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ハンマーヘッドシャークハンマーヘディック

作者: はじ

 今やハンマーヘッドシャークは絶滅寸前である。THE MANZAI 2013でジャパニーズコメディアンチドリの漫才「寿司屋」に登場して注目を集めて以来、ハンマーヘッドシャークは食用、観賞用など様々な用途で乱獲され、その個体数は瞬く間に減少、晴れて絶滅危惧種の仲間入りを果たす。以後、シーシェパード環境保護団体を母体とするハンマーヘッドシャークポリスによって生残する個体が管理されるようになったのだが、困ったのは他と違って代えのきかない工具用として利用していた船大工たちだった。ハンマーヘッドシャークがなければ、全国各地から依頼される船舶の造船が立ちいかず仕事にならない。つまりお給金がもらえない。生活に支障を来すことをおそれ、船大工たちはハンマーヘッドシャークの密漁を行うことにした。

 月のない明るくない暗い夜、近隣の港から募った有志の船大工たちがすんすん息をひそめ、ぎゅうぎゅう身を寄せ合いながら小型漁船に乗り込んだ。エンジン音は海鳴りよりも響いてしまう。オールで船を進める。すんすん、すんすん。集魚灯もつけないまま無明の沖まで出ると、釣り糸をくくりつけた釘バッドを海中に降ろし、それを小刻み上下させる。海水と触れ合って釘から鉄イオンが溶出し、周辺を回遊、海流に乗って遠方にいるハンマーヘッドシャークをおびき出す。まんまと誘い出されたハンマーヘッドシャークファザー、ハンマーヘッドシャークマザー、ハンマーヘッドシャークジュニアのハンマーヘッドシャークファミリーは、暗い海中で浮沈する釘バッドを発見、釘を見ると打たずにはいられない彼らの習性、それが罠だとも気付かずに泳ぎ寄り周回、打ち据えようと首をひねったその瞬間、船上で糸を垂らしていた船大工の指先にはしる僅かな振動、感知と同時に思い切り糸を引き、釘バッドは急上昇、打とうと思っていた頭を打たれたハンマーヘッドシャークファザー、打つはずの自分がまさか打たれるとは思いもしていなかったのでそれはそれは取り乱し、真っ白になった頭のなかには早くも走馬燈、最も鮮明に思い起こすのは父のこと、つまりハンマーヘッドシャークグランドファザーのあの言葉 イイカイ ボウズ オレタチハ ドンナトキデモ ウタナキャ イケネェ タトエ アタマガ ワレルヨウニ イタクッテ モダ アア トウサン ワカッテルヨ オレハ サイゴマデ チャント ウツヨ ウチノメスヨ 最後の力をかき集めて頭を振り上げる。その渾身のハンマーが向かった先は、無情なことに心配して駆け泳いできたハンマーヘッドシャークマザー、釘のT字のシルエットと見誤ってしまったのだ。打って打たれて力つき、海上へと上っていくハンマーヘッドシャークファザー、そしてマザー アア トウサン カアサン! 両親を追ってジュニアも浮上する。

 海面に浮かび上がってきた三頭をひとりの若い船大工が一網打尽にした。わっと一時的に歓声が上がり、しゅっとすぐに静まる。すんすん、すんすん。船は港に戻る。造船場裏の切れ掛けの外灯下に一同が集まり、釣り上げたハンマーヘッドシャークを横一列に並べる若い船大工の腕はとても毛深く、汗と海水に濡れた腕毛は海藻のような滑り気を帯びてきらきらと光る。これではさぞかし心地悪いことだろうと思ってしまうのは素人で、船大工ともなれば多少のヌメヌメなど一切気にしない豪快さを備えている。さすが海の男! と称賛を送りたいところだが、海藻腕毛の彼は思いのほか貧弱で、アイスを食べれば腹を壊し、肛門ひらいて下痢を出し、夜風に吹かれて風邪を引き、まぶたを開ければドライアイ、なかでも気圧変動には滅法弱く、天候崩れる前ともなれば、小ぶりな頭部に激しい頭痛が襲いくる。重く鈍い痛みがこめかみに走る。少し吐き気もある。しかし頭痛ごときで仕事を休むわけにはいかない。頭痛薬を口に放り込んで今朝も港の造船場へとひた走る。

