、松葉杖を掴んでサッサと扉に向かうと苦労しながら片手でゆっくり開け、恐る恐る廊下を覗き込む。別に見つかったから怒られるというわけでもない。喉が渇いたから自販機に行く。胸を張って外に出るための免罪符はある。

 あるが……

「…怖っ」

 昼間は看護師が巡回し、入院患者や見舞客の往来があるはずの廊下が、今は壁から張り出した床近くの非常灯がぼんやり灯っているだけの無人状態。冷房が効いているわけでもないのに、心なしか冷気が一帯を漂っている錯覚を覚える。

「……うっし。行くか」

 迷っている暇はない。1日でも長く、束の間の休暇を楽しむためには、寝る間も惜しんで欲を優先しなければならない。覚悟を決め、松葉杖を突きながら廊下を移動し、階段へと向かう。

 わざわざ3階から1階まで降りずとも、反対側を進めば自販機はあるにはあるが、そこには好きな飲み物が売っていない。やむを得ず1階まで行くしかなく、階段も1段ずつ。間違っても入院が長引くようなドジを踏まないよう、慎重に下っていく。

 1歩。また1歩。確実に自販機に近付いているが薄っすらと額に汗が滲み、拭いたくとも両手が塞がっていてはどうにもできない。

「…1階降りたらコーラを買う。コーラを買ったら部屋に戻る。部屋に戻ったら窓を開けて月を見ながら飲む」

 ブツブツ呟きながら部屋で涼む自分を想像する。しかし何度も唱えているおかげで自然と意識は肉体から離れ、気付けば1階に片足が降り立っていた。

「よく頑張った。よく頑張った」

 自分で自分にエールを送り、颯爽と廊下をまた進む。幸い自販機はナースステーションの手前にある。巡回で鉢合わせたりしなければ、間違っても姿を見られる事もない。

「自販機、自販機、じ・は・ん・き~」

 もはや浮かれていたと言ってもいい。発売日にゲームを買いに行く心持ちで向かい、目の前に見える角を曲がれば辿り着くと、口笛を吹こうとした刹那。



――ジリリリリリリーーンッッ



 突然鳴り響いた音にギョッとして、崩しそうになったバランスを、壁に身体を押し付けて何とか態勢を立て直した。



――ジリリリリリリーーンッッ



 まだ鼓動がバクバクいっている。胸に手を当て、荒い息遣いを必死に押さえ込もうと無理やり深呼吸を繰り返す。



――ジリリリリリリーーンッッ



 五月蠅い。キッと睨みつけると曲がり角の直前で、ヘコんだ壁に備えつけられた板切れのような机から、緑色の公衆電話が周囲に呼びかけていた。人のバカンス気分を一瞬で台無しにしてくれた恨みもあったが、音を聞きつけて看護師がやって来る危険性もある。二重に辟易させられ、忌々しそうにしばらく眺めるも、相手は無機物。目もなければ意思もない。

 虚しい怒りと階段の疲れがドッと押し寄せ、深いため息を吐く。



――ジリリリリリリーーンッッ



「まだ鳴るか、コノヤロー」

 もはや八つ当たり。一言文句を言ってやらねば気が済まない。見当違いな怒りの矛先を向けているのは重々承知していたつもりだったが、短くも長い入院生活で、少し気が大きくなっていたのだろう。勢いよく受話器をひったくると耳元にギュッと押し当てた。



――ジリリッ


「はい、〇〇病院ですが?」

 つっけんどんに、それでも病院ゆえに相応の言葉を選んで対応したつもりだった。

「……もしもし?」

 しかし反対側からは一向に返事が来ない。繰り返し応答を迫っても受話器からは電話独特の無音が延々流れるだけ。

「…もしもし、〇〇病院ですがご用件は何でしょうか?」

 もしかしたら最初の不愛想な対応のせいで相手が委縮してしまったのかもしれない。心の片隅に芽生えた罪悪感に出来るだけ優しく、丁寧に応対したつもりだったが、それでも無言。

