70日目 午前-2
人工授精を選んだ母が悪いとか、子を成せず、心を病んだ父が悪かったわけではない。二人ともお互いを想いすぎて、優しすぎただけだ。ただ、生まれてきた僕が悪いのだ。ただそれだけ。
「たったそれだけのことなのに、なぜこんなに悲しいのだろう。」
「なぜ、辛くもないのに涙が出てくるのだろう。」
「分かっていたことなのに、なぜ。」
「生きていて、ごめんなさい。」
「死ねなくて、ごめんなさい。」
家事をする気力もなく、白のワイシャツにアイロンをかける気力もないから、いつもしわくちゃのシャツに重力で涙を吸われる。自分の涙には拭う価値なんてない。ぬぐわなければ、誰かに見られてしまうかもしれないのに。
「僕は、まだ慰めを求めているのだろうか。」
涙で歪んだ視界を何度か瞬きをして、晴らそうとすると、この世のものとは思えない程に、美しいものとひたりと目が合った。
それは一見すると、深い海の底のようで、しばらくその瞳を見つめていると、秋の空のように確かな深度を持って、淡い水色から、光の届かない深海のような深い藍色にグラデーションをしていることが分かる。こちらを無表情に見つめる一対のその目はこの世の物とは思えない程に美しかった。白く陶器のような滑らかな肌と、彼と良く似た中性的な面差し。性器はとうとう見当たらなかった。見た目通り、この子は中性のようだった。彼と同じ黒髪と、胎児にしては大きな、ヤマモミジのような手。
胎児と目が合った瞬間、どうすればいいのか自分でも分からなくなって、とりあえず、僕は日課のカメラを向けた。最近はなんだか、陽の光に当たることが恐ろしいから、離れのカーテンを閉めたままにしていたが、急にそれではいけないような気がして、僕は小さな窓の分厚いカーテンを取り去った。
胎児は青くぼんやりと発光する水溶液の中で、少し身じろぎをして、窓の方を向く。そうか、彼はもう目が見えているのだ。陽の光の下の彼は、一種の神秘的で神の如き雰囲気をまとい、どこまでも神聖だった。彼の体で何よりも美しいのは、そのふたつの瞳だ。彼とすれ違う人間は、まずその瞳に惹きつけられることだろう。何も知らない、澄み切った瞳が光を見つめて、水色は夏の浅瀬のように白っぽく、藍色はより深みを増して、陽のもとにそれは漂っていた。暗がりにおいてあるカメラのモニターを確認すると、幻想的な中世の絵のようなワンシーンだ。ああ、こんなに美しい人が人間のはずがない。