 彼が子どもの頃はバファリンの半分がやさしさでできているというテレビコマーシャルが流行り、それを見たひねくれ者の友人たちが、もう半分は憎しみ、妬み嫉みでできていると、からかっていた。その冗談を聞きながら彼はバファリンの製造現場を想像する。工場に勤務する労働者たちは純白の作業着を厳重に着込み、顔の下半分をマスクで覆い、頭には衛生キャップを被っているだろう。手指を10段階の行程で洗浄消毒し、滅菌済みのゴム手袋を装着した彼らは、ふたつのグループに分かれる。やさしさグループと憎しみ、妬み嫉みグループだ。ベルトコンベアがまずやさしさグループの前にバファリンの錠薬を運んでくる。やさしさグループは、その一粒一粒に丁寧に言葉をかける。よっ、良い丸型ッ! 今日も白いねッ! がんばれ! がんばれ! ありがとう! ありがとう! 藤岡弘、が見学にきた際、この光景にいたく感動していたというエピソードは今でも語り継がれている。そして、やさしさに満たされたバファリンが次に向かうのは憎しみ、妬み嫉みグループだ。その作業ラインに入った瞬間、先ほどまでの穏やかだった空気がどんよりと淀む。帽子の下からのぞく作業者の瞳は憎しみで濁り、マスクの奥からはひどい恨み言が聞こえてくる。この光景を見た藤岡弘、が一転して眉をしかめたと当時を知る職員は語る。鬱々とした言葉を浴びるバファリンのやさしさ成分はみるみる減少していき、全体量の50%になったところで「B」の刻印を押され、各地の薬局に出荷される。多くの恨み言を聞いてしまい、やさしさ成分を大きく失ったバファリンは不良品としてはじかれる。工場の北側にある誰も寄りつかない倉庫のなかに無造作に放り込まれ、一生涯日の目を見ることもなく、誰の頭痛も癒すこともできず、そこでくすぶり続けるのだ。

 そんな想像を子どもの頃にしていたからか、彼の常備薬はイブ、そのなかでも効き目の速いイブクイックを愛用している。さすが頭痛に速く効くと謳っていることはあり、服用して間もないのに殴られるような痛みは早速に去り、造船場へと駆ける足も心なしか軽やかだ。小気味よく踏み出される両足に連動して前後する腕も軽快そのもの、腕毛も五線譜のように爽快に棚引き、港に近づくにつれて強まってくる潮の香りがいっそう心地よく、今日一日の晴れやかさが香り出しているかのようだった。

 だがそれも、造船場の前に停まっているパトカーを見て陰りが差す。通常のパトカーとは異なる水色と白を配色した車体、槌型のパトランプ。そう、ハンマーヘッドシャークポリスである。恐々と場内をのぞき込む。同僚の船大工がハンマーヘッドシャークポリスメンに取り調べを受けていた。昨夜の密漁がもう発覚したのだ。あまりにも早すぎる対応に愕然としていると、彼に気付いた同僚が不自然な瞬きを繰り返した。送られてくるアイコンタクトを読み取った船大工は、その指示通りそっと後退りして、造船場の裏手に停泊させてある帆船に向かった。

 焦りで足がもつれ、緊張のあまり止まっていた頭痛がぶり返す。震える手をポケットにつき入れ、イブクイックの錠剤を取り出して口に入れる。頭痛が止まり、落ち着きが戻り、速度が上がる。しかしまだほんの少しだけ、痛い気がする。もう一錠飲み込む。思いのほか速くなる。足がもつれる。こけるようにして船の甲板に飛び込む。こける。頭を打つ アタマガイタイ 気絶する。

 倒れ伏しながら全身をすばやく痙攣させている彼のそばには、甲板を矩形にくり抜いて作った生け簀がある。そこで昨夜生け捕りにしたハンマーヘッドシャークジュニアが弱々しく泳いでいる。アア トウサン カアサン イッタイ ドコニ イッテ シマッタノ 一体どこに行ってしまったのかというと、ハンマーヘッドシャークファザーは遥か遠くの港へ、ハンマーヘッドシャークマザーは遥か遥か遠く遠くの港の船大工のもとへ輸送されたのである。両親から引き離されたハンマーヘッドシャークジュニアは一頭のハンマーヘッドシャークとして自立を余儀なくされる。尾に着いたジュニアを取り払い、一人前のハンマーヘッドシャークとして生きていくのだ。大人になったハンマーヘッドシャークはもう両親の助けを借りずに現状を打破しなければならない。生け簀から脱出しようと囲いに頭を打ち付ける。しかし頑丈な生け簀はビクともしない。それでもめげずにガンガンガンガン頭を打ち付けていると、その物音で気を失っていた船大工が眼を覚ます。失った意識を取り戻せたのは大変喜ばしいことなのだが、失ってしまった記憶はもう取り戻せない。自分が誰なのかも判然としない。己に関する記憶が何一つとして残っていない頭にはガンガンガンガン絶えず痛みがはしる。空から脳天めがけて鉄の塊をぶん投げられているかのような激痛であるが、もしこの痛みすら去ってしまえば、いよいよ自分は何者でもない何もない何者かに成り果ててしまうのだ。恐ろしさで胴震いを起こしていると、手が習慣的にポケットをまさぐり、そのなかから薬を取り出してひと飲み、途端に視点が乱れ、景色が、いや世界が認識できない速度に包まれ、穿たれた眼球、奥底、光の帯が放射状に迫ってくる。一呼吸で吹き出される吐息のなかに、過ぎ去った歳月の腐り落ちた細泡がふたつ、よっつと分裂を繰り返して増殖を続け、ひとまとまり、固まり、になったかと思えばそれは自分自身であるかのような、それならばこの自分はと疑問を感じてしまうことも恐ろしく、その先を思い描こうにも遙か後方、最早遠く、記憶ガンガンガンガン痛みでこぼれてくる血潮は液晶し、動揺する二相間で貧血とその墜落、落水の明るみが結わく水紋、暗礁を回折する魚籃は幻て、白波合わせて、鱗しているのにも関わらず、輝く水滴、砕けた泡沫は、片鱗としての嵐のさきぶれ、血のほとぼりで凝固した鉄塔を頑として、頑として、ガンガンガンガン頑として固持して、把持して、尾びれの付け根を掴んで、大きく振りかぶる。そこを支点にして思いきり振り回す。全身の血液のみならず体液という体液が遠心力に引かれて一挙に頭に押し寄せ、その怒涛の勢いに飲み込まれて溺れてしまいそうだった。視界は細かな泡ぶくに覆われて白転、壊れた玩具のように開け放しになった鰓裂。瞬き瞬き。記憶が飛ぶ。打ち付けられてガン、と戻ってくる。突き出したこめかみが熱を帯びる。遅れて痛みがやってきて アタマガイタイ 何度も執拗に打ち付けられた末、用済みになるといとも簡単に放り捨てられた。