 申し訳ない事をしたと反省の気持ちで一杯になり、万が一病院にクレームが来たら、素直に謝ろうと思い、受話器を戻そうとした時。



『田村雅崇さんはおりますか?』



 ふいに聞こえてきた声に思わず受話器でジャグリングをしてしまうも、無事落とさずに持ち手を掴むと再び耳に当てた。

「もしもし!?〇〇病院ですが、もう1度繰り返して頂けますか?」

『田村雅崇さんはおりますか?』

「…たむらさん?」

 聞いた事もない名前に疑問符が浮かぶ。受話器を顔から離し、周囲を見回すが当然誰もいない。道行く看護師でもいればバトンタッチ出来るが、あるいは入院患者が徘徊していれば“田村さん”について尋ねられたかもしれないと思いつつ、早々に諦めると電話口に話しかけた。

「……あのぅ。私はこちらの病院でお世話になっている者なんですけども、田村さんという方は病院の関係者ですか?それとも入院されてる患者さんですか?」  



――……ブッ、プーップーップーッ



 切られた。ダイヤルトーンを聞きながらジッと受話器を訝し気に見つめ、やがて用を為したために元の位置に戻すと松葉杖を抱え直して、元のクエストに戻った。

 ガコンッ。静寂に包まれた廊下を、自販機の稼働音と商品が提供される音が響く。残念ながらアルコール類は置かれていないものの、喉を刺激する炭酸が五臓六腑に染みわたる。

「やっぱ、まずかったかなぁ」

 しかし、いくら喉を潤そうと思い浮かぶのは、つい先程の自分の無礼な対応ばかり。

「でも最後にちゃんと挽回したからセーフだろ」

 迷いを洗い流すように残りを一気に呷り、部屋でゆっくり飲む用にもう1本購入したのち、サッサと自分の部屋に戻る事にする。いつまでも突っ立っていたい空間でもない。

 なるべく缶を温めないよう人差し指と親指でつまみつつ、残る指で松葉杖を掴んで移動を開始するが、降りる時とはまた別の苦労を味わいながら階段を昇り、いっそ今飲んでしまってコーラを処分してしまおうかと思った矢先。

 2階から複数の足音。夜にも関わらず言い争う様に話す看護婦の声。ガラガラと断続的に響く無機質なベッドタイヤの音。

 次々と聞こえてくる、松葉杖を突く音がかき消される騒音に、2階の踊り場に到着するや、ソッと壁を盾に廊下を覗いてみた。

「心肺停止!至急手術室へ移動!!田村さん?田村さん!?聞こえますか!田村さん!!」

 車輪がガラガラ廊下を駆けていく。声も遠ざかって行って、また静かになった病室に1人取り残されたが、ようやく帰り際だった事を思い出すと踵を返して部屋に戻ろうとした刹那。上に向かう階段に足を掛けようとしてその場で止まった。

 松葉杖を掴んだまま服をパシパシ叩き、蒼褪めた俺は早々に向きを変えて、1階に降りる段差に再び足を乗せた。

「サイッアク…」

 財布を自販機に忘れてきた。片足が不自由なだけで、両手まで不便を強いられる状況に辟易しつつ、降りたら手持ちを飲んでもう1本買ってやろうという気で、渋々現実を受け入れる。

 それでも行き来の移動で疲弊したからか思う様にスピードが出ず、その分思考を巡らせるだけの時間が生まれて、さっきの騒ぎが頭の中でグルグル回っていた。〝田村さん”。看護婦が叫んでいた名前が、電話越しの声を彷彿される――田村雅崇さんはおりますか?

