190日目
190日目だったはずだ。多分。
生きていける?
ーなんとか。僕はまだ、笑える。
朝から玄関のチャイムが忙しない。寝間着のジェイデンもあたふたと隣の部屋からやってくる。
「ねえ、何か鳴ってる!」
「ああ、大丈夫だ。パジャマから着替えてきなさい。大丈夫だから。」
「……うん。」
ジェイデンは幾分疑わしそうな目線をこちらへ向けて、自分の部屋へ戻って行った。
「……もうそんなに経つのか。」
軋む階段を降りて、玄関へ向かう。朝からこんなに無礼なのは、あいつ以外居ないだろう。木下が他界したことを書面で知らせたら、わざわざなんでもない振りを装って電話をかけてくるほどの几帳面さだ。ジェイデンを見たら、また色々とうるさいことをいうに違いなかった。そんなことを思いながら。鍵を2つひねり、ドアを押し開ける。小さいサンダルになんとか足を押し込んで、目線をあげると、思った通り、朝10時の光の中に友人は立っていた。
「プロット、取りに来たぞ。」
「わかってるよ。入って。」
そいつはどことなくくたびれた革靴をきちんと揃えて脱ぎ、上がって来た。と、上からジェイデンの小さな足音が響いてくるのを感じ、奴のオーバーリアクションを防ぐために、先手を打とうと……あ、打てなかった。
「お前!いつ結婚したんだよ?隠し子かぁ?隠し子なのか?」
いちいちオーバーな男だ。ジェイデンは見たこともない人間に足がすくんでいるらしく階段の踊り場から降りてこようとしない。
「違うよ。これは木下の子だ。」
「じゃあお前の子じゃないか。」
間髪を容れず聞き返してくる。
「お前は色々と間違ってる。僕はノアだ。木下じゃない。この子は木下彗の子だ。」
「お前を信用して言うぞ。この子はホムンクルスだ。」
流石のあいつも度肝を抜かれたようで、やっと黙り込んだ。
「そうか。人ならざるものなら、あの美しさも納得だが。本当なのか、そんなことがあり得るのか?」
階段の上からこちらを伺うジェイデンを見つめながらしみじみと言う。
「世界を震撼させたサイコパス研究者の木下彗だぞ。なんでもありに決まってるじゃないか。あの子はジェイデンって言うんだ。名付け親は、木下。意外じゃないか?あいつにあんな人間らしい一面があったなんて。それと、あの子は僕、ノアの子だ。それ以上でも以下でもない。もちろん人ではないが、それは問題じゃない。ジェイデンとお前を線引きをするような言葉は決してあの子の前では言わないと約束してほしい。」
「わかった。すまなかった。」
秋野はそう頭を下げると、屈みこんでジェイデンと視線を合わせて、にやりと笑った。
「やあ、ジェイデン。俺は秋野だ。よろしく。」
「よろしくお願いします。」
秋野はけたたましく笑った。
「お前、それはよろしくの態度じゃないだろう!」
ようやく踊り場からそろそろと降りて来たジェイデンは僕の後ろに隠れて、手だけ差し出している。こういうところは本当に子供らしい。
「いいじゃないか。ほら、お前の欲しいものだ。」
今の机に束にしてあったプロットを手渡す。
「お!いいじゃないか!これで広報にも怒られなくてすみそうだ。ありがとう、とりあえず読ませてもらう。」
「おっと、それは会社に帰る途中の電車の中にしてくれ。ジェイデンとこのあと、リトアニアに行くことにしてるんだ。」
「なんでまた……。まあいい。ちゃんと連絡手段を確保してくれさえすれば。」
「そこは大丈夫だ。ほら、これが滞在するホテルの名前だよ。」
「わかった。今回は失踪することはなさそうだな。」
「そんな暇ないよ。」
秋野は時計を見て、次の会議がなんたらとわめきたて、慌ただしくプロットを高そうななめし革のカバンの中に入れて居間を飛び出して行った。
「お前、あの汚ったない汗染みの鞄買い換えたのか?」
「時は流れるんだよ。変わったのはお前だけじゃないってことだな。」
「恋人か?」
「今度飲みに行こうぜ!」
慌ただしく扉をがちゃんと閉めて、あいつは帰った。
「ノア、いいのですか?」
「何が?」
「だって、あのプロット、最初の一枚以外全部美味しいカレーの作り方でしょう?」
「ジェイデン、覗き見たのか?いいんだよ、あいつにはこれくらいで。それより行く支度をしなさい。乗り遅れたら大変だ。」
さて、そろそろ空港へ向かう時間だ。
僕らは今日も、明日も、これからもこうして生きてゆく。