 しばしの浮遊を経てから二、三回大きく弾み、甲板の継目に沿いながら滑っていく。粘膜の道を引きながら船縁に衝突し、そのまま舷で横たわる。空に青はなく、白濁した雲が複雑な天井を広げている。厚い鉄板を一枚隔てた先から荒々しく砕ける波音が届いてくる。それと相乗するようにしてガンガンガンガン頭痛が響く、頭に響く。遅れず痛みがやってきて アタマガイタイ もう頭が痛いのか痛みが頭いのか判断できない。もはや痛みの器官と化した頭を重ったるく持ち上げて大洋を眺める。冷たい風が平時よりやや前のめりになった眼球に吹きつける。海をかたどる海面の起伏が立体的に映るのは錯覚ではなく悪天候の前触れだ。そのどこを見ても徹底してこちらには無関心で救援の望みはないと知れた。虚ろになっていく眼が続いてマストを見上げる。船体がヨット程度であるのに対してマストは呆気にとられるほど長大だ。雲にも届きそうなほどの高さで船の中心位に屹立し、煙突のように堂々と突き上がっている。その半ばあたりに付いた帆布は、マストの高さと比較して不釣り合いに小さくまるで飾りのようだ。強風に煽られては弱々しくはためき、存在をけな気に示しめしている。さらに奥へと眼を細め、マストの頂を凝視すると、小さな黒点が忙しなく動いているのが見える。誰かが現在進行形でマストを伸長しているのだ。そこから鳴り響く工具の音は荒っぽくガガンガガン早急な様子が音に乗って届いてくる。聞いているとこちらまで急かされているかのようで鼓動が速まっていく。その所為で頭痛がさらに悪化する。鋭く太い痛みが頭を断続的に貫く ガンガンガンガン これは自分の頭で鳴っているものか、マストの上から響いてきているのか判断できない。どちらでもあるが、どちらでもいい、どうでもいい。これが大きくなればなるほどマストも高大になるのだ。今よりもずっと高くなり、やがて雲の底面に触れ、突き刺さり、乱れ狂う気流の渦を堪えながらさらにその上へ、やっとの思いで雲を抜け、太陽が照り輝く場所に到達した時にはもう死んでいるのだから関係ないしそれよりも アタマガイタイ 襲いかかってきた一段と強い痛みを堪えていると、マストの上から海藻のような黒い帯が、にゅーとこちらに向かって伸びてきた。が、それは真上を素通りし、そばで横たわっていたノコギリノーズシャークにぐるぐると巻き付いた。

 簀巻きにされ、連れていかれたノコギリノーズシャークは一寸の生気も宿らない眼でこちらヲ見つめていタ ボクモ スグニ アアナッテ シマウノダ イヤ アキラメルノハ マダ ハヤイ アノ マストヲ マップタツニ タタキオッテ シマエバ イイノダ ソウスレバ コノ ズツウモ トマル ダロウ シカシ ボクノ アタマハ モッテクレルダロウカ イヤ ソンナコト キニスルナ マストカ アタマ ドチラガ サキニ コワレルカ ショウブダ! ソンナコトヲ思ッテイルト トテモスバヤク デモ確カニ鋭クテ重イモノガ ンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン 頭ヲ ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン






走ッテイッタ












                   ガンガンガンガンガンガンガン――


作中で全角と半角のカタカナを合わせて使っていたんですが、すべて全角になおされてしまいました。

そのあたりの調整に時間をかけていたので残念です。


感想、意見、アドバイス等ありましたら是非お願いします。

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[良い点] 自分はおそらく後半部をまだ理解しきれていません。これは作品の瑕瑾ではなく、奥行きだと思います。 野坂昭如とか石川淳とか大江健三郎とかドライブ感とか疾走感とかいろいろ思い浮かべましたがしっく…
2018/07/19 20:21 退会済み
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