 男とも女とも取れない声は、田村さんに何の用があったのか。それもこんな夜更けに。応対した時に病院名も告げたし、間違い電話のはずがない。 因果関係に少し疑問を覚えるが、そもそも田村なんてよくある名前、運ばれていった患者と同一人物と思う方がどうかしてる。

 首を振って考えを霧散させるといつの間にか1階に到着し、額に浮かんだ汗を拭って一息つく。

「…さっさと終わらそ」

 そう何度も見たくない閑散とした廊下。競技選手の如くダッシュを決めると松葉杖がけたたましく床を弾いて音を立ててしまい、看護婦や他の患者に怒られても文句を言えない状況にある。その前に用事を済ませるべく、左端に一瞬映った公衆電話を見向きもせず、素晴らしいコーナリングを決めて角を曲がると勢いのまま自販機に近付く。

「あった…」

 こんな場所でわざわざ盗む人間なんてまずいないだろう。だが失くし物が最後に覚えていた場所にあったのとないのとでは、安堵感が違う。もう買い直す気力もない。部屋で飲むつもりだった1本をその場で飲み干し、ゴミ箱に放って小休憩を終えると向きを変えて3階の部屋に戻ろうとした。



――ジリリリリリリーーンッッ



 また、鳴った。



――ジリリリリリリーーンッッ



 自販機にいるタイミングで鳴っている。もしや誰かの悪戯かと思わず辺りを見回すが、わざわざ夜の病院でそんな事を、それも曲がりなりにも入院患者に仕掛ける間抜けはいないだろう。



――ジリリリリリリーーンッッ



 音を聞きつけた看護婦でも来て代わりに出てくれないか。電話機の前を通るのも嫌だが、そのためだけにわざわざ建物の反対側まで移動して、自分の部屋まで戻りたくはない。覚悟を決め、思い切ってスタートダッシュを決めて公衆電話の前を通り過ぎる。



――ジリリリリッ



 しかし丁度前を通り過ぎた時、電話が鳴り止んだ。跳んだ肩透かしに咄嗟に足を止めてジッと公衆電話を観察する。



――ジリリリリリリーーンッッ


「うぉっ!?」

 顔を近づけようとした途端、また鳴りだした呼び出し音に仰け反り、あと少し後ろに体重をかけていれば転倒して入院期間を伸ばされるところだった。



――ジリリリリリリーーンッッ



 もはや挑発と受け取っていいだろう。理不尽な怒りと、僅かばかりの恐怖と、片隅にある好奇心が入り乱れ、器用にその場で立ち上がると公衆電話と相対する。

「もしもし!?〇〇病院ですがご用件は?」

『駒村晴美さんはおりますか?』

 また同じ声。だが今度は間も置かず、すぐに返答があった。それだけでドキっとして、つい受話器を耳から離してしまったが、ソッと近づけ直すと最初の威勢はとうに萎縮し、いつもの営業ボイスに戻ってしまう。

「…え~っと、すいませんけど私は入院患者の1人でして、電話されるならナースステーションの方に、って時間外でそもそも電話が通じないか」

『駒村晴美さんはおりますか?』

「急ぎなんですか?それなら看護婦さん呼んでくるんで、少し待ってもらって…」

『駒村晴美さんはおりますか?』

「……あのですね。今何時がご存知ですか!?ふつうこの時間帯はどこも電話が通じないんですよ。もしも用があるなら明日朝一にでも連絡して…」

『駒村晴美さんはおりますか?』

「こっちの話聞いてます!?大体こんな時間に電話かけてくるなんて非常識で…ん?」 

 バカにしてんのか。喉に込み上げた言葉を無理やり押し込め、辛うじて冷静さを保って受話器を持ち直すと出来るだけやんわり答えたつもりだったが、度重なる珍事と疲れで、少し言葉が乱暴になっていたかもしれない。自分でも気づかない内に声を荒げていた気さえする。 

 けれど最後の方で、向こう側から変なノイズというか、まるで受話器の中を虫が這うような呪詛が一瞬聞こえた気がして、思わず話すのをやめた。ボソボソとした声がまだする。相手が精神疾患の持ち主だとしたら悪い事をしてしまったかも。そんな罪悪感に、もう受話器を戻してしまおうと別れの挨拶を口にしようとした直後。



『……あなたのお名前を伺ってもヨロシイデスカ?』


――ガチャン!



 受話器を叩きつけるように戻したせいで、ちゃんと戻らず、クネクネした紐でぶら下がったまま宙を漂っている。


『あなたのお名前を…』


 電話向こうの声がまだ聞こえる。慌てて受話器を戻し、松葉杖を取ると急反転して階段を目指した。気のせいなんかじゃない。声が最後、明らかに変になっていた。まるで複数の人間が同時に話しかけてきたような、薄気味悪い、トーンの外れた調子で。

 松葉杖をこれまでにない速度で突いて階段を登っていく。

 気のせいなんかじゃない。受話器を戻そうとした時、視界の端に確かに何かがいた。自販機に向かう曲がり角で、何かが覗くように、こちらを見ていた。

 それが何かなんて考えたくもない。ほとんど片足で跳ねるように階段を上がっていき、途中にエレベーターが設置されていない事を怨みながら急ピッチで進んでいたつもりが、踊り場の壁に刻まれた〝2F”の文字が目的地までようやく半分達した事を知らしめてくる。



――ヒタッヒタッ



 やっぱり聞こえる。公衆電話から急いで逃げてからというもの、松葉杖と自分の激し息遣いにも関わらず、確かに後ろからついてくる裸足の足音。



――ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ…



 それも1つの足音じゃない。決して走ってないが裸足で歩く音が複数、着実に俺の元に向かって来ている。休んでる暇はない。出来る限りペースを落とさず、残り半分を駆けあがっていくとようやく3階の廊下の天井が見えてきた。思わず笑みを浮かべ、まだゴールにもついていないのに助かった気がしてしまったものの、その油断がいけなかった。

 最後の一段で松葉杖の先が引っかかり、そのまま床に無様に転倒してしまう。折れた足が痛む。



――ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ



 すぐ下の踊り場から聞こえた気がして、もう松葉杖に頼っている余裕もなく、這うようにその場を離れると壁に手をついて何とか立ち上がって見せた。支えもなく、まるで新しい競技のように片足で飛び跳ねながら廊下を無我夢中で過ぎていくとふいに見慣れた扉が視界に飛び込んだ。

 最後の力を振り絞り、足の怪我も忘れて一気に取っ手にしがみつくと振り子の要領で身体をぶん回し、僅かな隙間を開けて身体を滑り込ませる。勢い余って部屋の奥に飛んでいきそうになったが、悠長にしている場合ではない。急いで扉を閉めると絶対に開かないよう、全体重をかけて取っ手にぶら下がった。



――ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ…



 足音が近づいて来る。自ずと握りしめる手が強くなり、汗で滑ってしまわないか心配になるが、例え医者や看護婦だろうと開けるつもりはなかった。



――ヒタヒタヒタヒタヒタヒタッ



 部屋の前で止まった。

 心臓が飛び跳ね、一瞬手放しそうになった取っ手を掴み直して全体重をかけると、全神経を外に集中する。



――……ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ


 

 音が遠ざかっていく。

 それでも恐怖のあまり、身体が動いてくれないし、手も扉から離れようとしない。本能が決して開けてはいけないと警鐘を鳴らしているのか、やがて遠くの部屋で扉が勢いよく開かれる音が聞こえた時、もはやベッドに戻る選択肢は残されていなかった。





 翌朝、目が覚めると心配そうに覗き込む看護婦と医者に悲鳴を上げてしまい、あと数秒暴れ続けていれば、鎮静剤を打たれるところだった。

 話を聞けば朝の巡回時に部屋に入ろうとしたら俺が抜け殻のように扉にぶら下がっていたらしく、それからほぼ半日、夕方近くまでずっと起きなかったらしい。何かあったのか、悪い夢でも見たのか、看護婦を呼ぼうとしたのか。軽い健康チェックと一緒に色々聞かれたが流石に昨日の出来事を話す気にもなれず、寝惚けただけと誤魔化して、事なきを得た。

 ただ1つ、いや2つ気になる事を、その時チラッと看護婦さんに何気なく探りを入れてみた。

「…あの~すみませんが田村雅崇さん、という方はご存知ですか?」

「たむらまさたか、さん?…もしかして田村さんのお知り合いでしたか?」

「…えっ。ま、まぁ」

「そうですか、それはお気の毒に…」

 まるで喪主に深々と詫びるように細々と告げた看護婦の言葉は、俺のノミの心臓を悉く飛び跳ねさせてくれた。

 田村雅崇。26歳。治療を終え、あと数日で退院するはずが昨夜急に容態が悪化し、そのまま亡くなってしまったらしい。やはり昨日の騒ぎは例の〝田村さん”で間違いなかった。

 そんな話をしていると、ふいに問診票の記載を終えた、もう1人の年配の看護婦が会話に割って入ってくる。

「患者さんのこと、悪く言うわけじゃないけど、最近の若い子って何かやってんのかしらね?」

「何かって何をです?」

「だって田村さんもお若いのに、急に亡くなられて、そうしたら今朝はみーちゃんまで亡くなっちゃって…あの子もまだ19よ?変な薬でも病院内で出回ってるんじゃって、みんな噂して…」

「患者さんの前でそんな話しないで頂けますか!?」

「……あのぅ」

 俺の存在をもう忘れたのか、ハッとなった年配の看護婦は誤魔化すように手を口に当てて笑っていたが、今はそんな事どうでもいい。今朝亡くなった人の名前は誰だったか、個人情報の保護がどうのと言われてはぐらかそうとしてきた所、思い切って名前を絞り出すように告げてみた――駒村晴美。電話で聞いた名前を出すと看護婦が無言で頷く。

 もう無理だった。

 その後、必死に訴えて医者から自宅療養の許可を勝ち取ると逃げるように病院から抜け出し、その日中に実家近くの駅まで辿り着く事が出来た。医者からすれば半狂乱で退院したがった俺の方が怖かったかもしれない。だが怪我してようがなかろうが、もうあんな病院に1日だっていたくはなかった。

 実家にも連絡し、駅に着いたら電話するよう言われていたのでサッサと要件を済ませ、ホームのベンチにゆっくり腰を下ろして待った。病院を夕方に出たせいで、新幹線を駆使しても駅に着いたのはほぼ真夜中。終電にぎりぎり乗って何とか帰ってこれた始末。

「…こんな夜更けに非常識、ってか」

 実の家族とはいえ、急な帰省で迷惑をかける事を考えると、公衆電話に向かって偉そうに講釈垂れた自分がバカらしくなってきて、ついほくそ笑んでしまう。やっぱり自分でも言ったように、あと1日我慢して、朝一に退院すれば良かったと少し思えてきた。



――ジリリリリリリーーンッッ



 喉から飛び出した心臓を掴み戻すべく、ベンチから身体が崩れ落ちる。親が駅に到着したのだろう。紛らわしいタイミングで電話を掛けてきた事に怒りを覚えつつ、いそいそポケットから携帯を取り出した。

「…えっ?」

 手に持ち、呆然と携帯を見下ろしてしまう。液晶は真っ暗なままだった。



――ジリリリリリリーーンッッ



 そもそも着信音が違う。


――ジリリリリリリーーンッッ


 催促するように鳴り続ける電子音に、ゆっくり後ろを振り返った。



――ジリリリリリリーーンッッ



 駅に設置された、灰色の公衆電話が俺を呼んでいる。








――ジリリリリリリーーンッッ


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― 新着の感想 ―
[良い点] うーん。素晴らしい構成ですね。 細かい描写に引き込まれます。 電話の間隔の改行も丁度よく感じました。 とても怖く面白かったです。 お見事。
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